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空に咲く花 Ⅶ
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それからは多くの時間を森本少尉と一緒に過ごし、自主訓練は元より、時々は森本少尉のお部屋へ行ってお食事を作らせてももらった。
訓練以外は毎回森本少尉に遠慮されたが、私がいつも強引に押し切った。
それでも、周りの目を気にしていたのか、お出掛けはあの買い物以来、まったく無かった。
ほとんどの逢瀬は自主訓練で、たまにお部屋へお食事を作りに伺うこと。
私はそれで満足であり、「幸せ」な気分になれた。
本当にそれで満足していれば良かったのだ。
あの日、私はもう一歩を踏み出そうとした。
「森本少尉、また一緒にお出掛けしませんか?」
「いや、自分は……」
いつもの通りだ。
森本少尉は私との関係をいつも距離を取り、曖昧にしたがった。
自主訓練では私と一緒にやることにそれほどの抵抗はなかったが、本当にプライベートなことは毎回遠慮したがる。
でも、決して嫌がってのことではないと私にも分かっていた。
何かを恐れている感じだった。
私との関係が深まること、自分がお幸せになることをためらっていらっしゃる。
しかし、私はそれを求めていた。
「前に一緒にお買い物に付き合って頂いた時、本当に楽しかったのです」
「《無量》さん、自分は……」
「今度は基地の外へドライブに行きませんか?」
「ドライブ?」
「はい! 私はハンヴィの運転が出来ますので」
私と二人で出掛けて、他の人に見られるのが恥ずかしいのだと思っていた。
だから人目の無いドライブにお誘いしたのだ。
何度かお願いし、やっと出掛ける約束をして下さった。
最後には私が桜大佐に命令を出して頂いたのだ。
私は嬉しかった。
私がハンヴィの手配をし、森本少尉と一緒にドライブに出掛けた。
森本少尉が笑っていらっしゃった。
「軍隊に入って、デートの命令をされるとは思いませんでした」
「ウフフフフフフ!」
私も大笑いした。
やはり、森本少尉もそれほど嫌がってはいらっしゃらなかった。
川尻軍曹はドライブがお好きで、私がお聞きすると基地の外の見所などを教えて下さった。
今日はそこへ森本少尉をご案内する。
川尻軍曹が教えて下さったのは、高台から氷河を一望できる場所だった。
森本少尉と二人で、しばらくその絶景を眺めていた。
私がそっと手を握ると、一瞬だけ硬くなったが振り払われることは無かった。
そこで私が御用意したお弁当を召し上がっていただいた。
鮭、高菜、ヒラメの甘辛、辛めのキンピラの具のおにぎり。
唐揚げや白身魚のフライ。
ナスと挽肉の甘辛煮。
お弁当を開くと、森本少尉のお顔がパッと輝いた。
「美味しいです!」
「そうですか、良かった!」
「《無量》さんはお料理が上手いですよね? 今日もですけど、いつも作って頂く度に驚いています」
「蓮花様に教わったことです。いろいろなものが作れますよ?」
その通りだったのだが、森本少尉が自分の料理を褒めて下さったのが嬉しかった。
「そうなんですか、素晴らしいですね」
「ええ、味わうことは出来ませんが、別な方法で味見は出来ますのよ? 森本少尉のお好みも少しだけ分かって来ました」
「!」
思いがけず、森本少尉がショックを受けていらっしゃった。
「あの、すみません? 何か不味いことを言いましたか?」
「いいえ、そうではないんです。《無量》さんが御自分で楽しめないことを気の毒に思って」
「まあ!」
私も思いも寄らない言葉だった。
私には当たり前のことで、森本少尉のために尽くせることが嬉しいという意味で申し上げた。
でも、森本少尉はそのことで悲しんでおられる。
「私は別に辛くはないのです。私が食事をお作りし、それを森本少尉が楽しんで頂ければ、それで嬉しいのです」
「そうなのかもしれませんが。でも自分には気の毒に思えます。自分がやったことが自分で楽しめないということが」
「機械なのですから、当然です。でもつまらないことを申し上げました」
「いえ、そんな! 自分こそつまらないことを!」
森本少尉には申し訳ないが、私のことを悲しんで下さる森本少尉にまた愛おしさを感じた。
「そうですね、私は森本少尉がどのように味を感じられることかは分かりません。でも、それでもいいのです。森本少尉が喜んで下さればそれで。食事は楽しめませんが、森本少尉の笑顔は最高に嬉しく思いますのよ?」
「そうですか、じゃあ、つまらない話をしないで、美味しく頂きます」
「はい!」
少し多めに作ったのだが、森本少尉は全部召し上がって下さった。
美味しいと何度も言って下さった。
そういう優しい方だった。
紅茶を差し上げた。
また氷河を見下ろしながら、二人で手をつないだ。
そして不意に、森本少尉が呟かれた。
「ああ、自分はまだまだ弱い」
「はい?」
「恋人のために復讐だけを考えようとしていたのに、こうして《無量》さんとのひと時を楽しんでしまう」
「よろしいじゃありませんか」
「!」
森本少尉が不意に硬い顔になった。
私の握っていた手を、そっとお放しになって、前を向いたままおっしゃった。
「いや、これは不実だ」
「え?」
「自分は一体何をやっているのか……」
「森本少尉?」
先ほどの硬い表情が、今度はお辛そうな顔になり私に振り向いた。
「《無量》さん、今日はもう帰りましょう」
「は、はい」
「申し訳ない。少々食べ過ぎてしまったようです」
「それは私こそ申し訳ありません! 急いで戻りましょう」
「すみません、そうして下さい」
森本少尉の御心は分からなかったが、何か非常に重いものがのしかかって来た気がした。
その日以来、訓練の他に森本少尉は私と一緒にはいて下さらなくなった。
《これは不実だ》
あの日、そう森本少尉はおっしゃった。
私は「愛」を拒絶されてしまったのだ。
そのことが、私にも分かった。
あの日、森本少尉の御心の深くまで触れ、そこにあった森本少尉の最も大切なものを呼び起こしてしまったのだ。
私の「愛」が、森本少尉の「愛」に触れたから……
私はそれでも諦めきれず、思いあまって森本少尉にお尋ねしてしまった。
「あの、以前のようにまたお部屋へ入れて頂けませんか?」
森本少尉はまたあの時と同じ硬い顔をなさった。
「《無量》さん、申し訳ない。自分が迂闊だったのです。《無量》さんの優しさに、つい我を忘れて浮かれてしまった」
「そんなことは……」
「本当に申し訳ない。自分には生涯を誓った相手がいたのです。真奈美を死ぬまで愛すると誓ったのです。それなのに、《無量》さんとつい一緒にいてしまった。自分のことは、どうかお忘れください。《無量》さんにはもっともっと相応しいお相手がいらっしゃいます」
「私は森本少尉以外のどなたにもそんな気持ちは抱けません。でも、分かりました。森本少尉は愛する方がもういらっしゃるのですね」
「はい、そうです」
「でも、私が愛するのは森本少尉だけです。今後はお付き合いいただけないとしても、私は森本少尉だけを愛し続けます」
「《無量》さん、それは……」
「この心は私だけのものです。もう付きまとうことはありません。どうか仲間としてだけお付き合い下さい」
「《無量》さん……」
「いつか、空に咲く花が見られるといいですね」
「……」
私はこれでいいと思った。
後ろを向いて、立ち去った。
私は、生まれて初めて、涙を流した。
そして、森本少尉がいつか「空に咲く花」をご覧になることだけを願った。
もう、それだけが私に残ったものだった。
訓練以外は毎回森本少尉に遠慮されたが、私がいつも強引に押し切った。
それでも、周りの目を気にしていたのか、お出掛けはあの買い物以来、まったく無かった。
ほとんどの逢瀬は自主訓練で、たまにお部屋へお食事を作りに伺うこと。
私はそれで満足であり、「幸せ」な気分になれた。
本当にそれで満足していれば良かったのだ。
あの日、私はもう一歩を踏み出そうとした。
「森本少尉、また一緒にお出掛けしませんか?」
「いや、自分は……」
いつもの通りだ。
森本少尉は私との関係をいつも距離を取り、曖昧にしたがった。
自主訓練では私と一緒にやることにそれほどの抵抗はなかったが、本当にプライベートなことは毎回遠慮したがる。
でも、決して嫌がってのことではないと私にも分かっていた。
何かを恐れている感じだった。
私との関係が深まること、自分がお幸せになることをためらっていらっしゃる。
しかし、私はそれを求めていた。
「前に一緒にお買い物に付き合って頂いた時、本当に楽しかったのです」
「《無量》さん、自分は……」
「今度は基地の外へドライブに行きませんか?」
「ドライブ?」
「はい! 私はハンヴィの運転が出来ますので」
私と二人で出掛けて、他の人に見られるのが恥ずかしいのだと思っていた。
だから人目の無いドライブにお誘いしたのだ。
何度かお願いし、やっと出掛ける約束をして下さった。
最後には私が桜大佐に命令を出して頂いたのだ。
私は嬉しかった。
私がハンヴィの手配をし、森本少尉と一緒にドライブに出掛けた。
森本少尉が笑っていらっしゃった。
「軍隊に入って、デートの命令をされるとは思いませんでした」
「ウフフフフフフ!」
私も大笑いした。
やはり、森本少尉もそれほど嫌がってはいらっしゃらなかった。
川尻軍曹はドライブがお好きで、私がお聞きすると基地の外の見所などを教えて下さった。
今日はそこへ森本少尉をご案内する。
川尻軍曹が教えて下さったのは、高台から氷河を一望できる場所だった。
森本少尉と二人で、しばらくその絶景を眺めていた。
私がそっと手を握ると、一瞬だけ硬くなったが振り払われることは無かった。
そこで私が御用意したお弁当を召し上がっていただいた。
鮭、高菜、ヒラメの甘辛、辛めのキンピラの具のおにぎり。
唐揚げや白身魚のフライ。
ナスと挽肉の甘辛煮。
お弁当を開くと、森本少尉のお顔がパッと輝いた。
「美味しいです!」
「そうですか、良かった!」
「《無量》さんはお料理が上手いですよね? 今日もですけど、いつも作って頂く度に驚いています」
「蓮花様に教わったことです。いろいろなものが作れますよ?」
その通りだったのだが、森本少尉が自分の料理を褒めて下さったのが嬉しかった。
「そうなんですか、素晴らしいですね」
「ええ、味わうことは出来ませんが、別な方法で味見は出来ますのよ? 森本少尉のお好みも少しだけ分かって来ました」
「!」
思いがけず、森本少尉がショックを受けていらっしゃった。
「あの、すみません? 何か不味いことを言いましたか?」
「いいえ、そうではないんです。《無量》さんが御自分で楽しめないことを気の毒に思って」
「まあ!」
私も思いも寄らない言葉だった。
私には当たり前のことで、森本少尉のために尽くせることが嬉しいという意味で申し上げた。
でも、森本少尉はそのことで悲しんでおられる。
「私は別に辛くはないのです。私が食事をお作りし、それを森本少尉が楽しんで頂ければ、それで嬉しいのです」
「そうなのかもしれませんが。でも自分には気の毒に思えます。自分がやったことが自分で楽しめないということが」
「機械なのですから、当然です。でもつまらないことを申し上げました」
「いえ、そんな! 自分こそつまらないことを!」
森本少尉には申し訳ないが、私のことを悲しんで下さる森本少尉にまた愛おしさを感じた。
「そうですね、私は森本少尉がどのように味を感じられることかは分かりません。でも、それでもいいのです。森本少尉が喜んで下さればそれで。食事は楽しめませんが、森本少尉の笑顔は最高に嬉しく思いますのよ?」
「そうですか、じゃあ、つまらない話をしないで、美味しく頂きます」
「はい!」
少し多めに作ったのだが、森本少尉は全部召し上がって下さった。
美味しいと何度も言って下さった。
そういう優しい方だった。
紅茶を差し上げた。
また氷河を見下ろしながら、二人で手をつないだ。
そして不意に、森本少尉が呟かれた。
「ああ、自分はまだまだ弱い」
「はい?」
「恋人のために復讐だけを考えようとしていたのに、こうして《無量》さんとのひと時を楽しんでしまう」
「よろしいじゃありませんか」
「!」
森本少尉が不意に硬い顔になった。
私の握っていた手を、そっとお放しになって、前を向いたままおっしゃった。
「いや、これは不実だ」
「え?」
「自分は一体何をやっているのか……」
「森本少尉?」
先ほどの硬い表情が、今度はお辛そうな顔になり私に振り向いた。
「《無量》さん、今日はもう帰りましょう」
「は、はい」
「申し訳ない。少々食べ過ぎてしまったようです」
「それは私こそ申し訳ありません! 急いで戻りましょう」
「すみません、そうして下さい」
森本少尉の御心は分からなかったが、何か非常に重いものがのしかかって来た気がした。
その日以来、訓練の他に森本少尉は私と一緒にはいて下さらなくなった。
《これは不実だ》
あの日、そう森本少尉はおっしゃった。
私は「愛」を拒絶されてしまったのだ。
そのことが、私にも分かった。
あの日、森本少尉の御心の深くまで触れ、そこにあった森本少尉の最も大切なものを呼び起こしてしまったのだ。
私の「愛」が、森本少尉の「愛」に触れたから……
私はそれでも諦めきれず、思いあまって森本少尉にお尋ねしてしまった。
「あの、以前のようにまたお部屋へ入れて頂けませんか?」
森本少尉はまたあの時と同じ硬い顔をなさった。
「《無量》さん、申し訳ない。自分が迂闊だったのです。《無量》さんの優しさに、つい我を忘れて浮かれてしまった」
「そんなことは……」
「本当に申し訳ない。自分には生涯を誓った相手がいたのです。真奈美を死ぬまで愛すると誓ったのです。それなのに、《無量》さんとつい一緒にいてしまった。自分のことは、どうかお忘れください。《無量》さんにはもっともっと相応しいお相手がいらっしゃいます」
「私は森本少尉以外のどなたにもそんな気持ちは抱けません。でも、分かりました。森本少尉は愛する方がもういらっしゃるのですね」
「はい、そうです」
「でも、私が愛するのは森本少尉だけです。今後はお付き合いいただけないとしても、私は森本少尉だけを愛し続けます」
「《無量》さん、それは……」
「この心は私だけのものです。もう付きまとうことはありません。どうか仲間としてだけお付き合い下さい」
「《無量》さん……」
「いつか、空に咲く花が見られるといいですね」
「……」
私はこれでいいと思った。
後ろを向いて、立ち去った。
私は、生まれて初めて、涙を流した。
そして、森本少尉がいつか「空に咲く花」をご覧になることだけを願った。
もう、それだけが私に残ったものだった。
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