上 下
183 / 222
第四部 

170 エレナと女神様の礼拝堂

しおりを挟む
 お兄様から馬車から降りるように声がかかる。

 開けられたドアの先には、いつも通りお兄様が笑顔でわたしに手を差し出している。
 ギュッとお兄様の手を握り、恐る恐る降りると祭司様と子どもたちがわたしを見て固まっていた。

「こんにちは。わたしはエレナ・トワインです。今日はみなさんにお会いするのを楽しみにしていました」

 淑女の礼をして顔を上げる。子どもたちは顔をこわばらせたままだ。
 わたしは少しでも悪い印象を払拭できるように微笑みを浮かべて子どもたちを見渡すと、今度は小さな女の子と目が合った。
 口角を上げてわたしができる一番優しい笑顔で見つめる。
 女の子は後ろを振り返り再びわたしを見て「……本物の女神さまがいる」と呟いた。
 わたしは女の子と一緒に入り口に立つ女神様の石像を見上げる。

 領地のお祭りで着る女神様の衣装を着たわたしは、編み込みしてアップにした髪型も、身につけるアクセサリーも完璧に再現されている。
 なんていったって今日の準備は有識者ユーゴ監修の元、侍女のメリーだけじゃなく屋敷のメイドたち総出だったもの。
 ここのところずっと王立学園アカデミーの制服ばかりだったうえに、女官見習いだからと髪型も地味だったから、みんな久しぶりのおめかしに全力で取り組んでくれた。だから異様に仕上がりがいい。

 大丈夫。
 みんながわたしを女神様に見えるようにしてくれた。
 あとは、こないだの領地のお祭りと同じように振る舞えばいいだけのことだもの。

「祭司様。この子たちに礼拝堂の案内をお願いしてもいいかしら? 子どもたちにお礼も用意しているのよ」

 固まってわたしたちを見ていた祭司様は、はっと我に返り笑顔で「もちろんです」と頷いた。
 聖職者だもの子どもたちの前でわたしの我儘を非難したりはしないだけの良識は持ち合わせていらっしゃるようだ。

 祭司様の返事に子どもたちは顔を輝かせてわたしの手を取る。
 ユーゴの言うように子どもたちはお菓子が配られるのを楽しみにしているのよ。
 もので釣るのは後ろめたいけれど、我儘なご令嬢だって思われるくらいなら女神様をやりきって見せる。

 わたしは子どもたちに引っ張られて歩き出した。


***


 豊穣を司る『恵みの女神様』は慈愛に満ちた母なる女神だ。
 女神様を讃える礼拝堂は慈善活動に力を入れていて、王都で一番大きな孤児院を運営している。とユーゴがさっき馬車で熱く語っていた。
 古いながらも館内は清潔で、暖かな自然光が照らしても気になるような汚れはない。

 子どもたちはわたしの手を引きいろんな部屋を紹介してくれる。
 祈りの場である礼拝堂に、子どもたちの居住スペース。
 孤児院は十二、三歳くらいまでの身寄りのない子供達のための施設だ。
 食堂や寝室、それに勉強をするための教室もある。

 外に連れ出されると、子どもたちが走り回るのに十分な広い庭だ。たくさんの子どもたちが庭で遊んでいる。
 その一角に洗濯物が風にたなびいていた。夏らしい濃い青の空に真っ白な洗濯物が眩しい。

 わたしと子供達の後をドヤ顔で歩いていたユーゴが恭しく籠をかかげる。

「女神の子どもたちにと、女神様が胡桃のケーキを持ってきてくれましたよ」

 意気揚々と言い放ち、わたしに籠を押し付けると子どもたちの誘導をはじめた。

 女神様をやり切る決意はしたけれど、ユーゴに煽られるのは違うと思う。
 お兄様に目で訴えるけど、祭司様と話し込んでいてこちらのことなんて気に留めてもいない。

 後でユーゴにもお兄様にもいっぱい文句言ってやる!

 わたしは籠を抱えて子供たちの元にむかう。
 子どもたちはユーゴの言うことをちゃんと聞き、整列してお菓子が配られるのを待っていた。
 寄付金で運営される孤児院は衣食住に困ることはなくても、お菓子を頻繁に食べることはできない。
 領地と同じように一人一人抱きしめてお菓子を配るとみんな嬉しそうに笑っている。

 そんななか、一人列に並ばずに壁に寄りかかっている少年がいた。
 馬車の中から目が合った少年だ。

「お菓子は要らないの?」

 わたしが近づいて声をかけると、少年はヒュッと息を吸った。
 怖がらせてしまったかしら。
 でも、お菓子をもらえる機会なんてそんなにないだろうから、この少年にも配ってあげたい。
 わたしがお菓子を渡そうとすると、少年はお菓子を押し返した。

「さっき、あの人がみんなに女神様からお菓子をもらえるのは女神様よりも小さな子どもたちだって。だからオレはもらえないんだ。それに、もうすぐ働きに出なきゃいけないしさ、もう子どもじゃないから」

 ちょっとだけわたしよりも背が高い少年はそう言って強がった。

 わたしは「愛されていない王太子殿下のかりそめの婚約者」なんていう破滅フラグが立ちまくった侯爵家のご令嬢に転生したことを嘆いていたけれど、目の前の少年にしてみれば恵まれた立場だ。
 自分のことばかり不幸だと思っていたのが急に恥ずかしくなる。
 この少年はまだ孤児院に保護されて命を脅かされることはない。きっともっと悲惨な人生を送っている子どもたちだって沢山いるはずなのに。

 わたしは補修用に積んであるレンガを手に取り、土の上に置く。
 二つ並べたくらいで大丈夫かしら。
 その上に乗り少年に笑いかける。

「まだ、わたしより小さな子どもよ」

 少年の手を取り胡桃のケーキを置く。

「お名前は?」
「……トビー……です」
「トビー。あなたの人生に幸多からんことを」

 わたしは少年──トビーのことを抱きしめた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢は自称親友の令嬢に婚約者を取られ、予定どおり無事に婚約破棄されることに成功しましたが、そのあとのことは考えてませんでした

みゅー
恋愛
婚約者のエーリクと共に招待された舞踏会、公の場に二人で参加するのは初めてだったオルヘルスは、緊張しながらその場へ臨んだ。 会場に入ると前方にいた幼馴染みのアリネアと目が合った。すると、彼女は突然泣き出しそんな彼女にあろうことか婚約者のエーリクが駆け寄る。 そんな二人に注目が集まるなか、エーリクは突然オルヘルスに婚約破棄を言い渡す……。

【完結】え?今になって婚約破棄ですか?私は構いませんが大丈夫ですか?

ゆうぎり
恋愛
カリンは幼少期からの婚約者オリバーに学園で婚約破棄されました。 卒業3か月前の事です。 卒業後すぐの結婚予定で、既に招待状も出し終わり済みです。 もちろんその場で受け入れましたよ。一向に構いません。 カリンはずっと婚約解消を願っていましたから。 でも大丈夫ですか? 婚約破棄したのなら既に他人。迷惑だけはかけないで下さいね。 ※ゆるゆる設定です ※軽い感じで読み流して下さい

毒、毒、毒⁉︎ 毒で死んでループする令嬢は見知らぬうちに、魔法使いに溺愛されていた。

にのまえ
恋愛
 婚約者の裏切り、毒キノコなど……  毎回、毒で死んで7歳まで巻き戻る、公爵家の令嬢ルルーナ・ダルダニオン。 「これで、10回目の巻き戻り……」  巻き戻りにも、飽きてきたルルーナ。  今度こそ生きてみせる。と決めた、彼女の運命がいま動き出す。    エルブリスタにて掲載中です。  新しくプロローグを追加いたしました。

いらないと言ったのはあなたの方なのに

水谷繭
恋愛
精霊師の名門に生まれたにも関わらず、精霊を操ることが出来ずに冷遇されていたセラフィーナ。 セラフィーナは、生家から救い出して王宮に連れてきてくれた婚約者のエリオット王子に深く感謝していた。 エリオットに尽くすセラフィーナだが、関係は歪つなままで、セラよりも能力の高いアメリアが現れると完全に捨て置かれるようになる。 ある日、エリオットにお前がいるせいでアメリアと婚約できないと言われたセラは、二人のために自分は死んだことにして隣国へ逃げようと思いつく。 しかし、セラがいなくなればいいと言っていたはずのエリオットは、実際にセラが消えると血相を変えて探しに来て……。 ◆表紙画像はGirly drop様からお借りしました🍬 ◇いいね、エールありがとうございます!

転生したら死亡エンドしかない悪役令嬢だったので、王子との婚約を全力で回避します

真理亜
恋愛
気合いを入れて臨んだ憧れの第二王子とのお茶会。婚約者に選ばれようと我先にと飛び出した私は、将棋倒しに巻き込まれて意識を失う。目が覚めた時には前世の記憶が蘇っていた。そしてこの世界が自分が好きだった小説の世界だと知る。どうやら転生したらしい。しかも死亡エンドしかない悪役令嬢に! これは是が非でも王子との婚約を回避せねば! だけどなんだか知らないけど、いくら断っても王子の方から近寄って来るわ、ヒロインはヒロインで全然攻略しないわでもう大変! 一体なにがどーなってんの!? 長くなって来たんで短編から長編に変更しました。

兄がいるので悪役令嬢にはなりません〜苦労人外交官は鉄壁シスコンガードを突破したい〜

藤也いらいち
恋愛
無能王子の婚約者のラクシフォリア伯爵家令嬢、シャーロット。王子は典型的な無能ムーブの果てにシャーロットにあるはずのない罪を並べ立て婚約破棄を迫る。 __婚約破棄、大歓迎だ。 そこへ、視線で人手も殺せそうな眼をしながらも満面の笑顔のシャーロットの兄が王子を迎え撃った! 勝負は一瞬!王子は場外へ! シスコン兄と無自覚ブラコン妹。 そして、シャーロットに思いを寄せつつ兄に邪魔をされ続ける外交官。妹が好きすぎる侯爵令嬢や商家の才女。 周りを巻き込み、巻き込まれ、果たして、彼らは恋愛と家族愛の違いを理解することができるのか!? 短編 兄がいるので悪役令嬢にはなりません を大幅加筆と修正して連載しています カクヨム、小説家になろうにも掲載しています。

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

【完結】 お前を愛することはないと、だんなさまに宣言されました。その後、イケメン隣国の王子が物欲しそうに付きまとって来るんですけど?!

buchi
恋愛
トマシンは伯爵家の令嬢。平民の愛人と結婚したいスノードン侯爵は、おとなしそうな令嬢トマシンと偽装結婚を謀る。そしてトマシンに派手好き、遊び好きとうわさを立てて、気の毒な夫として同情を集めようとした。これで浮気もしたい放題。何ならトマシンの有責離婚で、あわよくば愛人と再婚したい。有責の証拠のためにトマシンが連れていかれた娼館で、トマシンは美しい宝石のようなイケメンに出会う。「イケメン、危険」美人でも人目を惹くわけでもないトマシンは用心するが、イケメンの方が引っ付いてきた?「ねえねえ、復讐しようよ~」これは、イケメン主導による、トマシンの予期せぬザマァ&シンデレラストーリー。 甘々?は後半です。すみません。

処理中です...