上 下
2,083 / 2,859

地下水道 Ⅱ

しおりを挟む
 本当に酷い戦闘だった。
 二日前にマンガウングへの襲撃予告があった。
 それに先立って、突然海軍のヴァラー級フリゲート艦が洋上で襲撃されて撃沈された。
 数名の襲撃者のようだったが、その犯行声明が襲撃予告の者のものだった。
 だから国防軍はマンガウングへの襲撃を確信した。
 予告では、100名の兵士で襲うということだった。
 信じられない小規模の数だったが、ヴァラー級フリゲート艦の襲撃映像から、武器ではない未知の特殊な技を持つ者たちと分かっていた。
 だから三個大隊が出撃し、防衛戦を展開するはずだった。

 しかし、襲撃開始から全大隊が崩壊して行った。
 機甲連隊のオリファント戦車は襲撃者の黒い兵士が取りつくと、そのまま破壊された。
 歩兵はもっと呆気なかった。
 黒い兵士が腕を振るうと、そのまま赤い霧になって次々と消えて行った。
 私たちはなすすべもなく蹂躙された。
 クッツェ中尉は自分の中隊を集め、即座に撤退を命じた。
 だが、中隊は僅かな時間で殲滅され、私とクッツェ中尉だけが何とか生き残った。
 自動小銃ツルベロラプターは残弾が無くなったので放棄した。
 残るのはベクターSP1の拳銃弾が2発だけ。
 水筒を持って来れたのは幸運だった。




 クッツェ中尉の寝顔を見た。
 傷つきやつれてはいるが、いつものように優しく精悍な顔だった。
 
 「愛しい人……」

 小さく呟いた。
 それで気力が湧いた。
 以前から、私はクッツェ中尉を愛していた。
 新兵の頃から。女性兵士で体力の無い自分を、クッツェ中尉は気に掛けてくれた。
 それが嬉しくて、自分も懸命に訓練に挑み、またクッツェ中尉が喜んでくれた。
 逸早く軍曹にまで引き上げてくれ、一層クッツェ中尉のために尽くそうと思った。

 喉の渇きが耐えがたくなり、私は胸ポケットからそっとルージュを取り出した。
 軍隊の中で、ほとんど付けることのないルージュ。
 いつかクッツェ中尉の前で、きちんと化粧をする機会があればと、ルージュだけ買い求めた。
 それが私のお守りになった。
 時々取り出しては、いつまでも眺めた。
 いつでも、幸せな気分になれた。
 今日はクッツェ中尉と一緒に出撃ということで、胸ポケットに入れてきた。
 良かったと思う。
 今日で私たちは死ぬかもしれなかったから。

 クッツェ中尉はまだ目を覚まさない。
 でも、そろそろ移動しなければ。
 私は初めてルージュを口に塗った。
 鏡も無いので、上手く塗れたかどうかも分からない。
 でも、自分の中に力が湧いて来て、クッツェ中尉を背負って立つことが出来た。
 もうクッツェ中尉は歩けないだろう。
 だから私が運ぶしかない。
 私は一歩ずつ両足で踏ん張って移動を始めた。




 気にならなくなっていた下水道の臭いが、吐き気を催すようになってきた。
 もしかしたら、自分の体力の限界によるものかもしれない。
 一歩のたびに、もうダメだという思いが浮かんで来る。
 でも、ルージュを引いた自分が、ここで倒れるわけにはいかないと歯を食いしばって歩いた。
 今やらなければ、私の人生の意味が無くなる。
 私の命が私のものでは無くなる。
 私が愛した人を安全な場所まで運ばなければ、私が私で無くなる。
 だから一歩を自分の全てで乗り越え、また一歩を踏み出して行った。

 1時間以上歩き、前方に光が見えた。

 「クッツェ中尉! 出口です!」

 思わず叫んだ。
 両足の感覚はもう無くなって来ていたが、私は最後の力を振り絞って歩いた。
 これでクッツェ中尉を救うことが出来る。
 もう軍隊は退役になるだろうが、そうしたら自分が面倒を見よう。
 私の中に、目まぐるしく幸福な未来が展開していった。
 あと、もう少しで。

 50メートル程の距離になり、私は見てしまった。

 

 下水道の出口には、太い鉄格子が嵌っていた。



 私は自分の力が全て喪われたことに気付いた。
 ここまで必死にやって来たが、もう終わりなのだ。
 崩れるように倒れ、背中のクッツェ中尉が床に転がった。
 そのショックでクッツェ中尉が目覚めた。

 「サリフ軍曹、ここはどこだ?」
 「はい、下水道の出口が見えます」
 「そうなのか!」
 「少し休みましょう。あともうちょっとですから」
 「そうか、ありがとう! よくここまで運んでくれた」
 「いいえ」

 クッツェ中尉に水筒の水を飲ませた。
 口に触れさせ、ゆっくりと傾けて行く。

 「ああ、美味い! 身体が甦ったよ」
 「良かったです」

 私の声はしゃがれていた。
 口の中が乾ききっていた。

 「風が吹いている。出口からだな」
 「はい。外はまだ明るいです」
 「そうか。もうすっかり分からないが」
 「……」

 私は胸ポケットからルージュを取り出した。
 自分の口にもう一度塗り、そして壁にルージュで書いた。

 

 《私はクッツェ中尉を愛しています》



 ルージュが折れた。
 私のルージュは、その役目を終えた。

 「サリフ軍曹、そろそろ行こうか。もう自分の足で歩ける」
 「サラと呼んで下さい」
 「え?」
 「最後に、私のことをサラと」
 「……」

 クッツェ中尉が黙っていた。
 そして私の方を向いて微笑んだ。

 「そうか。サラ、今までありがとう」
 「いいえ! 私こそありがとうございました!」

 私は腰からはベクターSP1を抜いた。
 スライドの引き、空のケースが飛び出て、チェンバーに次の弾丸が入った。
 その音で、クッツェ中尉も気付いていただろう。
 それでも、クッツェ中尉は最後まで微笑んでくれていた。




 最後に2発の弾丸が残ったのは、私たちの幸福だったのだ。
 私は神に感謝した。

 私はクッツェ中尉を「安全な場所」へ御連れした。
 そして自分もすぐに後を追いかけた。
しおりを挟む
感想 59

あなたにおすすめの小説

こども病院の日常

moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。 18歳以下の子供が通う病院、 診療科はたくさんあります。 内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc… ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。 恋愛要素などは一切ありません。 密着病院24時!的な感じです。 人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。 ※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。 歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。

甘灯の思いつき短編集

甘灯
キャラ文芸
 作者の思いつきで書き上げている短編集です。 (現在16作品を掲載しております)                              ※本編は現実世界が舞台になっていることがありますが、あくまで架空のお話です。フィクションとして楽しんでくださると幸いです。

幼い公女様は愛されたいと願うのやめました。~態度を変えた途端、家族が溺愛してくるのはなぜですか?~

朱色の谷
ファンタジー
公爵家の末娘として生まれた6歳のティアナ お屋敷で働いている使用人に虐げられ『公爵家の汚点』と呼ばれる始末。 お父様やお兄様は私に関心がないみたい。愛されたいと願い、愛想よく振る舞っていたが一向に興味を示してくれない… そんな中、夢の中の本を読むと、、、

双葉病院小児病棟

moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。 病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。 この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。 すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。 メンタル面のケアも大事になってくる。 当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。 親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。 【集中して治療をして早く治す】 それがこの病院のモットーです。 ※この物語はフィクションです。 実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。

紹嘉後宮百花譚 鬼神と天女の花の庭

響 蒼華
キャラ文芸
 始まりの皇帝が四人の天仙の助力を得て開いたとされる、その威光は遍く大陸を照らすと言われる紹嘉帝国。  当代の皇帝は血も涙もない、冷酷非情な『鬼神』と畏怖されていた。  ある時、辺境の小国である瑞の王女が後宮に妃嬪として迎えられた。  しかし、麗しき天女と称される王女に突きつけられたのは、寵愛は期待するなという拒絶の言葉。  人々が騒めく中、王女は心の中でこう思っていた――ああ、よかった、と……。  鬼神と恐れられた皇帝と、天女と讃えられた妃嬪が、花の庭で紡ぐ物語。

髪を切った俺が芸能界デビューした結果がコチラです。

昼寝部
キャラ文芸
 妹の策略で『読者モデル』の表紙を飾った主人公が、昔諦めた夢を叶えるため、髪を切って芸能界で頑張るお話。

毒小町、宮中にめぐり逢ふ

鈴木しぐれ
キャラ文芸
🌸完結しました🌸生まれつき体に毒を持つ、藤原氏の娘、菫子(すみこ)。毒に詳しいという理由で、宮中に出仕することとなり、帝の命を狙う毒の特定と、その首謀者を突き止めよ、と命じられる。 生まれつき毒が効かない体質の橘(たちばなの)俊元(としもと)と共に解決に挑む。 しかし、その調査の最中にも毒を巡る事件が次々と起こる。それは菫子自身の秘密にも関係していて、ある真実を知ることに……。

継母は実娘のため私の婚約を強制的に破棄させましたが……思わぬ方向へ進んでしまうこととなってしまったようです。

四季
恋愛
継母は実娘のため私の婚約を強制的に破棄させましたが……。

処理中です...