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あの日、あの時: コシノ重工横浜造船寮
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傭兵で稼いだ金を持ち、俺は日本へ戻った。
家はもうない。
俺は幼少期を過ごした横浜の緑区へ行った。
そしてお袋はそこのコシノ重工の造船所の寮に住み込みで働いた。
お袋はすっかり元気になり、俺との再会を喜んでくれた。
俺は聖に助けられ、一緒にアメリカで割のいい仕事をしたと話した。
もちろん傭兵などとは言わない。
それに、稼いだ金は500万円程度と言った。
金額が大きければ、お袋が心配する。
二人でアパートでも借りようかと思っていたが、お袋はお金を大事にしようと言って、その造船所の寮母として働くようになった。
俺は大学受験をするということで、仕事をしなくても良かった。
子どもも一緒に住まわせてくれる条件になっていた。
俺は受験までの約半年をそこで過ごし、お袋は結婚相談所へ申し込み、俺の合格と共に山口の男性と結婚し、そちらへ移ることになる。
寮は古い建物だったが、俺には十分だった。
本来は二人部屋なのだが、受験生ということで、一人で使わせてもらえた。
俺は毎日勉強し、運動も兼ねてお袋の仕事を手伝った。
じきに寮長、またお袋と一緒に寮母をしている女性と仲良くなった。
寮の人たちとも次第に打ち解けて行った。
男だけの空間で、気の荒い人も多い。
喧嘩もたびたびあった。
それを止めるのは、多くが設計部の相田部長さんだった。
相田部長さんは大声で怒鳴り喧嘩をやめさせる。
そして毎回言うことが同じだった。
「喧嘩もいい。でも俺たちは仲間だ! 気に喰わないこともあるのが人間だ。でも仲間だってことは忘れるな!」
そう言うと、みんな喧嘩をやめ、周囲で見ていた人間も相田部長を見詰めていた。
みんなから慕われる、温かい人だった。
造船の仕事はきつい。
中でも溶接の技術は重要だった。
その点では怒鳴られ、殴られる。
溶接が弱ければ大変な事態になるからだ。
毎日、夕飯後に庭で溶接の練習をしている人間がいた。
先輩や上司がそれを指導している。
深夜までやっていることも多かった。
終わるまで、先輩や上司の人は絶対に寝ない。
練習する人間が納得するまで付き合っていた。
俺は部屋の窓から、アセチレンの美しい炎と火花を眺めた。
ある日、相田部長の部屋に入った。
寮長の伝言を伝えるためだったと思う。
部屋には専門書の他に、様々な文学の本などがあった。
洋書も多い。
俺はそれに見惚れていた。
「石神くんは文学に興味があるのかい?」
「はい! 家のものはほとんど持ち出せなくて。本当に大事なものしか手元にないんです」
俺はレイチェル先生にもらった本や静馬くん、そして貢さんなどの話をした。
相田部長は俺に、好きな本を持ち出していいと言ってくれた。
俺はありがたく、お借りするようになった。
本をお返しに行く際、よく二人で話すようになった。
相田部長は教養があり、文学、音楽、美術、歴史等々、俺が何を話しても通じ合う人だった。
俺が子どもの頃や高校生までのいろいろな話をすると、大笑いして喜んでくれた。
相田部長や他の寮の人たちに「トラ」と呼ばれるようになった。
月に一度、寮で飲み会があった。
俺は寮の人にギターを借り、弾いた。
みんな驚いて喜んでくれた。
俺にギターを教えて欲しいという人もいて、俺は快く引き受けた。
まあ、貢さん式しか知らないので、あまり役には立たなかったが。
大きな風呂でみんなで歌い、仲良くなった人の部屋に伺って楽しく話した。
それ以外に嬉しいことがあった。
50人近くいる寮なので、毎回の食事の量も凄い。
肉体労働で大食いの人たちだ。
その中で、仕事の都合で食べられない人が毎日何人か出る。
その人たちの食事を、全部俺が食べていいことにしてくれた。
相田部長と寮長が相談して、そうしてくれたのだ。
食堂を担当している食堂長は、よく多目に作って俺のために残してくれた。
みんな、優しい人たちだった。
俺は朝から夕方まで勉強し、夜はいろいろな人の部屋へ伺って楽しんだ。
「トラ! お前も俺たちの仲間だからな!」
そう言われると、本当に嬉しかった。
よく、外の屋台にも連れて行ってもらった。
おでんやラーメンなど。
おでん屋の屋台で、ある時絡まれた。
地元のヤクザだった。
俺たちが飲んでいると、どけと言われた。
俺は数秒で沈めた。
俺を連れて来てくれた人たちが、驚き喜んだ。
「トラ! お前強ぇーなー!」
「あっという間だったじゃないか!」
「いや、すみません」
なんだか恥ずかしかった。
俺なんかがこの人たちに褒められるようなことは一つもない。
この人たちは、毎日汗水たらして一生懸命に働いている。
ある日、相田部長にそういう話をした。
「みんな、夜中まで溶接の練習をしてて。俺、毎日感動してるんです」
「人の命を預かるものを作ってるからな。失敗でしたじゃ済まないんだ」
俺は感動した。
本当に素晴らしい仕事だと思った。
俺はそういう人たちを見て、いつしか憧れるようになっていた。
相田部長に相談した。
「俺は医者になろうと思ってたんですが、みなさんの仕事を見ていて、こういう仕事が素晴らしいと思ったんです」
いきなり殴られた。
「トラ! バカなことを言うなぁ!」
怒鳴られた。
俺はただ驚いて相田部長を見ていた。
「見損なったぞ! お前の決意なんてそんなものだったのか!」
「いえ、相田部長」
「俺の名を呼ぶな! お前みたいなクズがぁ!」
俺は必死で謝った。
相田部長は土下座する俺の頭を優しく撫でてくれた。
「トラのお母さんに聞いたぞ。お前は病弱で、大人になる前に死ぬはずだったって。そのお前がせめてもの詫びに医者を目指すんだと言うんで、お母さんは大変感動したそうだ」
「……」
「トラ、お前は医者になれ。迷うな! お前が命懸けで決めたことだろう? だったら脇目も振らずに真っすぐ行けよ」
「はい! すみませんでした」
「俺たちは俺たちの道を行く。お前はお前の道だ。いいな!」
「はい!」
「でも今は俺たちは仲間だ。一緒に頑張ろうじゃないか」
「ありがとうございます!」
俺は泣いた。
自分の甘さとバカさ加減と、相田部長の優しさに。
俺はその後、二度と迷うことはなかった。
今でもそう思えるのは、あの日の相田部長のお陰だ。
クリスマスの日。
食堂では特別なメニューが出され、その後で大宴会が開かれた。
俺はお袋と食堂長たちを手伝った。
みんなに酒を運び、料理を手伝った。
城戸さんに教わったカットフルーツに、みんなが驚いてくれた。
宴会も中盤になり、演芸が始まる。
俺もギターを弾いた。
相田部長もみんなと楽しく騒いでいた。
インテリの部長が下品な冗談も飛ばしていた。
俺が呼ばれた。
食堂の前の方に連れて行かれる。
「トラ、今日はクリスマスだ」
相田部長が言った。
後ろの方からでかいワゴンが運ばれてきた。
ワゴンの上にはたくさんの包みがある。
俺の前に置かれた。
「お前、ここに来るときに何も持ち出せなかったんだろ?」
「!」
「今日はクリスマスだ。みんなからお前にプレゼントだ」
「相田部長!」
「一杯あるだろう。ここから出て行く時は大変だぞ!」
俺は泣き崩れた。
土下座して、精一杯の大声で礼を言った。
「ありがとうございましたー!」
みんなから声を掛けられた。
忘れられないクリスマスになった。
俺は東大に合格し、お袋と一緒に寮を出た。
俺は都内にマンションを借り、お袋は再婚相手と山口へ行った。
その後コシノ重工は倒産してしまった。
あの人たちは、どうなったろうか。
大丈夫だと俺は思った。
あんなに一生懸命に生きていた人たちだ、倒産など乗り越えるに違いない。
そして、コシノ重工はほとんどの従業員が別な大手の造船所に移ったことを知った。
やっぱりそうだと俺は思った。
その後に、あの寮へ行ってみたことがある。
寮は取り壊され、分譲住宅になっていた。
俺は、かつて門のあった辺りに立っていた。
「おじちゃん、道に迷ったの?」
小さな男の子が俺に声を掛けた。
「いや、俺は迷ってないよ」
「じゃあどうしたの?」
俺はその子の頭を撫でた。
「おい、ここはいい土地だな!」
「そう?」
「ああ! 最高だ!」
「そうかー、僕、あの家に住んでるよ」
「おお、羨ましいな」
俺はもう一度頭を撫でて車に戻ろうとした。
「おじちゃん、カッコイイね!」
「おう! 俺は石神高虎だぁー!」
俺は大笑いしながら去った。
不思議と、悲しい思いは無かった。
家はもうない。
俺は幼少期を過ごした横浜の緑区へ行った。
そしてお袋はそこのコシノ重工の造船所の寮に住み込みで働いた。
お袋はすっかり元気になり、俺との再会を喜んでくれた。
俺は聖に助けられ、一緒にアメリカで割のいい仕事をしたと話した。
もちろん傭兵などとは言わない。
それに、稼いだ金は500万円程度と言った。
金額が大きければ、お袋が心配する。
二人でアパートでも借りようかと思っていたが、お袋はお金を大事にしようと言って、その造船所の寮母として働くようになった。
俺は大学受験をするということで、仕事をしなくても良かった。
子どもも一緒に住まわせてくれる条件になっていた。
俺は受験までの約半年をそこで過ごし、お袋は結婚相談所へ申し込み、俺の合格と共に山口の男性と結婚し、そちらへ移ることになる。
寮は古い建物だったが、俺には十分だった。
本来は二人部屋なのだが、受験生ということで、一人で使わせてもらえた。
俺は毎日勉強し、運動も兼ねてお袋の仕事を手伝った。
じきに寮長、またお袋と一緒に寮母をしている女性と仲良くなった。
寮の人たちとも次第に打ち解けて行った。
男だけの空間で、気の荒い人も多い。
喧嘩もたびたびあった。
それを止めるのは、多くが設計部の相田部長さんだった。
相田部長さんは大声で怒鳴り喧嘩をやめさせる。
そして毎回言うことが同じだった。
「喧嘩もいい。でも俺たちは仲間だ! 気に喰わないこともあるのが人間だ。でも仲間だってことは忘れるな!」
そう言うと、みんな喧嘩をやめ、周囲で見ていた人間も相田部長を見詰めていた。
みんなから慕われる、温かい人だった。
造船の仕事はきつい。
中でも溶接の技術は重要だった。
その点では怒鳴られ、殴られる。
溶接が弱ければ大変な事態になるからだ。
毎日、夕飯後に庭で溶接の練習をしている人間がいた。
先輩や上司がそれを指導している。
深夜までやっていることも多かった。
終わるまで、先輩や上司の人は絶対に寝ない。
練習する人間が納得するまで付き合っていた。
俺は部屋の窓から、アセチレンの美しい炎と火花を眺めた。
ある日、相田部長の部屋に入った。
寮長の伝言を伝えるためだったと思う。
部屋には専門書の他に、様々な文学の本などがあった。
洋書も多い。
俺はそれに見惚れていた。
「石神くんは文学に興味があるのかい?」
「はい! 家のものはほとんど持ち出せなくて。本当に大事なものしか手元にないんです」
俺はレイチェル先生にもらった本や静馬くん、そして貢さんなどの話をした。
相田部長は俺に、好きな本を持ち出していいと言ってくれた。
俺はありがたく、お借りするようになった。
本をお返しに行く際、よく二人で話すようになった。
相田部長は教養があり、文学、音楽、美術、歴史等々、俺が何を話しても通じ合う人だった。
俺が子どもの頃や高校生までのいろいろな話をすると、大笑いして喜んでくれた。
相田部長や他の寮の人たちに「トラ」と呼ばれるようになった。
月に一度、寮で飲み会があった。
俺は寮の人にギターを借り、弾いた。
みんな驚いて喜んでくれた。
俺にギターを教えて欲しいという人もいて、俺は快く引き受けた。
まあ、貢さん式しか知らないので、あまり役には立たなかったが。
大きな風呂でみんなで歌い、仲良くなった人の部屋に伺って楽しく話した。
それ以外に嬉しいことがあった。
50人近くいる寮なので、毎回の食事の量も凄い。
肉体労働で大食いの人たちだ。
その中で、仕事の都合で食べられない人が毎日何人か出る。
その人たちの食事を、全部俺が食べていいことにしてくれた。
相田部長と寮長が相談して、そうしてくれたのだ。
食堂を担当している食堂長は、よく多目に作って俺のために残してくれた。
みんな、優しい人たちだった。
俺は朝から夕方まで勉強し、夜はいろいろな人の部屋へ伺って楽しんだ。
「トラ! お前も俺たちの仲間だからな!」
そう言われると、本当に嬉しかった。
よく、外の屋台にも連れて行ってもらった。
おでんやラーメンなど。
おでん屋の屋台で、ある時絡まれた。
地元のヤクザだった。
俺たちが飲んでいると、どけと言われた。
俺は数秒で沈めた。
俺を連れて来てくれた人たちが、驚き喜んだ。
「トラ! お前強ぇーなー!」
「あっという間だったじゃないか!」
「いや、すみません」
なんだか恥ずかしかった。
俺なんかがこの人たちに褒められるようなことは一つもない。
この人たちは、毎日汗水たらして一生懸命に働いている。
ある日、相田部長にそういう話をした。
「みんな、夜中まで溶接の練習をしてて。俺、毎日感動してるんです」
「人の命を預かるものを作ってるからな。失敗でしたじゃ済まないんだ」
俺は感動した。
本当に素晴らしい仕事だと思った。
俺はそういう人たちを見て、いつしか憧れるようになっていた。
相田部長に相談した。
「俺は医者になろうと思ってたんですが、みなさんの仕事を見ていて、こういう仕事が素晴らしいと思ったんです」
いきなり殴られた。
「トラ! バカなことを言うなぁ!」
怒鳴られた。
俺はただ驚いて相田部長を見ていた。
「見損なったぞ! お前の決意なんてそんなものだったのか!」
「いえ、相田部長」
「俺の名を呼ぶな! お前みたいなクズがぁ!」
俺は必死で謝った。
相田部長は土下座する俺の頭を優しく撫でてくれた。
「トラのお母さんに聞いたぞ。お前は病弱で、大人になる前に死ぬはずだったって。そのお前がせめてもの詫びに医者を目指すんだと言うんで、お母さんは大変感動したそうだ」
「……」
「トラ、お前は医者になれ。迷うな! お前が命懸けで決めたことだろう? だったら脇目も振らずに真っすぐ行けよ」
「はい! すみませんでした」
「俺たちは俺たちの道を行く。お前はお前の道だ。いいな!」
「はい!」
「でも今は俺たちは仲間だ。一緒に頑張ろうじゃないか」
「ありがとうございます!」
俺は泣いた。
自分の甘さとバカさ加減と、相田部長の優しさに。
俺はその後、二度と迷うことはなかった。
今でもそう思えるのは、あの日の相田部長のお陰だ。
クリスマスの日。
食堂では特別なメニューが出され、その後で大宴会が開かれた。
俺はお袋と食堂長たちを手伝った。
みんなに酒を運び、料理を手伝った。
城戸さんに教わったカットフルーツに、みんなが驚いてくれた。
宴会も中盤になり、演芸が始まる。
俺もギターを弾いた。
相田部長もみんなと楽しく騒いでいた。
インテリの部長が下品な冗談も飛ばしていた。
俺が呼ばれた。
食堂の前の方に連れて行かれる。
「トラ、今日はクリスマスだ」
相田部長が言った。
後ろの方からでかいワゴンが運ばれてきた。
ワゴンの上にはたくさんの包みがある。
俺の前に置かれた。
「お前、ここに来るときに何も持ち出せなかったんだろ?」
「!」
「今日はクリスマスだ。みんなからお前にプレゼントだ」
「相田部長!」
「一杯あるだろう。ここから出て行く時は大変だぞ!」
俺は泣き崩れた。
土下座して、精一杯の大声で礼を言った。
「ありがとうございましたー!」
みんなから声を掛けられた。
忘れられないクリスマスになった。
俺は東大に合格し、お袋と一緒に寮を出た。
俺は都内にマンションを借り、お袋は再婚相手と山口へ行った。
その後コシノ重工は倒産してしまった。
あの人たちは、どうなったろうか。
大丈夫だと俺は思った。
あんなに一生懸命に生きていた人たちだ、倒産など乗り越えるに違いない。
そして、コシノ重工はほとんどの従業員が別な大手の造船所に移ったことを知った。
やっぱりそうだと俺は思った。
その後に、あの寮へ行ってみたことがある。
寮は取り壊され、分譲住宅になっていた。
俺は、かつて門のあった辺りに立っていた。
「おじちゃん、道に迷ったの?」
小さな男の子が俺に声を掛けた。
「いや、俺は迷ってないよ」
「じゃあどうしたの?」
俺はその子の頭を撫でた。
「おい、ここはいい土地だな!」
「そう?」
「ああ! 最高だ!」
「そうかー、僕、あの家に住んでるよ」
「おお、羨ましいな」
俺はもう一度頭を撫でて車に戻ろうとした。
「おじちゃん、カッコイイね!」
「おう! 俺は石神高虎だぁー!」
俺は大笑いしながら去った。
不思議と、悲しい思いは無かった。
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