163 / 228
第四部
154 エレナ、王宮で働く
しおりを挟む
部屋に入ってきた殿下は正装だった。
詰襟の白い軍服に瑠璃色の外套、赤い肩帯に金色の肩章に飾緒。そして沢山の勲章……
今日も相変わらずかっこいい。
「エリオット。部屋の外まで聞こえるような声で騒ぎ立てるなど、どういうつもりだ」
冷静さを取り繕った声だけど、そう言った殿下の肩は微かに上下しているし、なでつけた髪の毛が一筋額に垂れている。
きっと廊下を歩いている時にわたしたちの騒ぎ声が聞こえて慌てて部屋に入ってきたのだろう。
「えっー! 僕が怒られるの? ステファンがエレナをデートに誘おうとしていたから僕は注意しただけなのに? ねえ、エレナ。僕を怒るなんて殿下はひどいと思わない?」
お兄様は謝らない。わざとらしく大袈裟に嘆いてわたしを再び抱きしめた。
片手で顔を覆い深いため息をついた殿下は、お兄様と話をしても埒があかないとでも思ったのか、ステファン様に視線を向ける。
射抜くようなその視線にステファン様は小さな悲鳴をあげた。
お兄様みたいに大袈裟に感情を表現したりはしないけど、殿下も結構わかりやすい。
威圧するような態度から、怒っているのが伝わる。
部屋の中はピリピリとした空気が漂う。みんなのペンを走らせる音も今は聞こえない。
わたしとお兄様が騒いでいただけなのに、ステファン様達を巻き込んでしまったわ……
「ステファン。エリオットの発言は事実か」
「いいえ! そんな、王太子殿下のご婚約者様だと存じ上げておりませんでしたし、そもそもデートだなんて滅相もない! ただ、図書館にお誘いしただけで、その、ご興味がありそうな本を紹介したかっただけでございます!」
「お兄様が好き勝手に言っているだけだわ。誰もわたしなんかと外を歩きたがったりしないもの」
必死にかぶりを振るステファン様を援護する。
「そんなことないって、僕はエレナと街歩きをしたいと思ってるよ?」
無責任なお兄様は抱きしめたままわたしの顔を覗き込む。
「じゃあ、お兄様が図書館に連れて行ってくださる? 図書館の帰りに街歩きをしましょう?」
「……それはちょっと」
わたしが言い返すとお兄様はチラッと殿下の顔色を窺って口ごもる。
「ほら。お兄様だってわたしと街を歩きたくないんだわ」
「違う、違う。そうじゃなくて! あ、ほら。礼拝堂の慈善活動に女神様の格好して行くってユーゴと約束してたんでしょ? それに僕も一緒に行ってあげるのはどう?」
「……なんでお兄様が、わたしとユーゴの約束をご存じなの⁈」
「ユーゴが嬉しそうに教えてくれたよ」
わたしはお兄様の腕を払って睨む。
お兄様の従者見習いでわたしたち兄妹の弟のような存在のユーゴは熱狂的な女神様信者だ。
わたしに「恵みの女神様」の真似事をさせたがる。
記憶を失う前、エレナが女神様の格好をするのに乗り気だったかは思い出せないけど、今となっては恥ずかしくてたまらない。
それを知ってるお兄様は、街中を連れて歩きたくないからわたしが女神様の格好で街中なんて歩きたくないって言い出すのをわかって、そんなことを言っている。
でも、周りはそんなこと知らない。
みんなのなんとも言えない表情に、わたしが女神の格好で街を闊歩したがっていると思われてしまったのを察する。
殿下は下を向き「私の知らぬところでそんな約束を」と呟く。握っている拳は怒りで打ち震えているようだった。
殿下の役に立ちたい一心で、与えられた仕事を一生懸命頑張ってたのに……
ハロルド様やステファン様がわたしに良くしてくださるから、他の役人のみんなも少しずつ打ち解けて来たのに……
きっとみんな、わたしが悪い噂通りのわがままなご令嬢だって思ってる。
「街中を歩くのは諦めればよいのでしょう? 女神様の格好で街中を歩くようなことしないわ」
わたしの呟きに殿下はほっとした様子で顔を上げた。
「……今日は、イスファーン王国大使館開設にあたりバイラム王子と会談を予定している。街に出たいというならエレナも一緒に行かないか。馬車の中から街を見学すれば気分も晴れるだろう」
馬車の中から見学。か……
街中を歩かせることなんてできない、わがままなエレナを黙らせるための提案としか思えない。
「お気遣いありがとうございます。でもお気持ちだけで十分です」
「エレナ。殿下にしては頑張って提案したんだから無下にしないであげなよ。ほら、なんならバイラム王子にご挨拶もしてきたら? ね、殿下も名案だと思わない?」
殿下はお兄様を睨む。
自分の立場を確固たるものにしたいお兄様は、わたしが殿下の婚約者だってイスファーン側にアピールしたいんだろうけど、殿下にとってわたしはかりそめの婚約者だ。
むなしさがこみあげる。
「いいえ。本当に街歩きは結構です。わたしのわがままは、お忙しい殿下のご迷惑になりますもの。街中に出せないような悪評高いかりそめの婚約者のわたしに、いつも優しくしていただきありがとうございます。わがままは申しせん。わきまえていますから大丈夫です」
頭を下げて空になった書類入れを抱える。
「え? ちょっと待ってよエレナ! 何言って──」
「では、わたしにはわたしのすべき仕事がありますので失礼します!」
わたしはお兄様の話を遮り部屋を飛び出した。
詰襟の白い軍服に瑠璃色の外套、赤い肩帯に金色の肩章に飾緒。そして沢山の勲章……
今日も相変わらずかっこいい。
「エリオット。部屋の外まで聞こえるような声で騒ぎ立てるなど、どういうつもりだ」
冷静さを取り繕った声だけど、そう言った殿下の肩は微かに上下しているし、なでつけた髪の毛が一筋額に垂れている。
きっと廊下を歩いている時にわたしたちの騒ぎ声が聞こえて慌てて部屋に入ってきたのだろう。
「えっー! 僕が怒られるの? ステファンがエレナをデートに誘おうとしていたから僕は注意しただけなのに? ねえ、エレナ。僕を怒るなんて殿下はひどいと思わない?」
お兄様は謝らない。わざとらしく大袈裟に嘆いてわたしを再び抱きしめた。
片手で顔を覆い深いため息をついた殿下は、お兄様と話をしても埒があかないとでも思ったのか、ステファン様に視線を向ける。
射抜くようなその視線にステファン様は小さな悲鳴をあげた。
お兄様みたいに大袈裟に感情を表現したりはしないけど、殿下も結構わかりやすい。
威圧するような態度から、怒っているのが伝わる。
部屋の中はピリピリとした空気が漂う。みんなのペンを走らせる音も今は聞こえない。
わたしとお兄様が騒いでいただけなのに、ステファン様達を巻き込んでしまったわ……
「ステファン。エリオットの発言は事実か」
「いいえ! そんな、王太子殿下のご婚約者様だと存じ上げておりませんでしたし、そもそもデートだなんて滅相もない! ただ、図書館にお誘いしただけで、その、ご興味がありそうな本を紹介したかっただけでございます!」
「お兄様が好き勝手に言っているだけだわ。誰もわたしなんかと外を歩きたがったりしないもの」
必死にかぶりを振るステファン様を援護する。
「そんなことないって、僕はエレナと街歩きをしたいと思ってるよ?」
無責任なお兄様は抱きしめたままわたしの顔を覗き込む。
「じゃあ、お兄様が図書館に連れて行ってくださる? 図書館の帰りに街歩きをしましょう?」
「……それはちょっと」
わたしが言い返すとお兄様はチラッと殿下の顔色を窺って口ごもる。
「ほら。お兄様だってわたしと街を歩きたくないんだわ」
「違う、違う。そうじゃなくて! あ、ほら。礼拝堂の慈善活動に女神様の格好して行くってユーゴと約束してたんでしょ? それに僕も一緒に行ってあげるのはどう?」
「……なんでお兄様が、わたしとユーゴの約束をご存じなの⁈」
「ユーゴが嬉しそうに教えてくれたよ」
わたしはお兄様の腕を払って睨む。
お兄様の従者見習いでわたしたち兄妹の弟のような存在のユーゴは熱狂的な女神様信者だ。
わたしに「恵みの女神様」の真似事をさせたがる。
記憶を失う前、エレナが女神様の格好をするのに乗り気だったかは思い出せないけど、今となっては恥ずかしくてたまらない。
それを知ってるお兄様は、街中を連れて歩きたくないからわたしが女神様の格好で街中なんて歩きたくないって言い出すのをわかって、そんなことを言っている。
でも、周りはそんなこと知らない。
みんなのなんとも言えない表情に、わたしが女神の格好で街を闊歩したがっていると思われてしまったのを察する。
殿下は下を向き「私の知らぬところでそんな約束を」と呟く。握っている拳は怒りで打ち震えているようだった。
殿下の役に立ちたい一心で、与えられた仕事を一生懸命頑張ってたのに……
ハロルド様やステファン様がわたしに良くしてくださるから、他の役人のみんなも少しずつ打ち解けて来たのに……
きっとみんな、わたしが悪い噂通りのわがままなご令嬢だって思ってる。
「街中を歩くのは諦めればよいのでしょう? 女神様の格好で街中を歩くようなことしないわ」
わたしの呟きに殿下はほっとした様子で顔を上げた。
「……今日は、イスファーン王国大使館開設にあたりバイラム王子と会談を予定している。街に出たいというならエレナも一緒に行かないか。馬車の中から街を見学すれば気分も晴れるだろう」
馬車の中から見学。か……
街中を歩かせることなんてできない、わがままなエレナを黙らせるための提案としか思えない。
「お気遣いありがとうございます。でもお気持ちだけで十分です」
「エレナ。殿下にしては頑張って提案したんだから無下にしないであげなよ。ほら、なんならバイラム王子にご挨拶もしてきたら? ね、殿下も名案だと思わない?」
殿下はお兄様を睨む。
自分の立場を確固たるものにしたいお兄様は、わたしが殿下の婚約者だってイスファーン側にアピールしたいんだろうけど、殿下にとってわたしはかりそめの婚約者だ。
むなしさがこみあげる。
「いいえ。本当に街歩きは結構です。わたしのわがままは、お忙しい殿下のご迷惑になりますもの。街中に出せないような悪評高いかりそめの婚約者のわたしに、いつも優しくしていただきありがとうございます。わがままは申しせん。わきまえていますから大丈夫です」
頭を下げて空になった書類入れを抱える。
「え? ちょっと待ってよエレナ! 何言って──」
「では、わたしにはわたしのすべき仕事がありますので失礼します!」
わたしはお兄様の話を遮り部屋を飛び出した。
2
お気に入りに追加
1,110
あなたにおすすめの小説
父の大事な家族は、再婚相手と異母妹のみで、私は元より家族ではなかったようです
珠宮さくら
恋愛
フィロマという国で、母の病を治そうとした1人の少女がいた。母のみならず、その病に苦しむ者は、年々増えていたが、治せる薬はなく、進行を遅らせる薬しかなかった。
その病を色んな本を読んで調べあげた彼女の名前は、ヴァリャ・チャンダ。だが、それで病に効く特効薬が出来上がることになったが、母を救うことは叶わなかった。
そんな彼女が、楽しみにしていたのは隣国のラジェスへの留学だったのだが、そのために必死に貯めていた資金も父に取り上げられ、義母と異母妹の散財のために金を稼げとまで言われてしまう。
そこにヴァリャにとって救世主のように現れた令嬢がいたことで、彼女の人生は一変していくのだが、彼女らしさが消えることはなかった。
今さら後悔しても知りません 婚約者は浮気相手に夢中なようなので消えてさしあげます
神崎 ルナ
恋愛
旧題:長年の婚約者は政略結婚の私より、恋愛結婚をしたい相手がいるようなので、消えてあげようと思います。
【奨励賞頂きましたっ( ゚Д゚) ありがとうございます(人''▽`)】 コッペリア・マドルーク公爵令嬢は、王太子アレンの婚約者として良好な関係を維持してきたと思っていた。
だが、ある時アレンとマリアの会話を聞いてしまう。
「あんな堅苦しい女性は苦手だ。もし許されるのであれば、君を王太子妃にしたかった」
マリア・ダグラス男爵令嬢は下級貴族であり、王太子と婚約などできるはずもない。
(そう。そんなに彼女が良かったの)
長年に渡る王太子妃教育を耐えてきた彼女がそう決意を固めるのも早かった。
何故なら、彼らは将来自分達の子を王に据え、更にはコッペリアに公務を押し付け、自分達だけ遊び惚けていようとしているようだったから。
(私は都合のいい道具なの?)
絶望したコッペリアは毒薬を入手しようと、お忍びでとある店を探す。
侍女達が話していたのはここだろうか?
店に入ると老婆が迎えてくれ、コッペリアに何が入用か、と尋ねてきた。
コッペリアが正直に全て話すと、
「今のあんたにぴったりの物がある」
渡されたのは、小瓶に入った液状の薬。
「体を休める薬だよ。ん? 毒じゃないのかって? まあ、似たようなものだね。これを飲んだらあんたは眠る。ただし」
そこで老婆は言葉を切った。
「目覚めるには条件がある。それを満たすのは並大抵のことじゃ出来ないよ。下手をすれば永遠に眠ることになる。それでもいいのかい?」
コッペリアは深く頷いた。
薬を飲んだコッペリアは眠りについた。
そして――。
アレン王子と向かい合うコッペリア(?)がいた。
「は? 書類の整理を手伝え? お断り致しますわ」
※お読み頂きありがとうございます(人''▽`) hotランキング、全ての小説、恋愛小説ランキングにて1位をいただきました( ゚Д゚)
(2023.2.3)
ありがとうございますっm(__)m ジャンピング土下座×1000000
※お読みくださり有難うございました(人''▽`) 完結しました(^▽^)
大切なあのひとを失ったこと絶対許しません
にいるず
恋愛
公爵令嬢キャスリン・ダイモックは、王太子の思い人の命を脅かした罪状で、毒杯を飲んで死んだ。
はずだった。
目を開けると、いつものベッド。ここは天国?違う?
あれっ、私生きかえったの?しかも若返ってる?
でもどうしてこの世界にあの人はいないの?どうしてみんなあの人の事を覚えていないの?
私だけは、自分を犠牲にして助けてくれたあの人の事を忘れない。絶対に許すものか。こんな原因を作った人たちを。
どう頑張っても死亡ルートしかない悪役令嬢に転生したので、一切頑張らないことにしました
小倉みち
恋愛
7歳の誕生日、突然雷に打たれ、そのショックで前世を思い出した公爵令嬢のレティシア。
前世では夥しいほどの仕事に追われる社畜だった彼女。
唯一の楽しみだった乙女ゲームの新作を発売日当日に買いに行こうとしたその日、交通事故で命を落としたこと。
そして――。
この世界が、その乙女ゲームの設定とそっくりそのままであり、自分自身が悪役令嬢であるレティシアに転生してしまったことを。
この悪役令嬢、自分に関心のない家族を振り向かせるために、死に物狂いで努力し、第一王子の婚約者という地位を勝ち取った。
しかしその第一王子の心がぽっと出の主人公に奪われ、嫉妬に狂い主人公に毒を盛る。
それがバレてしまい、最終的に死刑に処される役となっている。
しかも、第一王子ではなくどの攻略対象ルートでも、必ず主人公を虐め、処刑されてしまう噛ませ犬的キャラクター。
レティシアは考えた。
どれだけ努力をしても、どれだけ頑張っても、最終的に自分は死んでしまう。
――ということは。
これから先どんな努力もせず、ただの馬鹿な一般令嬢として生きれば、一切攻略対象と関わらなければ、そもそもその土俵に乗ることさえしなければ。
私はこの恐ろしい世界で、生き残ることが出来るのではないだろうか。
婚約者のいる側近と婚約させられた私は悪の聖女と呼ばれています。
鈴木べにこ
恋愛
幼い頃から一緒に育ってきた婚約者の王子ギルフォードから婚約破棄を言い渡された聖女マリーベル。
突然の出来事に困惑するマリーベルをよそに、王子は自身の代わりに側近である宰相の息子ロイドとマリーベルを王命で強制的に婚約させたと言い出したのであった。
ロイドに愛する婚約者がいるの事を知っていたマリーベルはギルフォードに王命を取り下げるように訴えるが聞いてもらえず・・・。
カクヨム、小説家になろうでも連載中。
※最初の数話はイジメ表現のようなキツイ描写が出てくるので注意。
初投稿です。
勢いで書いてるので誤字脱字や変な表現が多いし、余裕で気付かないの時があるのでお気軽に教えてくださるとありがたいです٩( 'ω' )و
気分転換もかねて、他の作品と同時連載をしています。
【書庫の幽霊王妃は、貴方を愛することができない。】
という作品も同時に書いているので、この作品が気に入りましたら是非読んでみてください。
家出した伯爵令嬢【完結済】
弓立歩
恋愛
薬学に長けた家に生まれた伯爵令嬢のカノン。病弱だった第2王子との7年の婚約の結果は何と婚約破棄だった!これまでの尽力に対して、実家も含めあまりにもつらい仕打ちにとうとうカノンは家を出る決意をする。
番外編において暴力的なシーン等もありますので一応R15が付いています
6/21完結。今後の更新は予定しておりません。また、本編は60000字と少しで柔らかい表現で出来ております
【完結】婚姻無効になったので新しい人生始めます~前世の記憶を思い出して家を出たら、愛も仕事も手に入れて幸せになりました~
Na20
恋愛
セレーナは嫁いで三年が経ってもいまだに旦那様と使用人達に受け入れられないでいた。
そんな時頭をぶつけたことで前世の記憶を思い出し、家を出ていくことを決意する。
「…そうだ、この結婚はなかったことにしよう」
※ご都合主義、ふんわり設定です
※小説家になろう様にも掲載しています
【完結】ええと?あなたはどなたでしたか?
ここ
恋愛
アリサの婚約者ミゲルは、婚約のときから、平凡なアリサが気に入らなかった。
アリサはそれに気づいていたが、政略結婚に逆らえない。
15歳と16歳になった2人。ミゲルには恋人ができていた。マーシャという綺麗な令嬢だ。邪魔なアリサにこわい思いをさせて、婚約解消をねらうが、事態は思わぬ方向に。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる