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マイセン人形 Ⅳ

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 吉田が離婚届を書き終えて、ちょっとホッとした顔になり、俺を愛想笑いで見ていた。
 俺は内容を確認し、吉田に言った。

 「お前、織江さんの貯金を奪ったそうだな」
 「え! あ、ああ、すぐに返す!」

 500万円もあったと聞いていた。
 30歳そこそこの女性にしては随分と頑張って貯めていた。
 真面目な性格なのだろう。
 それを、こいつは暴力で奪い取ったのだ。 

 「それと、慰謝料で2億だな」
 「な、なんだと!」
 「俺が出張ったんだ。用意しろ」
 「そんな大金は無理だ!」
 「あ?」

 俺が威圧すると、吉田が青くなって震えた。
 吉田は勝手に俺のことを異常に恐ろしい奴と認識している。
 吹っ掛けたことは確かだが、組を率いているのだからそのくらいはあるかと思っていた。
 吉田はもう俺に何も言わずに黙り込んでいる。
 ならば、決して払えない金額でもないのだろうと分かった。
 俺への恐ろしさと金を喪うこととの葛藤だ。
 だが、吉田の資産を調べるのは面倒そうだし、隠しているものの方が多いだろう。
 田所さんと織江さんは、離婚の成立と奪われた貯金が戻ればいいと言っていた。
 どうしようかとも思ったが、もう口に出しちゃったもん。
 ド汚ぇヤクザ相手に値下げなんぞしたくねぇ。

 俺は青に連絡した。
 丁度、明穂さんのことで青と再会していた。

 「赤虎かぁ!」
 「おう、お前確か街金やってたよな?」
 「まあな。もうすぐ辞めるけどよ」
 「実はな……」

 俺は知り合いがヤクザに騙されて酷い目に遭ったと話した。
 その慰謝料を用意させたいのだと言うと、青が任せろと言いすぐに来ると言ってくれた。
 吉田に組のことを話させる。
 青ならば、それで必要な「準備」をしてくれるはずだ。
 青は街金を任されて、そこでのし上がったやり手だ。
 こういう場面では頼りになる。
 俺は青を待つ間に吉田を小突き回し、念書にこれまでの暴力や脅迫のことを書かせ、慰謝料として2億を渡すと書面で残させた。
 抵抗はしたが、俺への恐怖が勝った。
 一応、二度と織江さんと田所さんには近づかないということも念書に追加した。
 吉田は俺の威圧の中で脅えながら、俺の言う通りにした。
 まだ、自分の身に何が起きるのかは分かっていない。

 青がすぐに三人の組員を連れて来てくれた。
 どいつも荒事に慣れた連中と分かる。
 吉田がさっきよりも脅えた。
 青たちが拉致も手慣れたヤクザと知り、自分がどうなるのか分かったのだろう。
 他の吉田の舎弟たちも蒼白になっている。
 青に言われたか、三人の組員が俺を見て軽く頭を下げて来た。
 縮こまっている吉田を見て、青は薄く笑っていた。
 俺の伝えた吉田の組のことを素早く調べ、即座に手はずを頭の中で組み立てて来てくれたようだ。
 青の組は吉田と違って随分と大きい。
 青が見せた名刺で、吉田もそのことに気付いた。

 「こいつらか」
 「ああ、なんか組を立ててるらしいけどよ」
 「もう調べた。全然問題ねぇ。じゃあ、攫ってくぞ」
 「あとは頼むなー」

 吉田がますます顔を青くして震え上がった。
 他の連中も小さな声で勘弁してくれと言っていたが、そんなもの聞き入れる奴はここにいねぇ。
 青が吉田の鼻を殴って、盛大に鼻血が零れた。
 それを見て他の連中も黙った。

 「青、助かったぜ」
 「おう、これも「お仕事」だ」
 「アハハハハハ!」
 「それに赤虎には世話になったからな!」
 「ワハハハハハハハハ!」

 あとは知らねぇ。
 青が連れて来た若い連中が手際よくガムテープで縛り上げ、パネルバンの荷台に運んで行った。
 初めてのことじゃないのは、見てすぐに分かった。
 俺も帰ろうかと思ったが、部屋が随分と散らかっていた。
 ヤクザ者5人が酒を飲んで食い散らかしていたのだ。
 洗物もシンクに溜まっているし、エロ本も散乱している。
 織江さんが見たら、きっと気分が悪いだろう。
 床にちょっと血が付いてもいるし。
 俺は部屋を片付け、床を拭きながら風呂場もキッチン、トイレも掃除した。
 最後に丁寧に掃除機をかけていると、俺の携帯が鳴った。
 田所さんからだったので、掃除機を片手に出た。
 掃除をしていたので、随分と時間が掛かってしまったことに気付いた。

 「ああ、すいません。全部片付きましたよ!」
 「本当ですか! ありがとうございます!」
 「離婚届もちゃんと受け取ってます。これから戻りますね」
 「はい! あ、あの」
 「なんですか?」
 「掃除機の音が」
 「あ、ああ!」

 俺は笑ってスイッチを切り、そんなに掛からずに戻ると言った。
 帰りに伊勢丹で買物をし、夕飯は海鮮フレンチを作った。
 お二人がまた驚き、そして喜んでくれた。
 食べながら、今日の「話し合い」のことを伝えた。

 「石神先生、本当に大丈夫だったんですか?」
 「ええ、まあ。ちょっと昔に知っていた人で、すんなり話が出来ました」

 ヤクザ者が知り合いと言ってしまったので、お二人の顔がちょっと強張ったがすぐに聞かなかったことにしてくれた。

 「そ、そうだったんですか! それでもう解決して下さったんですね」
 「ええ、もう旦那も家を出て行きましたし、二度と会うこともありませんよ。一応そういう念書も取りましたし」
 「でも、それは……」

 今後も関わるつもりなので、念書はしばらく俺が預かることとしてお二人には見せていない。
 もちろん、まだ不安はあるだろう。
 話し合いで納まるまともな人間では無いのだ。
 これも話しておいた方が安心するだろうと、青のことも伝えた。

 「実はね、知り合いにちょっとそっちに顔が効く奴がいまして」
 「え!」

 俺が頬を指で示して、ヤクザ者だと伝えた。
 また二人の顔が強張る。

 「そいつに間に入ってもらったんです。だからもう本当に大丈夫ですよ」
 「そうなのですか。石神先生はお顔が広いんですね」
 「あ、付き合ってるわけじゃないですよ! ちょ、ちょっとだけ知り合いなだけです!」
 「そ、そうですか」

 話題を変えるために大きなハマグリのステーキ(バルサミコソース)を勧め、お二人が気に入り、嬉しそうに食べた。
 スープは魚のアラをオーブンで乾燥させてから軽く焙り、その香りをつけたニョッキのものだ。
 それも珍しいと言って喜んだ。
 夕べよりもずっと食欲があるようで、俺も嬉しかった。
 田所さんも織江さんも、相当不安な日々を送っていただろう。

 「吉田は最初から母の資産を狙っていたんですね」
 「まあ、そうでしょうね。ああいう連中は闇で出回っている資産家のリストなんかも見ますからね」
 「私が不注意でした」
 「仕方無いですよ。女性を信じさせる手口が上手い連中なんです」
 
 織江さんが言った。

 「石神さん。母とも相談したんですが、私今後は母のお店を手伝うことにしました」
 「そうですか。田所さん、良かったですね」
 「ええ、石神先生のお陰です」
 「母ももう年ですし、傍にいてやりたいと思います」
 
 織江さんは田所さんと一緒に住むことにしたようだ。
 仲の良い母子のようなので、俺も安心した。
 その晩、青から連絡があり、吉田とつるんで織江さんをハメた織江さんの上司も押さえたと言われた。
 そっちは青の好きなようにしてくれと伝えた。




 
 翌日、俺は二人を連れて織江さんのマンションへ行った。

 「まあ、随分と綺麗にしてたのね」

 織江さんが呟き、田所さんが笑った。

 「昨日ね、石神先生に電話したら、掃除機の音が聞こえたの」
 「え!」
 「ああ、バイトで清掃会社でちょっと働いてまして」

 二人が大笑いし、その後で織江さんが涙を流した。

 「石神先生、本当にありがとうございます」
 「いや、そんな」

 織江さんは取り敢えずの着替えなど、必要なものだけ大きなバッグに詰めて、その日から田所さんの家に住むようになった。
 翌週にはマンションも完全に引き上げ、俺も少し引っ越しを手伝った。

 後日、オークラの店に行くと、田所さんと織江さんがいた。
 
 「石神先生! 吉田からお金が振り込まれました!」
 「ああ、そうですか」
 「2億8千万円も! 石神先生ですか!」
 「いや、俺は別に。相当反省したんじゃないですか?」
 「でも、こんな大金!」
 「アハハハハハハハ!」

 散々引き留められたが、俺は笑って店を出た。
 青に電話した。

 「おい、2億じゃなかったのかよ?」
 「まあ、結構搾り取れたよ。幾つか不動産も持っててよ。それを売ったら10億以上になった」
 「そうか、ありがとうな」
 「いやいいよ。俺もちょっと実績になって、これで辞めやすくなった」
 「おお、良かったな!」
 「本当に世話になってばかりだな」
 「なんでもねぇよ。今回は俺の方が世話になったし」
 「まあ、俺はお前に片目と顔を潰されたしな」
 「ワハハハハハハハハ!」

 2億円に、きっと青が上乗せしてくれたのだろう。
 多分、金額的に考えて自分の取り分の全部だ。
 あいつは何も言わないのだが。
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