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奈津江 XⅣ

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 顕さんは俺たちの仕事が終わる頃に、従業員通用口で待っていた。
 毎日ではなかったが、しょっちゅう来て奈津江と一緒に帰った。
 何度か俺も誘われて、銀座で食事をした。
 焼き鳥屋のこともあれば、エスコフィエで本格フレンチもご馳走になった。
 毎回顕さんが支払いをするので、一度だけ俺と奈津江で顕さんをご馳走しようとした。
 スペイン料理の店だった。




 「顕さん! 今日は二人でご馳走しますから!」
 「そんな、悪いよ」
 「何言ってんですか! 遠慮しないでどんどん食べて下さい」

 一応コースを頼んだが、俺が美味そうなものを追加で頼む。
 俺も奈津江もスペイン料理など知らない。
 マッシュルームのアヒージョが出て来て、二人で美味くて驚いた。
 顕さんは、そんな俺たちを楽しそうに見ていた。

 「石神くん、本当に結婚してくれな」
 「はい!」
 「よし!」

 三人で笑った。
 奈津江が毎回俺の皿に先に取り分けるので、顕さんを先にしろと言った。
 
 「あ、そうだった!」

 顕さんが嬉しそうに笑った。

 「お兄ちゃん、高虎ってすごいのよ!」

 奈津江が俺のバイトの様子を話した。

 「冷凍のマグロって、カチンカチンなのね。でも高虎が包丁でスパスパ切っちゃうの!」
 「あれはちゃんと特訓したからだって」
 「えー! 普通は無理だよ」
 「あー、僕も見たよ! 上手い捌きだよね」
 「そんなことは」

 顕さんが見に来てくれたことがあった。

 「あとね、こないだメロンのワゴンセールしたの」
 「うんうん」
 「30分で全部売っちゃったよね!」
 「あー、あれは凄かったよな」
 「100個あったのよ? それが最初から人だかりで、あっという間に売れちゃった」
 「ほとんど袋に入れる手間の時間だったよなぁ」
 「ほんと! 店の人が手伝おうとしたら、お客さんが「このお兄さんにやってもらいたいの!」って怒り出しちゃって」
 「アハハハハハ!」

 顕さんが大笑いした。

 「八百屋でも、みんな高虎のところに野菜を持ってくの!」
 「品出しも店の人にやってもらっちゃって、申し訳ないんだけどなぁ」
 「だって高虎が行こうとすると止められるじゃない」
 「そうなんだよなぁ」

 「やっぱり石神くんは凄いね!」
 「いや、困りますよ」
 「そう! 困るの!」

 奈津江が叫んだ。

 「高虎、何回誘われた?」
 「え?」
 「ほら、飲みに行こうとか一緒に食事だのって」
 「あー」
 「私がいるって知ってる人も、まだ誘いに来るでしょう!」
 「全部断ってるよ」
 「当たり前だぁー!」

 奈津江が両手を上げて叫んだ。
 みんなが注目する。

 「でも、しょっちゅういろんなもの貰ってるよね」
 「ああ。賞味期限切れのものとかだけどな。でも大体断ってるぞ?」
 「そうなの?」
 「まあ、肉屋とか魚屋で、買い物するとサービスはしてもらうけどな」
 「どんな?」
 「こないだマグロの赤身を買ったら、カニを一つもらった」
 「ゲェー! 工藤さんでしょう!」
 「あ、ああ」
 「あの人も高虎を狙ってるもんね!」
 「そうなのか?」
 「そのカニはどうしたのよ!」
 「え? 弁当にして、お前に喰わせたじゃん」
 「アァー! そういえば食べたー!」

 顕さんが笑った。
 ハモンセラーノが美味かったので、顕さんと少しワインを飲んだ。

 「石神くんにはお世話になりっぱなしだね」
 「そんなことは。奈津江はカワイイですから」
 「よし! いいこと言ったー!」

 「奈津江も頑張ってるんですよ。ジュースの売上もどんどん伸びてますし」
 「うん!」
 「向かいのフルーツ屋の店員がお前のことを狙ってたんだよな」
 「え?」
 「ほら、時々お前を手伝ってただろう?」
 「あー、そういえば」
 「だからな。ちょっと話し合った」
 「え?」
 「話が分かる奴で良かったよ」
 「なんか、急に寄って来なくなったんだけど」
 「話し合いのお陰だな!」
 「なんか、コワイんですけどー!」

 顕さんが笑った。

 「俺の奈津江に手を出そうなんてなぁ。いい度胸だぜ」
 
 顕さんがハモンセラーノを気に入ったのか、追加で注文した。
 俺たちが美味いと喜んだアヒージョも頼む。

 「楽しそうだな。僕も誰かとお付き合いしようかな」
 「「是非!」」

 顕さんが声を上げて笑った。

 「顕さんは誰か好きな人はいなかったんですか?」
 「そうだなー」
 「あ! お兄ちゃん、いるのね!」
 「アハハハ」

 顕さんは俺たちにもっと食べろと言った。

 「昔ね。一度だけ付き合ったことがあるかな」
 「「エェー!」」
 「若い頃にね。ああ、ちょっとだけだよ。でも僕がつまらない男だから。フラれてしまったよ」
 「バカな女ね! こんなにいいお兄ちゃんなのに!」
 「アハハハ。でも僕なんかがいいなんて、あの人だけだったな」
 
 顕さんがトイレに行くと言った。

 「高虎」
 「なんだ?」
 「私、多分その人に会ってる」

 奈津江が呟いた。

 「え?」
 「家にお兄ちゃんが連れて来た。多分その人。でも私が泣いちゃったから」
 「なんだって?」
 「お兄ちゃんが取られると思って泣いちゃったの。だからお兄ちゃんは」
 「そうだったのか」

 俺は奈津江の肩を抱き寄せた。

 「顕さんらしいな」
 「うん」

 奈津江は悲しそうな顔をしていたが、顕さんが戻る前に無理に笑っていた。

 「そろそろ帰ろうか」

 戻って来た顕さんが言った。

 「はい。じゃあ俺、会計をして来ますね!」
 「いいよ、今払って来た」
 「「エェー!」」
 
 「今日は楽しかったよ。ありがとうな」
 「そんなぁ! 折角今日は二人でご馳走するんだって思ってましたのに!」
 「また誘ってくれよ。楽しみにしてるから」
 「顕さん……」

 俺が何度も払うと言ったが、顕さんは笑って断り続けた。
 まったく、そういう人だった。
 自分のことなど、一切構わない人だった。
 ただ、奈津江の笑顔、奈津江の幸せを願う人だった。




 今日は奈津江が楽しそうに俺の話をした。
 だったら、顕さんは絶対に俺たちにご馳走にはならない。
 そういう人だった。

 もう、顕さんを本当に幸せにしてくれる人間はいない。
 だったら、俺がやろう。
 奈津江のために、何でもしてくれた人だ。
 だったら、俺が顕さんのために何でもしよう。



 そう思っている。
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