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地下水道 Ⅱ
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本当に酷い戦闘だった。
二日前にマンガウングへの襲撃予告があった。
それに先立って、突然海軍のヴァラー級フリゲート艦が洋上で襲撃されて撃沈された。
数名の襲撃者のようだったが、その犯行声明が襲撃予告の者のものだった。
だから国防軍はマンガウングへの襲撃を確信した。
予告では、100名の兵士で襲うということだった。
信じられない小規模の数だったが、ヴァラー級フリゲート艦の襲撃映像から、武器ではない未知の特殊な技を持つ者たちと分かっていた。
だから三個大隊が出撃し、防衛戦を展開するはずだった。
しかし、襲撃開始から全大隊が崩壊して行った。
機甲連隊のオリファント戦車は襲撃者の黒い兵士が取りつくと、そのまま破壊された。
歩兵はもっと呆気なかった。
黒い兵士が腕を振るうと、そのまま赤い霧になって次々と消えて行った。
私たちはなすすべもなく蹂躙された。
クッツェ中尉は自分の中隊を集め、即座に撤退を命じた。
だが、中隊は僅かな時間で殲滅され、私とクッツェ中尉だけが何とか生き残った。
自動小銃ツルベロラプターは残弾が無くなったので放棄した。
残るのはベクターSP1の拳銃弾が2発だけ。
水筒を持って来れたのは幸運だった。
クッツェ中尉の寝顔を見た。
傷つきやつれてはいるが、いつものように優しく精悍な顔だった。
「愛しい人……」
小さく呟いた。
それで気力が湧いた。
以前から、私はクッツェ中尉を愛していた。
新兵の頃から。女性兵士で体力の無い自分を、クッツェ中尉は気に掛けてくれた。
それが嬉しくて、自分も懸命に訓練に挑み、またクッツェ中尉が喜んでくれた。
逸早く軍曹にまで引き上げてくれ、一層クッツェ中尉のために尽くそうと思った。
喉の渇きが耐えがたくなり、私は胸ポケットからそっとルージュを取り出した。
軍隊の中で、ほとんど付けることのないルージュ。
いつかクッツェ中尉の前で、きちんと化粧をする機会があればと、ルージュだけ買い求めた。
それが私のお守りになった。
時々取り出しては、いつまでも眺めた。
いつでも、幸せな気分になれた。
今日はクッツェ中尉と一緒に出撃ということで、胸ポケットに入れてきた。
良かったと思う。
今日で私たちは死ぬかもしれなかったから。
クッツェ中尉はまだ目を覚まさない。
でも、そろそろ移動しなければ。
私は初めてルージュを口に塗った。
鏡も無いので、上手く塗れたかどうかも分からない。
でも、自分の中に力が湧いて来て、クッツェ中尉を背負って立つことが出来た。
もうクッツェ中尉は歩けないだろう。
だから私が運ぶしかない。
私は一歩ずつ両足で踏ん張って移動を始めた。
気にならなくなっていた下水道の臭いが、吐き気を催すようになってきた。
もしかしたら、自分の体力の限界によるものかもしれない。
一歩のたびに、もうダメだという思いが浮かんで来る。
でも、ルージュを引いた自分が、ここで倒れるわけにはいかないと歯を食いしばって歩いた。
今やらなければ、私の人生の意味が無くなる。
私の命が私のものでは無くなる。
私が愛した人を安全な場所まで運ばなければ、私が私で無くなる。
だから一歩を自分の全てで乗り越え、また一歩を踏み出して行った。
1時間以上歩き、前方に光が見えた。
「クッツェ中尉! 出口です!」
思わず叫んだ。
両足の感覚はもう無くなって来ていたが、私は最後の力を振り絞って歩いた。
これでクッツェ中尉を救うことが出来る。
もう軍隊は退役になるだろうが、そうしたら自分が面倒を見よう。
私の中に、目まぐるしく幸福な未来が展開していった。
あと、もう少しで。
50メートル程の距離になり、私は見てしまった。
下水道の出口には、太い鉄格子が嵌っていた。
私は自分の力が全て喪われたことに気付いた。
ここまで必死にやって来たが、もう終わりなのだ。
崩れるように倒れ、背中のクッツェ中尉が床に転がった。
そのショックでクッツェ中尉が目覚めた。
「サリフ軍曹、ここはどこだ?」
「はい、下水道の出口が見えます」
「そうなのか!」
「少し休みましょう。あともうちょっとですから」
「そうか、ありがとう! よくここまで運んでくれた」
「いいえ」
クッツェ中尉に水筒の水を飲ませた。
口に触れさせ、ゆっくりと傾けて行く。
「ああ、美味い! 身体が甦ったよ」
「良かったです」
私の声はしゃがれていた。
口の中が乾ききっていた。
「風が吹いている。出口からだな」
「はい。外はまだ明るいです」
「そうか。もうすっかり分からないが」
「……」
私は胸ポケットからルージュを取り出した。
自分の口にもう一度塗り、そして壁にルージュで書いた。
《私はクッツェ中尉を愛しています》
ルージュが折れた。
私のルージュは、その役目を終えた。
「サリフ軍曹、そろそろ行こうか。もう自分の足で歩ける」
「サラと呼んで下さい」
「え?」
「最後に、私のことをサラと」
「……」
クッツェ中尉が黙っていた。
そして私の方を向いて微笑んだ。
「そうか。サラ、今までありがとう」
「いいえ! 私こそありがとうございました!」
私は腰からはベクターSP1を抜いた。
スライドの引き、空のケースが飛び出て、チェンバーに次の弾丸が入った。
その音で、クッツェ中尉も気付いていただろう。
それでも、クッツェ中尉は最後まで微笑んでくれていた。
最後に2発の弾丸が残ったのは、私たちの幸福だったのだ。
私は神に感謝した。
私はクッツェ中尉を「安全な場所」へ御連れした。
そして自分もすぐに後を追いかけた。
二日前にマンガウングへの襲撃予告があった。
それに先立って、突然海軍のヴァラー級フリゲート艦が洋上で襲撃されて撃沈された。
数名の襲撃者のようだったが、その犯行声明が襲撃予告の者のものだった。
だから国防軍はマンガウングへの襲撃を確信した。
予告では、100名の兵士で襲うということだった。
信じられない小規模の数だったが、ヴァラー級フリゲート艦の襲撃映像から、武器ではない未知の特殊な技を持つ者たちと分かっていた。
だから三個大隊が出撃し、防衛戦を展開するはずだった。
しかし、襲撃開始から全大隊が崩壊して行った。
機甲連隊のオリファント戦車は襲撃者の黒い兵士が取りつくと、そのまま破壊された。
歩兵はもっと呆気なかった。
黒い兵士が腕を振るうと、そのまま赤い霧になって次々と消えて行った。
私たちはなすすべもなく蹂躙された。
クッツェ中尉は自分の中隊を集め、即座に撤退を命じた。
だが、中隊は僅かな時間で殲滅され、私とクッツェ中尉だけが何とか生き残った。
自動小銃ツルベロラプターは残弾が無くなったので放棄した。
残るのはベクターSP1の拳銃弾が2発だけ。
水筒を持って来れたのは幸運だった。
クッツェ中尉の寝顔を見た。
傷つきやつれてはいるが、いつものように優しく精悍な顔だった。
「愛しい人……」
小さく呟いた。
それで気力が湧いた。
以前から、私はクッツェ中尉を愛していた。
新兵の頃から。女性兵士で体力の無い自分を、クッツェ中尉は気に掛けてくれた。
それが嬉しくて、自分も懸命に訓練に挑み、またクッツェ中尉が喜んでくれた。
逸早く軍曹にまで引き上げてくれ、一層クッツェ中尉のために尽くそうと思った。
喉の渇きが耐えがたくなり、私は胸ポケットからそっとルージュを取り出した。
軍隊の中で、ほとんど付けることのないルージュ。
いつかクッツェ中尉の前で、きちんと化粧をする機会があればと、ルージュだけ買い求めた。
それが私のお守りになった。
時々取り出しては、いつまでも眺めた。
いつでも、幸せな気分になれた。
今日はクッツェ中尉と一緒に出撃ということで、胸ポケットに入れてきた。
良かったと思う。
今日で私たちは死ぬかもしれなかったから。
クッツェ中尉はまだ目を覚まさない。
でも、そろそろ移動しなければ。
私は初めてルージュを口に塗った。
鏡も無いので、上手く塗れたかどうかも分からない。
でも、自分の中に力が湧いて来て、クッツェ中尉を背負って立つことが出来た。
もうクッツェ中尉は歩けないだろう。
だから私が運ぶしかない。
私は一歩ずつ両足で踏ん張って移動を始めた。
気にならなくなっていた下水道の臭いが、吐き気を催すようになってきた。
もしかしたら、自分の体力の限界によるものかもしれない。
一歩のたびに、もうダメだという思いが浮かんで来る。
でも、ルージュを引いた自分が、ここで倒れるわけにはいかないと歯を食いしばって歩いた。
今やらなければ、私の人生の意味が無くなる。
私の命が私のものでは無くなる。
私が愛した人を安全な場所まで運ばなければ、私が私で無くなる。
だから一歩を自分の全てで乗り越え、また一歩を踏み出して行った。
1時間以上歩き、前方に光が見えた。
「クッツェ中尉! 出口です!」
思わず叫んだ。
両足の感覚はもう無くなって来ていたが、私は最後の力を振り絞って歩いた。
これでクッツェ中尉を救うことが出来る。
もう軍隊は退役になるだろうが、そうしたら自分が面倒を見よう。
私の中に、目まぐるしく幸福な未来が展開していった。
あと、もう少しで。
50メートル程の距離になり、私は見てしまった。
下水道の出口には、太い鉄格子が嵌っていた。
私は自分の力が全て喪われたことに気付いた。
ここまで必死にやって来たが、もう終わりなのだ。
崩れるように倒れ、背中のクッツェ中尉が床に転がった。
そのショックでクッツェ中尉が目覚めた。
「サリフ軍曹、ここはどこだ?」
「はい、下水道の出口が見えます」
「そうなのか!」
「少し休みましょう。あともうちょっとですから」
「そうか、ありがとう! よくここまで運んでくれた」
「いいえ」
クッツェ中尉に水筒の水を飲ませた。
口に触れさせ、ゆっくりと傾けて行く。
「ああ、美味い! 身体が甦ったよ」
「良かったです」
私の声はしゃがれていた。
口の中が乾ききっていた。
「風が吹いている。出口からだな」
「はい。外はまだ明るいです」
「そうか。もうすっかり分からないが」
「……」
私は胸ポケットからルージュを取り出した。
自分の口にもう一度塗り、そして壁にルージュで書いた。
《私はクッツェ中尉を愛しています》
ルージュが折れた。
私のルージュは、その役目を終えた。
「サリフ軍曹、そろそろ行こうか。もう自分の足で歩ける」
「サラと呼んで下さい」
「え?」
「最後に、私のことをサラと」
「……」
クッツェ中尉が黙っていた。
そして私の方を向いて微笑んだ。
「そうか。サラ、今までありがとう」
「いいえ! 私こそありがとうございました!」
私は腰からはベクターSP1を抜いた。
スライドの引き、空のケースが飛び出て、チェンバーに次の弾丸が入った。
その音で、クッツェ中尉も気付いていただろう。
それでも、クッツェ中尉は最後まで微笑んでくれていた。
最後に2発の弾丸が残ったのは、私たちの幸福だったのだ。
私は神に感謝した。
私はクッツェ中尉を「安全な場所」へ御連れした。
そして自分もすぐに後を追いかけた。
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