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門に立つ少年
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「風花ちゃん、またあの子来てますよ?」
「ほんと? うーん」
大阪の風花の屋敷。
一緒に住み始めて、すっかり仲良くなった私と野薔薇ちゃん。
一ヶ月ほど前に出会った小学4年生の男の子が、また屋敷の門の所へ来ていた。
門に背を向けて、通りの方を見ている。
「困ったな」
「追い返しますか?」
「それも可愛そうだしなー」
毎日ではないのだが、よく来ていて何時間も門の前に立っている。
何をするわけでもなく、ただ立ってそこにいる。
「ちょっとお話して来よう!」
「一緒に行きますよ」
「うん、お願い」
今日は水曜日で、私はお休みの日だ。
それを知っているのか、今日は長い間ずっと立っている。
切っ掛けは、一ヶ月前の仕事帰りの夕方のこと。
大きな交差点だった。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
7月下旬の火曜日の夕方5時。
定時で仕事を上がって家に帰る途中だった。
石神さんとお姉ちゃんに大きすぎる家を貰い、しかも歩いて通える距離にあった。
明日はお休みなので、野薔薇ちゃんと美味しい物を食べようと、買い物をして帰った。
阪急デパートを出て、交差点で信号待ちをしていると、小さな男の子が赤信号をフラフラと歩き出した。
「危ないよ?」
私が肩を押さえて引き戻すと、男の子が私の顔をジッと見詰めて来る。
長袖のTシャツを着ている。
とても痩せている。
目が大きくてカワイイ顔立ちだったが、顔に影がある。
着ている物も汚れていた。
学校の帰りなのだろうが、ランドセルを背負っている。
もう夕方の6時を回っているのに。
「ほら、ちゃんと信号を見ないと」
私がそう言っても、何の反応もない。
少し気にはなったが、信号が変わったので私は歩き出した。
でも、男の子は一緒に横断歩道を渡らなかった。
振り返ると、反対側で、まだ私を見ていた。
今度は本当に気になった。
私を見詰める目が悲し過ぎるように見えた。
「どうしたの! 渡らないの!」
男の子が小さく笑った。
そして手を振った。
信号が変わり、車が走り出した。
男の子が車道へ歩き出した。
「!」
私は鞄と買い物袋を放り出し、男の子へ跳んだ。
身体を「金剛花」で硬くし、男の子を抱いた。
右半身に衝撃があり、飛ばされた。
車道に転がりながら、男の子を護った。
大騒ぎになり、人が集まって来た。
クラクションが鳴り、悲鳴が聞こえた。
私の周りに何人もが駆け寄って、大丈夫かと聞かれた。
私は自分の腕の中の男の子しか見ていなかった。
「大丈夫?」
「うん」
救急車が呼ばれ、私と男の子が運ばれた。
いつの間にか野薔薇ちゃんが横にいて、私の鞄と買い物袋を持っていた。
野薔薇ちゃんに微笑むと、野薔薇ちゃんも微笑んだ。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
事故を目撃した人、街頭カメラ、私と男の子にぶつかった車のドライブレコーダー。
それらが事故の一部始終を説明してくれた。
そして、それらが説明してくれなかった男の子のことを、警察の人から聞いた。
「石神さんのお身内の方だったんですね。御無事で良かった」
数日後、公安の刑事さんが私に会いに来てくれ、話してくれた。
「アシュケナージさんが助けた男の子は宮城俊雄という小学四年生です。どうも母親から酷い虐待を受けていたようで。体重は15キロ。ろくに食事も与えられなかったようです」
その母親は既に警察に逮捕され、男の子は近所の祖父母の家に引き取られたそうだ。
「今回の事故が無ければ分からなかった。どうも、状況的にはあの子は自殺しようとしていたようですが、結果的にアシュケナージさんに二重に助けられたんですよ」
「そうだったんですか」
警察の人が男の子を自宅へ送った時に、半狂乱になっていた母親が包丁で襲い掛かって来たそうだ。
覚せい剤の重度の中毒者になっていた。
覚せい剤中毒の幻覚症状の中で、俊雄君が自分を殺しに来たと思ったようだと言われた。
「父親は分かりません。あの子も一度も会ったことがないそうですわ」
「そうですか。あの子は大丈夫ですか?」
刑事さんは額の汗を拭いて上を見た。
「それも分かりません。我々にはもう、ここまでしか」
「そうですか。わざわざ、ありがとうございました」
「いいえ。石神さんのご身内の方ですから。出来るだけのことは。私は個人的にも石神さんを尊敬しておりますので」
「はい」
「このお宅も、大阪で何かあったら避難所にされると聞きました。ご立派な方です」
「はい。また何かありましたら、宜しくお願いします」
刑事さんは石神さんを本当に尊敬しているようだった。
その後から、あの男の子、宮城俊雄君が、私の家の前にいるようになった。
何度も声を掛けようかとも思ったが、私に出来ることは無い。
それにこの家には知らない人間を入れてはならないと石神さんから言われていた。
最初に来た時に、俊雄君に声を掛けた。
私が仕事から帰ると、門の前にいたからだ。
怪我は大丈夫かと聞くと、大丈夫だと答えた。
「どうしたの?」
「御礼を言いに来ました」
「そうなんだ。でも、気にしないでいいよ」
「はい」
それだけだ。
頭を撫でて、帰るように言った。
私が玄関から振り向くと、まだそこに立っていた。
通りを見詰めていた。
私は野薔薇ちゃんと一緒に、門へ行った。
俊雄君が振り向いた。
「俊雄君、また来てるのね」
「……」
「どうしたの? 何か私に用事があるのかな?」
「違います」
「じゃあ、どうしてよくここに立っているのかな?」
「……」
答えてくれない。
「あのね、ここに君がいると気になっちゃうんだ。家に帰ってくれないかな?」
俊雄君は頭を下げて去って行った。
「野薔薇ちゃん」
「変わった子ですね。でも悪い子じゃないですよ」
「うん、分かってる」
野薔薇ちゃんには分かる。
そして、私にもそれはよく分かっていた。
それからも、俊雄君はよく門の前に立っていた。
不思議なことに、家の方を見ていることはなかった。
いつも門を背に、通りの方を見ている。
私に会いたいわけではないのだろうか?
「絶怒」の人たちも気になって声を掛けていた。
何も答えないので怒鳴ったこともあったそうだ。
でも、動こうとしなかった。
「あの子のことは気にしないで。怒鳴ったりもしないでね」
「すいませんでした!」
帰り際に俊雄君に謝って帰ったそうだ。
俊雄君も、頭を下げたと聞いた。
自分ではどうすることも出来ず、石神さんに相談した。
「ほんと? うーん」
大阪の風花の屋敷。
一緒に住み始めて、すっかり仲良くなった私と野薔薇ちゃん。
一ヶ月ほど前に出会った小学4年生の男の子が、また屋敷の門の所へ来ていた。
門に背を向けて、通りの方を見ている。
「困ったな」
「追い返しますか?」
「それも可愛そうだしなー」
毎日ではないのだが、よく来ていて何時間も門の前に立っている。
何をするわけでもなく、ただ立ってそこにいる。
「ちょっとお話して来よう!」
「一緒に行きますよ」
「うん、お願い」
今日は水曜日で、私はお休みの日だ。
それを知っているのか、今日は長い間ずっと立っている。
切っ掛けは、一ヶ月前の仕事帰りの夕方のこと。
大きな交差点だった。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
7月下旬の火曜日の夕方5時。
定時で仕事を上がって家に帰る途中だった。
石神さんとお姉ちゃんに大きすぎる家を貰い、しかも歩いて通える距離にあった。
明日はお休みなので、野薔薇ちゃんと美味しい物を食べようと、買い物をして帰った。
阪急デパートを出て、交差点で信号待ちをしていると、小さな男の子が赤信号をフラフラと歩き出した。
「危ないよ?」
私が肩を押さえて引き戻すと、男の子が私の顔をジッと見詰めて来る。
長袖のTシャツを着ている。
とても痩せている。
目が大きくてカワイイ顔立ちだったが、顔に影がある。
着ている物も汚れていた。
学校の帰りなのだろうが、ランドセルを背負っている。
もう夕方の6時を回っているのに。
「ほら、ちゃんと信号を見ないと」
私がそう言っても、何の反応もない。
少し気にはなったが、信号が変わったので私は歩き出した。
でも、男の子は一緒に横断歩道を渡らなかった。
振り返ると、反対側で、まだ私を見ていた。
今度は本当に気になった。
私を見詰める目が悲し過ぎるように見えた。
「どうしたの! 渡らないの!」
男の子が小さく笑った。
そして手を振った。
信号が変わり、車が走り出した。
男の子が車道へ歩き出した。
「!」
私は鞄と買い物袋を放り出し、男の子へ跳んだ。
身体を「金剛花」で硬くし、男の子を抱いた。
右半身に衝撃があり、飛ばされた。
車道に転がりながら、男の子を護った。
大騒ぎになり、人が集まって来た。
クラクションが鳴り、悲鳴が聞こえた。
私の周りに何人もが駆け寄って、大丈夫かと聞かれた。
私は自分の腕の中の男の子しか見ていなかった。
「大丈夫?」
「うん」
救急車が呼ばれ、私と男の子が運ばれた。
いつの間にか野薔薇ちゃんが横にいて、私の鞄と買い物袋を持っていた。
野薔薇ちゃんに微笑むと、野薔薇ちゃんも微笑んだ。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
事故を目撃した人、街頭カメラ、私と男の子にぶつかった車のドライブレコーダー。
それらが事故の一部始終を説明してくれた。
そして、それらが説明してくれなかった男の子のことを、警察の人から聞いた。
「石神さんのお身内の方だったんですね。御無事で良かった」
数日後、公安の刑事さんが私に会いに来てくれ、話してくれた。
「アシュケナージさんが助けた男の子は宮城俊雄という小学四年生です。どうも母親から酷い虐待を受けていたようで。体重は15キロ。ろくに食事も与えられなかったようです」
その母親は既に警察に逮捕され、男の子は近所の祖父母の家に引き取られたそうだ。
「今回の事故が無ければ分からなかった。どうも、状況的にはあの子は自殺しようとしていたようですが、結果的にアシュケナージさんに二重に助けられたんですよ」
「そうだったんですか」
警察の人が男の子を自宅へ送った時に、半狂乱になっていた母親が包丁で襲い掛かって来たそうだ。
覚せい剤の重度の中毒者になっていた。
覚せい剤中毒の幻覚症状の中で、俊雄君が自分を殺しに来たと思ったようだと言われた。
「父親は分かりません。あの子も一度も会ったことがないそうですわ」
「そうですか。あの子は大丈夫ですか?」
刑事さんは額の汗を拭いて上を見た。
「それも分かりません。我々にはもう、ここまでしか」
「そうですか。わざわざ、ありがとうございました」
「いいえ。石神さんのご身内の方ですから。出来るだけのことは。私は個人的にも石神さんを尊敬しておりますので」
「はい」
「このお宅も、大阪で何かあったら避難所にされると聞きました。ご立派な方です」
「はい。また何かありましたら、宜しくお願いします」
刑事さんは石神さんを本当に尊敬しているようだった。
その後から、あの男の子、宮城俊雄君が、私の家の前にいるようになった。
何度も声を掛けようかとも思ったが、私に出来ることは無い。
それにこの家には知らない人間を入れてはならないと石神さんから言われていた。
最初に来た時に、俊雄君に声を掛けた。
私が仕事から帰ると、門の前にいたからだ。
怪我は大丈夫かと聞くと、大丈夫だと答えた。
「どうしたの?」
「御礼を言いに来ました」
「そうなんだ。でも、気にしないでいいよ」
「はい」
それだけだ。
頭を撫でて、帰るように言った。
私が玄関から振り向くと、まだそこに立っていた。
通りを見詰めていた。
私は野薔薇ちゃんと一緒に、門へ行った。
俊雄君が振り向いた。
「俊雄君、また来てるのね」
「……」
「どうしたの? 何か私に用事があるのかな?」
「違います」
「じゃあ、どうしてよくここに立っているのかな?」
「……」
答えてくれない。
「あのね、ここに君がいると気になっちゃうんだ。家に帰ってくれないかな?」
俊雄君は頭を下げて去って行った。
「野薔薇ちゃん」
「変わった子ですね。でも悪い子じゃないですよ」
「うん、分かってる」
野薔薇ちゃんには分かる。
そして、私にもそれはよく分かっていた。
それからも、俊雄君はよく門の前に立っていた。
不思議なことに、家の方を見ていることはなかった。
いつも門を背に、通りの方を見ている。
私に会いたいわけではないのだろうか?
「絶怒」の人たちも気になって声を掛けていた。
何も答えないので怒鳴ったこともあったそうだ。
でも、動こうとしなかった。
「あの子のことは気にしないで。怒鳴ったりもしないでね」
「すいませんでした!」
帰り際に俊雄君に謝って帰ったそうだ。
俊雄君も、頭を下げたと聞いた。
自分ではどうすることも出来ず、石神さんに相談した。
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