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橘弥生の強襲 Ⅱ

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 橘弥生、徳川さん、そして亜紀ちゃんが一緒に来た。
 地下室に案内し、徳川さんは驚いていた。
 恐らく、個人の所有でここまでのオーディオシステムを入れている所はないだろう。
 パラゴン「D44000WXA」、ゴールドムンド「Logos Anatta」、アヴァンギャルド「TRIO XD+6BASSHORN XD」の最高級スピーカーたち。
 圧巻はウィルソン・オーディオの「CHRONOSONIC XVX」だ。
 
 「あなたはやっぱり「音楽の申し子」なのね」
 「まあ、好きなだけですよ」

 橘弥生も満足そうに微笑んでいた。

 「さあ、トラ。ギターを出しなさい」

 もう抵抗する気も失せて、マヌエル・ラミレスを出して調弦する。
 橘弥生が、またソニーの高性能の録音機をセットした。

 「最初に『ソルヴェイグの子守歌』を弾きなさい」

 俺は無言で弾いた。
 橘弥生と徳川さんが目を閉じて聴いている。

 「タカさん、歌って下さいよ!」
 「!」

 橘弥生が、俺に歌うように言った。

♪ Kanske vil der gå både Vinter og Vår, og næste Sommer med, og det hele År,…… ♪

 「悪くないわ。あなた、歌も上手いのね」 
 「どーもー」

 徳川さんが笑った。

 「あら、弥生ちゃん。あなたも知ってたでしょう?」
 「ええ、まあ」

 御堂の選挙戦での東京ドームのライブを観ていたらしい。
 それに、俺と門土が楽しんでやってた時に、何度か俺の歌を聴いている。

 「じゃあ、次は『水の上で歌う』を。最初はギターだけでね」
 「はいはい」

 先ほど、亜紀ちゃんが挙げた曲を一通りやらされた。
 一度もやり直しは命じられなかった。
 ただ、黙って二人で聴いているだけだった。

 「徳川先生、いかがですか?」
 「どれも素晴らしかったわ」
 「そうですか。良かったわね、トラ」
 「俺はどうでもいいんですけどー」

 橘弥生に頭を叩かれた。

 「あなたね! 徳川先生に聴いていただくだけでも、どれほど多くの人間が望んでいると思っているの!」
 「知りませんよ!」
 「トラ!」

 徳川さんが笑っていた。

 「おばあちゃんに聴いてもらってもしょうがないでしょう。私は久し振りにいい演奏を聴いただけよ」
 「先生!」
 「本当に良かった。サイヘーちゃんとは違うけど、石神さんのギターはいいわ。お歌もね」
 「はい」

 俺は徳川さんに聞いてみた。

 「あの、徳川さんは貢さんとも知り合いだったんですか?」
 「そうよ。弥生ちゃんに紹介したのも私」
 「ああ! 門土が貢さんと橘さんのセッションが忘れられないって言ってましたよ!」
 「ええ、あれは素敵だったわね、弥生ちゃん?」
 「はい、そうでした。私も忘れられません」
 「へぇー」

 橘弥生が遠い目をしていた。
 本当にそう思っていることが分かった。

 「サイヘーちゃんがね、身体を壊したと聞いてお見舞いに行ったの」
 「そうなんですか!」
 「あの人、お弟子さんを取らなかったでしょう?」
 「まあ、無茶苦茶な人でしたからね!」

 徳川さんが笑った。

 「そうね。西木野君も逃げ出しちゃったものね。でも、私に素晴らしい子に教えているって言ったのよ」
 「え?」
 「その子がいるから、もう思い残すことはないってね。全部その子に教えたんですって」
 「……」

 「あなたのことよ、石神さん」
 「そんな……」

 俺は答えようが無かった。
 貢さんは俺には何も言わなかった。
 いつだって、俺のことを全然ダメな奴だと怒鳴っていた。

 「半年以上、サイヘーちゃんに付いて来た人はいなかったの。あなたは確か4年だったかしら」
 「そうですね」
 「間違いなく一番長いわ。でもね、サイヘーちゃんはあっという間だったって言ってた」
 「そうですか」
 「全力で教えたんですって。ちょっとね、みんないなくなっちゃうものだから遠慮してたのよ。でも、最長で半年ももたない。石神さんにはね、だからもういいやって、最初から全力でやったんですって」

 また徳川さんが笑った。

 「だけど毎日来るんだって嬉しそうだった。あなた、平気だったの?」
 「冗談じゃありませんよ! しょっちゅう頭をすりこぎで割られて! 一度なんてね、殴ると手が痛むってヒモつけてヌンチャクにしたんですよ! 死んじゃいますって!」

 徳川さんが大笑いし、橘弥生までが笑っていた。

 「俺ね、本当はもうちょっと色男だったんです!」

 また大笑いされた。
 そして徳川さんが俺の手を握った。

 「サイヘーちゃんが、本当に嬉しそうだった。まさか自分の全てを注げる人間がいるとは思っていなかったって。ありがとう、石神さん。サイヘーちゃんは満足していたわ」
 「そうですか」

 またも、俺は答えられなかった。
 俺などは貢さんに教わりこそすれ、とても貢さんの弟子などと名乗れない。
 あの人はずっと高い場所に居続けている。

 「本当に嬉しそうだった。そうだ! あなたがよくオチンチンを出すんだって笑ってた! どうしようもなく下品で喧嘩ばっかりで、子どものくせに女遊びが派手で! でも、そういうあなたが大好きなんだって」
 「貢さん……」

 「四年でね、まさか全部終わるとは思わなかったって。もう石神さんに教えることが無くなったって。あなたは自分の音楽を創って行ける人だと言っていたわ」
 「そんなことは全然。ただ貢さんに教わったギターが好きで、ずっと弾いて来ただけですよ」
 
 橘弥生が徳川さんに聞いた。

 「以前に、トラのことを「音楽が鳴っている」とおっしゃっていましたよね」
 「そう。石神さんはいつも音楽が身体の中で鳴り響いている。そうでしょう?」
 「それは……」

 「そういう人は滅多にいないわ。音楽を愛する人間は多い。でもね、音楽が常に鳴っている人はいない。音楽が鳴っている人はね、やることなすことが全て音楽になるの。石神さんはそうね」
 「そんなことはないですよ」

 否定はしたが、俺自身がずっと感じて来たことだった。
 ギターを弾いている時だけではない。
 考え事をしている時にも、オペの最中でも、部下や子どもたちを叱っている時にも、喧嘩をしている時にも、愛する女を抱いている時にも、常に俺の中で音楽が鳴り響いている。
 それを言い当てられたのは、貢さんと徳川さんだけだ。

 「弥生ちゃんもね、そうなりたいとずっと思っていた。でもね、これは生まれつきのことだから、どうしようもないのね。弥生ちゃんは結構な所まで来ているけど」
 「トラがそうだとおっしゃったので、正直言って辛かった。あなたに嫉妬したわ」
 「そんな! 橘さんの音楽は最高ですって!」
 「当たり前よ! あなたの何百倍も練習しているんですからね!」
 「そうですよ!」

 肯定しながら、何故怒られるのか。
 
 「前に弥生ちゃんが、コンサートに石神さんを呼んだとお聞きしたの。だから、私も是非会わせて欲しいとお願いしたのね」
 「ああ、あの時ですか」
 「サイヘーちゃんのただ一人のお弟子さん。あなたは思った通りの人だった」
 「とんでもない」
 



 徳川さんには、俺の「音楽」はどのように聞こえているのだろう。
 俺自身は自分の中で鳴り響くものとは一体化している。
 それを聞く人間がいるとは、思ってもみなかった。
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