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斬と千両 月夜の酒

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 11月13日 群馬県 花岡合気道道場 午後8時。
 早朝からの鍛錬を終え、斬と千両は風呂上りに酒を酌み交わしていた。
 月に何度かそのようなことを二人で行なっていた。

 「今日もいい鍛錬が出来た」
 「そうか。お前もまだ衰えもせずに伸びているな」
 「石神さんのお陰だ。まだ戦える。ありがたいことだ」

 斬と千両の二人は薄暗い座敷で向かい合っている。
 電灯は使わず、畳に置いた座卓に、3本の蝋燭を灯している。
 肴は山菜の漬物と野菜の揚げ物。
 それに大量のニンジンの煮物と、イモリの黒焼き。
 そのとちらも、通常の物とは思えない。
 日本酒を冷で飲んでいる。

 「あやつは戦うことに関しては尋常ではない。型にはまらず、どこまでも手を拡げ、相手の意表を衝きながら圧倒的な力を備える」
 「そうだな、俺もいつも驚かされている。何しろ、この俺がコンピューターなど扱うようになったんだからな」

 斬が笑った。

 「わしもだ。あやつは数年前に「花岡」を初めて知り、そこから瞬く間にわしを超えるほどに強くなった」
 「超えたのを認めるか」
 「仕方が無かろう。大陸を破壊するほどの力を得たのだ。あいつのお陰で「花岡」は最強の力となった」
 
 斬が酒を飲み干し、千両が一升瓶を傾ける。
 グラスに蝋燭の灯が揺れて映った。
 その美しさを味わうために、蝋燭を灯したのか。

 「あやつは間違いなく世界で最強だ。しかし、存外に弱い」
 「ああ」
 「あいつと一緒に戦った。あいつは自分の父を殺せなかった」
 「そうだな」
 「娘が必死に戦って斃した。瀕死の重傷の中で、何とかな」
 
 千両も聞いている。
 斬の屋敷を石神の父・虎影と、千両の息子夫婦・雅と菖蒲が「業」の人形と化して襲った。
 斬は雅と菖蒲を斃したが、石神は虎影の剣を受けるばかりで攻撃すら出来なかった。

 「あやつは愛が深過ぎる。お前もあやつの身体を見たことがあるだろう?」
 「ああ、凄まじい傷跡だった。よくも生きていると思うほどにな」
 「そうじゃ、あやつは敵は殺せるが、愛する者を殺すことが出来ない。あやつの強さはその愛故よ。しかし同時に、それがあやつの弱点となっている」
 「……」

 千両も酒を飲み干し、斬が一升瓶を傾けた。
 またグラスが美しく輝いて揺れた。

 「あやつが父親を殺せなんだのは見た。じゃが、恐らくこれまでも、あやつが手に掛けられなかった者も多いだろう。それがあやつの傷となっておる」
 「そうだな。石神さんはご自分の傷を厭わない。命すら捧げてしまう」
 
 斬が障子を開き、廊下に降り注ぐ月光を見た。
 千両もそちらへ顔を向ける。

 「栞に聞いたことがある。あやつが子どもの頃に、隣の家の少女を助けるために、自分が腹を裂かれながら逃がそうとしたらしい。はらわたを零しながらな」
 「凄まじいな」
 「あやつはそこから何も進んではおらん。立ち止まったままだ。いずれ人間は汚れ、自分の身、自分の幸せを守りたいと考えるようになる。じゃが、あやつは今でもはらわたを零しながら誰かを守るのだ」
 「そうだな」
 「しかも、相手が愛する者であれば、そのまま殺される。それでいいと考える奴じゃ」
 「ああ、石神さんはそうだな」
 
 月光は磨き上げられた板床に照り映え、美しく輝いた。

 「石神さんは、お前のこともそう思うだろうな」
 「なんだと?」
 「あの人がお前のことを大事に思っていることは分かっている」
 「何を言うか。わしであったなら、あいつは笑いながら殺すだろうよ」
 「斬、お前も分かっているはずだ」
 「……」
 「石神さんは、自分が傷つこうが殺されようが、大事な人間を殺せない」
 「ふん!」

 斬が険しい顔で千両を睨んだ。

 「お前はどうだ。わしを殺せるか」
 「もちろんだ、敵になれば必ず殺す」
 「そうか。わしも同じだ。お前が敵になれば、一呼吸の間も無く殺す」

 二人は笑い合った。

 「斬、難儀な婿殿をもらったな」
 「ふん! まったくだ。甘すぎる。あれが今では「花岡」の当主よ」
 「だが、あの優しさが、石神さんの力だ」
 「その通りだ。あやつがあれほどまでに強いのも、そういう生き方だからだ」

 二人はどちらが誘うことなく、廊下に出た。

 「さて、どうするかな」
 「あやつが殺せない者は、わしが殺す」
 「そうだな」
 「千両、手伝ってくれるか?」
 「もちろんだ」

 二人はまた笑い合った。

 「千両、あやつはわしが酒が飲めないと思っている」
 「そうなのか?」
 「ああ、前に一芝居打った」
 「それは!」

 千両が大笑いした。

 「「花岡」を極めたわしが、酒ごときで弱ると思うのが、またあやつの甘さよ」
 「しかし、どうしてそんなことをしたんだ?」
 「あやつが敵になった時の備えじゃ」
 「!」

 千両は衝撃を受けた。
 これほどまでに石神を慕い、憂い、石神のために命を懸けようとする斬は、同時に敵に回った場合の罠を用意しているのだ。
 修羅に生きる男の凄まじさを感じていた。
 二人で月を眺めた。

 「あやつが「石神」の人間だと知って、自分の迂闊を恥じたよ」
 「ああ」
 「あやつの強さから、当然思い至らなければならなかった。じゃが、外に出ている石神家が半端者だと知っていたからな」
 「石神家とは、どういうものなんだ?」
 
 斬の表情が変わった。
 そして遠い目をしていた。

 「剣士の集団。しかし、それは表の顔じゃ」
 「どういうことだ?」
 「一年中剣を振り回しておる。そして確かに剣技は凄まじい。もちろん「花岡」の剣技など児戯に等しいじゃろう」
 「凄まじいな」
 「千両、お前でも到底敵わない。石神の剣技は世界最高峰じゃ」
 「そうか」
 「じゃが、剣技は表技じゃ。石神の技は日本の全ての闘技を統合しておる」
 「どういうものなんだ、それは?」

 「剣技はもちろん、「花岡」も大部分が渡っている」
 「なんだと!」

 千両が思わず叫んだ。
 「花岡」は一部の人間にしか知られない奥儀がある。
 千両でさえ、ほとんど知らない。
 そしてそれは、一族だけの秘伝になっているはずだった。
 石神は特異すぎる事情で習得することになった。

 「「花岡」ばかりではない。千両、お前は神宮寺の技を知っているか?」
 「聞いたことはある、無手で刀剣以上の技を使うと」
 「そうじゃ。わしですら詳しくは知らん。しかし石神家は、その神宮寺の拳法を修めている」
 「なんだと!」

 千両も、神宮寺が「虎王」を打ち上げた刀匠の末裔であることは知っている。
 そして、究極の「虎王」を打ち終わり、次いで拳法での追及を始めた。
 それは「虎王」には及んでいないが、相当な威力を持つ体系と聞いている。
 「虎王」を打ち上げた家系だからこそだ。

 「そればかりではない。今は廃れてしまったものも多いが、病葉衆の暗殺拳や葛葉家の剣技など、数々の日本の知られざる闘技を、石神は知っておる。わしの知らぬものも多い」
 「どのようにして修めたのだ?」
 「分からぬ。ただ、戦国時代以降のことらしい。桁外れの天才がいたということだ」

 千両は驚いている。

 「斬、お前はどうしてそれを知っているのだ?」
 「ああ、前に遣り合った」
 「なんだと!」
 「岩手の石神家の本拠地に乗り込んだのよ。わしのことは知っておった。そして、「花岡」の全てが通じず、返し技があった」
 「無事だったのか!」
 「虎影という若い当主が助けてくれた。まだ、わしが40代の頃よ。見事なまでに通じんかったわ!」

 斬が高らかに笑った。

 「虎影は、あやつの父親じゃったな。不思議な縁よ」
 「そうであったか。それでお前は石神家がどうして「花岡」を知っているのか聞いたのか?」
 「ああ。いろいろと教えてくれたわい。あの一族は、何にも負けない剣技を求めていると言われた。この世のものではない者とも戦える技じゃ。わしには、それがどのようなことかは分からんかった。まあ、今ならば分かるがな」
 「「業」か」
 「ああ、それに奴が操る化け物たちよな。石神家はいずれ、あのようなとんでもないものが生まれることを知っておったのじゃろう」
 「石神さんが生まれることもだろうか」
 「きっとそうじゃろう」

 斬が座敷へ戻り、千両も共に座敷に座り直した。

 「あやつが殺せん相手は、わしらが殺す」
 「おう」
 「千両、お前にも手伝ってもらうぞ」
 「ふふふ、最初からそのつもりだ」

 斬がまた酒を飲んだ。
 心なし、嬉しそうな表情にも見える。

 「あやつな、自分の親父と戦っている間、泣きそうな顔をしておったよ」
 「そうか」
 「子どもだな。親に折檻されながら、必死に逆らっておるようにも見えた」
 「それはあんまりだろう」
 
 千両が笑った。
 
 「いや、あいつは子どもよ。でかいなりをしながら、あいつの心は子どものままだ。何も恐れず、無暗にも立ち向かって行く。自分が決めて、そこへ向かうのだ」
 「でも、あの方は強いぞ」
 「それは戦いの数が違うでな。わしもそこそこはやって来たつもりじゃが、あいつの比ではない」
 「なるほどな」
 「呼吸をするように、あやつは戦ってきた。表の戦いも裏の戦いもな」

 千両には、斬の言わんとすることが分かっていた。
 派手な喧嘩は表の戦いだ。
 裏の戦いは、もっと陰惨で汚い。
 でも、石神は、そういう戦いも数多くこなしてきたのだ。

 「それでもあやつは子どもだからすぐに泣く。戦いながら泣き、傷ついている」
 「そうだな……」

 斬が酒の入ったグラスを月に翳した。

 「あいつがな、骨壺に、雅と菖蒲を納めるように手配してくれた」
 「石神さんが?」
 「自分も瀕死で、父親を喪って大泣きだったのにな。その間も、わしのことを考えていたんじゃ」
 「そうか」
 「あの戦いの中で、わしに「Ω」と「オロチ」の粉を飲ませた。自分の娘が死に掛けてるのに、わしのことも忘れんかったわ」
 「そうか」
 
 「あいつは栞に「士王」を生ませてくれた、まあそれだけでもな」
 「ワハハハハハ!」

 それだけで、十分だと斬は言いたかったのだろう。
 自分の全てを石神に捧げるのだ。
 千両は大笑いし、自分も同じだと思った。

 「俺は自分が「業」を殺せなかったことがずっと許せなかった。自分にその力が無いことで、泣き寝入りするしかないと思っていた。でも、あの人がいた。あの人は出来る出来ないじゃない。やるだけの人だと分かった、俺はそれをあの人に教えてもらった」
 「おう」
 「この命が燃え尽きるまで、石神さんのためにやるぞ。俺はもう決めている」
 「そうか、ならば何の憂いもないな」
 「そうだな!」


 
 《わたしが愛するのは、その魂が傷つくことにおいて深く、小さな体験でも破滅することのできる者だ》



 「なんじゃ、それは?」
 「石神さんに教えてもらった。ニーチェの言葉らしいぞ」
 「そうか」

 斬が、その言葉を口の中で繰り返していた。

 「良い言葉じゃな」
 「そうだな」

 二人は微笑みながら、酒を飲み干した。
 そして月明かりの庭を眺めた。
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