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橘弥生の「告白」

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 子どもたちは楽しくやっていたが、やはり橘弥生が大人しい。
 別に騒いで飲むことも無いのだが、俺のせいでそうさせてしまった。
 俺が場の雰囲気を変えようと、こういう時に頼りになるルーとハーに目で合図した。
 二人は小さくうなずいて言った。
 
 「えー、それでは「ウンコ分身」をご披露しますー!」

 俺は慌てて二人の間に飛び込んで、尻を叩いて座らせた。

 「お前ら、何考えてんだ!」
 「「ごめんなさーい」」

 ウンコも不味いが対妖魔技など橘弥生に見せられるわけがない。
 亜紀ちゃんと柳を隅に呼んで何とか出来ないか相談した。

 「ちっぱいバレーでもしましょうか?」
 「あれかー」
 「ヒモダンス!」
 「ばか!」

 俺は楽しいのだが、橘弥生が面白いはずもない。
 小島将軍は気に入ってくれたが。

 「タカさんのギター!」
 「やめろ!」

 散々やった。
 ロボがトコトトコ来た。
 「あーん」のポーズをするので、慌てて隠した。

 「トラ!」

 呼ばれた。

 「はい!」
 「気を遣わなくていいわ。悪かったわよ」
 「そうですか!」

 橘弥生が笑っていた。

 「さっきのをもう一度見たいわ」
 「じゃあ、こちらへ」

 大丈夫かとも思ったが、俺は橘弥生をリヴィングへ案内した。
 また感情を乱したら、子どもたちの前では気にするだろうと思った。
 リヴィングのテーブルで、まだ蓋を閉じていないので、まじまじと眺めた。

 「あのですね」
 「なに?」
 「ちょっとさっきは出しにくくて」
 「どうしたの?」
 「実はもう一体人間がいまして」
 「そうなの?」

 橘弥生は何のことかと顔を傾げた。
 俺はもう一度部屋へ戻り、一体の人形を持って来た。

 「ちょっとお邪魔かと思って遠慮してたんですけど」
 「あなた、これは!」

 俺だった。
 門土の隣に立たせて、一緒にピアノを弾く橘弥生を眺めさせる。

 「俺も橘さんの大ファンですからね!」
 「トラ……」

 最初は橘弥生と門土の中に俺が入るのは不味いとは思った。
 だから先ほどは外していた。
 俺がやっぱり辞めようと人形を取ろうとすると、橘弥生が俺の手を握って止めた。

 「このままにして。この人形も頂戴」
 「はい」

 一しきりまた見詰めてから、橘弥生が蓋を閉めた。
 俺は黙って包装紙を掛け直し、リボンを結んだ。
 そうしている俺を橘弥生がまたずっと見ていた。

 「トラ、お茶を貰えるかしら」
 「はい、お待ちください」

 俺はキッチンに入って玉露を煎れた。
 橘弥生に黒楽の茶碗で出し、自分の分も注ぐ。

 「サイヘーのギターは最高だった」

 橘弥生が語り出した。

 「本当に惚れたわ。まだ私も若くて、あんなに感動したことは無かった。ピアノしかやって来なかった私が、あのギターの音に完全にやられた」
 「そうですか」

 「門土の父親はね、サイヘーなの」
 「……」

 何となく感じていた。
 明確にもしやと思ったのは、先日の録音でやった橘弥生との2度目のセッションでだ。
 自分も奥底のものをすべて出すと、あの時橘弥生が言っていた。
 それは言葉ではなく「音」ではあったが、俺には何かが伝わって来た。
 橘弥生が死ぬまで胸に秘めようとしていた思い。
 最大の秘密。

 「あなたは驚かないのね」
 「いや、驚いてますよ」

 黒楽の茶碗を手で挟みながら、橘弥生が俺を見詰めていた。

 「最初にね、志賀ちゃんの企画でサイヘーとセッションをしたのよ。まだ20歳の頃だった。その時に、私はもうメロメロ。恋愛なんかしたこと無かったからね。自分があんなに燃え上がるとは思ってもみなかった」
 「そうですか」
 「その日にね、サイヘーに頼んだの。私を抱いて欲しいって」
 「……」
 「その一度きりだったけど」
 「それで門土が生まれたんですね」

 橘弥生は俺から目線を離し、黒楽の茶を見ていた。

 「打算もあったのよ。あの当時は自分でも気付いてはいなかったけどね。私はあのサイヘーの音楽が欲しかった。だからサイヘーの血が欲しかったの。もちろん、サイヘーは知らないわ。私がサイヘーと連絡を取ったのは、10年以上も後になってからだった」
 「門土は貢さんが自分の父親だと知っていたんですか?」
 「話してはいないわ。でも、あの子は気付いていたかもしれない」

 俺もそう思う。
 
 「門土はトラに会いたくて、何度もサイヘーの所へ行ったわよね。トラの話ばかりだったけど、サイヘーのことを話す時にね。何となく私には感じられた」
 「あいつ、貢さんの大ファンでしたよ。でも、貢さんの前ではちょっと違ってました」
 「そう」
 「何か恥ずかしそうにしてて。それなのに嬉しそうで。なんだろうって思ってましたけどね」
 「……」

 時々、門土は俺のことを羨ましいと言っていた。
 貢さんの傍にいられることを言っていたのだが、当時の俺には門土の環境の方が余程羨ましかった。
 貢さんは俺を殴ってばかりだったからだ。

 「門土がサイヘーのファンになったのは、私とサイヘーが久し振りにセッションをしてからなの」
 「あぁ! 門土が言ってましたよ! 最高のセッションだったって」
 「そうなの?」
 「嬉しそうに何度も俺に話してくれました」
 「そうだったの」

 俺が初めて門土に会いに行った時に、橘弥生とセッションをした。
 まだ拙いものだったが、ブルーノートで始めたことを、門土が感激していた。
 そういうことを話すと、橘弥生が微笑んだ。

 「ブルーノートは私とサイヘーの思い出なの。最初のセッションもそうだった。だからサイヘーの弟子になったトラともそうしたのよ」
 「そうだったんですか」
 「サイヘーのギターは最高だったわ。いつでも、私を魅了した」
 「貢さんはそうですよね」

 橘弥生が俺をまた見詰めていた。
 瞳が潤んでいた。

 「でも今は違うの」
 「え?」
 「あの日、JTビルであなたを呼んで一緒にセッションをした。あの時、私はまた燃え上がったの」
 「……」

 「トラ、あなたのギターに魅了されてしまった。サイヘーの時以上にね」
 「……」

 「トラ、あなたを愛している」
 
 俺は呆然としてしまった。

 「橘さん、俺なんかは全然ダメだ。いつまで経っても貢さんには届かない」
 「いいえ。さっき確認したわ。地下で最高のオーディオで確認した。サイヘーのギターは今でも素晴らしい。でも私はあなたのギターの方がいい。私はそうなってしまったのよ」
 「困りますって」

 橘弥生が俺の手を掴んだ。
 優しい温もりを感じた。
 世界最高のピアニストの命よりも大切なその手が、俺の手を包み込んでいた。

 「あなたに焦がれて、私はあなたに随分と無理を言ったわ。あなたのギターが聞きたくて、CDを出させて。この間も」
 「困りますって」
 「こんな、あなたの家にまで口実を作って何度も押し掛けて。本当はトラに会いたかったの。トラに私の前でギターを弾いて欲しかったのよ」
 「いつだって、弾きますよ」

 「トラ……」

 橘弥生が俺の手を離した。
 俺は何も出来なかった。
 橘弥生は俺のギターが好きになったのだと思いたかった。
 でも、橘弥生にとって、音楽を愛することとその人間を愛することに、何の違いがあると言うのか。

 「ごめんなさいね。困らせるつもりは無い。あなたにどうしても気持ちを伝えておきたかったの」
 「いえ」
 「もちろん何かして欲しいとは思わないわ。私の身勝手を知って欲しかっただけ」
 「はい」
 「でも、あなたのギターはダメ。抑えきれないわ。今後もずっとあなたにギターを弾かせるから」
 「分かりましたよ。でもお手柔らかに頼みますね」
 「それはどうかしら」
 「好きな男の気持ちも考えて下さいよ!」
 「私の好きって大変なのよ?」
 「勘弁して下さい!」

 二人で笑った。

 「貢さんがですね」
 「何?」
 「俺には厳しかったんですけど、門土には随分と優しかったんですよ」
 「え?」
 「なんかね、あのへちゃむくれの顔で、門土の方を向いていつも微笑んでました」
 「!」

 目が見えない人間が、門土をどう感じていたのかは分からない。
 でも、確かに貢さんは優しく微笑んで門土を「見て」いた。

 「トラ、もう少しここで休むわ」
 「ええ、ゆっくりして下さい」
 「あなたは先に戻って」
 「はい、分かりました」

 俺はリヴィングを出て、「幻想空間」に戻った。
 子どもたちが全裸で「ヒモダンス」をして盛り上がっていた。

 「タカさん!」
 「おう!」

 俺も浴衣を脱いで一緒に踊った。
 俺も動揺を何とかしたかった。

 



 橘弥生が予想外に早く戻って来て、呆れた顔をして俺たちを見ていた。
 亜紀ちゃんが誘った。

 「橘さん! ご一緒に!」

 当然するわけはなかった。
 俺たちもいそいそと服を着て、席に戻った。

 「か、かんぱーい!」

 亜紀ちゃんが音頭を取り、取り敢えずグラスをぶつけた。
 橘弥生が下を向いて笑っていた。

 俺はどこかへ逃げ出したかった。
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