上 下
1,972 / 2,840

赤い靴の女の子 Ⅱ

しおりを挟む
 ゴールデンウィークに入り、また乾さんが呼んでくれた。
 城戸さんのお店もまとめて休むのだと言ったら、数日アルバイトに来ないかと誘われた。
 乾さんはゴールデンウィーク期間中も、いつも通りに店を開くらしい。
 真面目な人だった。
 俺は朝の11時から夕方の6時までという時間で働かせてもらった。
 4日間の予定だ。
 素人の俺なんかが何の役にも立つわけでは無いが、乾さんは呼んでくれた。
 俺に金を渡すためだ。
 そういう理由を付けないと、俺は小遣いだのを絶対に受け取らないからだ。
 乾さんの優しさが分かっていたので、俺も精一杯頑張ろうと思っていた。

 遅れては申し訳ないので、早めに家を出てまた山下公園で時間を潰した。
 遠くから犬の鳴き声が聞こえた。
 振り向くと、美紗子がゴンと一緒に近づいて来た。

 「もしかして、トラさんですか!」
 「おう! 美紗子か! 偶然だな!」
 「はい! ゴンが教えてくれました!」
 「ほんと、スゴイ犬だな!」

 俺は美紗子をベンチに座らせた。
 ゴンの頭を撫でてやると喜んで小さく鳴いた。

 「いつもこの時間に散歩してるんです!」
 「そうだったか。ああ、こないだもこんな時間だったな」
 「はい! まさかまたトラさんにお会い出来るなんて!」
 「俺も嬉しいよ! ああ、喉乾いてないか?」
 「はい、ちょっと」
 「待ってろ、ジュースを買って来るよ」

 俺は急いで走って自動販売機でオレンジジュースを買って美紗子に渡した。

 「俺、お金があんましないんだけどさ。今日から乾さんのお店でアルバイトさせてもらえるんだ」
 「そうなんですか!」

 俺たちはまた楽しく話した。
 小学生の頃のミユキの話などをすると、感動してくれた。

 「今日も綺麗な赤い靴だな!」
 「はい! こないだトラさんに褒めてもらったってお母さんに話したら、喜んでくれました」
 「そうか。美紗子が大事にされてるのがよく分かるよなー。本当に綺麗な赤だよ」
 「そうですか!」

 美紗子が突然『予科練の歌』を歌い出した。
 俺がたった一度しか聴かせていないのに、完全にメロディも歌詞も覚えていた。

 「おい、スゴイな!」
 「エヘヘヘヘ」

 一度聴いた曲はすぐに覚えるのだと言った。
 耳が鋭いことと、音と匂いの世界で生きているせいだろう。
 それに、恐らく音楽を沢山聴いている。
 それもご両親の愛情だろうと思った。

 「お母さんに聞かせたらびっくりしてました」
 「あー、軍歌だからちょっと嫌いな人もいるかなー」
 「でも喜んでましたよ?」
 「そう?」

 俺は今度ギターを持って来ると約束した。
 美紗子の散歩の時間が分かったから、明日も会えるだろう。

 「まあ、お互い無理しないでな」
 「はい!」
 
 俺は乾さんの店に行き、一日頑張った。
 乾さんから様々な指示を貰い、帳簿の手伝いやバイクの移動、接客のコーヒー、修理の手伝いも少しやった。
 空いた時間は店の掃除をやった。

 「おい、少しは休め!」
 「はい!」

 俺は笑って箒を持って店の前を掃いた。
 休んでなどいられない。





 翌日も早めに行って山下公園のベンチにいた。
 その日はもう俺の方で美紗子を見つけて呼んだ。
 ゴンを連れてニコニコして近づいて来た。
 俺は買っておいたジュースを美紗子に渡し、約束していたギターを弾いた。

 「バッハの『シャコンヌ』!」
 「ベートーヴェン『月光』!」

 俺が弾くクラシック曲は、全部美紗子も知っていた。
 やはり、相当聴き込んでいるようだ。

 「美紗子は詳しいな!」
 「トラさんこそ! 素晴らしいギターですね!」
 「貢さんに教わってな」
 「ミツグさん?」
 
 俺は西平貢だと言った。
 美紗子も知っていて驚いていた。

 「有名な方ですよね! 凄いじゃないですか!」
 「凄くはないよ。貢さんは最高の人だけどな。俺なんかは全然だ」
 「トラさんのギターもいいですよ!」

 俺は笑って貢さんとの日々を話し、美紗子が笑い、感動していた。

 「じゃあ、また明日な! ああ、無理して来るなよな」
 「はい! 今日は本当にありがとうございました!」
 「おう!」

 乾さんの店に行くと驚かれた。

 「トラ、なんでギターなんか持ってんだ?」
 「なんかカッコイイじゃないですか!」
 「あ?」
 「ほら! 風来坊みたいで!」
 「お前はフーテンだからなぁ」
 「アハハハハハハ!」

 俺はその後の二日間、美紗子と山下公園で待ち合わせてギターを弾いた。
 俺はクラシック曲の他にも歌謡曲なども弾いて歌った。
 井上陽水の『闇夜の国から』を歌うと、美紗子が一番気に入った。
 
 ♪ 闇夜の国から二人で舟を出すんだ 海図も磁石もコンパスもない旅へと ♪

 美紗子がうっとりと聴き、この曲を歌うとゴンが美紗子の膝に頭を乗せて寛いだ。




 俺は乾さんに呼ばれると、あの時間に山下公園に寄るようになった。
 毎回ギターを抱えて行った。
 よく美紗子に会え、二人でいつも再会を喜んだ。
 毎回美紗子は『闇夜の国から』を聴きたがった。

 「レコードも買ってもらったんです」
 「そうか。そんなに気に入ったか」
 「でも、トラさんの歌が一番好き」
 「井上陽水に怒られちゃうよ」
 「ウフフフフ」

 美紗子が水筒を持って来るようになり、俺に紅茶を飲ませてくれた。
 俺に金が無いというのを気に掛けてくれたのだと思う。
 いつも美紗子にジュースは買っても、自分の分は買っていなかった。
 見えないから気付かないと思っていたが、美紗子は鋭い子どもだった。
 そして優しい子だった。

 しかし、8月を過ぎると、美紗子と会えなくなっていた。
 暑くなったから、散歩の時間を変えてしまったのかもしれない。
 俺は山下公園で独りでギターを弾いて、乾さんの店に行くようになった。
しおりを挟む
感想 56

あなたにおすすめの小説

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

こずえと梢

気奇一星
キャラ文芸
時は1900年代後期。まだ、全国をレディースたちが駆けていた頃。 いつもと同じ時間に起き、同じ時間に学校に行き、同じ時間に帰宅して、同じ時間に寝る。そんな日々を退屈に感じていた、高校生のこずえ。 『大阪 龍斬院』に所属して、喧嘩に明け暮れている、レディースで17歳の梢。 ある日、オートバイに乗っていた梢がこずえに衝突して、事故を起こしてしまう。 幸いにも軽傷で済んだ二人は、病院で目を覚ます。だが、妙なことに、お互いの中身が入れ替わっていた。 ※レディース・・・女性の暴走族 ※この物語はフィクションです。

~後宮のやり直し巫女~私が本当の巫女ですが、無実の罪で処刑されたので後宮で人生をやり直すことにしました

深水えいな
キャラ文芸
無実の罪で巫女の座を奪われ処刑された明琳。死の淵で、このままだと国が乱れると謎の美青年・天翼に言われ人生をやり直すことに。しかし巫女としてのやり直しはまたしてもうまくいかず、次の人生では女官として後宮入りすることに。そこで待っていたのは怪事件の数々で――。

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

ハイスペック上司からのドSな溺愛

鳴宮鶉子
恋愛
ハイスペック上司からのドSな溺愛

処理中です...