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皇紀の家出 Ⅱ

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 学校を出て帰ろうとした。
 道で女の子が泣いていた。
 まだ幼稚園くらいの、小さな子だった。
 痩せている。

 「どうしたの?」
 「おばあちゃんが!」
 「え?」
 「動けないの!」
 「!」

 女の子に聞いて、自宅まで案内してもらった。
 もしかしたら、救急車とか必要かもしれないと思った。

 すぐ近くのアパートだった。
 外階段を上がって、二階の部屋へ案内される。
 階段は全体的に赤さびが浮き、塗装もほとんど剥げかかっていた。

 女の子が鍵も使わずに中へ入る。

 「ルリちゃんかい?」

 奥から声が聞こえた。
 1DKの間取りのようだ。
 
 「おばあちゃん!」
 「どこへ行ってたの。あれ、その人は?」

 奥の部屋へ行くと、おばあさんが布団で寝ていた。

 「あの、ルリちゃんが外で泣いていて。おばあさんが大変なんだと言うんで」
 「ああ、そうなの。ごめんなさいね、ちょっと腰を悪くして動けなくて」
 「大変だ! 救急車を呼びますよ!」
 「いいんですよ。うちはあんまりお金がなくて、病院へ行くのはどうも」
 「でも!」

 ギックリ腰だと言われた。
 だから、しばらく寝ていれば治ると。
 話を聞いて一安心したが、そのまま帰る気にはなれなかった。

 「あの、ルリちゃんのご両親は?」
 「ああ、離婚してね。母親が今外で働いてるんだ。ルリの面倒は私が見ているんだよ。私の年金と娘の稼ぎでなんとかね」
 「そうなんですか」
 「夜になったら帰って来るよ。だからあなたはもう」
 「いいえ! だったら、僕が夕飯を作りますよ!」
 「え?」
 「あの、僕の妹の一人も瑠璃って言うんです! 放っておけません」
 「でも、それじゃ」
 「僕、夕飯の買い物に行ってきますね!」
 「ちょっとお待ちよ!」

 僕は頭を下げて外に出た。
 電話をしておこうと思ったが、電源が切れていた。
 
 「あー。まあ、後で電話をお借りしよう」
 
 近所のスーパーで買い物をし、またアパートへ戻った。

 「本当に買い物をしてきたのかい?」
 「はい! ああ、どうか寝ていて下さい」
 「でもさ」
 「ちょっと待ってて下さいね、すぐに作りますから」
 「それにしても、随分と買って来たんだねぇ」
 「あ!」

 いつもの家の買い物のつもりでいた。
 シチューを作るつもりだったが、確かに多いのだろう。
 僕は分量を頭の中で計算した。
 
 お米を研いで炊飯器にセットした。
 古い、3合炊きのものだった。
 本来は、独身の人のためのものだ。
 それを、親子三人で使っている。
 お米も少なかった。
 三合ギリギリだった。
 冷蔵庫にもほとんど何も無い。
 卵が二つと使い掛けのほうれん草とマーガリンがあるだけ。

 ジュースも入っていない。
 ルリちゃんは、いつも水を飲んでいるのだろう。

 一通り材料を買って来て良かった。
 紅茶のティーバッグも買って来た。
 おばあさんのために、お湯を沸かして紅茶を淹れた。

 「紅茶、飲めますか?」
 「ああ、喉が渇いていたんだ。ありがとう」
 
 おばあさんは身体を動かしてうつぶせになった。
 首を持ち上げて、紅茶をすすった。

 僕はシチューを作り始めた。
 石神家の作り方だ。
 油を敷いて、まずタマネギのみじん切りを炒める。
 飴色になったら一度取り出し、セロリのみじん切りと他の野菜を炒める。
 いつもよりも小さめにカットした鶏肉を炒め、お湯を入れる。
 炒めたタマネギと、みじん切りにして水にさらしておいたタマネギも入れる。
 本当は別にホワイトソースを作るのだが、今日は市販のルーにした。
 鍋が他に無かったためだ。
 キッチンを見てから、買い物に出た。

 「あ! いい匂いがするよ!」
 「シチューを作っているんだ。もうちょっと待っててね」
 「うん!」

 テレビも無かった。
 ルリちゃんはテーブルで絵を描き始めた。
 広告の白い裏面だ。

 僕はシチューの火加減を調整し、ステーキの下ごしらえを始めた。
 肉を3枚買って来たが、普通の家ではこんなに食べないだろう。
 300gの肉を一枚だけ焼く。
 準備をしながら、ルリちゃんと話した。

 「絵が好きなの?」
 「うん!」
 
 流石に子どもの絵だが、女の人を描いていることは分かった。

 「お母さんかな?」
 「そう!」

 ルリちゃんが嬉しそうに笑った。
 
 鍋が煮えて来たので、灰汁を掬っていく。
 ルーを入れて、火を止めてゆっくりとかき混ぜた。

 大体シチューは仕上がったので、サラダを作り、先に付け合わせの人参とジャガイモを作った。
 最後にステーキを焼く。
 筋切りをし、十分に叩いて柔らかくした。
 子どもとお年寄りが食べるためだ。
 牛脂で焼くと、またいい匂いがした。
 ルリちゃんがじっと見ている。

 「もうすぐ出来るよ」
 「……」

 僕は皿を出して盛り付けた。
 おばあさんを呼びに行き、丁寧に抱き起して椅子まで運んだ。
 少し痛がったが、椅子に座ると落ち着いたようだ。

 「まあ! これをあなたが作ったの?」
 「はい。家ではいつも僕たちで食事を作るんです」
 「そうなの! ご両親は?」
 「5年前に交通事故で。今は父の親友だった方に引き取られているんです」
 「そうだったの!」
 「タカさんと呼んでいるんですが、僕たち4人兄弟を引き取ってくれて。最初はずっとタカさんが食事を作ってくれていたんですが、今では僕たちでやれるようになりました。忙しい人なんですよ」
 「そうなの。大変だったのね」
 「いいえ。とても優しい人なんです。僕たちを引き受けるなんて大変だったでしょうけど。でも、いつも笑って優しくしてくれるんですよ」
 「そう、いい人なのね」
 「はい!」

 ルリちゃんは夢中で食べていた。

 「この子がこんなに喜んで食べるなんて。いつも大したものが出来なくてね。あんまり食べてくれないの」
 「そうなんですか」
 「だから痩せちゃってね。私なんかじゃ」
 「そんなことは」

 食事が終わり、僕は紅茶を淹れて、梨を剥いた。
 ルリちゃんの紅茶にはミルクと砂糖をたっぷり入れた。
 ミルクを入れたので、温度は下がっているはずだ。

 「美味しい!」
 
 ルリちゃんが言い、おばあさんは頭を撫でた。

 「御馳走様でした。本当に美味しかった」
 「とんでもありません」
 
 一息ついて、僕はおばあさんをまた布団に運んだ。

 「力があるのね」
 「アハハハハ」
 「あ! すいません、電話をお借り出来ますか?」
 「ああ、ごめんなさいね。うちには電話が無くて。娘も持っていないの」
 「そうなんですか」

 僕もそろそろ帰ろうと思っていた。
 もう8時を回っている。
 僕は広告の裏に、メモを書いた。
 冷蔵庫の食材と飲み物のリストだ。
 おばあさんに渡した。

 「ルリちゃん、ジュースを買ってあるけど、おばあちゃんに聞いてから飲んでね」
 「うん!」
 「プリンもあるよ」
 「ほんとに!」

 ルリちゃんが喜んだ。
 僕はおばあさんに声を掛けて帰ろうと思った。
 
 玄関に向かうと、ドアが開いた。
 女性が僕を見てびっくりしている。
 僕は事情を話した。

 女性は奥のおばあさんの所へ行き、話していた。
 僕はちょっとまだ帰れなくなった。

 女性はキッチンに戻って来て僕に頭を下げた。

 「随分とお世話になってしまったようで」
 「いいえ! たまたまルリちゃんが泣いていたんで声を掛けて。食事まで作ってしまい、すいませんでした!」
 「こちらこそ。あの、食費はお支払いしますので」
 「いいんです! 僕が勝手にしたことですから」

 女性は困った顔をしていたが、必ず返すと言った。
 
 「申し訳ありません。今手元に余裕が無くて」
 「いいんですって!」
 
 僕も困った。
 僕は女性を座らせ、紅茶を淹れた。
 ティーバッグがあるので、また女性が驚いていた。

 女性は紅茶を飲みながら、少し自分の話をしてくれた。
 結婚した旦那さんが暴力を振るう人で、離婚したこと。
 裁判で養育費を貰うはずだったが、一度も受け取れていないこと。
 生活保護を受けることを検討していること。
 でも、娘のために何とか働いて普通の暮らしをしたいと思っていること。
 今は宅急便の事務とお弁当屋さんで働いていること。
 子どもが病気になると休まなければならず、仕事を続けて行くのが難しいこと。

 僕は黙って聞いていた。
 きっと、誰かに話したかったのだろうと思ったからだ。
 こんな子どもの僕にでも、話して気が少しでも楽になれば嬉しい。

 僕は遅くまでお邪魔したことを詫びた。
 女性は何度も礼を言い、最後には少し泣いていた。
 僕はなるべく足音を立てないようにアパートの階段を降りた。
 ほんの少しでも、あの三人に負担を掛けたくなかった。





 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 「皇紀!」
 「にゃー!」

 玄関が開き、亜紀ちゃんとロボが駆け降りて行った。
 柳と双子も後を追う。

 亜紀ちゃんと双子と柳が皇紀を抱き締める。
 ロボが四人の頭に乗り、皇紀の頭をペシペシする。

 「ごめん! 本当にごめん!」
 「皇紀ちゃん、ごめんなさい!」
 「皇紀ちゃん、よく帰って来たね!」
 「大丈夫、皇紀ちゃん?」
 「ニャー!」
 
 「エ、エ、エェー!」

 「早く上がって来い!」

 「「「「「はーい!」」」」」 

 四人が皇紀を抱き締めながら階段を上がって来る。
 途中で何度も詰まる。

 「タカさん、遅くなりました」
 「お前! どこへ行ってたんだ!」
 「タカさん、許してあげて」
 「私たちが悪いの!」
 「石神さん!」

 俺が悪いのか?
 全員をテーブルにつかせ、皇紀が話し始めた。
 双子は聞きながら、皇紀の食事を温めている。

 下校途中で泣いている女の子を見つけ、アパートまで行ったらしい。
 おばあさんがギックリ腰で動けなくなったようで、皇紀が夕飯を作って来たのだと。
 電話をしようと思ったが、充電切れで出来なかったこと。
 その部屋にも電話がなかったこと。
 まあ、今は公衆電話もほとんどないし、そもそもその存在を知らないのかもしれない。
 そういう世代だ。

 「分かった。でも、今後は何とか連絡しろ。一度家に戻ったっていいだろう」
 「あ、そうですよね」
 
 俺は軽く皇紀の頭に拳をぶつけ、その後で撫で回した。

 「まあ、分かった。もういい。でも、みんな心配してたんだぞ。さっきまで一江と大森まで来てたんだ」
 「そうなんですか!」
 「お前が行方不明になったんだ。当たり前だろう」
 「お二人は!」
 「食事をさせて、客室でもう寝かせてる。どうせ自分の家に戻っても寝ないだろうしな」
 「すいませんでした」
 「まあ、食事をしろ」
 「はい!」

 俺は食べさせながら、その家のことを聞いた。

 「お前、何とかしたいと思ってるだろう?」
 「はい。僕なんかじゃ大したことも出来ないですが」
 「お前よ」
 「はい」
 「どうして俺に相談しねぇんだ?」
 「!」

 皇紀が俺を見ていた。

 「お前はまだガキだ。今回のことだって、やり過ぎだ。人間はな、分度というものがあるんだ。お前の能力とは関係ねぇ。大人は子どもなんかに助けられちゃダメなんだよ」
 「はい」
 「まあ、俺は別だけどな。お前らは奴隷だから、何でもこき使うけどよ!」
 「アハハハハ」

 俺は一ノ瀬さんが働いているハウスキーパーの会社の話をした。

 「あそこはとにかく給料がいい。重労働でもないしな。ただ、真面目さだけが重要だ。子どもがいる人は、いろいろと優遇してもらえる。急な発熱なんかで休むことも出来る」
 「そうなんですか!」
 「裁縫とか販売の技術があれば、「RUH=HER」とかもあるしな。または「ミート・デビル」とかもな」
 「なるほど!」
 「確実に今よりも給料は良くなる。仕事の待遇もな」
 「タカさん!」
 「俺が話しに行こう。ああ、今度の週末になるけどな」
 「僕が明日、話してきます」
 「ああ。それと、明日、おばあさんに知り合いの鍼灸師を手配するから。お前が立ち会ってやれ」
 「分かりました!」





 皇紀が知り合った女性は、一ノ瀬さんが働くハウスキーパーの会社に就職した。
 俺の紹介だったので、すぐに雇ってもらえた。
 別れた旦那の養育費は、千万組に任せて回収させた。

 後日、三人で礼を言いに来たので、夕飯をご馳走した。
 うちの「夕食」に驚き、そのうちに笑ってくれた。
 何度も礼を言い、幸せそうな顔をして帰った。




 「良かったな、皇紀」
 「はい、タカさんのお陰です」
 「お前の縁だったからな」
 「そんな」

 門まで三人を見送って、何となくウッドデッキで話した。

 「お前が帰って来ないんで、俺はてっきり葵ちゃんとかとヤッてるんじゃないかと思ったぜ」

 冗談で俺がそう言った。
 皇紀が俯いている。

 「ん?」
 「タカさん、すいません」
 「あんだよ」
 「僕は風花さんだけと思ってたんです」
 「お前!」
 「葵ちゃんと光ちゃんともヤッちゃいました」

 俺は大笑いした。

 「気にするな! 全部お前の親父が悪い!」
 「!」

 肩を組んで笑った。

 「「ワハハハハハハ!」」

 



 二人で祝いの「ヒモダンス」を踊った。
 亜紀ちゃんが気付いて全員を集め、みんなで踊った。
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