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闇バイトの男
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最初は軽い気持ちからだった。
大学を卒業し、就職難の時代に何とか中堅の印刷会社に入社出来た。
しかし、印刷業界は前途多難な時期で、どんどん注文は少なくなり、会社も維持するのがやっとの状態だった。
当然給料は上がらず、一部でリストラさえ行なわれた。
俺は大学の奨学金の支払いで、給料の多くを当てねばならず、生活費にすら困窮することもあった。
農業をしている実家にも余裕がなく、ついカードローンに手を出してしまい、雪だるま式に借金が増えて行った。
そんな時、大学時代の友人から「闇バイト」の話を聞いた。
俺と同じく、奨学金を受けていた奴で、それほど親しくはなかったが連絡先は知っていた。
「最初はさ、大き目の封筒とかを指定の場所に運ぶだけなんだ。それで数万円がもらえるんだぜ」
「そんなものがあるのか!」
「ああ。まあ、中身は真っ当なものじゃないのかもしれないけどな。でも俺たちは何も知らない。封筒を運ぶだけだ」
「そうか、なるほど」
いざとなれば、「何も知りませんでした」で通るということだった。
警察に捕まることはないのだと友人は言う。
その通りだと思った。
「ちゃんとやればさ、もっといい仕事を回してもらえる」
「そ、そうなのか?」
「そっちはもうちょっと大変だけど、1回で10万以上だよ」
「すごいな!」
友人は興味があるのなら紹介すると言っていた。
俺はすぐに頼んで、闇バイトの人に会うことになった。
新宿の喫茶店で待ち合わせた。
30代の男性で、頭の両脇を剃り上げて前髪と上の髪を長く伸ばして金髪のメッシュがある。
身体は鍛え上げているようで、やけに凄みがあった。
やっぱり裏社会の人間だと分かって怖かった。
「伊藤貴か。相沢から聞いた」
「はい!」
相手は俺のことを知っているようだが、自分は名乗らなかった。
「早速だが、免許証のコピー、住民票、会社の名刺をくれ」
「はい?」
男はめんどくさそうな顔をした。
「俺らはさ、裏切られると困るんだよ。だから身元はちゃんと押さえる。金が欲しいのなら用意しろ」
「あの、でも……」
流石にヤバイと思った。
自分が犯罪者になることが、目の前に見えた。
でも、断ろうとする俺の心を見透かしたように、男が怖い声で言った。
「お前よ、もう始まってんだよ」
「はい?」
「相沢からお前の名前も住所も会社も聞いてる。お前、断るつもりか?」
「いえ、そんなことは!」
俺は男の恐ろしさに気圧され、言われるままに用意した。
男にそれらを渡した時、初めて男が「田中」と名乗った。
どうせ偽名だろうが。
俺は相沢が言った通り、「封筒」の届けで3万円をもらった。
本当に簡単な仕事で、俺は金が手に入ったことだけで嬉しかった。
何の危険も無い。
自分はただ封筒を受け取り、違う場所に運んで知らない相手に渡しただけだ。
警察に捕まる要素は全くない。
田中さんたちは危ない人間たちなのだろうが、ちゃんと仕事をしている限りは危険は無い。
そう思っていた。
何度かそういう仕事をし、封筒や段ボール箱を運んで、月に20万円も受け取った。
これで借金を返せる。
嬉しくてしょうがなかった。
ATMで金を降ろす仕事を言われた。
「帽子とサングラス、マスク。それと、セロハンテープで顔のこことここを引っ張り上げろ」
「はい」
「上着の中にバスタオルを巻け。ATMから離れたら、タオルと上着は紙袋に入れろ。代わりの上着を用意しろ」
「はい」
細かな指示をもらい、俺は何台ものATMで金を引き下ろした。
10万円もらった。
何度か、そういう仕事をさせられた。
平日のことであり、俺は会社を有給で休んだ。
その頃には借金も返済し、奨学金も返し終えた。
もう、これからは自分の贅沢に使える。
危なさは増したが、金の魅力には逆らえなかった。
ある日、仕事の都合で闇バイトが出来ないことがあった。
「あんだと?」
「すみません。その日はどうしても休めなくて」
「お前さ、俺らの仕事、舐めてんの?」
「いいえ! そんなことは!」
「お前がさ、ATMに出入りして着替えてるとこもちゃんと写真撮ってんだよ」
「え!」
「お前のヤサも知ってる。これからみんなで行こうか?」
「いえ、田中さん!」
「ああ、お前を誘った奴な、こないだ死んだぜ?」
「!」
「もう抜けたいとか言い出してさ。ビルから飛び降りちまった」
「……」
「じゃあ、いいな」
「は、はい!」
俺は田舎のお袋が急病だと言って、無理矢理会社を休んだ。
大口の取引先の納期が迫っていた仕事で、上司は仕事は手配するからすぐに田舎へ帰るように言ってくれた。
ほんの少しだけ申し訳ないと思ったが、会社の給料よりも闇バイトで大きく稼いでいる。
会社は、俺の表の顔に過ぎない。
俺はいつしか、ずっぽりと深みに嵌っていた。
でも、毎月50万円以上の金が入って来た。
それに、田中さんから「お前は使える奴だ」と言われた。
素直にそれが嬉しかった。
「伊藤、今度はある家に届け物だ」
「はい」
田中さんから連絡が来た。
「その家は結構な金持らしい。そこで、借金の取り立てをして来い」
「金持が借金ですか?」
「うるせぇ! 証書を持ってって、回収して来い!」
「分かりました!」
「今度はもう一人付ける。一緒に行け。伊藤、お前は随分と頭もキレる。今回の仕事でやり方を覚えろ」
「はい!」
俺はすっかりやる気になっていた。
3月中旬の火曜日の10時。
俺は会社に半休を取って、出掛けた。
石神という中野区の家だった。
「はーい!」
門のインターホンを押すと、若い女の声が聞こえた。
しかし、随分と立派な家だ。
信じられないほど敷地が広い。
「鈴木不動産と申します。御主人にお会いしたいのですが」
「父は今出かけてますが?」
「そうですか。では、家の方にお話だけでも」
「分かりましたー」
一緒に来た鈴木という40代の男性が話していた。
門が自動で開き、玄関の方へ歩いて行くと、玄関から背の高い若い女が待っていた。
綺麗な人だ。
女の隣に、着物姿の、こっちも恐ろしく綺麗な女がいた。
女の耳元に何かを囁いて、どこかへ消えた。
「あの、どういう御用件ですか?」
「はい。御主人が以前に契約された土地のことで」
「そうなんですか?」
「御契約はいただいたのですが、まだ入金がなく。今日は利子だけでも頂きたいと参った次第で」
「じゃあ、中へどうぞー」
玄関へ入ると、白い大きなネコがいた。
俺たちを見ている。
「フッシャー!」
猫が吼えた。
女が宥めて上に上がらせた。
「どうぞ、こちらへ」
1階の応接室へ通される。
調度品がやけに豪華だ。
「ちょっと待って下さいね?」
女は部屋の大きなソファなどを軽々と抱えて移動した。
相当重いはずなのに、とんでもない力だ。
細い身体なのに、一体どうやってと思った。
女は驚く俺たちを尻目に、ソファやテーブルを壁に移動した。
「これでいいかな」
次に女はブルーシートを床に敷いた。
「あの、何を?」
「ちょっと待ってて」
俺たちは部屋の入口で突っ立ったままだ。
ブルーシートを敷き終わると、入って来るように女が手招いた。
妙な雰囲気だが、俺たちは立ったままで話した。
「それで?」
「あの、埼玉の土地なのですが……」
「そうじゃなくて」
「はい?」
「お前ら、何モンよ?」
「え?」
女の身体がブレた。
次の瞬間、鈴木さんが床に叩きのめされていた。
一瞬のことで、俺は何が起きたのか分からなかった。
「どこの誰だよ?」
女が俺に向いて言った。
先ほどの綺麗な顔ではなく、恐ろしい獰猛な顔だった。
「ぼ、僕は……」
女が床の鈴木さんの首を掴んで持ち上げた。
鈴木さんが腰に手を動かした。
拳銃を取り出したので驚いた。
「チャカ呑んで来たかぁ!」
女が鈴木さんの手を掴んだ。
バキ、グシュという音が聴こえ、右手を垂らした鈴木さんの手から女が拳銃を奪った。
「てめぇ、殺していいよな?」
「ま、待ってくれ!」
女が笑い、拳銃を見ていた。
「なんだぁ、マカロフのパチもんかぁ。こんなもんで、よくうちに来たなぁ」
鋼鉄製の拳銃がバキンという音を立てて握り潰された。
その瞬間、拳銃の弾が暴発して発射された。
パン!
「あぁー!」
女が壁に走り寄り、穴の空いた痕を撫でていた。
「てめぇ! チャンバーに入れてたかぁ!」
女が蹲っている鈴木さんの腹を蹴って、壁まで吹っ飛ばした。
「ばかやろう! チャカの扱いも知らねぇのかぁ!」
今度は鈴木さんの身体を抱えて、部屋の真ん中に投げ落とした。
鈴木さんが胃の中のものを吐き出して咳き込んだ。
俺は、生まれて初めての本当の恐怖を知った。
大学を卒業し、就職難の時代に何とか中堅の印刷会社に入社出来た。
しかし、印刷業界は前途多難な時期で、どんどん注文は少なくなり、会社も維持するのがやっとの状態だった。
当然給料は上がらず、一部でリストラさえ行なわれた。
俺は大学の奨学金の支払いで、給料の多くを当てねばならず、生活費にすら困窮することもあった。
農業をしている実家にも余裕がなく、ついカードローンに手を出してしまい、雪だるま式に借金が増えて行った。
そんな時、大学時代の友人から「闇バイト」の話を聞いた。
俺と同じく、奨学金を受けていた奴で、それほど親しくはなかったが連絡先は知っていた。
「最初はさ、大き目の封筒とかを指定の場所に運ぶだけなんだ。それで数万円がもらえるんだぜ」
「そんなものがあるのか!」
「ああ。まあ、中身は真っ当なものじゃないのかもしれないけどな。でも俺たちは何も知らない。封筒を運ぶだけだ」
「そうか、なるほど」
いざとなれば、「何も知りませんでした」で通るということだった。
警察に捕まることはないのだと友人は言う。
その通りだと思った。
「ちゃんとやればさ、もっといい仕事を回してもらえる」
「そ、そうなのか?」
「そっちはもうちょっと大変だけど、1回で10万以上だよ」
「すごいな!」
友人は興味があるのなら紹介すると言っていた。
俺はすぐに頼んで、闇バイトの人に会うことになった。
新宿の喫茶店で待ち合わせた。
30代の男性で、頭の両脇を剃り上げて前髪と上の髪を長く伸ばして金髪のメッシュがある。
身体は鍛え上げているようで、やけに凄みがあった。
やっぱり裏社会の人間だと分かって怖かった。
「伊藤貴か。相沢から聞いた」
「はい!」
相手は俺のことを知っているようだが、自分は名乗らなかった。
「早速だが、免許証のコピー、住民票、会社の名刺をくれ」
「はい?」
男はめんどくさそうな顔をした。
「俺らはさ、裏切られると困るんだよ。だから身元はちゃんと押さえる。金が欲しいのなら用意しろ」
「あの、でも……」
流石にヤバイと思った。
自分が犯罪者になることが、目の前に見えた。
でも、断ろうとする俺の心を見透かしたように、男が怖い声で言った。
「お前よ、もう始まってんだよ」
「はい?」
「相沢からお前の名前も住所も会社も聞いてる。お前、断るつもりか?」
「いえ、そんなことは!」
俺は男の恐ろしさに気圧され、言われるままに用意した。
男にそれらを渡した時、初めて男が「田中」と名乗った。
どうせ偽名だろうが。
俺は相沢が言った通り、「封筒」の届けで3万円をもらった。
本当に簡単な仕事で、俺は金が手に入ったことだけで嬉しかった。
何の危険も無い。
自分はただ封筒を受け取り、違う場所に運んで知らない相手に渡しただけだ。
警察に捕まる要素は全くない。
田中さんたちは危ない人間たちなのだろうが、ちゃんと仕事をしている限りは危険は無い。
そう思っていた。
何度かそういう仕事をし、封筒や段ボール箱を運んで、月に20万円も受け取った。
これで借金を返せる。
嬉しくてしょうがなかった。
ATMで金を降ろす仕事を言われた。
「帽子とサングラス、マスク。それと、セロハンテープで顔のこことここを引っ張り上げろ」
「はい」
「上着の中にバスタオルを巻け。ATMから離れたら、タオルと上着は紙袋に入れろ。代わりの上着を用意しろ」
「はい」
細かな指示をもらい、俺は何台ものATMで金を引き下ろした。
10万円もらった。
何度か、そういう仕事をさせられた。
平日のことであり、俺は会社を有給で休んだ。
その頃には借金も返済し、奨学金も返し終えた。
もう、これからは自分の贅沢に使える。
危なさは増したが、金の魅力には逆らえなかった。
ある日、仕事の都合で闇バイトが出来ないことがあった。
「あんだと?」
「すみません。その日はどうしても休めなくて」
「お前さ、俺らの仕事、舐めてんの?」
「いいえ! そんなことは!」
「お前がさ、ATMに出入りして着替えてるとこもちゃんと写真撮ってんだよ」
「え!」
「お前のヤサも知ってる。これからみんなで行こうか?」
「いえ、田中さん!」
「ああ、お前を誘った奴な、こないだ死んだぜ?」
「!」
「もう抜けたいとか言い出してさ。ビルから飛び降りちまった」
「……」
「じゃあ、いいな」
「は、はい!」
俺は田舎のお袋が急病だと言って、無理矢理会社を休んだ。
大口の取引先の納期が迫っていた仕事で、上司は仕事は手配するからすぐに田舎へ帰るように言ってくれた。
ほんの少しだけ申し訳ないと思ったが、会社の給料よりも闇バイトで大きく稼いでいる。
会社は、俺の表の顔に過ぎない。
俺はいつしか、ずっぽりと深みに嵌っていた。
でも、毎月50万円以上の金が入って来た。
それに、田中さんから「お前は使える奴だ」と言われた。
素直にそれが嬉しかった。
「伊藤、今度はある家に届け物だ」
「はい」
田中さんから連絡が来た。
「その家は結構な金持らしい。そこで、借金の取り立てをして来い」
「金持が借金ですか?」
「うるせぇ! 証書を持ってって、回収して来い!」
「分かりました!」
「今度はもう一人付ける。一緒に行け。伊藤、お前は随分と頭もキレる。今回の仕事でやり方を覚えろ」
「はい!」
俺はすっかりやる気になっていた。
3月中旬の火曜日の10時。
俺は会社に半休を取って、出掛けた。
石神という中野区の家だった。
「はーい!」
門のインターホンを押すと、若い女の声が聞こえた。
しかし、随分と立派な家だ。
信じられないほど敷地が広い。
「鈴木不動産と申します。御主人にお会いしたいのですが」
「父は今出かけてますが?」
「そうですか。では、家の方にお話だけでも」
「分かりましたー」
一緒に来た鈴木という40代の男性が話していた。
門が自動で開き、玄関の方へ歩いて行くと、玄関から背の高い若い女が待っていた。
綺麗な人だ。
女の隣に、着物姿の、こっちも恐ろしく綺麗な女がいた。
女の耳元に何かを囁いて、どこかへ消えた。
「あの、どういう御用件ですか?」
「はい。御主人が以前に契約された土地のことで」
「そうなんですか?」
「御契約はいただいたのですが、まだ入金がなく。今日は利子だけでも頂きたいと参った次第で」
「じゃあ、中へどうぞー」
玄関へ入ると、白い大きなネコがいた。
俺たちを見ている。
「フッシャー!」
猫が吼えた。
女が宥めて上に上がらせた。
「どうぞ、こちらへ」
1階の応接室へ通される。
調度品がやけに豪華だ。
「ちょっと待って下さいね?」
女は部屋の大きなソファなどを軽々と抱えて移動した。
相当重いはずなのに、とんでもない力だ。
細い身体なのに、一体どうやってと思った。
女は驚く俺たちを尻目に、ソファやテーブルを壁に移動した。
「これでいいかな」
次に女はブルーシートを床に敷いた。
「あの、何を?」
「ちょっと待ってて」
俺たちは部屋の入口で突っ立ったままだ。
ブルーシートを敷き終わると、入って来るように女が手招いた。
妙な雰囲気だが、俺たちは立ったままで話した。
「それで?」
「あの、埼玉の土地なのですが……」
「そうじゃなくて」
「はい?」
「お前ら、何モンよ?」
「え?」
女の身体がブレた。
次の瞬間、鈴木さんが床に叩きのめされていた。
一瞬のことで、俺は何が起きたのか分からなかった。
「どこの誰だよ?」
女が俺に向いて言った。
先ほどの綺麗な顔ではなく、恐ろしい獰猛な顔だった。
「ぼ、僕は……」
女が床の鈴木さんの首を掴んで持ち上げた。
鈴木さんが腰に手を動かした。
拳銃を取り出したので驚いた。
「チャカ呑んで来たかぁ!」
女が鈴木さんの手を掴んだ。
バキ、グシュという音が聴こえ、右手を垂らした鈴木さんの手から女が拳銃を奪った。
「てめぇ、殺していいよな?」
「ま、待ってくれ!」
女が笑い、拳銃を見ていた。
「なんだぁ、マカロフのパチもんかぁ。こんなもんで、よくうちに来たなぁ」
鋼鉄製の拳銃がバキンという音を立てて握り潰された。
その瞬間、拳銃の弾が暴発して発射された。
パン!
「あぁー!」
女が壁に走り寄り、穴の空いた痕を撫でていた。
「てめぇ! チャンバーに入れてたかぁ!」
女が蹲っている鈴木さんの腹を蹴って、壁まで吹っ飛ばした。
「ばかやろう! チャカの扱いも知らねぇのかぁ!」
今度は鈴木さんの身体を抱えて、部屋の真ん中に投げ落とした。
鈴木さんが胃の中のものを吐き出して咳き込んだ。
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