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モスクワ侵攻作戦 Ⅷ
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ルイーサがうちに来た二週間後。
モスクワ侵攻作戦が実施された。
こんなにも早かったのは、「グレイプニル」が既に準備を進めていたためだ。
俺も同行し、柏木さんと一緒にルクセンブルクのルイーサの指定の場所に「タイガーファング」を降ろした。
大型輸送タイプ二機だけであり、ルイーサと「グレイプニル」の精鋭100名が一機に乗り込む。
もう一機には《マルドゥック》2体がデュールゲリエ50体と共に乗っている。
作戦の打ち合わせは簡単なものだった。
基本は「グレイプニル」たちがモスクワを破壊し、恐らく後から襲い掛かって来る妖魔やライカンスロープたちを迎撃し、それを必要があれば《マルドゥック》が支援をする。
柏木さんは敵の配置と強さを観測しながら、都市に残っている「正常な人間」を捜索する。
救助対象が見つかれば、作戦行動の邪魔にならない範囲でデュールゲリエが救出する。
しかし柏木さんの主な任務は殲滅のためのもので、隠れている妖魔やライカンスロープの走査と、分かるのであれば「ボルーチ・バロータ」の判別だ。
「ボルーチ・バロータ」は情報を持っているので、なるべく生きたままで確保したい。
むしろ救出作戦はオマケのようなものだ。
あくまでも侵攻作戦を優先することに決まっていた。
でも俺は柏木さんの心情を考え、もしも救える人間がいたのならば教えて欲しいと頼んだ。
破壊と虐殺の凄惨な戦場は、優しい柏木さんには辛いだろう。
しかし、柏木さんは敢えて俺に言った。
「この作戦の意義は理解しています。今後敵陣であるロシア国内にどれほど迫れるのかは、重要な課題でしょう」
「そうですけど、残虐な戦場になりますよ」
「分かっています。それでも私は石神さんに身命を捧げると誓ったのです」
「柏木さん……」
決意は固いようだった。
俺は独自にルイーサには柏木さんの見つけた正常な人間を救助したいとは告げていた。
ルイーサも作戦行動に支障が無ければと納得してくれていたのだが。
でも、柏木さんの言う通り、今回の侵攻作戦は危険が多い。
どのような反撃があるのかも分からないし、罠を張っている可能性もある。
恐らくロシア国内であれば、「業」の権能も多大だろう。
今は地球上のどこにでも《地獄の悪魔》を複数体送り込み、結構な数の「ゲート」を開けることが分かっている。
では、ロシア国内ではその能力がどれほど高まるのかは分からない。
もちろんルイーサもそのことは理解しており、だから「グレイプニル」の精鋭100人を送り込むのだ。
絶大な戦力を持つ部隊だ。
その上で、一切油断はしていない。
「業」は、それほどの敵なのだ。
10分後、俺たちはモスクワ郊外に着いた。
都市に隣接するソコーリニキ公園だ。
早朝4時のこともあり、公園にはほとんど人はいない。
もう俺たちのことは敵にも知られているだろうが。
「霊素観測レーダー」は持ち込んでいない。
衛星からの観測だけになっている。
柏木さんがすぐに波動の感知を始め、短い間にルイーサに報告した。
柏木さんの苦しそうな表情を見て、俺にも絶望が分かった。
柏木さんには、即座にこのモスクワの状況が見えたのだろう。
そしてそれは、柏木さんが一縷の望みを絶たれたということだ。
「レジーナ様、モスクワはもう「人間」はおりません」
「そうか」
「柏木さん、それは全員がライカンスロープなどになっているということですか?」
最初に聞いたルイーサからの話とは違う。
まだ「業」に寝返ったとはいえ、人間が数多く残っているはずだった。
だから確認したのだ。
「いいえ、そうではありません。でも感じられるのです。全ての市民から、黒い紐が伸びています。人間の肉体は持ってはいても、もう彼らは「人間」ではない。邪悪なものに魂を売り渡しているのです」
「……」
それは、柏木さんならではの感知なのだろうと思った。
人間としての思考はあるのかもしれないが、根本的な部分で、もう人間ではない。
柏木さんはこれまでに、そういう邪悪に堕ちた人間を見て来ているのだろう。
そして、それはもう救えないのだということも分かっているのだ。
ルイーサが高々と叫んだ。
「皆の者! 始めよ! この地に一切何も残すな! 全てを蹂躙せよ! ここは我らが厭う土地、その意味を知らしめよ!」
「グレイプニル」の精鋭たちが雄叫びを挙げて進軍して行った。
恐ろしい程のスピードで、100人の「グレイプニル」が都市に襲い掛かって行く。
俺とルイーサ、柏木さん、そしてルイーサの言葉を伝えるための兵士が一人、あとは《マルドゥック》2体とデュールゲリエ10体がここに残っている。
他のデュールゲリエ40体は観測要員として出ていた。
「カシワギ、何か感ずれば我に言え」
「かしこまりました!」
柏木さんがまた集中していく。
これから起きる惨劇も分かっているのだろうが、今は自分の使命に尽くそうとしていた。
そして柏木さんは大きな波動を感ずる場所を示し、前線指揮官たちが兵士にそれを伝えて行った。
柏木さんの感知能力の情報によって、効率的かつ柔軟に「グレイプニル」が行動していくのが分かる。
強い波動を優先的に叩き、その合間に目前の建物を人間ごと破壊していく。
既に兵士たちは広範囲に散らばり、美しいモスクワの都市はどんどん消滅していく。
それはただの破壊ではない。
壮大な建物がまるで霧のように霞んで消えていく。
黒い粒子となって、風に舞って行くのだ。
戦場に特有の破壊音は響かない。
これが「グレイプニル」の《異界魔導》か。
俺たちが降り立った場所から、扇状に破壊が見舞われて行った。
俺たちからは個々の人間の破壊は見えなかったが、建物が次々に消滅し、残酷なほど静かに消え去っていく。
破壊が終わった後は、瓦礫すら残らず、黒い粉塵が舞っていた。
凄まじくも冷徹な「グレイプニル」の威力だ。
モスクワの中央にはクレムリン宮殿がある。
まだそこには到達していないが、やがてクレムリン宮殿を囲むように「グレイプニル」が進軍していった。
美しかったモスクワが更に蹂躙されていく。
離れて見ているここまでは、住民の悲鳴は届かない。
また、悲鳴を挙げる間もなく消滅しているのか。
朝靄の中で、果たして自分たちが襲撃されていることにすら、気付いていないのかもしれない。
しかし、次々と破壊されて行く建物を見れば、中にいる人間たちがどうなっているのかは分かる。
突然、柏木さんが立ち上がった。
ルイーサではなく、俺に向かって叫んだ。
「石神さん! 「人間」がいます!」
「なんだって!」
「地下に! 多分下水道だ! 10数名がまだ!」
柏木さんの顔が歓喜で輝いていた。
柏木さんの祈りにも似た思いが天に通じたかのようだった。
誰もが諦めていた奇跡があった。
モスクワ侵攻作戦が実施された。
こんなにも早かったのは、「グレイプニル」が既に準備を進めていたためだ。
俺も同行し、柏木さんと一緒にルクセンブルクのルイーサの指定の場所に「タイガーファング」を降ろした。
大型輸送タイプ二機だけであり、ルイーサと「グレイプニル」の精鋭100名が一機に乗り込む。
もう一機には《マルドゥック》2体がデュールゲリエ50体と共に乗っている。
作戦の打ち合わせは簡単なものだった。
基本は「グレイプニル」たちがモスクワを破壊し、恐らく後から襲い掛かって来る妖魔やライカンスロープたちを迎撃し、それを必要があれば《マルドゥック》が支援をする。
柏木さんは敵の配置と強さを観測しながら、都市に残っている「正常な人間」を捜索する。
救助対象が見つかれば、作戦行動の邪魔にならない範囲でデュールゲリエが救出する。
しかし柏木さんの主な任務は殲滅のためのもので、隠れている妖魔やライカンスロープの走査と、分かるのであれば「ボルーチ・バロータ」の判別だ。
「ボルーチ・バロータ」は情報を持っているので、なるべく生きたままで確保したい。
むしろ救出作戦はオマケのようなものだ。
あくまでも侵攻作戦を優先することに決まっていた。
でも俺は柏木さんの心情を考え、もしも救える人間がいたのならば教えて欲しいと頼んだ。
破壊と虐殺の凄惨な戦場は、優しい柏木さんには辛いだろう。
しかし、柏木さんは敢えて俺に言った。
「この作戦の意義は理解しています。今後敵陣であるロシア国内にどれほど迫れるのかは、重要な課題でしょう」
「そうですけど、残虐な戦場になりますよ」
「分かっています。それでも私は石神さんに身命を捧げると誓ったのです」
「柏木さん……」
決意は固いようだった。
俺は独自にルイーサには柏木さんの見つけた正常な人間を救助したいとは告げていた。
ルイーサも作戦行動に支障が無ければと納得してくれていたのだが。
でも、柏木さんの言う通り、今回の侵攻作戦は危険が多い。
どのような反撃があるのかも分からないし、罠を張っている可能性もある。
恐らくロシア国内であれば、「業」の権能も多大だろう。
今は地球上のどこにでも《地獄の悪魔》を複数体送り込み、結構な数の「ゲート」を開けることが分かっている。
では、ロシア国内ではその能力がどれほど高まるのかは分からない。
もちろんルイーサもそのことは理解しており、だから「グレイプニル」の精鋭100人を送り込むのだ。
絶大な戦力を持つ部隊だ。
その上で、一切油断はしていない。
「業」は、それほどの敵なのだ。
10分後、俺たちはモスクワ郊外に着いた。
都市に隣接するソコーリニキ公園だ。
早朝4時のこともあり、公園にはほとんど人はいない。
もう俺たちのことは敵にも知られているだろうが。
「霊素観測レーダー」は持ち込んでいない。
衛星からの観測だけになっている。
柏木さんがすぐに波動の感知を始め、短い間にルイーサに報告した。
柏木さんの苦しそうな表情を見て、俺にも絶望が分かった。
柏木さんには、即座にこのモスクワの状況が見えたのだろう。
そしてそれは、柏木さんが一縷の望みを絶たれたということだ。
「レジーナ様、モスクワはもう「人間」はおりません」
「そうか」
「柏木さん、それは全員がライカンスロープなどになっているということですか?」
最初に聞いたルイーサからの話とは違う。
まだ「業」に寝返ったとはいえ、人間が数多く残っているはずだった。
だから確認したのだ。
「いいえ、そうではありません。でも感じられるのです。全ての市民から、黒い紐が伸びています。人間の肉体は持ってはいても、もう彼らは「人間」ではない。邪悪なものに魂を売り渡しているのです」
「……」
それは、柏木さんならではの感知なのだろうと思った。
人間としての思考はあるのかもしれないが、根本的な部分で、もう人間ではない。
柏木さんはこれまでに、そういう邪悪に堕ちた人間を見て来ているのだろう。
そして、それはもう救えないのだということも分かっているのだ。
ルイーサが高々と叫んだ。
「皆の者! 始めよ! この地に一切何も残すな! 全てを蹂躙せよ! ここは我らが厭う土地、その意味を知らしめよ!」
「グレイプニル」の精鋭たちが雄叫びを挙げて進軍して行った。
恐ろしい程のスピードで、100人の「グレイプニル」が都市に襲い掛かって行く。
俺とルイーサ、柏木さん、そしてルイーサの言葉を伝えるための兵士が一人、あとは《マルドゥック》2体とデュールゲリエ10体がここに残っている。
他のデュールゲリエ40体は観測要員として出ていた。
「カシワギ、何か感ずれば我に言え」
「かしこまりました!」
柏木さんがまた集中していく。
これから起きる惨劇も分かっているのだろうが、今は自分の使命に尽くそうとしていた。
そして柏木さんは大きな波動を感ずる場所を示し、前線指揮官たちが兵士にそれを伝えて行った。
柏木さんの感知能力の情報によって、効率的かつ柔軟に「グレイプニル」が行動していくのが分かる。
強い波動を優先的に叩き、その合間に目前の建物を人間ごと破壊していく。
既に兵士たちは広範囲に散らばり、美しいモスクワの都市はどんどん消滅していく。
それはただの破壊ではない。
壮大な建物がまるで霧のように霞んで消えていく。
黒い粒子となって、風に舞って行くのだ。
戦場に特有の破壊音は響かない。
これが「グレイプニル」の《異界魔導》か。
俺たちが降り立った場所から、扇状に破壊が見舞われて行った。
俺たちからは個々の人間の破壊は見えなかったが、建物が次々に消滅し、残酷なほど静かに消え去っていく。
破壊が終わった後は、瓦礫すら残らず、黒い粉塵が舞っていた。
凄まじくも冷徹な「グレイプニル」の威力だ。
モスクワの中央にはクレムリン宮殿がある。
まだそこには到達していないが、やがてクレムリン宮殿を囲むように「グレイプニル」が進軍していった。
美しかったモスクワが更に蹂躙されていく。
離れて見ているここまでは、住民の悲鳴は届かない。
また、悲鳴を挙げる間もなく消滅しているのか。
朝靄の中で、果たして自分たちが襲撃されていることにすら、気付いていないのかもしれない。
しかし、次々と破壊されて行く建物を見れば、中にいる人間たちがどうなっているのかは分かる。
突然、柏木さんが立ち上がった。
ルイーサではなく、俺に向かって叫んだ。
「石神さん! 「人間」がいます!」
「なんだって!」
「地下に! 多分下水道だ! 10数名がまだ!」
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