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瑠璃玻

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 あいつが帰った。
 随分と今回は世話になった。
 まさか、こんなに早く、栞と士王に会わせてもらえるとは思っていなかった。

 「あの人がね、おじいちゃんに早く会わせてやろうって言ってたの」
 「そうなのか」

 アラスカで、栞がそう話してくれた。

 「きっと楽しみにしてるから、連れて来たら喜ぶだろうってね」
 「そうだったか。あいつがな」
 「うん。あ、だから喧嘩しないでね?」
 「ああ」
 「もう、二人が喧嘩すると口が汚いんだから!」
 「分かってる」
 「士王がヘンな言葉覚えたら大変だからね!」
 「分かってるよ。喧嘩はしない」
 「ほんとにね!」

 久しぶりに、栞とゆっくりと話せた。
 しかも、曾孫の士王までが目の前にいる。
 一目見て分かった。
 花岡の集大成を実現する子どもだ。

 もう、いつ死んでもいい。
 自分の人生に満足している。
 すべて、あいつのお陰だ。

 懐かしく、昔のことを思い出した。

 あいつのお陰だ。
 



 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 父・無有(むう)に命じられ、敗戦間際の中国大陸で「花岡」の実戦を経験した。
 どのような敵も撃破出来ることが分かった。
 本気で戦えば、壊滅しつつある関東軍を盛り返せたかもしれない。
 しかし、それは命じられなかった。
 恐らく、まだ自分には出来ないのだろう。

 日本に戻ってからは、またひたすら「花岡」の技を磨いた。
 そして18歳の時に、父から命じられて嫁を取った。

 「花岡家の遠縁の娘だ。瑠璃玻(るりは)と言う。今日からお前の妻だ」

 そう紹介されただけだ。
 でも、わしには十分だった。
 16歳の美しい娘だった。




 その日から瑠璃玻は自分の妻として、共に生活するようになった。
 わしの毎日は全く変わらない。
 ただ、瑠璃玻が食事の用意をし、身の回りの世話をし、そして夜は一緒に寝た。
 
 すぐに、瑠璃玻が美しいだけでなく、心根の優しい女であることが分かった。
 わしのような特殊な男を怖がりもせずに、尽くしてくれた。
 いつの間にか、わしも瑠璃玻を大切に思うようになった。

 子どもはなかなか出来なかった。
 分かっている。
 花岡家の子どもは、非常に出来にくい。
 だから、わしも外で多くの女を囲うように言われた。
 何人もの女たちを抱き、子の数を揃えた。

 ようやく瑠璃玻も妊娠した。
 わしは天にも昇る喜びを感じた。

 「身体を大事にしろ」
 「はい。きっと元気な御子を産みます」
 「頼む」

 瑠璃玻は男児を生み、「雅」と名付けた。
 父・無有は既に亡くなっていた。
 生きていれば当主の権限で、もっと恐ろしい名を付けただろう。
 雅は健康に育って行った。




 一度だけ、三人で花火大会を見に行った。
 珍しく、瑠璃玻がせがんだ。
 わしは忙しいと一度は突っぱねたが、瑠璃玻は何度も頼み込んで来た。

 「なんじゃ、お前らしくもない」
 「申し訳ありません。でも、一度だけで良いのです」

 いつになく折れない瑠璃玻を不思議に思った。

 「何かあったのか?」
 「いえ。でも、雅にも見せてあげたく」
 「そうか」

 腑には落ちなかったが、わしは出掛けることにした。
 門下生に車を出させ、三人で花火見物をした。
 途中で出店があり、瑠璃玻がわしに断って雅にソフトクリームを買った。
 雅が初めて食べるソフトクリームに喜んでいた。

 「美味しい?」
 「はい! とても!」
 「ウフフフ」

 瑠璃玻も嬉しそうだった。

 「そんなものが美味いのか」
 「はい! 父上!」

 雅がわしの顔を向いて笑っていた。

 大輪の花火が次々と打ち上がり、三人で眺めた。
 大勢の人間の中で、わし一人が緊張していた。
 わしには敵が多い。
 瑠璃玻がわしの手を握って来た。

 「綺麗ですね」
 「ああ」

 わしは一緒に花火を見上げた。
 花火の光に照らされた瑠璃玻の顔が美しかった。
 今でも忘れられない。

 その翌年に、瑠璃玻が死んだ。





 「おい! しっかりしろ!」

 道場にわしを呼びに来た瑠璃玻が突然倒れた。
 意識が無い。
 すぐに病院へ運んだ。

 「脳腫瘍です。この大きさでは、治療の見込みはありません」

 検査の後で、そう言われた。
 しかも、転移が始まっていた。

 「あと半年とお考え下さい」

 わしは目の前が暗くなった。
 花岡の当主として、わしは研鑽を重ねながら、一族の繁栄のために働いていた。
 随分と残酷なこともした。
 そのことで悩んだことはない。

 「天罰か」

 そう思った。
 わしに降れば良いものを。
 しかし、瑠璃玻に降るのならば、それが最もわしを苦しめることだと分かっていた。

 瑠璃玻は数か月後に意識を完全に喪った。
 痩せ衰えた身体で、何度もわしに「すみません」と言っていた。

 「雅を宜しくお願いします」

 それが最期の瑠璃玻の言葉だった。
 
 医者の言った通り、瑠璃玻は半年後に死んだ。




 雅を厳しくは仕込んだが、自分がやってきたような、残酷な試練は与えなかった。
 考えたことはあるが、いつも、瑠璃玻の最期の言葉が思い出された。 
 雅は表の道場で、門下生に親しまれるようになっていった。
 実力はあるが、「花岡」の神髄に触れることはないだろう。
 それは、わしが次代に授ければよい。
 そう考えるようになっていた。

 「親父。俺は弱いなぁ」
 「そうだな」
 「申し訳ない。でもな、きっといい後継者を生むよ」
 「そうしろ」
 「ああ。だから親父はもうちょっと長生きしてくれな」
 「わかっておる」

 雅は、千両弥太の娘・菖蒲を娶った。
 千両の娘らしく、気立ての良い女だった。

 そして雅が本当に、最高の後継者を生んだ。
 「螺旋の女」。
 花岡家がこれまで飛躍した元となる女がそう呼ばれている。
 花岡家の歴史の奥深くに達する子を産む女。

 「栞」が生まれた。

 雅と菖蒲、そして栞とわしの四人。
 あの時代が最も幸せだった。
 毎日三人が笑い、わしまでも時折笑った。



 
 そして栞は成長し、石神高虎を連れて来た。

 あの日の衝撃は忘れない。
 わしの方が遙かに強かった。
 しかし、あいつに勝てると思えなかった。
 あいつが身にまとっているもの。
 それは人間のものではない。
 自分を抑え切れずに、あいつに襲い掛かっていた。
 
 負けた。

 初見でかわせるはずのない「花岡」の技が、ことごとくあいつに悟られ、崩された。

 その後、栞があいつが連れて来た子どもたちを紹介していった。

 「この双子ちゃんが瑠璃ちゃんと玻璃ちゃんですよ」
 「!」

 わしは必死に動揺を隠し、誰にも悟らせなかった。

 
 《時は巡り、我は佇む》


 わしは、自分が何か重要な時代の輪の中にいるのを悟った。
 石神高虎という男を中心に巡る物語だ。

 そして「花岡」がその中心軸の一つにある。
 わしが瑠璃玻と巡り合ったことも、大きな輪の中での運命だったのだと感じた。




 また、いつの日か、わしは瑠璃玻と巡り合うことが出来るのだろうか。

 あいつならば。

 そう思ってしまう自分に笑った。
 わしを笑わせる人間は少ない。
 



 あいつが帰った後、わしは久しぶりに大声で笑った。
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