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石神虎影
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柳が帰って来た翌日の木曜日の昼。
オペから戻ると、大森が麗星から電話があったと言った。
「なんだ、病院に掛けて来るなんて珍しいな」
俺はすぐに折り返した。
次のオペまで、まだ余裕があった。
すぐに麗星が電話に出る。
「石神様、至急お話ししたいことがあります」
「なんですか?」
「申し訳ありません。電話では、ちょっと」
麗星の態度がいつもと少し違う。
「もちろん、わたくしの方からそちらへ参りますので」
「分かりました。御足労をお掛けします。じゃあ俺の家まで来ていただけますか?」
「はい。あの、本当に申し訳ありません」
「いえ。麗星さんが仰るのなら、俺はいつでも」
「では、夕方に」
「ええ、子どもたちには言っておきますので」
それだけで電話が終わった。
麗星は、俺のためだとは一言も言わなかった。
これまでに無いことだった。
俺は家に電話をし、昼食を摂り、午後のオペをこなして家に帰った。
夕方の7時になった。
麗星は既に到着しており、応接室で待っていた。
亜紀ちゃんが玄関で俺を迎える。
「なんだよ、一緒に食事をしてるかと思ったぞ」
「それが、タカさんを待ってるからと、お食事も召し上がらないで」
「なんだ?」
俺は取り敢えず応接室へ入った。
ロボは亜紀ちゃんに任せる。
麗星が立ち上がった。
「急に押しかけまして、本当に申し訳ございません」
「いや、いつももっと堂々と押し掛けるじゃないですか」
「いえ、あの」
俺は笑ってソファに座るように言った。
亜紀ちゃんがコーヒーを淹れて来た。
麗星のものを取り換える。
一口も付けていなかった。
亜紀ちゃんが部屋を出てから、話し掛けた。
「それで、どのようなお話なんですか?」
「どこからお詫びして良いものか。あの、お叱りは如何様にもお受けしますので、最初からお話ししてもよろしいですか?」
「ええ。でも、麗星さんは俺のために何でもして下さっているのは分かっています。俺が怒ることなど、ありませんよ」
麗星はコーヒーを一口含んでから話し出した。
「実は、石神様のお父様のことなのでございます」
「え?」
余りにも意外な名前が出た。
「石神様のことは、失礼ながら以前に調べさせて頂きました」
「ええ、それは伺っていますし、別に俺も気にしてはいませんが」
「その中で、どうにもわたくしが納得出来なかったと言うか、引っ掛かっておりましたのが、お父様のことなのです」
「親父が? どうしてまた」
麗星は一度立ち上がり、しばらく迷ったような様子で、また座った。
「お父様のことも少しばかり調べたのでございます。石神家の直系であらせられる方で、本家をお若い頃に飛び出されたと」
「ええ。まあ、本家と言ってももう田舎で百姓ですけどね。地主ではありましたが、今はもう土地も多く売って、普通の暮らしですよ」
「はい。お父様は、そのような御暮らしが我慢できずに、東京へ出て来られたと」
「まあ、血の気の多い人でしたからね。でも、親父も結局普通の暮らしをしていました」
「お母さまとは同じ職場だったとか」
「ええ、レストランでね。でも、それが一体?」
麗星は俺を見ていた。
真剣で、それでいて深い迷いのあるような眼差しだった。
天真爛漫に生きているこの女には珍しいことだと思った。
「お父様は非常に真面目な方でいらっしゃいました」
「仕事はそうですね」
「そのお父様が、ある日突然に、石神様たちを捨てて行方不明になった」
「そうです。貯金を全部引き下ろして、家まで勝手に売って。お陰で大変でしたよ」
「はい。でも、わたくしには、そのことがどうしても」
「俺も知りませんが、要はいい加減で酷い奴だったということですよ」
俺は吐き捨てるように言った。
親父のことは、今でも俺の中で鬱屈している。
「わたくし、お父様の出奔の理由を知ってしまいましたの。偶然ではございましたが、道間家の記録に残っておりました」
「え?」
「そのことをお話しし、そしてお詫びしなければならず、このように押し掛けてしまいました」
「なんですって?」
「お父様は、ご立派な方でございました! わたくしが知る中で、最もご立派でございましたぁ!」
麗星が立ち上がり、叫んだ。
そして、語り出した。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「虎影(こえい)さん、本当に良かったのかい?」
吉原龍子が石神の父・虎影に話し掛けた。
待ち合わせた東京駅。
新幹線で二人で京都に向かう。
「ああ、いいんだよ」
3月の中旬。
身長180センチで逞しい体躯の虎影は薄く微笑んでそう言った。
「でも、ちゃんと話してあげた方が」
「いいんだ。あいつは気の小さい奴だからな。絶対に気にして何かしようとする。でも、何も出来るわけないんだ。俺が勝手に消えた方が、あいつも気楽に生きられるよ」
「だって、奥さんとお子さんは一文無しなんだろ? 家だって売っ払っちまって。どうすんだよ、これから」
「大丈夫だ! あいつは母親が大好きだからな。必ず何とかするよ。そこは信頼してる」
「でもまだ高校生なんだろ?」
「あのバカは、常識がねぇんだ。この俺もびっくりしまくりよ! だから絶対に何とかする。そういうバカだ」
「あんたねぇ」
虎影は笑っていた。
本当に信頼しているという顔だった。
「あいつがちゃんと大人になれるんだ。俺はそれだけでいいよ。貧乏にはもうすっかり慣れてる。あいつは金が無いなんてことは全然動じないよ」
「そんな……」
「でも、あいつきっと俺を恨むだろうなぁ。母親を苦しめた俺を、絶対に許さない。ああ、しょうがないな」
「いつか分かるよ」
「いや、絶対に話さないでくれよな。あのバカは道間にカチコミかけるに決まってる」
「そうだろうね」
「そりゃ、筋違いだよ。俺は本当に助けてもらったんだ」
そう言って、また虎影は笑った。
「あんたも本当にいいんだね」
「ああ! 道間には世話になった。なけなしの金でも全然足りない。だからな」
「そうかい。私ももう何も言わないよ。せめて見送りくらいはさせてくれ」
「うん。吉原さんにも随分と世話になったな。何も差し上げられなくて申し訳ない」
「いいさ。私は繋ぎをしただけだしね。それにあんたたちのような人間は放っておけないよ」
「いい人だな、本当に」
吉原龍子は、丁度来た売り子から幕の内弁当を二つ買った。
お茶と共に、虎影に渡す。
「すまんな。俺はもうまったく金が無くてな」
虎影は遠慮なく、弁当を開いて食べ始めた。
「お子さんね。随分難儀な運命だね」
「そうか」
「大変だよ。詳しいことは私にも見えないけどね。とにかく、何度死んでもおかしくない。到底、最後までは無理だっていう大きな運命だ。まあ、だから死ぬ所だったんだろうけどね。これまでは何とか助かったけどさ」
「そうか」
「あんた、心配じゃないのかい?」
虎影がまた笑った。
「いいさ。あいつの運命だ。あいつが何とかすればいい。俺はもう何も出来んけどな。だけどな、吉原さん。あいつだって尋常じゃないぞ。俺の子だからっていうわけじゃないけどな。ここまで育てて来たから分かる。あいつはきっとやるよ」
「そうかい」
「あいつな、大事な人間のためには何でもやるんだ。絶対にやる。そしてあいつはいろんな人間を大事にするバカなんだ。だから、あいつが何をしなきゃならないっていうのなら、あいつだったら必ずやり遂げるよ」
「随分信頼してるんだね」
「ああ! あいつのためなら命なんか惜しくない! そういう人間があいつの周りには集まるよ。あいつはバカだ。だから優しいんだよ」
「あんたも、命を捨てるんだね」
「俺は高虎の親だからな! 親が子のために命を捨てるなんて、当たり前じゃないか」
「そうだね。ああ、そうだ」
弁当を食べ終え、虎影が吉原龍子の分も持って捨てに行った。
「ああ、吉原さん。たかってばかりで申し訳ないんだけど、プリンが喰いたいんだ」
「プリン?」
「高虎が好きだったんだよ。あのバカ、全然似合わないのにな」
「そうかい。分かった」
吉原龍子が探しに行ったが、車内にプリンは売っていなかった。
「ちぇ、しょうがない。まあ、俺もこれ以上は贅沢はやめよう。そういうことなんだろうよ」
「すまないね。京都に着いたらさ」
「いや、道間の迎えが来ているだろうよ。待たせちゃ申し訳ない」
「あんた……」
京都駅に着いた。
「ここまで見送ってもらって、申し訳ない」
「いや、いいんだ。私がそうしたかったんだよ」
「弁当、美味かった。ありがとう」
「いや……」
虎影が微笑んで吉原龍子を見ていた。
「虎影さん。私、きっとお子さんの力になるよ」
「いいよ、あいつは勝手に生きるから」
「直接は無理だけどね。あまりにも運命が大きいから、私が入ると邪魔になる。だけど、必ずお子さんのためになるものを用意するから」
「ありがとう。宜しく頼みます」
「ああ、任せておくれ」
京都駅を出ると、どう見分けたか、スーツを着た数人に囲まれた。
無言で車に乗せられる。
「じゃあ、吉原さん! 本当にありがとう!」
「ああ、お子さんは必ず私が!」
虎影は笑ってうなずいた。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「それは……」
「はい。石神様のお父様は、石神様が成人する前に命を落とすという運命を、道間に頼みに来たのです」
「なんだと……」
「吉原龍子の伝手で。そのために大金を払ったのですが、それでは足りないと先代の宇羅が」
「……」
「ですから、虎影様は御自分の命を贖ったのです」
「!」
麗星は床に手を着いた。
「申し訳ありません!」
「いや、麗星さん。親父が決めてやったことです」
「いいえ! 違うのです!」
「麗星さん」
「石神様は、既に少年の頃に、大黒丸によって、運命を変えられていたのです」
「なんですって!」
「ですが、宇羅はそれを隠していました。虎影様の肉体と命を得るために!」
「!」
「道間が石神様たちを騙したのです! 虎影様はお命を奪われ、石神様たちも大変な苦労を背負わされた! 全て、この道間家のせいなのです!」
麗星はそのまま激しく泣いた。
「石神様! 死んでお詫びを! ですが石神様にお話ししてからと! どうか如何様にも責めて下さい! その上でこの命を絶ちます!」
俺は麗星を抱き上げた。
俺の胸で、麗星は一層泣いた。
「麗星さんは、最近それを知ったんですね」
麗星は泣いたまま首を縦に振った。
「教えてくれて、本当にありがとう。感謝します」
麗星が涙を流しながら俺の顔を見た。
「知らないまま、俺はずっと親父を恨んでいたでしょう。お袋は知らないまま逝ってしまいましたが。まあ、仕方が無い」
「石神様……」
「道間宇羅は、「業」に操られていた。だからでしょう。道間家のせいじゃありませんよ」
「でも、道間家が石神様の……」
「もういいんです。親父はきっと満足して死んだんでしょうから。俺のために、きっと笑って逝った」
「石神様……」
「俺は道間家に怨みなんて少しもありませんよ。以前も今も、心の底から感謝している」
「石神様……」
俺は麗星を抱き締めた。
宇羅のやったことで、どれだけ苦しんだことか。
本当に死ぬつもりでここに来たのだろう。
麗星は少し落ち着いてから、宇羅の人体実験とも言える非道な行ないの記録を探っていたのだと言った。
その中で、偶然に親父の名前を見つけた。
詳細な記録の中で、俺の命を救う約束で、親父の肉体と命をせしめたと知った。
麗星は話さなかったが、きっとどのような実験をしたのかも書いてあっただろう。
それを話さないのは、隠したいためではなく、俺の心を思ってのことだ。
「さあ、食事にしましょう。俺も腹が減った」
リヴィングには上がらず、亜紀ちゃんに二人分を応接室に運んでもらった。
亜紀ちゃんは麗星の様子から何かあったのは感じただろう。
でも、何も言わずに食事を置いて出て行った。
食事は、麗星が大好きなステーキだった。
子どもたちも知っている。
俺たちは無言で食べた。
親父は、最期に何を食べたのだろう。
ふと、そう思った。
ちょっといい物を食べたのなら嬉しい。
誰かが、そうしてくれたのなら。
そうだったら、嬉しい。
オペから戻ると、大森が麗星から電話があったと言った。
「なんだ、病院に掛けて来るなんて珍しいな」
俺はすぐに折り返した。
次のオペまで、まだ余裕があった。
すぐに麗星が電話に出る。
「石神様、至急お話ししたいことがあります」
「なんですか?」
「申し訳ありません。電話では、ちょっと」
麗星の態度がいつもと少し違う。
「もちろん、わたくしの方からそちらへ参りますので」
「分かりました。御足労をお掛けします。じゃあ俺の家まで来ていただけますか?」
「はい。あの、本当に申し訳ありません」
「いえ。麗星さんが仰るのなら、俺はいつでも」
「では、夕方に」
「ええ、子どもたちには言っておきますので」
それだけで電話が終わった。
麗星は、俺のためだとは一言も言わなかった。
これまでに無いことだった。
俺は家に電話をし、昼食を摂り、午後のオペをこなして家に帰った。
夕方の7時になった。
麗星は既に到着しており、応接室で待っていた。
亜紀ちゃんが玄関で俺を迎える。
「なんだよ、一緒に食事をしてるかと思ったぞ」
「それが、タカさんを待ってるからと、お食事も召し上がらないで」
「なんだ?」
俺は取り敢えず応接室へ入った。
ロボは亜紀ちゃんに任せる。
麗星が立ち上がった。
「急に押しかけまして、本当に申し訳ございません」
「いや、いつももっと堂々と押し掛けるじゃないですか」
「いえ、あの」
俺は笑ってソファに座るように言った。
亜紀ちゃんがコーヒーを淹れて来た。
麗星のものを取り換える。
一口も付けていなかった。
亜紀ちゃんが部屋を出てから、話し掛けた。
「それで、どのようなお話なんですか?」
「どこからお詫びして良いものか。あの、お叱りは如何様にもお受けしますので、最初からお話ししてもよろしいですか?」
「ええ。でも、麗星さんは俺のために何でもして下さっているのは分かっています。俺が怒ることなど、ありませんよ」
麗星はコーヒーを一口含んでから話し出した。
「実は、石神様のお父様のことなのでございます」
「え?」
余りにも意外な名前が出た。
「石神様のことは、失礼ながら以前に調べさせて頂きました」
「ええ、それは伺っていますし、別に俺も気にしてはいませんが」
「その中で、どうにもわたくしが納得出来なかったと言うか、引っ掛かっておりましたのが、お父様のことなのです」
「親父が? どうしてまた」
麗星は一度立ち上がり、しばらく迷ったような様子で、また座った。
「お父様のことも少しばかり調べたのでございます。石神家の直系であらせられる方で、本家をお若い頃に飛び出されたと」
「ええ。まあ、本家と言ってももう田舎で百姓ですけどね。地主ではありましたが、今はもう土地も多く売って、普通の暮らしですよ」
「はい。お父様は、そのような御暮らしが我慢できずに、東京へ出て来られたと」
「まあ、血の気の多い人でしたからね。でも、親父も結局普通の暮らしをしていました」
「お母さまとは同じ職場だったとか」
「ええ、レストランでね。でも、それが一体?」
麗星は俺を見ていた。
真剣で、それでいて深い迷いのあるような眼差しだった。
天真爛漫に生きているこの女には珍しいことだと思った。
「お父様は非常に真面目な方でいらっしゃいました」
「仕事はそうですね」
「そのお父様が、ある日突然に、石神様たちを捨てて行方不明になった」
「そうです。貯金を全部引き下ろして、家まで勝手に売って。お陰で大変でしたよ」
「はい。でも、わたくしには、そのことがどうしても」
「俺も知りませんが、要はいい加減で酷い奴だったということですよ」
俺は吐き捨てるように言った。
親父のことは、今でも俺の中で鬱屈している。
「わたくし、お父様の出奔の理由を知ってしまいましたの。偶然ではございましたが、道間家の記録に残っておりました」
「え?」
「そのことをお話しし、そしてお詫びしなければならず、このように押し掛けてしまいました」
「なんですって?」
「お父様は、ご立派な方でございました! わたくしが知る中で、最もご立派でございましたぁ!」
麗星が立ち上がり、叫んだ。
そして、語り出した。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「虎影(こえい)さん、本当に良かったのかい?」
吉原龍子が石神の父・虎影に話し掛けた。
待ち合わせた東京駅。
新幹線で二人で京都に向かう。
「ああ、いいんだよ」
3月の中旬。
身長180センチで逞しい体躯の虎影は薄く微笑んでそう言った。
「でも、ちゃんと話してあげた方が」
「いいんだ。あいつは気の小さい奴だからな。絶対に気にして何かしようとする。でも、何も出来るわけないんだ。俺が勝手に消えた方が、あいつも気楽に生きられるよ」
「だって、奥さんとお子さんは一文無しなんだろ? 家だって売っ払っちまって。どうすんだよ、これから」
「大丈夫だ! あいつは母親が大好きだからな。必ず何とかするよ。そこは信頼してる」
「でもまだ高校生なんだろ?」
「あのバカは、常識がねぇんだ。この俺もびっくりしまくりよ! だから絶対に何とかする。そういうバカだ」
「あんたねぇ」
虎影は笑っていた。
本当に信頼しているという顔だった。
「あいつがちゃんと大人になれるんだ。俺はそれだけでいいよ。貧乏にはもうすっかり慣れてる。あいつは金が無いなんてことは全然動じないよ」
「そんな……」
「でも、あいつきっと俺を恨むだろうなぁ。母親を苦しめた俺を、絶対に許さない。ああ、しょうがないな」
「いつか分かるよ」
「いや、絶対に話さないでくれよな。あのバカは道間にカチコミかけるに決まってる」
「そうだろうね」
「そりゃ、筋違いだよ。俺は本当に助けてもらったんだ」
そう言って、また虎影は笑った。
「あんたも本当にいいんだね」
「ああ! 道間には世話になった。なけなしの金でも全然足りない。だからな」
「そうかい。私ももう何も言わないよ。せめて見送りくらいはさせてくれ」
「うん。吉原さんにも随分と世話になったな。何も差し上げられなくて申し訳ない」
「いいさ。私は繋ぎをしただけだしね。それにあんたたちのような人間は放っておけないよ」
「いい人だな、本当に」
吉原龍子は、丁度来た売り子から幕の内弁当を二つ買った。
お茶と共に、虎影に渡す。
「すまんな。俺はもうまったく金が無くてな」
虎影は遠慮なく、弁当を開いて食べ始めた。
「お子さんね。随分難儀な運命だね」
「そうか」
「大変だよ。詳しいことは私にも見えないけどね。とにかく、何度死んでもおかしくない。到底、最後までは無理だっていう大きな運命だ。まあ、だから死ぬ所だったんだろうけどね。これまでは何とか助かったけどさ」
「そうか」
「あんた、心配じゃないのかい?」
虎影がまた笑った。
「いいさ。あいつの運命だ。あいつが何とかすればいい。俺はもう何も出来んけどな。だけどな、吉原さん。あいつだって尋常じゃないぞ。俺の子だからっていうわけじゃないけどな。ここまで育てて来たから分かる。あいつはきっとやるよ」
「そうかい」
「あいつな、大事な人間のためには何でもやるんだ。絶対にやる。そしてあいつはいろんな人間を大事にするバカなんだ。だから、あいつが何をしなきゃならないっていうのなら、あいつだったら必ずやり遂げるよ」
「随分信頼してるんだね」
「ああ! あいつのためなら命なんか惜しくない! そういう人間があいつの周りには集まるよ。あいつはバカだ。だから優しいんだよ」
「あんたも、命を捨てるんだね」
「俺は高虎の親だからな! 親が子のために命を捨てるなんて、当たり前じゃないか」
「そうだね。ああ、そうだ」
弁当を食べ終え、虎影が吉原龍子の分も持って捨てに行った。
「ああ、吉原さん。たかってばかりで申し訳ないんだけど、プリンが喰いたいんだ」
「プリン?」
「高虎が好きだったんだよ。あのバカ、全然似合わないのにな」
「そうかい。分かった」
吉原龍子が探しに行ったが、車内にプリンは売っていなかった。
「ちぇ、しょうがない。まあ、俺もこれ以上は贅沢はやめよう。そういうことなんだろうよ」
「すまないね。京都に着いたらさ」
「いや、道間の迎えが来ているだろうよ。待たせちゃ申し訳ない」
「あんた……」
京都駅に着いた。
「ここまで見送ってもらって、申し訳ない」
「いや、いいんだ。私がそうしたかったんだよ」
「弁当、美味かった。ありがとう」
「いや……」
虎影が微笑んで吉原龍子を見ていた。
「虎影さん。私、きっとお子さんの力になるよ」
「いいよ、あいつは勝手に生きるから」
「直接は無理だけどね。あまりにも運命が大きいから、私が入ると邪魔になる。だけど、必ずお子さんのためになるものを用意するから」
「ありがとう。宜しく頼みます」
「ああ、任せておくれ」
京都駅を出ると、どう見分けたか、スーツを着た数人に囲まれた。
無言で車に乗せられる。
「じゃあ、吉原さん! 本当にありがとう!」
「ああ、お子さんは必ず私が!」
虎影は笑ってうなずいた。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「それは……」
「はい。石神様のお父様は、石神様が成人する前に命を落とすという運命を、道間に頼みに来たのです」
「なんだと……」
「吉原龍子の伝手で。そのために大金を払ったのですが、それでは足りないと先代の宇羅が」
「……」
「ですから、虎影様は御自分の命を贖ったのです」
「!」
麗星は床に手を着いた。
「申し訳ありません!」
「いや、麗星さん。親父が決めてやったことです」
「いいえ! 違うのです!」
「麗星さん」
「石神様は、既に少年の頃に、大黒丸によって、運命を変えられていたのです」
「なんですって!」
「ですが、宇羅はそれを隠していました。虎影様の肉体と命を得るために!」
「!」
「道間が石神様たちを騙したのです! 虎影様はお命を奪われ、石神様たちも大変な苦労を背負わされた! 全て、この道間家のせいなのです!」
麗星はそのまま激しく泣いた。
「石神様! 死んでお詫びを! ですが石神様にお話ししてからと! どうか如何様にも責めて下さい! その上でこの命を絶ちます!」
俺は麗星を抱き上げた。
俺の胸で、麗星は一層泣いた。
「麗星さんは、最近それを知ったんですね」
麗星は泣いたまま首を縦に振った。
「教えてくれて、本当にありがとう。感謝します」
麗星が涙を流しながら俺の顔を見た。
「知らないまま、俺はずっと親父を恨んでいたでしょう。お袋は知らないまま逝ってしまいましたが。まあ、仕方が無い」
「石神様……」
「道間宇羅は、「業」に操られていた。だからでしょう。道間家のせいじゃありませんよ」
「でも、道間家が石神様の……」
「もういいんです。親父はきっと満足して死んだんでしょうから。俺のために、きっと笑って逝った」
「石神様……」
「俺は道間家に怨みなんて少しもありませんよ。以前も今も、心の底から感謝している」
「石神様……」
俺は麗星を抱き締めた。
宇羅のやったことで、どれだけ苦しんだことか。
本当に死ぬつもりでここに来たのだろう。
麗星は少し落ち着いてから、宇羅の人体実験とも言える非道な行ないの記録を探っていたのだと言った。
その中で、偶然に親父の名前を見つけた。
詳細な記録の中で、俺の命を救う約束で、親父の肉体と命をせしめたと知った。
麗星は話さなかったが、きっとどのような実験をしたのかも書いてあっただろう。
それを話さないのは、隠したいためではなく、俺の心を思ってのことだ。
「さあ、食事にしましょう。俺も腹が減った」
リヴィングには上がらず、亜紀ちゃんに二人分を応接室に運んでもらった。
亜紀ちゃんは麗星の様子から何かあったのは感じただろう。
でも、何も言わずに食事を置いて出て行った。
食事は、麗星が大好きなステーキだった。
子どもたちも知っている。
俺たちは無言で食べた。
親父は、最期に何を食べたのだろう。
ふと、そう思った。
ちょっといい物を食べたのなら嬉しい。
誰かが、そうしてくれたのなら。
そうだったら、嬉しい。
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