上 下
851 / 2,859

フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン

しおりを挟む
 8月初旬の水曜日。
 俺はレイと、俺の部屋のテラスで星を見ながら飲んでいた。
 亜紀ちゃんは真夜と夜遊びで、柳はレポートの作成に追われていた。

 倉庫に仕舞い込んだ「タカハシ」の天体望遠鏡を引っ張り出し、組み上げた。
 二人で酒を飲みながら、惑星や月を眺める。

 「石神さん、素敵ですね」
 「星はいいよなー!」

 月は満月に向かって膨らんでいくところだ。
 望遠鏡で見てもいいし、肉眼で眺めてもいい。
 椅子を二脚と、小さなテーブルを置いて、あれこれと話した。

 ♪ Fly me to the moon Let me sing among those stars ♪

 俺はバート・ハワードの「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」を歌った。
 レイは静かに聴いている。

 「石神さんは、時々この歌を歌いますよね」
 「ああ、そうだな」

 レイは俺の言葉を待っていた。
 白状しろという顔をしている。
 俺は笑った。

 「なんだよ、亜紀ちゃんみたいだな」
 「石神さんの思い出のお話は素敵なので」
 
 俺は以前に亜紀ちゃんに話した「ミユキ」の話をレイにした。
 幼い頃の火傷で左半身が醜く引き攣れていたミユキ。
 しかし、その傷を乗り越え、JAXAで輝かしい実績を挙げた。
 俺の誇らしい友達。

 「ミユキとは一度一緒に入院したことがあるんだ」
 「そうなんですか」



 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
 


 小学6年生の11月。
 俺はいつものごとく、高熱が下がらずに入院していた。
 普段は家で大人しくしているのだが、40度以上の熱が4日続き、お袋が心配して入院することになった。

 俺は身体もでかくなっていたので、小児病棟ではなく一般病棟にいた。
 どうせ仲の良い入院患者と遊びたがる。
 だから歩き回らせないように、最初から大人の6人部屋に入っていた。

 病院には「トラ文庫」があり、俺のためにみんなが寄付してくれた本棚がある。
 入院した人が、もういらないからと置いて行ってくれたものや、医者や看護婦の人たちの寄付、そしてエロ魔人のチョーさんは沢山のエロ本を残して行ってくれた。
 チョーさんは今はいないが、酒好きだから、どうせまた胃腸か肝臓を悪くして戻って来る。

 俺は静馬くんにもらった、三島由紀夫の『美しい星』を家から持って来ていた。
 何度も読んでいる、お気に入りだった。

 熱が少し引き、39度台になった。
 俺は病院内を少し歩き回るようになった。
 それも、いつものことだ。

 廊下でミユキに会った。

 「石神くん!」
 「ミユキじゃん! どうしたんだ?」
 「石神くんこそ。また入院?」
 「おう! もう大分いいけどな」

 俺たちは廊下のソファに座って話した。
 ミユキは、お父さんの勧めで皮膚移植を試みるのだと言っていた。

 「太ももとかからね、切り取って顔に移植するんだって」
 「そうなのか! 上手く行くといいな!」
 「うん!」

 俺は友達が一緒で嬉しくなった。
 「トラ文庫」を見せ、好きな本を持って行けとミユキに勧めた。
 エロ本が一杯で、ミユキが青ざめた。

 「あ! まともな本もあるから!」
 「え、でも……」
 「俺のはそういうの! エロ本は他の人のだから!」
 「でも「トラ文庫」って書いてあるよ?」
 「あ、アハハハハハ!」
 「ウフフフフ」

 ミユキも笑った。
 
 俺は知り合いの入院患者を紹介し、看護婦の仲のいい人や、俺に親切な医者も紹介していく。
 俺が一番信頼する医者に、ミユキを紹介した。

 「南条先生! ミユキは俺の友達なんです!」
 「そうか、よろしくね。でも今診察中だからね」
 「ミユキ、南条先生なら絶対大丈夫だよ。俺が頼んでやる!」
 「ほんとに!」
 「ああ、この病院で最高の医者だからな!」
 「おい、トラ!」
 「南条先生! ミユキの手術をお願いします!」
 「無理言うな!」
 「頼みますよー!」
 「俺は内科だ! それと、早く出て行け!」

 ミユキが大笑いした。

 俺はよくミユキの病室へ遊びに行った。
 ミユキは俺が大人たちに混じっているので、ちょっと苦手そうだった。
 たまに来ると、みんなが俺を冷やかした。

 「トラ! 彼女か!」
 「病院の中でヘンなことすんなよ!」
 「うるせぇ!」

 ミユキは最初は怖がっていたが、自分の容姿を気にしない連中に、次第に慣れて一緒に笑うようになった。

 


 俺はミユキを誘って、夜に屋上へ上がった。
 俺は毛布を二枚持って行った。

 「石神くん、こんなことしていいの?」
 「大丈夫だよ」

 外はもう寒い。
 俺たちは毛布にくるまって、屋上で星を眺めた。

 「綺麗ね」
 「寒くなるとさ、星が良く見えるんだよ」
 「へぇー!」

 俺はオリオンの三つ星を示し、いろいろな星の話をした。
 外へ抜け出して居酒屋でもらった焼き鳥を、二人で食べた。

 「美味しいね!」
 「隠れて食べると美味しいだろ?」
 「うん!」

 焼き鳥は冷めていたが、本当に美味しかった。
 毛布を身体に巻き付け、二人で横になった。

 「ふらい・みー・とぅー・ざ・むーん」

 ミユキが歌った。

 「ここまでしか知らないの。でも大好きな歌なんだ」
 「へぇー!」

 二人で、「ふらい・みー・とぅー・ざ・むーん」と繰り返し歌った。

 「私を月に連れてって、って意味なんだって」
 「そうかぁ! いい歌だな!」

 俺がそう言うと、ミユキが喜んだ。


 屋上のドアが開く音がした。
 カツカツとこちらへ向かう足音がする。

 「とーらーちゃーん!」

 顔見知りの看護婦が怖い声で言った。

 「すみません!」
 「何やってるの!」
 「ちょっと星を見たいとか、アハハハ」
 「バカァ!」

 俺は土下座した。

 「トラちゃん! いくら彼女と仲良くしたいからって!」
 「すみませんでしたー!」

 ミユキが嬉しそうに笑っていた。

 「あ! 焼き鳥食べたの!」
 「あれ、そういえば落ちてますね」
 「あんた! 口が焼き鳥臭いわよ!」
 「ああ、俺でしたー! アハハハハハハ!」
 「笑ってごまかすな!」

 ミユキが大笑いした。

 「ミユキちゃん、こいつはバカなんだからついて来ちゃダメよ」
 「すいません」
 「俺が無理矢理誘ったんです」
 「そんなこと分かってるわよ!」

 俺たちは病室に戻された。


 
 翌朝、俺はいろんな人に「ふらい・みー・とぅー・ざ・むーん」の歌を知らないか、歌ってみせて聞いて回った。
 みんな、聞いたことはあるけど、歌えないと言った。

 「南条せんせー!」
 「またお前か! 今は診察中だぁー!」
 「「ふらい・みー・とぅー・ざ・むーん」って歌、知ってますか?」
 「後にしろ!」

 俺は看護婦たちに追い出されそうになった。

 「お願いします! 友達が歌いたいってぇー!」
 「先生、俺は後でいいですから」

 服をまくっていた男性が言った。

 「お前なぁ。分かったよ! でも後にしろ! 明日レコードを持って来てやる!」
 「ありがとうございます! やっぱ南条先生は最高の医者だぁ!」

 みんな笑っていた。



 翌日、南条先生がレコードを持って来てくれた。
 歌詞もあった。

 「英語じゃん」

 俺は途方に暮れた。
 フランク・シナトラのそのシングルレコードを持って、英語が出来る人を探した。
 みんなバカだった。

 「南条せんせー!」
 「トラ! いい加減にしろ! 診察中に来るんじゃねぇ!」
 「歌おしえてー」

 南条先生に忙しい中教えてもらった。



 メロディは、貢さんのしごきのお陰もあり、すぐに覚えた。
 歌詞も必死に覚えた。
 俺はまたミユキを屋上に誘った。

 「石神くん、またまずいよ」
 「今日は短い時間だからさ!」

 ♪ Fly me to the moon Let me sing among those stars ♪

 ミユキの顔が輝いた。
 歌い終わると、ミユキが俺の手を両手で握ってくれた。

 「すごいよ! 石神くん!」
 「エヘヘヘヘ」

 もう一度聴きたいと言うので、俺はまた歌った。

 「これでいつでもミユキのために歌えるからな!」
 「ありがとう!」
 


 ミユキの皮膚移植が始まった。
 俺はずっと祈っていた。
 ミユキがあんなに苦しんでいた火傷。
 もう、いい加減に終わっていいはずだ。
 あんなにいい奴が、あんなに苦しんでいいわけがない。
 俺は必死に祈った。

 しかし、ミユキの顔は元には戻らなかった。
 皮膚の深い所まで冒されていた。



 「石神くん、ダメだったよ」
 「うん」

 退院したミユキが悲しそうに言った。


 《もし自分の假に享けた人間の肉體でそこに到達できなくても、どうしてそこに到達できない筈があらうか》

 
 「それは何?」
 「俺の大好きな三島由紀夫の『美しい星』の最後に出て来る言葉なんだ。俺はこの言葉が大好きなんだ」
 「そうなの」

 「俺たちは出来ないことがあるよ。どんなに望んでもダメなことは多い。でもさ、三島はそうじゃないんだって言ってる」
 「!」

 「ミユキの魂は物凄く綺麗だ」
 「石神くん!」
 「ミユキなら、どこだって到達できるよ!」
 「うん!」
 
 ミユキが喜んでいる。

 「俺の皮なら幾らでもやるんだけどなー」
 「え?」
 「でも、俺もボロボロじゃん」
 「ウフフフ」
 「こんなのもらっても、だろ?」
 「ううん、欲しいかな!」
 「そうか!」
 「うん!」

 「じゃあ、今度南条先生に頼んでみよう!」
 「えー、あの先生、内科じゃない」
 「あ、そうかぁー!」

 


 二人で笑った。
 ミユキはその後父親の仕事の都合で引っ越して行った。
 ずっと手紙のやり取りをしていたが、俺が高校卒業後にアメリカへ渡り、途絶えてしまった。
 俺は何度か手紙を出そうとも思ったが、辞めた。
 もう、ミユキと関わる資格は無いと思っていた。




 でも、ずっと友達でいたいと思っている。
 今も。
 まだ。
しおりを挟む
感想 59

あなたにおすすめの小説

こども病院の日常

moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。 18歳以下の子供が通う病院、 診療科はたくさんあります。 内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc… ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。 恋愛要素などは一切ありません。 密着病院24時!的な感じです。 人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。 ※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。 歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。

幼い公女様は愛されたいと願うのやめました。~態度を変えた途端、家族が溺愛してくるのはなぜですか?~

朱色の谷
ファンタジー
公爵家の末娘として生まれた6歳のティアナ お屋敷で働いている使用人に虐げられ『公爵家の汚点』と呼ばれる始末。 お父様やお兄様は私に関心がないみたい。愛されたいと願い、愛想よく振る舞っていたが一向に興味を示してくれない… そんな中、夢の中の本を読むと、、、

毒小町、宮中にめぐり逢ふ

鈴木しぐれ
キャラ文芸
🌸完結しました🌸生まれつき体に毒を持つ、藤原氏の娘、菫子(すみこ)。毒に詳しいという理由で、宮中に出仕することとなり、帝の命を狙う毒の特定と、その首謀者を突き止めよ、と命じられる。 生まれつき毒が効かない体質の橘(たちばなの)俊元(としもと)と共に解決に挑む。 しかし、その調査の最中にも毒を巡る事件が次々と起こる。それは菫子自身の秘密にも関係していて、ある真実を知ることに……。

身体検査

RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、 選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

継母は実娘のため私の婚約を強制的に破棄させましたが……思わぬ方向へ進んでしまうこととなってしまったようです。

四季
恋愛
継母は実娘のため私の婚約を強制的に破棄させましたが……。

【書籍化進行中、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

【完結】胃袋を掴んだら溺愛されました

成実
恋愛
前世の記憶を思い出し、お菓子が食べたいと自分のために作っていた伯爵令嬢。  天候の関係で国に、収める税を領地民のために肩代わりした伯爵家、そうしたら、弟の学費がなくなりました。  学費を稼ぐためにお菓子の販売始めた私に、私が作ったお菓子が大好き過ぎてお菓子に恋した公爵令息が、作ったのが私とバレては溺愛されました。

処理中です...