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あの日、あの時: 喪失 Ⅱ

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 夏休みに入り、俺はまだ東大病院に入院したままだった。
 ようやく検査も終わり、その解析・診断結果も出た。
 お袋が説明を受けたことが、俺には分かった。
 俺はお袋に言い、医師にも自分で結果を知りたいと言った。
 俺の体重は50キロを切り、尚減少を続けていた。
 自分でも分かっていた。


 俺は終わるのだ。


 俺はもうすぐ死ぬ。
 緩慢な死が、俺に徐々に迫っている。
 子どもの頃に20歳まで生きられないと言われた。
 それが高校に上がる頃にはすっかり丈夫になり、俺はその運命を免れたと思っていた。
 しかし、言われた通りだった。
 20歳は超えたが、これが俺の運命だった。
 俺の担当医となった内科医の長谷川教授が俺に言った。

 「明智教授が君のことを大層気に入っていてね。なんとしても助けたいとチームまで組んだんだ」
 「そうでしたか。有難いことです」
 「東大病院の優秀な人間が集まって、君の身体をいろいろと調べた。こんなことは初めてかもしれない」
 「ありがとうございます」

 長谷川教授が真直ぐな目で俺に言った。

 「君は多臓器不全だ。原因は、はっきりとは分からない。ただ、君の病歴や大怪我の数々をお母さんからも聞いた。恐らくそれらが原因だろう。君は子どもの頃から様々な治療を受けて薬物を大量に身体に入れた。また刃物で臓器を刺されることまであったそうだね。そういうことが複合的に重なって、今の状況を作っていると思われる」
 「そうですか」

 長谷川教授が俺の目を見て言った。

 「君は恐らく8月中には死ぬ。日本最高の医師と設備が集まったこの病院でも、君を助けられない」
 「分かりました。ありがとうございました」

 俺は礼を言い、長谷川教授は部屋を出て行った。
 実に立派な医師だと俺は思った。

 長谷川教授と入れ替わりに、お袋が入って来た。

 「高虎……」
 「お袋」
 「お前は死なない」
 「ああ、そうだな」
 
 俺はそう答えるしかなかった。
 お袋は何度も俺の死の宣告を受けて来た。
 その度に、ぞれを絶対に信じずに、俺が助かると思っていた。
 俺はそれを知っている。
 だから何も言えなかった。




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 「奈津江、元気を出して」
 「うん、ありがとう、栞」

 その日も俺を見舞いに来た二人が、俺が目を覚まさずにいたまま帰って行った。

 「昨日ね、高虎のお母さんから聞いたの。多臓器不全なんだって」
 「そう」
 
 お袋は俺が死ぬと宣告されたことは奈津江には話さなかった。
 お袋の中ではそれはあり得ないことだったからだ。
 しかし、栞は密かに状況を把握していた。
 医学部の伝手を使い、おおまかな俺への診断を知っていた。
 そして栞もまたそれを奈津江には話さずにいた。

 「奈津江。私、石神君を移動させるつもりなの」
 「え?」
 「今、実家に頼んでる。うちの家系は古武道なんだけど、ちょっと特殊なのね」
 「そうなの?」
 「うん。鍼灸や漢方薬なんかも最高の技術を持った人間たちもいるの」
 「え!」
 「石神君を必ず助ける。東大病院で見放されたら、私が石神君を運ぶ」
 「栞!」
 「奈津江には話しておくね。ちょっと荒っぽいこともするから」
 「高虎は助かるの?」
 「絶対に助ける。実家を説得して、必ず助けるから」
 「ありがとう、栞!」

 栞は斬を説得しようとしていた。
 しかし、外部の人間で「花岡家」に何の関りも無い俺に力を貸すことを、斬は拒んでいた。
 だから栞は一つの決意をしていた。

 俺を花岡家の婿に迎える。
 花岡家の最高峰の「死王」を生む《螺旋の女》たる自分が説得すれば、斬も認める可能性は高かった。
 だがそれは、俺を奈津江から奪うことでもあった。
 俺を拉致し、拘束して。
 そうやってでも、栞は俺を救おうとしていた。

 奈津江は栞の心に気付いていただろうか。
 俺を拉致してまで動こうとする栞に、奈津江は何か感じていたかもしれない。

 「栞、高虎をお願い!」
 「うん」

 栞は暗く沈んだ声で返事した。




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■



 
 目が覚めると、奈津江がまた俺の手を握っていた。
 以前よりも更に俺の腕は細くなっていた。
 点滴を刺された部分は、免疫力が低下したせいで青黒く爛れている。

 「奈津江」
 「高虎?」

 夜になっていたと思う。
 窓の外はもう暗かった。
 面会は8時までだ。
 もうその時間が近いのだろう。

 「奈津江、別れよう」
 「高虎!」
 「俺はもう死ぬ。これからはもっと悲惨な姿になって行く。俺のこんな姿をもう見て欲しくない。この後の悲惨な俺は絶対に見せない」
 「高虎! 何を言っているの!」
 「奈津江、ありがとう」
 「高虎ぁー!」

 奈津江が叫び、俺に抱き着いて狂ったように泣き叫んだ。
 看護師が来て、奈津江を宥めようとしているが、奈津江は喚き散らしている。
 俺は奈津江を抱き締めることすら出来なかった。
 そうする資格は、もう俺には無いと思っていた。
 俺は泣きながら奈津江を見て、やがて意識を喪った。

 次に目が覚めると、お袋がいた。
 深夜になっていた。

 「奈津江は?」
 「帰ったわ」
 「大丈夫だったか?」
 「花岡さんと、お兄さんが来られたわ」
 「そうか」
 
 顕さんが連れ帰ってくれたのだろう。
 俺はまた泣いた。
 俺の魂の半分は奈津江が持っていた。
 それを俺は引き剥がした。

 「高虎、眠りなさい」
 「ああ」

 俺は後から知った。
 奈津江を落ち着かせるために、お袋は俺が病院では治せないと言われた話をした。
 栞も顕さんも一緒に聞いただろう。
 お袋は恐らく、俺を安静にさせるために奈津江を一時的に引き離すつもりだったのだろう。
 もちろん、俺は必ず治るから、そうしたらまた、と言っていた。

 俺は眠ってしまった。
 「ルート20」特攻隊長《赤虎》、戦場では《サタンの息子》とまで言われた俺が、何もしなかった。
 痩せ衰え、最愛の女を泣かすだけの最低の人間になっていた。
 魂を預けた女がいた。
 それなのに、俺は自分の「死」しか考えられなかった。
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