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サーカスの男

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 俺は廊下で一人の老人に呼び止められた。
 響子の所へ行き、部屋へ戻るところだった。

 「あの、もしかして」
 「はい?」

 入院患者だ。
 浴衣を着ている。
 知らない男だ。

 「トラって呼ばれてた人?」
 「え?」

 思い出せない。
 
 「やっぱり! ほら! 昔サーカスでライオンとか虎を」
 「ああ!」

 やっと思い出した。
 俺の田舎でサーカスが来た時に、猛獣使いだった人だ。
 恰幅のいい身体になって年を取っていたが、面影が少しだけ残っていた。

 「ああ、懐かしいなぁ!」
 「ええ、本当に」

 俺は入院患者のための休憩室へ連れて行き、話をした。

 「もう20年以上前ですか」
 「そうだなぁ。俺もあの後でサーカスを辞めて商売を始めてね」
 「そうだったんですね」
 「そこそこ上手く行ってたんだ。でも肝臓を壊しちゃってねぇ」
 「大変ですね」
 「まあ、しばらく入院すればね。酒が好きだから」
 「アハハハハ」

 俺たちは懐かしく話し合った。
 そして、レイの最期を聞いた。




 家に帰り、風呂に入った。
 亜紀ちゃんが一緒に入りたがったが、断った。
 俺の雰囲気を察し、亜紀ちゃんもあまりせがまなかった。
 酒を飲もうとすると、亜紀ちゃんが一緒に飲んでもいいか聞いて来る。
 俺は椅子を勧めた。

 「タカさん、何かあったんですか?」
 「ああ」
 「それって聞いても?」
 
 俺はワイルドターキーを煽った。

 「今日な、前に話したサーカスの猛獣使いだった人と偶然会ったんだ」
 「え!」
 「うちの病院に入院しててな。廊下ですれ違ったら、向こうが気付いた」
 「そうだったんですか」

 「レイの話を聞いた」
 「はい」

 亜紀ちゃんは分かったようだ。

 俺は話した。




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 時代が変わり、サーカスはどんどん下火になっていった。
 日本中で土地の再開発や住宅地が増え、サーカスを呼ぶ場所も少なくなっていった。
 テレビが新たな娯楽の代表となっていった。

 「それでも何とかね。俺たちは続けていたんだ」

 猛獣使いは懐かしそうに語った。

 「兄さんの事件さ。本当は大事だったんだけど、刑事さんが上手く揉み消してくれたんだ」
 「へぇー」

 佐野さんだろう。

 「虎が逃げたんじゃなくて、子どもが悪戯で檻を開けちゃったんだって」
 「え、そうなんですか?」

 俺を指さしていた。

 「君が逃がしたことになったんだよ」
 「えぇー!」
 「被害に遭ったサーカスの方は君を訴えない。だから事件にもならずに収まった」
 「ひでぇ!」
 「アハハハハハ!」

 俺も笑うしかなかった。
 一緒に笑った。


 「あの時からだな。レイが人間を信頼するようになった」
 「レイが?」
 「ああ。それ以前は気難しい奴だったんだよ。いつも俺の隙を狙っていた。命令には一応従うけど、常に反抗しようとしていたな」
 「そうなんですか」

 そう言えば、気難しいとか時々手に負えなくなるとか言っていたように思う。

 「だけど、兄さんがレイを連れ戻してくれて、そこからレイは人間を認めるようになった」
 「どういうことです?」
 「俺が命じなくても、人間を大事にするようになったってことだ。むしろ、他のライオンたちの方が怖かったな」
 「そうですか」

 猛獣使いだった人は、遠くを見る目をしていた。

 「レイもいい加減年を取ってな。もう火の輪潜りも大ジャンプも出来なくなった。でもステージで子どもを背中に乗せたりして、人気者だったんだ」
 「ああ、見たかったですね」
 「本当に優しい奴だったよ」

 そう言って、また遠くを見る目をした。


 「でも、ついに終わりが来た。興行中に火事を起こしたんだ」
 「え?」
 「三人死んだ。子どもの観客だ。テントも全部焼け落ちたし、座長も警察に捕まってね。どうしようもなかった」

 原因は、雇った外国人だった。
 「火吹き男」として入って来たそいつは、アル中だった。
 座長も他の人間も止めていたが、度々ステージにも酩酊して上がった。

 「ほら、俺のショーのメインで「火の輪潜り」をやったろ?」
 「はい、覚えてます」
 「以前は俺が輪に火を点けてたんだけど、「火吹き男」がそれをやるようになったんだ」

 白人の逞しい男だったようだ。
 ガロンの缶を軽々と抱え、中のガソリンを飲んで火を吹いた。

 「それがな、その日はいつもより酒を飲んでいたようで。火を吹いてる途中でガロン缶を引っ繰り返した。たちまちステージは火の海よ。前で客に愛想を撒いていたダンサーのレースの衣装に火が移ってな」

 大変なことになったらしい。

 「その時にさ、レイが飛び出して、ダンサーを押し倒した。自分の身体で火を消したんだ」
 「おお!」
 「観客たちは大騒ぎでテントから出ようとした。でも、鉄骨にグリースを塗ってたのが不味かった。それに舞台の後ろのジャングルの書割にたちまち燃え広がって、テントも猛烈に燃え出した」

 1000人近い観客が押し合って出口を目指した。
 何人も押し倒され、地獄のようだったと猛獣使いが言った。

 「三頭のライオンが暴れて、観客を襲いながら逃げようとした。その時にレイが客席を乗り越えて、燃えるテントを引き裂いたんだ。そこから大勢が逃げることが出来た」
 「レイ……」

 「俺も観客の後ろから必死に逃げたよ。他の団員もな。でもな、中には押し倒された人たちがまだいた。天井から火の点いた布が振って来るし、徐々に鉄骨も降って来た。俺は団長に言われてライオンたちを探した」
 「大変ですね」
 「ああ。手分けして何とか檻には入れたんだけどな。レイがなぁ」
 「レイは?」
 「テントの中にいた観客を咥えて何度も助けてた」
 「!」

 「そのうち消防隊が来て、消火と救助を始めたが、もう火の勢いは物凄くてな」
 「……」

 「焼け跡から、レイの死骸が出て来た。傍には小さな子どもが三人死んでた。レイも力尽きたんだな」
 「そうだったんですか」
 「消防の人から聞いたんだ。燃え落ちるテントの中から、虎が悲しそうに鳴くのを聞いたって。あいつ、助けたかったんだろうなぁ」
 「そうですね」

 「団長は捕まり、サーカスは解散。俺は貯めてた金で商売を始めた。でもな、あのサーカスの日々が今でも懐かしいんだ」
 「はい」
 「あのレイな。あいつのことが忘れられない」
 「はい」
 「兄さんのお陰だ。レイは、あんなにスゲェ奴になった。俺はあれから腑抜けた人生を送ってるように思えてしょうがねぇ。俺もあそこでレイと一緒に死んでればなぁ。毎日そう思うんだよ」
 「そんなことはありませんよ。人生なんて、思い通りにならなくて当たり前です」
 「そうだな。兄さんに言われると、なんだかちょっとホッとするよ」
 
 俺は話を切り上げた。

 「今日はお話が伺えて、本当に良かったです」
 「俺もな。兄さんにまた会えて、レイの最期を話せて良かった。俺の人生も、ちょっとは意味があったかな」
 「そんな。お身体をお大事に」




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 亜紀ちゃんは酒を飲まずに黙って聞いていた。
 ロボが小さく鳴いて、俺の膝に上がった。
 身体を撫でてやる。

 「やっぱりあいつはスゲェな!」
 「はい!」

 「亜紀ちゃん、俺の親友はいいだろう」
 「はい!」
 
 「また、向こうで会えるさ」
 「はい! でも、まだずっと先ですよ!」
 「分かったよ」
 「楽しみですけどね!」
 「ああ」
 「私もちゃんと紹介して下さいね!」
 「そうだな」





 俺は後日、レイの絵を描いた。
 ペンと木炭だった。

 双子が絶賛してくれた。
 嬉しかった。
 そしてこんなことしか出来ない俺を許してくれ、レイ。
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