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第四部 

154 エレナ、王宮で働く

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 部屋に入ってきた殿下は正装だった。
 詰襟の白い軍服に瑠璃色の外套マント、赤い肩帯サッシュに金色の肩章エポレット飾緒モール。そして沢山の勲章……
 今日も相変わらずかっこいい。

「エリオット。部屋の外まで聞こえるような声で騒ぎ立てるなど、どういうつもりだ」

 冷静さを取り繕った声だけど、そう言った殿下の肩は微かに上下しているし、なでつけた髪の毛が一筋額に垂れている。
 きっと廊下を歩いている時にわたしたちの騒ぎ声が聞こえて慌てて部屋に入ってきたのだろう。

「えっー! 僕が怒られるの? ステファンがエレナをデートに誘おうとしていたから僕は注意しただけなのに? ねえ、エレナ。僕を怒るなんて殿下はひどいと思わない?」

 お兄様は謝らない。わざとらしく大袈裟に嘆いてわたしを再び抱きしめた。
 片手で顔を覆い深いため息をついた殿下は、お兄様と話をしても埒があかないとでも思ったのか、ステファン様に視線を向ける。
 射抜くようなその視線にステファン様は小さな悲鳴をあげた。
 お兄様みたいに大袈裟に感情を表現したりはしないけど、殿下も結構わかりやすい。
 威圧するような態度から、怒っているのが伝わる。
 部屋の中はピリピリとした空気が漂う。みんなのペンを走らせる音も今は聞こえない。

 わたしとお兄様が騒いでいただけなのに、ステファン様達を巻き込んでしまったわ……

「ステファン。エリオットの発言は事実か」
「いいえ! そんな、王太子殿下のご婚約者様だと存じ上げておりませんでしたし、そもそもデートだなんて滅相もない! ただ、図書館にお誘いしただけで、その、ご興味がありそうな本を紹介したかっただけでございます!」
「お兄様が好き勝手に言っているだけだわ。誰もわたしなんかと外を歩きたがったりしないもの」

 必死にかぶりを振るステファン様を援護する。

「そんなことないって、僕はエレナと街歩きをしたいと思ってるよ?」

 無責任なお兄様は抱きしめたままわたしの顔を覗き込む。

「じゃあ、お兄様が図書館に連れて行ってくださる? 図書館の帰りに街歩きをしましょう?」
「……それはちょっと」

 わたしが言い返すとお兄様はチラッと殿下の顔色を窺って口ごもる。

「ほら。お兄様だってわたしと街を歩きたくないんだわ」
「違う、違う。そうじゃなくて! あ、ほら。礼拝堂の慈善活動に女神様の格好して行くってユーゴと約束してたんでしょ? それに僕も一緒に行ってあげるのはどう?」
「……なんでお兄様が、わたしとユーゴの約束をご存じなの⁈」
「ユーゴが嬉しそうに教えてくれたよ」

 わたしはお兄様の腕を払って睨む。

 お兄様の従者見習いでわたしたち兄妹の弟のような存在のユーゴは熱狂的な女神様信者だ。
 わたしに「恵みの女神様」の真似事をさせたがる。
 記憶を失う前、エレナが女神様の格好をするのに乗り気だったかは思い出せないけど、今となっては恥ずかしくてたまらない。
 それを知ってるお兄様は、街中を連れて歩きたくないからわたしが女神様の格好で街中なんて歩きたくないって言い出すのをわかって、そんなことを言っている。
 でも、周りはそんなこと知らない。
 みんなのなんとも言えない表情に、わたしが女神の格好で街を闊歩したがっていると思われてしまったのを察する。
 殿下は下を向き「私の知らぬところでそんな約束を」と呟く。握っている拳は怒りで打ち震えているようだった。
 殿下の役に立ちたい一心で、与えられた仕事を一生懸命頑張ってたのに……
 ハロルド様やステファン様がわたしに良くしてくださるから、他の役人のみんなも少しずつ打ち解けて来たのに……
 きっとみんな、わたしが悪い噂通りのわがままなご令嬢だって思ってる。

「街中を歩くのは諦めればよいのでしょう? 女神様の格好で街中を歩くようなことしないわ」

 わたしの呟きに殿下はほっとした様子で顔を上げた。

「……今日は、イスファーン王国大使館開設にあたりバイラム王子と会談を予定している。街に出たいというならエレナも一緒に行かないか。馬車の中から街を見学すれば気分も晴れるだろう」

 馬車の中から見学。か……

 街中を歩かせることなんてできない、わがままなエレナを黙らせるための提案としか思えない。

「お気遣いありがとうございます。でもお気持ちだけで十分です」
「エレナ。殿下にしては頑張って提案したんだから無下にしないであげなよ。ほら、なんならバイラム王子にご挨拶もしてきたら? ね、殿下も名案だと思わない?」

 殿下はお兄様を睨む。
 自分の立場を確固たるものにしたいお兄様は、わたしが殿下の婚約者だってイスファーン側にアピールしたいんだろうけど、殿下にとってわたしはかりそめの婚約者だ。
 むなしさがこみあげる。

「いいえ。本当に街歩きは結構です。わたしのわがままは、お忙しい殿下のご迷惑になりますもの。街中に出せないような悪評高いかりそめの婚約者のわたしに、いつも優しくしていただきありがとうございます。わがままは申しせん。わきまえていますから大丈夫です」

 頭を下げて空になった書類入れを抱える。

「え? ちょっと待ってよエレナ! 何言って──」
「では、わたしにはわたしのすべき仕事がありますので失礼します!」

 わたしはお兄様の話を遮り部屋を飛び出した。
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