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母の愛

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 「お姉ちゃん!」
 「風花!」

 六花の出産が無事に終わり、7月の最初の土曜日に風花が「紅六花ビル」に来た。
 六花はまだベッドで主に過ごしている。
 丁度授乳していた。

 「カワイイ! 吹雪きちゃんだよね!」
 「うん! 物凄く元気だよ!」
 
 吹雪は満腹して「ケプ」と言った。

 「カワイイ!」

 タケが笑いながら六花と風花にミルクティを持って来た。

 「あ! 姉がお世話になってます」
 「いいえ、とんでもない! ああ、風花さんもやっぱり総長と同じで美人だぁー!」
 「そんなことは!」

 六花はニコニコ笑っていた。

 「そういえば沢山のハムを送ってもらったけど」
 「はい! 梅田精肉店で働いているんで、ああいうものしか思いつかなくて」
 「でも、100本もあったよ! あんなに大変だったでしょう」
 「それは、あの、お姉ちゃんと石神さんが使い切れないお金をくれたんで」
 「ワハハハハハハ!」

 タケが大笑いした。

 「二泊してくれるんですよね?」
 「はい! お世話になります!」
 「じゃあ、今日は宴会だぁ!」
 「え!」
 「みんな集合すっから! 総長の妹さんが来るんだ。みんな楽しみにしてたんですよ」
 「そんな! ご迷惑では!」
 「全然! むしろみんな集まるのは大好きで! 今は総長がいて下さるんで、止めるのに苦労してるくらいで」
 「アハハハハ!」

 毎日、大勢が来るのだとタケが言った。
 風花は姉が慕われているのが嬉しかった。

 「あ、総長、お昼は何か召し上がりたいものはありますか?」
 「虎チャーハンでいいよ」
 「ダメですよ! いろいろ食べて栄養を摂らないと!」
 「でもなー」
 「あ! 風花さんは何かありませんか?」
 「いえ、何でも結構ですけど」
 「あー、姉妹だぁー」

 六花と風花が笑った。

 「そうだ! 虎の旦那が野菜カレーのレシピを下さったんだ! それにしましょうか!」
 「うん、頼むよ」
 「はい!」

 タケが笑いながら降りて行った。

 「本当にお姉ちゃんを大事にしてくれてるんだね」
 「うん。いい奴らなんだ。世話になりっぱなしでな」
 「でも、嬉しそうだよ?」
 「そうなんだけどな」

 風花は横になっている吹雪の頬を指で触った。
 吹雪が嬉しそうに風花の指を掴む。

 「綺麗な赤ちゃん」
 「本当にカワイイんだ」
 「そうだね」
 「毎日見てるけど、毎日可愛さが増して来るんだよ」
 「アハハハ!」

 風花が指を揺らし、吹雪の腕を動かす。
 吹雪が一生懸命に指を握っている。

 「石神先生が言ってたんだ。子どもは母親や家族の瞳から愛を与えられるんだって」
 「そうなんだ!」
 「うん。瞳の向こうの優しさを見てるんだってさ」
 「素敵だね」
 「毎日見てる。私がどんなに愛しているのか伝えるために」
 「うん」
 「風花からも、タケや仲間のみんなからも、一杯愛を与えてもらってる」
 「うん!」

 六花が優しく笑っている。
 これまでも最高の笑顔だったが、一層優しさが重なっていると風花は思った。
 子どもを生んだ母親の慈愛の笑顔だ。
 
 「ねえ、風花」
 「なーに?」
 「私たちも、お母さんからもらったんだよ」
 「そうだね!」
 「うん。その記憶は無いけど、でも絶対にそうだ。だから私たちは誰かを好きになれる」
 「うん!」

 六花が優しく笑っている。




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 「サーシャ、頑張って!」
 「はい、レイカさん」
 「もうすぐ救急車が来るよ! もうちょっとだから!」
 「すいません」

 陣痛の苦しみの中、サーシャは同室のレイカに励まされていた。
 同じ新地のキャバレーで働く同僚であり、サーシャの数少ない友人でもある。
 客の一人と恋仲になり、その子どもを妊娠した。
 その客は大阪で名士であり、地主として有名な家系の人間であった。
 生活費の援助はされているが、妻子のあるその男は認知はしないと言っていた。
 子どもを堕胎するよう言われていたが、サーシャは子どもを死なせることは選べなかった。
 それは自分が捨てて来てしまった娘への思いがあったためだった。
 その罪悪感に日々泣いていた自分が、更に命を奪うことなど考えられなかった。

 「お店のことは大丈夫。オーナーもサーシャさんを大事に思ってるから。子どもを育てながら、また働けるってさ」
 「ありがとうございます」

 レイカはサーシャの痛みを紛らせるために、色々なことを喋り続けた。
 少しでも先に幸せや安心を思わせようとしていた。

 やがて救急車が来た。
 レイカが下に駆け下りて救急隊員を案内する。
 サーシャと一緒に救急車に乗り込んだ。
 朝の10時。

 サーシャがレイカの手を握って頼んだ。

 「レイカさん、お願いがあります!」
 「何でも言って! 必ず何とかするから!」
 「子どもの命を! 私はどうなってもいいですから、絶対に子どもは助けて下さい!」
 「何言ってるの! 二人とも生きるんだよ!」
 「はい! でもどちらかの命を選ばなきゃいけないことがあったら! 絶対に子どもの命を」
 「バカ言ってんじゃないよ! 絶対二人で生きるんだよ!」

 サーシャは自分の異常に気付いていた。
 



 病院ではすぐに「常位胎盤早期剥離」が判明した。
 腕のいい医師がいたことが幸いした。
 すぐに緊急手術の手配がされ、帝王切開が決定した。
 もうサーシャの意識はなく、医師は即座にオペに入った。

 幸いにもオペは成功し、未熟児ではあったが、母子ともに命を取り留めた。
 しかし、医師はサーシャの身体の異常を見出していた。
 入院中に医師が検査をし、サーシャの肺と脳に腫瘍を発見した。
 既にステージはⅣ。
 身寄りの無い身と知り、医師はサーシャ本人に告知した。

 「残念ですが、もう治療法がありません。特に脳腫瘍は数か月後には行動に支障を来すようになります」
 「行動に?」
 「自分の正常な意志で動けなくなるということです」
 「……」

 サーシャは子どもを抱きながら泣いた。

 「この子を育てることは出来ないんですね」
 「はい。その通りです」
 「先生、ありがとうございます」
 「いいえ、本当にお力になれず、もうしわけありません」
 「最後に出来ることを。せめてこの子の名前を」
 「そうですね」
 「あの、私日本の漢字はよく知らないんです。雪にちなむ名前で、出来るだけ美しい名前を教えていただけませんか?」
 「雪ですか?」
 「はい。最初の娘には「六花」と名付けたんです。随分と調べたんですが、もう手元に集めたものが無くて」
 「分かりました。私もご協力しましょう」

 医師は漢和辞典やその他の辞書でいろいろと調べ、サーシャに持って行った。

 「フーカ」
 「はい。風の花という意味です。気に入りましたか?」
 「ええ、綺麗な音です。それに風と花なんて素敵ですね」
 「晴れた日に、風に舞う雪の煌めきなんですって。美しいですよね?」
 「はい! 先生、この名前にします!」
 「分かりました。私が書類を揃えましょう」
 「ありがとうございます」

 サーシャは医師に微笑み掛けた。
 やつれた顔ではあったが、医師はこの世のものではない美しさを感じた。

 「私が死んだ後、この子はどうなるのでしょうか?」
 「私が養護施設に入れる手続きをいたします。少し知っている所ですが、とてもいい施設ですよ」
 「そうですか。宜しくお願いします」

 サーシャは退院までの間、毎日風花の顔を見詰めた。
 

 「ごめんなさい。私にはもうあなたのために何も出来ない。でもあなたを愛している、風花。こんなにも愛しているの。あなたの幸せを祈ってる。別れてしまった六花と風花を。二人とも幸せになって。お願い。神様、お願いします」

 レイカに借りたラジカセのテープに、思いを吐き出した。
 弱い自分を許して欲しい。
 何も出来なかった自分を許して欲しい。
 でも、それでも、自分は二人の娘を愛している、と。

 気持ちを訴えると、サーシャの瞼の裏に、懐かしいロシアの景色が浮かんで来た。

 「あそこに帰りたい。あの美しく幸せな大地に戻りたい」

 サーシャは肉体では辿り着けない、その大地へ旅立った。





 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■





 「風花」
 「なーに、お姉ちゃん?」

 小鉄が作ってくれた野菜カレーを二人で食べていた。
 想像以上に美味しかった。

 「私ね、夢があるの」
 「え! なに!」
 「いつかね、この吹雪を連れてね、お母さんの故郷を訪ねてみたいの」
 「ああ!」
 「お母さん、最後に言ってたんだよね。故郷に帰りたいって」
 「うん! そうだよ!」
 「だからね。私たちで行こうよ」
 「うん! うん! 絶対に行こう!」
 
 六花が微笑んだ。

 「石神先生がね、いろいろ調べてくれてるの。随分と前のことだし、ああいう特殊な事情でお母さんは亡命したから難しいらしいんだけどね。でも一生懸命に手を尽くしてくれてるの」
 「そうなんだ」
 「あの人はきっと見つけてくれる。そうしたら風花、一緒に行こう」
 「うん! 絶対にね!」

 風花が吹雪を見た。

 「あ! お姉ちゃん! 吹雪ちゃんが笑ってるよ!」
 「そんな。まだそういう時期じゃないよ」
 「でも! ほら、見て!」

 六花も覗き込んだ。
 確かに笑顔になっている。
 
 「ほんとだぁ!」
 「ね! 笑ってるよね!」
 「うん!」

 赤ん坊が笑うのは生後4週間以降と言われている。
 本当に感情で笑うのはもっと後だ。

 「幸せな子なんだよ、きっと!」
 「そうだね!」
 「虎の子だからね」
 「ああ、そう呼んでるんだ」
 「あ!」
 「いいじゃない!」
 「うーん。でもまだちょっと恥ずかしいんだ」
 「アハハハハハ!」
 
 食後のお茶を持って来たタケは、楽しそうに笑っている姉妹を見て自分も嬉しくなった。

 「タケ! 吹雪が笑ってるんだよ!」
 「そんな、まさか」

 「見てみろ!」
 「はい!」

 吹雪が泣き出した。

 「あれ?」
 「なんすか」
 「本当なんだって!」
 「お姉ちゃん、写真撮っとけばよかったね」
 「そうだったぁー! 石神先生に見せたかったぁー!」
 「虎でしょ?」
 「ちょ! それはダメだ!」
 
 「なんすか?」
 
 よく分からないタケだったが、三人で笑った。
 



 自然に笑いたくなる雰囲気が、そこには一杯あった。 
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