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聖女爆誕編
治療は消毒に始まり、消毒に終わる。②
しおりを挟む(⋯⋯遂に、この時が来たのね)
エタノールで手指を念入りに消毒した小夜はマスク越しにごくりと唾を呑み、簡易机の上に置かれた薬剤と器具へと手を伸ばす。
ストレプトマイシン硫酸塩は粉末状である為、1Vに対して3mLの日局生理食塩液で溶解する。注意点としては決して作り置きなどはせず、溶解後は速やかに使用する必要が有ることだ。
出来上がった白色の薬液を空気を入れたシリンジで吸い上げた後は針を変え、空気を残さないように先端まで薬剤をつめる。(これをAir抜きと言う)
そうすれば、後は患者に注入するのみだ。
(私の見立て通りだと、この村で流行しているのはペストの中では比較的軽症である腺ペスト。でも、だからと言って油断は禁物よ。ペストは速やかに治療を行う事で格段に生存率が上がる病。そして有効なのはこのストレプトマイシン)
小夜が手にしているストレプトマイシン硫酸塩——成人には1日1g、週2~3日又ははじめの1~3カ月は毎日、その後週2日投与を行い、60歳以上の高齢者には1回0.5~0.75g、小児には適宜減量投与する。
また、急性腎不全やアナフィラキシー等の重大な副作用が有る為、患者の容態を見ながら慎重に投与を行う必要がある。
「始めるわよ、ルッツ」
小夜はフェイスシールド越しに目配せする。
「お、おう⋯⋯」
1人目はこの村では一番病が進行している若い女性だ。痩せた細い身体には横痃(リンパ節の腫れ)が現れ、苦しそうに息を洩らしてベッドに横たわっている。
「⋯⋯」
「⋯⋯」
何処からか息を呑む音が聴こえる。それがどちらの物か分からない程に2人の緊張は頂点に達していた。
「肩を出して」
小夜の指示を受けたルッツは大きく頷き、穿刺し易い様に女性の服を捲る。
ルッツの仕事は大きく分けて2つ。小夜が処置だけに集中出来る様に簡単な補助をする事と無闇に患者の不安を煽らない為に注射から気を逸らす事だ。
エタノール綿で拭き、練習通りに肩峰から指3本分の場所に狙いを定めピンと皮膚を伸ばす。
(人体は表皮、真皮、皮下組織、筋肉の順に構成されているわ。この薬液は皮下組織に入ると腫瘍が出来てしまう可能性が有る。思い切り良くいかないと⋯⋯)
チラリとルッツの様子を窺うと、彼は女性から小夜の姿を遮る様に膝をつき必死に声を掛けていた。
(初めは強引にだったけど、ルッツは身元も知れない私を信じてくれているのよね。何としても彼の信頼に報いたい)
ルッツの真剣な眼差しを見るとギュウッと胸が締め付けられる心地がした。
それから小夜は感傷的な気持ちを振り落とす様に頭を振り、目の前の患者に集中する。
(親指と人差し指で掴んで中指を添えるように⋯⋯後は躊躇わずに刺す!!)
小夜は垂直に、勢いよく針を刺した。すると、痛みにビクリと女性の身体が跳ねる。
「痺れはあるか?」
小夜が針を刺した事を横目で確認したルッツが女性へと尋ねると、彼女はゆるゆると首を振った。
(ルッツったら⋯⋯上手い具合に気を逸らしてくれているわ。彼女に腕に針が刺さっているところなんて見られたら卒倒してしまいそうだものね。手早く済ませないと)
痺れと逆血の有無を確認した後は、いよいよ薬液を注入する。
(聞いた話では意外と力がいるらしいけれど⋯⋯如何なのかしら?)
プランジャーを押し込む。
小夜はそれまで半信半疑だったが実際に経験してみて理解した。確かに抵抗を感じる。
(⋯⋯やっぱり机に齧り付くだけじゃ分からない事も有るのね)
左手でシリンジを支えながら薬液を注入すると、女性が身体を捩った。それをルッツが如何にか宥める。
永遠にも思える時間、ツウと額を汗がつたう感触で我に返った。針抜し、アルコール綿で押さえたら薬液を広げる為に綿越しに揉み解す。
「⋯⋯終わったわ」
ふうっと深く深く息を吐き出す。如何やらいつの間にか呼吸を忘れていたようだ。
(未だ1人⋯⋯でもやり切ったわ! これで私も少しはあの人に近付けたかしら⋯⋯?)
こんな事を後何十回も繰り返すのかと思うと些か気が滅入ったが、それ以上に達成感と高揚感で不思議と悪くない気分だ。
小夜は再びエタノールで手指消毒を施し、ルッツを伴い次の患者の元へと向かうのだった。
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