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赤い靴の女の子

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 「乾さんが調整してくれて、随分と速くなったよなー」

 約束の時間は11時だった。
 昼食をご馳走してくれるつもりなのだろうと思った。
 だから、乾さんが誘ってくれるのは、その時間が多かった。
 申し訳ないのだが、いつも嬉しくてたまらなかった。
 それでついぶっ飛ばして、10時前に着いてしまった。
 出発の時間も早く出たからだ。
 楽しみで待っていられなかった。

 「今日は何を喰わせてくれるかなぁ。まさか、陳さんのお店!」

 自分で独りごとを言いながら、勝手に興奮していた。

 「ワハハハハハハハ!」

 公園のベンチに座っていた。
 金が無いので飲み物も買えない。
 何となく、海の方を見ていた。

 日曜日だったので、そこそこ人はいた。
 広い公園なので、地元の人も目的もなく散歩コースにしている。
 向こうから犬を引いた女の子が近付いて来た。
 小学3,4年生くらいか。
 犬は大きなゴールデンレトリバーだった。
 当時の日本では少ない大型犬だ。
 俺も知らなかったが、今ならばお金持ちの子どもなのだと分かる。

 犬が俺の前で止まった。
 だから自然に女の子を間近で見た。
 サングラスをかけ、白杖を持っている。
 目が見えないらしい。

 「誰かいるんですか?」
 「ああ、ベンチに座ってるよ」

 俺が応えると、女の子が笑った。

 「こんにちは」
 「こんにちは。今日はいい天気だな」
 「はい! 温かいですね」

 4月の下旬のことだ。
 やけに丁寧な口調で、育ちの良い子どもだと分かった。
 
 「私もベンチに座ってもいいですか?」
 「おう! まあ、俺のもんじゃないしな!」
 「アハハハハハハ!」

 俺は立って女の子の手を取って座らせてやった。

 「春山美紗子です。小学4年生」
 「石神高虎です。高校2年生」

 二人で自己紹介した。
 美紗子は肩の下まで伸びた長い髪で、綺麗な顔立ちだった。

 「大人しい犬だね」
 「ゴンって言います! いつも私と一緒に散歩するんですよ」
 「そうなのか。頭が良くて優しい犬だな!」
 「はい! 危ない人から守ってくれるんです」
 「俺は平気なのか?」
 「石神さんは優しい人だって、私もゴンもすぐに分かりますから」
 「そうなの?」
 「はい! ゴンがすぐに気付いて止まりましたしね」
 「へぇー、スゴイな」
 「私も分かりました!」
 「なんでだよ?」

 俺は笑った。

 「石神さんって、沢山の人に好かれているじゃないですか」
 「なんだ?」
 「分かるんです。一杯好かれてる」
 「憎んでいる奴も多いんだけどなー」
 「そうですか? でも、石神さんを好きな人が多いんで、そういうの分かりませんよ?」
 「そっか」

 俺たちはポカポカのベンチに腰掛けてのんびりと話した。
 ゴンが俺と美紗子の間に臥せっていた。
 美紗子は生まれつき目が見えないそうだった。
 今は横浜市内の盲学校に通っている。

 「美紗子ちゃんは綺麗な靴を履いてるな」

 真っ赤なエナメルの可愛らしい靴だった。

 「ありがとうございます! でも自分じゃよく分からなくて」
 「綺麗だよ! 真っ赤でキラキラしててさ!」
 「そうですか。ツルツルなのは知ってるんですけど、色が分からなくて」
 「ああ、そうか! 赤っていうのはさ、命が燃える色なんだよ!」
 「命が燃える?」

 俺は『予科練の歌』を歌った。

 ♪ あーかーいー ちーしおのー よーかーれーんーのー ♪

 美紗子が喜んでニコニコして聴いていた。

 「両親が角膜の移植手術を探しているんです」

 遺伝的に角膜の変形があり、視力が無いままこれまで来た。
 角膜の移植手術をすれば視力が取り戻せる可能性があるそうだ。
 
 「ただ、なかなか難しいらしくて」
 「そうなのか」

 今の俺ならば分かるが、日本での角膜ドナーは少ない。
 今でも数千件であり、アメリカなどは5万件以上の角膜移植が毎年行なわれている。
 当時の日本ではさらに絶望的に少なかっただろう。

 「まあ、待つしかないな」
 「そうですね!」

 美紗子が明るく言った。
 
 「石神さんみたいに言ってくれる人はいません」
 「え?」
 「みんな私のことを可哀想だって言ってくれるんですけど、そう言われると辛くて」
 「ああ、そうか」
 「石神さんは、私の目が見えなくても、可哀想だと思わないんですね」
 「そうだよ。見えないだけじゃないか」
 「はい!」
 「俺なんかバカでさ。それに今は変わったけど、中学生の頃までは、20歳まで生きられないって言われてた」
 「そうなんですか!」
 
 俺は大病の連続で、毎月40度以上の高熱を出してたのだと話した。

 「3回かなー」
 「何が?」
 「目が覚めたらさ、みんな黒い服着ててさ」
 「はい?」
 「葬式の準備してるんだよ」
 「えぇ!」
 「もうじき死ぬって言うんで、集まってたのな。俺が起きたらみんな驚いちゃってさー! 俺もちょっと気まずくってなー」
 「!」

 美紗子は驚き、そして大笑いした。

 「もう大丈夫なんですか?」
 「今もよく熱を出すけどな。なんかへーき」
 「アハハハハハハ!」

 楽しく話し、俺は時間だから行くと言った。

 「乾さんって人が優しくてさ! よく俺にご馳走してくれるんだ!」
 「そうなんですか!」
 「うちって、俺の病気のせいでお金が無くてなー」
 「まあ!」
 「ああ、俺のことは「トラ」って呼んでくれ。乾さんとか親しい人はみんなそう呼ぶんだ」
 「はい! じゃあ、私のことは美紗子で!」
 「じゃあ、またな、美紗子!」
 「また、トラさん!」

 


 乾さんの店に行くと、榎田さんや棚田さんたちも来ていた。

 「もしかして、今日は陳さんのお店ですか!」
 「そうだよ。今日も一杯喰えよな」
 「やったぁー!」

 みんなで車で移動し、陳さんの店で美味しいものをたらふく食べた。
 俺はさっき会った美紗子の話をした。

 「ちょっと楽しみで早く着き過ぎちゃって、山下公園で時間を潰してたんですよ」
 「なんだよ、すぐに来りゃいいじゃねぇか」
 「いや、それじゃまるで俺が昼飯を食いに来たみたいで」
 「トラはいつもそうだろう! 今更何を言ってんだ!」

 みんなが笑った。

 「ベンチに座ってたら、犬を連れた女の子が来て。俺の目の前で立ち止まって」
 
 目が不自由な女の子で、春山美紗子と名乗ったと言った。

 「あー、春山さんの」

 みんな知っていた。
 榎田さんと同じ地主で、ビルやマンションなどを幾つも持っているのだと教えてくれた。

 「棚田の倉庫なんかも春山さんに借りてんだよな?」
 「そうだよ。いい御一家でな。お嬢さんが目が見えないんだけど、大事にされてるんだ」
 「分かりましたよ! 髪なんかも綺麗にしててリボンを巻かれて。赤い綺麗な靴を履いてたし」
 「ああ、そうだったか」
 
 みんなちょっと暗い顔をしていた。

 「綺麗な子だったなー」

 乾さんが言った。

 「トラ、春山さんのお子さんな、もう長くないんだ」
 「え!」
 「目が悪いのは、ガンのせいなんだよ」
 「なんですか!」

 俺は思わず立ち上がって叫んでしまった。

 「脳にガンがあってな。それが毎年大きくなってる。もう限界だそうだよ」
 「そ、そんな……」
 「もちろん、本人は知らない。お前もまた会っても黙っていろよ?」
 「は、はい……」

 俺がヘンな話題を出してしまって、折角の食事の雰囲気を悪くしてしまった。
 俺はショックはあったが、明るく振る舞った。
 
 帰り道で、何も出来ない自分がどうしようもなく情けなかった。
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