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最後の仕事

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 翌朝の日曜日。
 みんなで朝食を食べ終え、俺はそろそろ院長たちを送ろうかと考えていた。
 固定電話が鳴った。
 亜紀ちゃんが取る。

 「はい。あー! 緑子さん!」

 子どもたちが驚く。
 ハーが院長たちに、「マリーゴールドの女」の女優さんだと話し、院長たちも思い出した。
 
 「タカさんに代わりますね!」

 電話を代わった。

 「よう! 元気か!」
 「うん! あのさ、そっちに話は行ってる?」
 「なんの?」
 「「マリーゴールドの女」がブロードウェイでやるって話よ!」
 「なんだとぉー!」

 俺が怒鳴ったので、みんなが見ている。
 まったく何も聞いてはいない。

 「なんでそんなことになってんだよ!」
 「私も知らないわよ! 私だって一昨日聞いたとこなの! 石神は知らないの?」
 「全然知らねぇ!」
 「そうなんだ。劇団の上の人から聞いたんだけど、なんでもブロードウェイの劇場の人が脚本を読んで乗り気らしいのよ」
 「脚本?」
 「石神が英訳したんじゃないの?」
 「してねぇよ!」
 
 全然覚えがない。

 「そうなんだ。私はてっきり」
 「お前が行くのか?」
 「私は英語なんか無理よ。向こうでちゃんと女優さんを用意するらしいよ?」
 「だって、お前が主役になる契約だっただろう」
 「そうなんだけど。だから当然石神にも話があるはずだから」
 「うーん」

 何なんだろうか。

 「あのさ、私はブロードウェイでやるのは構わないと思ってるの。一昨日もそう返事はしてる。でも石神の脚本なんだから、石神の意志をちゃんと通してね」
 「ああ、分かった」
 「じゃあ、また何か分かったら連絡する」
 「頼む。わざわざ知らせてくれてありがとうな」
 「ううん。ああ、旦那のことありがとうね!」

 緑子の旦那の冬野東二が南の小説のドラマ『虎は孤高に』で御堂役のキャスティングが正式に決定した。

 「おう! 俺も楽しみだぜ!」
 「あのドラマ、とんでもない視聴率じゃない」
 「そうだよなぁ。うちも毎週観てるよ!」
 「うちも! 石神が旦那を推してくれたから、本当に楽しみにしてるんだ!」
 「おう! 俺もだよ。もう一人の山口君もな」
 「こないだ旦那が会ったって! あの人も石神の知り合いだったんだね」
 「いい俳優だよ! 仲良くしてやってくれ」
 「うん! 任せて!」
 「おう!」

 電話を切った。

 「緑子さん、なんですって?」

 みんなが俺を見ている。
 全然知らないはずの羽入と紅まで見ている。

 「ああ、あの「マリーゴールドの女」がさ、ブロードウェイでやるんだってよ」
 「「「「「エェーーーー!!!」」」」」

 子どもたちが叫び、院長夫妻も驚いていた。

 「俺にも何がなんだか全然わからないんだよ。緑子は英訳された脚本を向こうの劇場の人が読んだんだって言ってたけどさ」
 「あぁー!」
 「なんだ?」

 亜紀ちゃんが叫んだ。

 「レイですよ!」

 俺も思い出した。
 そう言えばみんなで『マリーゴールドの女』を見た後で、レイがやると言っていた。
 あの時は笑って流していたが。

 「あぁ! あいつ、なんか英訳するって言ってたな!」
 「そうですよ! きっと最後までやったんですよ!」

 俺は思わず涙を流した。
 亜紀ちゃんが駆け寄って来る。

 「タカさん!」
 「ああ、大丈夫だ。ちょっと驚いた。レイかぁ。あいつ、なんか感動してくれてたよなぁ」
 「そうですよ!」

 でも、俺にはその後の詳しいことは何も話していなかった。
 勝手にブロードウェイに送るとも考えられない。
 やるのなら、必ず俺に断ったはずだ。

 そして、その日の夕方に分かった。





 静江さんから電話が来た。

 「石神さん!」
 「こんにちは! どうかなさいましたか?」

 俺に電話を掛けて来ることはほとんどない。
 俺がニューヨークにお邪魔する時には、大体メールで遣り取りしている。

 「すいませんでした!」
 「なんです?」
 
 静江さんは、レイの英訳した「マリーゴールドの女」を持っていたそうだ。
 レイも英訳はしたが、静江さんに添削を頼んでいたらしい。
 日本語のニュアンスや表現などは、レイには分からないこともあるからだ。
 でも、静江さんはしばらくは読めなかったそうだ。
 レイを思い出し過ぎてしまうことと、俺が知ったらどのようになるかと心配もあって、俺にも話せなかった。
 少し前に気を取り直し、レイが最後にやったこの仕事をきちんとしようと思った。
 そして、それをたまたま親しい脚本家の人に読ませたということだった。

 「私もお芝居のことはそれほど詳しいわけではなくて。専門家の話を聞こうと預けたんです」
 「そうだったんですか」
 「レイが遺したものでしたので。ちゃんとしたものにして石神さんにお渡ししたいと」
 「それはありがとうございます」

 完成したら、俺に見せるつもりだったそうだ。
 しかし、その脚本家が感動し、是非自分の所の劇場で掛けたいと言ってきた。

 「私も知らない間に、日本の劇団に問い合わせたりしたそうで。石神さんも御存知ない所で、こんな話になってしまい、本当に申し訳ありません」
 「いいえ! 静江さんの御厚意でのことですから、全然俺は気にしてませんよ」
 「そう言って頂くとこちらも。でも、石神さん、随分と話が進んでしまったようでして」
 「ええ、俺も丁度今朝、主役の女優から電話をもらって驚いていたんですよ」
 「それは本当に申し訳ないことを!」
 「いいえ! でも、レイが英訳してたことを亜紀ちゃんが思い出して。みんなで懐かしがっていた所だったんです」
 「さようでございますか。あの、石神さん?」
 「はい?」
 「このお話、いかがでしょうか?」
 「というと?」
 「レイが遺したものです。ですから私としましても、是非実現したいと」
 「え!」

 俺は驚いた。
 
 「あれは素人が書いたものですよ!」
 「でも、そちらでは随分と評判が宜しいのでしょう?」

 静江さんも知っているようだ。
 結局2年間ものロングラン・ヒットになり、劇団最高の売上になったそうだ。

 「まあ、ちょっとした事情もありまして。でもなぁ、本場のブロードウェイでなんて、いくらなんでも」
 「あの、脚本家の方は物凄く乗り気でして。絶対に評判になると申しておりますの」
 「そうなんですかぁ」

 俺も困った。
 俺なんかの脚本が、世界最高の場所の舞台でやるなどと、畏れ多すぎる。

 「あの芝居は、こちらの劇団と契約をしているんです」
 「まあ、どのような?」
 「親友の女優のために書いた物なんですよ。だから、その女優を主役にする契約を結んだんですね」
 「そうなんですか!」
 「今朝その親友の女優から聞いたところなんですが、その女優はブロードウェイでは出演しないとは言ってましたが」
 「まあ。ではどうなるのでしょうね」
 「分かりませんねぇ」
 
 静江さんが言った。

 「石神さんは、どうお考えですか?」
 「俺ですか?」
 「ええ。レイが最期に遺したものです。石神さんさえ宜しければ、このままお話を進めても宜しいでしょうか?」
 「……」

 静江さんが実現したがっていることは分かった。
 俺もレイのためにそうしたいと思った。

 「分かりました。レイのために、やりましょうか!」
 「はい!」
 
 静江さんが喜んでくれた。

 「こちらで、劇団の人と話してみますよ」
 「お願いします。いろいろと条件は出るかもしれませんが、私もこちらで出来る限りのことをいたします」
 「宜しくお願いします」

 俺はすぐに緑子に電話をし、劇団の方と話し合いの場を設けてもらうように頼んだ。
 一緒に芝居を観たレイというアメリカ人の女性が感動して英訳したことを話した。
 そのレイが死んでしまったことも。

 「なるべく早く用意する!」

 緑子はそう言ってくれた。
 俺は遅い時間になったが、病院へ行った。
 響子にすぐに話してやりたかった。

 響子は大泣きした。

 「タカトラ! 私もちょっと手伝ったの!」
 「そうだったか」
 「レイはちゃんと完成させてたんだね!」
 「そうらしいな。最後に静江さんに見てもらってたらしい。静江さんも、しばらくは見られなかったそうだよ。でも、少し前に読んでくれて、それでな」
 「そうだったんだ!」

 響子は真っ赤な目で俺を見た。




 「タカトラ、良かったね」
 「本当にそうだな」

 響子を抱き締め、俺もまた泣いた。
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