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新宿悪魔 Ⅳ
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「片桐課長、また土曜日も出勤されていたんですか?」
出庁して自分のデスクに腰かけると、部下の土谷美津が声を掛けて来た。
明るい性格で、課のムードメーカー的なものがある30代前半の女性だ。
「うん、ようやく賞与の修正データが終わったよ」
「大変でしたね。お疲れ様です」
「いやいや」
俺は休日出勤をした自分を労う部下に微笑んだ。
「庄司さんのミスで、大変なことになりましたよね」
「うん、でもそれも終わったから。これで部長に報告して、賞与の差額分は今月の給与支給で調整するよ」
「ええ。でも庄司さん、まだ連絡が付かないんですよね?」
「そうだね。先週、警察にも被害届を出した。ああ、他のみんなには黙っててね」
「はい、もちろんです」
職員の賞与支給を担当していた庄司和美が、全員の支給額から一部を抜き取っていたことが判明した。
10年前の社会保険料と源泉税のテーブルを使って、差額分を別にプールし、密かに自分の口座へ送金していた。
賞与支給と同時に行われ、数千万円の金を着服したまま行方をくらました。
何人もの人間から支給額の計算がおかしいと言われ、判明した時には、もう庄司和美の姿はなかった。
「庄司さん、真面目な人だと思っていたんですけど」
「そうだよね。僕も信頼して任せていたんだ」
地味なタイプで、仕事には真面目に取り組んでいた。
20年も務めており、みんなからの信頼も厚かった。
「何かお金に困っていたんですかね」
「分からないよ。これから警察が調べて行くでしょう」
「そうですね」
「この話はここまでで。仕事を始めましょう」
「はい、あ! 土曜日に大変な事件があったって!」
都庁に併設している都議会議事堂で大量殺人があった。
「うん、僕も後から知って驚いたよ」
「片桐課長が無事でよかったです!」
「ありがとう。僕はまったく知らずに仕事をしていたけどね。後から知って本当に驚いた。僕も警察の人にいろいろ聞かれたよ」
「そうだったんですか!」
土谷を手招いて小声で話した。
「ここだけの話だけどね」
「はい」
「あれって、例の怪物化した人間の犯行らしいよ」
「ライカンスロープ!」
「うん、そう言うんだったね」
「私たち、大丈夫なんでしょうか!」
「それは専門の部隊の人が来て、もうこの辺にはいないから大丈夫だって」
「ああ、「アドヴェロス」の人ですね」
「土谷さんは詳しいね。うん、そこの特殊能力を持った人が安心して下さいって言ってたそうだ」
「良かったー!」
「じゃあ、そろそろ本当に仕事に戻って下さい」
「はい! あ、片桐課長」
「なにかな?」
「今日、一緒にランチを如何ですか?」
「ああ、いいよ」
「やったぁー!」
土谷がニコニコして自分のデスクへ戻った。
その日、一緒にランチを食べ、夕飯にも誘った。
土谷は嬉しそうに承諾した。
つばめグリルに行った。
「ここって美味しいですよね!」
「まあ、そんなに高くないしね」
「アハハハハ!」
二人で注文し、ワインも頼んだ。
「前にここで素敵な人たちを見たんですよ」
「へぇー」
「長身の物凄くカッコイイ男性が、部下の人らしい二人の女性を連れて入って来たんです」
「そうなの」
「テーブルが近かったんで、話が聞こえたんですよ。そうしたら、女性の一人がホストクラブにはまっちゃってたみたいで」
「ほんとに!」
「はい。それを上司のその男性が辞めさせたみたいなんですね。もう一人の女性がその女性の親友だったみたいで」
「そうかぁ」
「良かったって泣いちゃって。上司の男性が優しそうな人でしてね」
「ふーん」
興味のない話だったが、笑顔で付き合っていた。
「片桐課長のことを思い出しちゃいました」
「え、僕の?」
「片桐課長も優しいじゃないですか。あんな酷いことした庄司さんを全然責めないし。私たちにも凄くいつも優しいし」
「僕なんてそんな」
「それにカッコイイし!」
「え!」
土谷がニコニコして俺を見ていた。
「ねぇ、片桐課長」
土谷が今度は真剣な顔で俺を見詰めた。
「なんだい?」
「あの、奥さんとお子さんはまだ見つからないんですか?」
「ああ、そのことか」
「すいません、私なんかがこんなことを聞いちゃって」
「いいよ。まあ、僕みたいな詰まらない人間じゃ、愛想を尽かされても仕方が無いよ」
「そんなことありません! 片桐課長は素敵な方です!」
「おい、ちょっと声が大きいよ」
「すいません!」
土谷はまだ俺を見ている。
「あの、私じゃダメですか?」
「え?」
「私、片桐課長のことがずっと前から好きでした」
「何を言っているんだい」
「本当です! 奥様がいらっしゃったので、これまでは何も言いませんでしたけど」
「おい、土谷さん」
「でも、片桐部長を捨てて出て行ったんなら! じゃあ、私じゃいけませんか!」
「困ったな」
「あの、私は御嫌いですか……」
土谷がみるみる落ち込んで行く。
余程思い切って切り出したことなのだろう。
「そんなことはないよ。土谷さんは素敵な女性だ」
「ほんとですか!」
「ああ。そろそろ、妻のことは忘れた方がいいのかもしれない」
「嬉しい!」
俺は週末にまた土谷を誘った。
今度は俺のマンションにだ。
土谷は躊躇なく受けた。
俺も土谷のことが我慢出来なかった。
まったく、申し訳ないという心は無かった。
俺はそのことが嬉しかった。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「早乙女さん、只今戻りました」
「ああ、成瀬。中断させて悪かったな」
「いいえ。大変な事件ですから」
北海道で調査を進めていた成瀬と葛葉を呼び戻した。
いろいろ検討した結果、成瀬の情報分析の能力が必要だと判断した。
データを送るわけにはいかなかったので、成瀬に資料を見せながら説明した。
成瀬は資料に目を通し、すぐに状況を把握した。
「一番気になるのは、便利屋さんが言っていたことですね」
「恐ろしい奴だってことか?」
「それもありますが、「気配はもう無いけど、なんだか近くにいるような気もする」って」
「ああ!」
やはり成瀬を呼んで良かった。
俺はまったく気に留めていなかった。
「あの人って、索敵には物凄い能力があるじゃないですか」
「そうだな!」
「もしかしたら、今度のライカンスロープは気配を断つことに相当長けているんじゃないでしょうか」
「なるほど!」
「そして恐ろしく強い」
「うん」
俺は当日あの周辺にいた人間を洗い出すことを提案した。
「特に都庁と議事堂にいた人間ですね」
「そうだな。犯行は結構派手なものだ。ガイシャの状況を探っても、短時間で攫われて殺されたことが分かっている。だったら、あの近くに住んでいる、もしくは仕事をしていた人間の可能性が高いな」
「はい。逃げるにしても、今はあちこちの監視カメラがあります。怪しまれずにいられる環境と考えるべきですね」
「お前は優秀だな!」
「アハハハハ」
俺はすぐに調査班を呼び、都庁にいた人間を探すように命じた。
そして周辺住民の調査だ。
そちらは新宿署や他の署からも応援を頼もう。
やるべきことが明確になった。
成瀬がもう一つの方針を口にした。
まったくの盲点だった。
俺は震撼した。
出庁して自分のデスクに腰かけると、部下の土谷美津が声を掛けて来た。
明るい性格で、課のムードメーカー的なものがある30代前半の女性だ。
「うん、ようやく賞与の修正データが終わったよ」
「大変でしたね。お疲れ様です」
「いやいや」
俺は休日出勤をした自分を労う部下に微笑んだ。
「庄司さんのミスで、大変なことになりましたよね」
「うん、でもそれも終わったから。これで部長に報告して、賞与の差額分は今月の給与支給で調整するよ」
「ええ。でも庄司さん、まだ連絡が付かないんですよね?」
「そうだね。先週、警察にも被害届を出した。ああ、他のみんなには黙っててね」
「はい、もちろんです」
職員の賞与支給を担当していた庄司和美が、全員の支給額から一部を抜き取っていたことが判明した。
10年前の社会保険料と源泉税のテーブルを使って、差額分を別にプールし、密かに自分の口座へ送金していた。
賞与支給と同時に行われ、数千万円の金を着服したまま行方をくらました。
何人もの人間から支給額の計算がおかしいと言われ、判明した時には、もう庄司和美の姿はなかった。
「庄司さん、真面目な人だと思っていたんですけど」
「そうだよね。僕も信頼して任せていたんだ」
地味なタイプで、仕事には真面目に取り組んでいた。
20年も務めており、みんなからの信頼も厚かった。
「何かお金に困っていたんですかね」
「分からないよ。これから警察が調べて行くでしょう」
「そうですね」
「この話はここまでで。仕事を始めましょう」
「はい、あ! 土曜日に大変な事件があったって!」
都庁に併設している都議会議事堂で大量殺人があった。
「うん、僕も後から知って驚いたよ」
「片桐課長が無事でよかったです!」
「ありがとう。僕はまったく知らずに仕事をしていたけどね。後から知って本当に驚いた。僕も警察の人にいろいろ聞かれたよ」
「そうだったんですか!」
土谷を手招いて小声で話した。
「ここだけの話だけどね」
「はい」
「あれって、例の怪物化した人間の犯行らしいよ」
「ライカンスロープ!」
「うん、そう言うんだったね」
「私たち、大丈夫なんでしょうか!」
「それは専門の部隊の人が来て、もうこの辺にはいないから大丈夫だって」
「ああ、「アドヴェロス」の人ですね」
「土谷さんは詳しいね。うん、そこの特殊能力を持った人が安心して下さいって言ってたそうだ」
「良かったー!」
「じゃあ、そろそろ本当に仕事に戻って下さい」
「はい! あ、片桐課長」
「なにかな?」
「今日、一緒にランチを如何ですか?」
「ああ、いいよ」
「やったぁー!」
土谷がニコニコして自分のデスクへ戻った。
その日、一緒にランチを食べ、夕飯にも誘った。
土谷は嬉しそうに承諾した。
つばめグリルに行った。
「ここって美味しいですよね!」
「まあ、そんなに高くないしね」
「アハハハハ!」
二人で注文し、ワインも頼んだ。
「前にここで素敵な人たちを見たんですよ」
「へぇー」
「長身の物凄くカッコイイ男性が、部下の人らしい二人の女性を連れて入って来たんです」
「そうなの」
「テーブルが近かったんで、話が聞こえたんですよ。そうしたら、女性の一人がホストクラブにはまっちゃってたみたいで」
「ほんとに!」
「はい。それを上司のその男性が辞めさせたみたいなんですね。もう一人の女性がその女性の親友だったみたいで」
「そうかぁ」
「良かったって泣いちゃって。上司の男性が優しそうな人でしてね」
「ふーん」
興味のない話だったが、笑顔で付き合っていた。
「片桐課長のことを思い出しちゃいました」
「え、僕の?」
「片桐課長も優しいじゃないですか。あんな酷いことした庄司さんを全然責めないし。私たちにも凄くいつも優しいし」
「僕なんてそんな」
「それにカッコイイし!」
「え!」
土谷がニコニコして俺を見ていた。
「ねぇ、片桐課長」
土谷が今度は真剣な顔で俺を見詰めた。
「なんだい?」
「あの、奥さんとお子さんはまだ見つからないんですか?」
「ああ、そのことか」
「すいません、私なんかがこんなことを聞いちゃって」
「いいよ。まあ、僕みたいな詰まらない人間じゃ、愛想を尽かされても仕方が無いよ」
「そんなことありません! 片桐課長は素敵な方です!」
「おい、ちょっと声が大きいよ」
「すいません!」
土谷はまだ俺を見ている。
「あの、私じゃダメですか?」
「え?」
「私、片桐課長のことがずっと前から好きでした」
「何を言っているんだい」
「本当です! 奥様がいらっしゃったので、これまでは何も言いませんでしたけど」
「おい、土谷さん」
「でも、片桐部長を捨てて出て行ったんなら! じゃあ、私じゃいけませんか!」
「困ったな」
「あの、私は御嫌いですか……」
土谷がみるみる落ち込んで行く。
余程思い切って切り出したことなのだろう。
「そんなことはないよ。土谷さんは素敵な女性だ」
「ほんとですか!」
「ああ。そろそろ、妻のことは忘れた方がいいのかもしれない」
「嬉しい!」
俺は週末にまた土谷を誘った。
今度は俺のマンションにだ。
土谷は躊躇なく受けた。
俺も土谷のことが我慢出来なかった。
まったく、申し訳ないという心は無かった。
俺はそのことが嬉しかった。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「早乙女さん、只今戻りました」
「ああ、成瀬。中断させて悪かったな」
「いいえ。大変な事件ですから」
北海道で調査を進めていた成瀬と葛葉を呼び戻した。
いろいろ検討した結果、成瀬の情報分析の能力が必要だと判断した。
データを送るわけにはいかなかったので、成瀬に資料を見せながら説明した。
成瀬は資料に目を通し、すぐに状況を把握した。
「一番気になるのは、便利屋さんが言っていたことですね」
「恐ろしい奴だってことか?」
「それもありますが、「気配はもう無いけど、なんだか近くにいるような気もする」って」
「ああ!」
やはり成瀬を呼んで良かった。
俺はまったく気に留めていなかった。
「あの人って、索敵には物凄い能力があるじゃないですか」
「そうだな!」
「もしかしたら、今度のライカンスロープは気配を断つことに相当長けているんじゃないでしょうか」
「なるほど!」
「そして恐ろしく強い」
「うん」
俺は当日あの周辺にいた人間を洗い出すことを提案した。
「特に都庁と議事堂にいた人間ですね」
「そうだな。犯行は結構派手なものだ。ガイシャの状況を探っても、短時間で攫われて殺されたことが分かっている。だったら、あの近くに住んでいる、もしくは仕事をしていた人間の可能性が高いな」
「はい。逃げるにしても、今はあちこちの監視カメラがあります。怪しまれずにいられる環境と考えるべきですね」
「お前は優秀だな!」
「アハハハハ」
俺はすぐに調査班を呼び、都庁にいた人間を探すように命じた。
そして周辺住民の調査だ。
そちらは新宿署や他の署からも応援を頼もう。
やるべきことが明確になった。
成瀬がもう一つの方針を口にした。
まったくの盲点だった。
俺は震撼した。
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