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奈津江 XⅦー2

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 俺は奈津江の部屋にあった歴史書を借りて読んでいた。
 日本の歴史のものばかりだった。
 芭蕉の研究書があり、それを手に取った。

 《『奥の細道の新研究』第四高等学校教授 大藪虎亮》

 「虎じゃん!」

 読み始めた。

 「芭蕉は旅ばかりだったな」

 胃病持ちの上痔疾もあったが、頑健な曽良を連れてあちこちへ行った。
 殿様に止められても、奥羽への旅を諦めなかった。

 「奈津江、俺たちもいつかいろいろ旅行をしような」

 眠っている奈津江に呟いた。

 「あ!」

 俺は顕さんに電話をしておかなければと思った。
 突然家に俺がいたら、驚かれるだろう。

 電話番号は知っているので、奈津江の家の電話を借りた。
 当時はまだ携帯電話など無い。

 「ああ、石神くん!」
 「顕さん! 仕事中にすみません」
 「いや、いいけど。何かあったのかい?」
 「それがですね。実は……」

 俺は奈津江が風邪で高熱を出したことを話した。

 「そうか! でも君たちは週末に旅行に行くんだよね?」
 「ええ、今回は見合わせました。奈津江が熱を出したんじゃ、無理は出来ません」
 「そうかー。残念だね」
 「いいえ、またの機会に。それで、俺、奈津江を送って今一緒に家にいるんです。奈津江はさっき寝ましたが」
 「そうだったか。ありがとう、送って来てくれたんだね」
 「はい。それで顕さんが帰るまで、ここにいてもいいですか?」
 「そりゃもちろん構わないけど。でも、僕は結構遅くなりそうなんだよ」
 「いいですよ、待ってます」
 「うーん。じゃあ、悪いけど一緒にいてやってくれよ」
 「はい!」
 「台所のものは適当に使ってくれ。夕飯はちゃんと食べてね」
 「分かりました。ありがとうございます」

 俺はキッチンに行き、桃の缶詰でコンポートを作った。
 冷蔵庫で冷やす。

 6時になり、奈津江が目を覚ました。

 「あ、高虎。まだいてくれたの?」
 「もちろんだ。どうだ、調子は?」
 
 奈津江が目をこすっていた。
 目ヤニなどを恥ずかしがったのだろう。
 
 「うん、ちょっといいかな」

 俺は熱を測らせた。
 奈津江が寝間着の一番上のボタンを外して、体温計を脇に挿した。
 俺がじっと凝視しているので、「エッチ」と言った。
 その通りだ。

 「あ! 七度6分!」
 「やったな!」
 「うん!」

 食欲はまだ無いらしい。
 俺は風呂を用意するので、ゆっくりと浸かれと言った。

 「熱があるのに?」
 「入った方がいい。身体を温めると、免疫機構が活発になるんだ」
 「そうなんだ!」

 俺は湯船に水を入れ、沸かした。
 給湯のタイプではなかった。
 キッチンから、桃のコンポートを出して持って行った。

 「高虎が作ったの?」
 「そうだよ」
 「私のために?」
 「その通りだ!」

 奈津江が笑って、またスプーンを口に運んだ。

 「美味しい!」
 「そうか」

 奈津江は水分も欲していたのか、すぐに食べ終わった。
 俺は冷ました番茶を呑ませる。

 「食欲はどうだ?」
 「うーん、ちょっとかな」
 「じゃあ、風呂に入ったら、消化のいいものを作ってやろう」
 「ありがとう!」

 少し待って、風呂が沸いた。
 奈津江を風呂に入れさせる。

 「温めにしたから、20分は浸かれよな」
 「分かった!」

 俺はその間に、卵粥を作る。
 土鍋を借り、ゆっくりと米を煮た。
 中華スープの素を少し入れる。
 溶き卵を入れ、ひと煮立ちさせる。

 奈津江が風呂から上がった。
 いい匂いがした。

 「あー、さっぱりした! でもちょっとだるいかな」
 「熱があるからな。これを食べて、また寝ろよ。顕さんはちょっと遅くなるそうだ」
 「そうなんだ。あ、高虎ももう帰って」
 「いいよ、顕さんが戻るまでいるって」
 「でも」
 「さっきも言っただろ?」
 「私の傍にいたいって?」
 「そうだよー」

 奈津江が笑って粥を食べた。

 「高虎の分は?」
 「ああ!」

 奈津江がちゃんと食べろと言った。
 俺は冷蔵庫を見て、餡かけ焼きそばを作った。

 「私も一口ぃー」
 
 俺は笑って、小皿に入れてやった。
 奈津江は美味しそうに笑顔で食べた。

 「歯を磨いて来る」

 奈津江は洗面所に行き、またベッドに戻った。

 「ねえ、高虎」
 「なんだ?」
 「さっき目を覚ましたじゃない」
 「ああ」
 「高虎が座ってるのを見たの」
 「おう」
 「嬉しかった」
 「なんだ、そりゃ」
 
 奈津江が笑っていた。

 「風邪が治ったらさ、何か美味しいものを食べに行こうよ」
 「いいな!」
 「うん!」

 二人で笑った。
 また奈津江は眠った。
 風呂に入り、免疫機構は活発になったはずだ。
 だるさはそのせいだろう。
 俺も経験がある。

 俺は部屋の電気を消し、下へ降りた。




 顕さんは、夜の9時頃に帰って来られた。

 「お帰りなさい」
 「石神くん! 悪かったね」
 「いえ、全然。奈津江と一緒でしたから、楽しかったですよ」
 「そうかよー」

 顕さんが笑った。
 食事がまだだということだったので、炊いていたご飯と、魚を焼いたりして、俺が夕飯を用意した。

 「悪いね」
 「いいえ。ああ、勝手にさっき焼きそばを頂きました」
 「いいよ! 何言ってるんだよ!」

 俺は顕さんに、奈津江の状態を話した。

 「そうか。でも良かったよ、石神くんがいて」
 「いえ、俺は別に」

 顕さんが焼酎を出し、俺にも呑ませた。

 「奈津江が子どもの頃にね。一度高熱を出したんだ」
 「そうですか」
 「お袋ももう死んでて。僕も仕事で帰れなくて。奈津江は独りでこの家にいたんだ」
 「はい」
 「僕が帰ったらね、僕の顔を見て大泣きしたんだよ」
 「不安だったんでしょうね」
 「うん。小学生4年生だったよ。目が覚めたら暗くて誰もいなくて。何度も僕を呼んだんだって」
 「そうですか」

 顕さんが寂しそうな顔をした。

 「あれ以来ね。奈津江は熱を出しても寝なくなったんだ」
 「え?」
 「あの日の不安がまだ怖いんだよ。だから、今回の旅行でも、無理をしようとしたんじゃないかな」
 「そんな」
 「石神くんがいてくれて、本当に良かった」
 「はぁ」
 「君がいてくれたから、奈津江も安心して寝たんだろう」
 「そうだったんですか」

 顕さんは泊まって行くように俺に言ってくれた。
 11時を回っていたが、俺は帰ることにした。




 奈津江の風邪は、翌朝にはすっかり熱も下がっていた。
 朝に俺のマンションに電話をしてきた。

 翌週の金曜日。
 俺と奈津江は顕さんに呼ばれ、銀座で待ち合わせた。
 顕さんが「エスコフィエ」で豪華なフレンチをご馳走してくれた。

 「あー、折角高虎と一緒に美味しいものを食べようねって言ってたのに!」

 奈津江がちょっとむくれて言った。

 「行けばいいじゃないか」
 「だって! こんなに高いお店は無理だもん!」

 俺と顕さんが笑った。
 奈津江も「でも美味しいから許す!」と言って笑った。



 
 小学生の時に味わったどうしようもない不安と寂しさ。
 俺が少しでも和らげてやれたのならば、嬉しい。

 奈津江の寝顔は安心しきって微笑んでいた。
 
 俺も、そんな寝顔が見れて嬉しかった。
 今でも、それが嬉しい。
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