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飲み仲間
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ゴールデンウィーク最後の日。
俺は朝食を食べて、栞の家に行った。
栞は実家に帰っていたが、もう家にいるはずだ。
電話をし、昼食を一緒にと言った。
いつものように道場で組み手をした。
「石神くん、もう全然相手にならないね」
「そんなことはないよ。俺も勉強になっている」
栞は正座して息を整えている。
大量の汗をかいていた。
俺は、まったく息も乱れていない。
一緒にシャワーを浴び、愛し合った。
昼食は炊き込みご飯と魚の煮付けを作った。
炊き込みご飯は栞が準備しており、俺がヒラメの煮付けを作る。
ベタベタしたものが嫌いなので、薄目の汁で煮てあっさりと仕上げた。
栞はナスの煮びたしを作った。
食事をしながら、「紅六花ビル」の話や、別荘のことを話す。
「別荘は大分拡張したんだ。夏にまた一緒に行こう」
「うん! 嬉しい!」
栞が喜ぶ。
「でも、石神くんも大勢に囲まれるようになったからね。そろそろハマーじゃきついよね」
「そうだよなぁ」
「観光バスとか必要じゃない?」
「アハハハハハ!」
「あ、私も車を出すよ!」
「いや、それは」
「え、遠慮しなくていいよ?」
「まあ、考えとくよ」
「うん!」
栞の運転は暴力だ。
前に一度乗って、二度と乗っていない。
俺は昼食の礼を言い、家に戻った。
諸見が、新築の現場にいて、壁を見ていた。
「よう!」
「石神さん! お邪魔してます」
「いいよ、勝手に入れと言っただろう」
壁をどのように仕上げるかを二人で話していると、東雲たちが来た。
「御挨拶をと思いましたら、こちらにいるのを見かけたので」
「ああ、お帰り。また明日から頼むな」
「はい! 諸見が勝手してご迷惑をおかけしました」
俺が桜に話していた。
「いや、俺が暇だったら来いと言ったんだ。諸見に仕上げを任せるんだからな」
「石神さん……」
「ああ、夜に諸見とまた話すから、夕飯を一緒に喰うからな」
「石神さん! 自分はもう」
「あ、またてめぇは」
「すみませんでした!」
東雲たちが笑う。
東雲たちも夕飯に誘ったが、断られた。
「ゆっくり自分らで喰います」
そりゃそうだろう。
諸見を好きなようにさせ、俺は家に入った。
「タカさん、今日はもう出掛けちゃダメですよ!」
亜紀ちゃんが腕を組んでそう言った。
「なんだよ」
「出掛け過ぎです。もう今日は亜紀ちゃんと一緒にいて下さい!」
「なんだ、そりゃ?」
「だってぇー! 最近全然一緒にいてくれないじゃないですかー!」
まあ、そんな感じだったか。
別荘から帰って諸見と一緒にいたり。
夕べは自分で遊びに行ったわけだが。
「別に一緒にいる必要があるのか?」
素朴な疑問だ。
「あります!」
「そうなの?」
「タカさん蜜が必要です!」
俺は笑って、三時のお茶を飲んでからだと言った。
諸見を呼びに行かせる。
コーヒーと、双子が買って来たケーキを食べる。
今日は東中野の「ドーカン」のジェラート各種とケーキだ。
「諸見! お前はこういうのが似合わねぇなぁ!」
「すみません!」
みんなが笑う。
俺は亜紀ちゃんにコーヒーをサーバーに入れさせ、二人で地下へ行った。
俺が何曲かギターを弾き、亜紀ちゃんはうっとりと聴いていた。
一休みして、二人でコーヒーを飲む。
「夕べはどこに飲みに行ったんだよ?」
「え、ええ、亜紀ちゃんはいい子ですから、お酒なんて飲みません」
「いいから話せ! いい店なら一緒に行こう」
「え! ああ、でもそんなにいい店じゃ」
俺は亜紀ちゃんの頭に拳骨を入れた。
「やっぱり酒かぁ」
「ニャハハハハ」
俺は行くのはいいが、俺に話してから行けと言った。
「そう言えばタカさんって、外であんまり飲みませんよね」
「ああ。若い頃はほとんど外だったけどな」
「そうなんですか」
「まあ、外で飲むと帰るのが面倒だからなぁ」
「なるほどー」
「それに、好きな酒を好きなように飲む、好きなつまみを作って飲む。これが最高だと思うようになったんだな」
「ああ、分かります。昨日も出てきたおつまみが最低で」
「だろ?」
しばらく、亜紀ちゃんの昨日のつまみの悪口を聞いた。
「まあ、でも外で飲めば仲良くなる奴もいて、そういうのも面白いけどな」
「ああ、そうですね」
俺は、酒場で知り合った人の話をした。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
新橋駅の近くに、よく行くバーがあった。
地下の店で、結構広い。
内装はイギリスのパブのもので、気楽に飲める雰囲気が人気だった。
俺はいつもカウンターに座り、ワイルドターキーを数杯飲んで帰った。
カラオケがあり、気が向くと一曲歌った。
他の知らない客がいつも褒めてくれた。
よく一緒になる人がいて、テーブル席で部下らしい人と楽しく飲んでいた。
お互い顔は覚えているので、トイレなどですれ違うと挨拶をするようになった。
俺よりも一回り上の大柄な男性だ。
ある日、俺がまた飲みに行こうとすると、店が騒がしい。
降りていくと、客の一人が階段で転んで足の骨を折ったらしい。
俺は医者だと言って、傷を見た。
左足の脛の開放骨折だった。
いつも挨拶をする人だった。
俺は病院へ連絡し、救急搬送の手配をした。
その人に断って、骨を戻し、応急処置をする。
俺はまだ酒を飲んでいなかったので、付き添って救急車に乗った。
「すませんです。お医者様だったんですね」
「そうです。石神といいます」
「僕は船田大介と言います。〇〇建設で働いてます」
大手ゼネコンの名前を言った。
俺が処置をして、入院させた。
俺が担当し、よく話すようになった。
船田さんの弟の話をよく聞かされた。
「子どもの頃から病弱で。でもそのせいか、可愛い奴でねぇ」
「そうなんですか」
「うん。何度も何度も死に掛けて。今も身体が弱いんだけど、10年前から自分で会社を起こしてね。元気にやってるんだ」
「良かったですね」
俺に似ている。
俺も病弱だったという話をすると、船田さんは喜んだ。
「じゃあ、弟も石神先生みたいに強くなるかもしれないね!」
「そうですね」
子どものように無邪気に笑い、喜ぶ人だった。
見舞いもしょっちゅういろんな人が来て、船田さんの人柄が偲ばれた。
船田さんが退院してから、よく一緒に飲むようになった。
部下の方と一緒のこともあったが、二人で飲む機会が増える。
船田さんは大変な酒豪だった。
「いつもね。みんなを連れ回すんだけど、最後までいる奴がいないんだ」
「アハハハハ!」
「石神くんだけだよ。僕と一緒に飲んでくれるのは」
そう言って笑っていた。
俺が酩酊するまで飲んだのは、船田さんの他には幾度もない。
でも、楽しい酒だった。
その船田さんが、徐々に暗くなっていった。
「何か悩み事でもあるんですか?」
ある時聞いた俺に、船田さんは弟さんのことを話した。
「こないだ倒れてね。それに商売も上手く行ってないようで。弟は無理を重ねていたらしいんだ」
「そうなんですか」
「僕に頼ってくれればいいのに。「兄貴には迷惑をかけたくない」って」
その日はずっと暗いままで、弟さんのことを心配しているのがよく分かった。
「石神くん、一度弟を見てくれないか」
「分かりました。ご一緒させていただきます」
船田さんは俺の手を握りしめ、「ありがとう」と言って泣いた。
翌週の土曜日。
俺は船田さんと一緒に見舞いに行った。
何が出来るわけでもないが、何かあるかもしれない。
しかし、ベッドで寝ている弟さんを見て諦めた。
聞くまでもない。
ガンの末期であることが分かった。
見知らぬ俺の見舞いに弟さんは驚いていた。
俺が医者であることを船田さんが告げると、困った顔をしていた。
そして船田さんに、俺と二人で話したいと言った。
船田さんは病室を出て行った。
「わざわざ兄貴に付き添って下さってすいません」
「いいえ。船田さんには良くしていただいているんで」
「兄貴はみんなに優しいんです。子どもの頃からそうで。いつも慕われて周りに一杯人間がいた」
「はい」
「俺のことも本当に可愛がってくれて。会社を起こす時にもいろいろ援助してくれたんです」
「そうなんですね」
「石神さんは、俺の病気が分かりますか?」
「ガン。それももう」
「ああ、やっぱりお医者さんには分かりますね。そうです。もう余命は2か月です」
「船田さんは知らないんですね」
「はい」
「ご家族は?」
「いません。兄貴だけです」
「そうですか」
「あの、兄貴には黙っていていただけますか?」
「分かりました」
「兄貴には、なるべくショックを与えたくないんです」
「はい」
「兄貴には世話になりっぱなしで。何もできないまま死ぬのは申し訳ないんですが」
「あなたがそうやって、船田さんを思い遣るのなら、それで十分だと思いますよ」
「石神さん……」
船田さんが戻って来て、一緒に帰った。
俺は専門外なので何も出来ないと言い、養生の話を少ししたと船田さんに言った。
二ヶ月後、船田さんから電話が来た。
弟さんが亡くなったと言った。
「僕もね、もうダメだとは思ってたんだ。石神くんを連れてった時にはね」
「お力になれず、すいませんでした」
「弟がね、あの日からちょっと明るくなってね。石神さんにいいことを聞いたんだって」
「そんな、俺は何も」
「ありがとう。弟の苦しみを和らげてくれて。本当に感謝する」
「いえ、俺も本当に残念です。船田さんのことを一番に考えていた人ですよね」
電話の向こうで船田さんが号泣していた。
そのまま電話が切れた。
それから船田さんに誘われることは無かった。
俺から連絡したことはないので、そのままになった。
ある日、バーで船田さんの部下の方に会った。
船田さんのことを聞いてみた。
俺のことも覚えてくれていたので、話が聞けた。
「船田部長は、ニューヨークの支店に行きました。人事に相当掛け合ったそうですよ」
「そうなんですか」
「それで石神さん、ここだけの話なんですけどね」
「はい?」
「一度自殺未遂をされたんです。部長は優秀な人で、幾つも重要なプロジェクトを抱えていて。だから最初は海外支店なんて無理だったんですよ。そうしたら! だから会社も折れて、船田部長は転勤になったんです」
「そうだったんですね」
日本にいるのが辛かったのだろう。
いつか傷が癒えて欲しい。
俺はそう願った。
「石神くん、僕の弟は本当に可愛いんだよ!」
「船田さん、分かりましたって」
「いやいや、多分僕の説明だけじゃ全然伝わらないよ」
「もう勘弁して下さい」
「本当になー! 僕はずっと、弟を幸せにするために生きてるようなものなんだ!」
そういう人間がこの世にはいる。
そして、それを喪ってしまうこともある。
「何しろね! もう、とにかく僕は弟が全てなんだよ!」
俺は朝食を食べて、栞の家に行った。
栞は実家に帰っていたが、もう家にいるはずだ。
電話をし、昼食を一緒にと言った。
いつものように道場で組み手をした。
「石神くん、もう全然相手にならないね」
「そんなことはないよ。俺も勉強になっている」
栞は正座して息を整えている。
大量の汗をかいていた。
俺は、まったく息も乱れていない。
一緒にシャワーを浴び、愛し合った。
昼食は炊き込みご飯と魚の煮付けを作った。
炊き込みご飯は栞が準備しており、俺がヒラメの煮付けを作る。
ベタベタしたものが嫌いなので、薄目の汁で煮てあっさりと仕上げた。
栞はナスの煮びたしを作った。
食事をしながら、「紅六花ビル」の話や、別荘のことを話す。
「別荘は大分拡張したんだ。夏にまた一緒に行こう」
「うん! 嬉しい!」
栞が喜ぶ。
「でも、石神くんも大勢に囲まれるようになったからね。そろそろハマーじゃきついよね」
「そうだよなぁ」
「観光バスとか必要じゃない?」
「アハハハハハ!」
「あ、私も車を出すよ!」
「いや、それは」
「え、遠慮しなくていいよ?」
「まあ、考えとくよ」
「うん!」
栞の運転は暴力だ。
前に一度乗って、二度と乗っていない。
俺は昼食の礼を言い、家に戻った。
諸見が、新築の現場にいて、壁を見ていた。
「よう!」
「石神さん! お邪魔してます」
「いいよ、勝手に入れと言っただろう」
壁をどのように仕上げるかを二人で話していると、東雲たちが来た。
「御挨拶をと思いましたら、こちらにいるのを見かけたので」
「ああ、お帰り。また明日から頼むな」
「はい! 諸見が勝手してご迷惑をおかけしました」
俺が桜に話していた。
「いや、俺が暇だったら来いと言ったんだ。諸見に仕上げを任せるんだからな」
「石神さん……」
「ああ、夜に諸見とまた話すから、夕飯を一緒に喰うからな」
「石神さん! 自分はもう」
「あ、またてめぇは」
「すみませんでした!」
東雲たちが笑う。
東雲たちも夕飯に誘ったが、断られた。
「ゆっくり自分らで喰います」
そりゃそうだろう。
諸見を好きなようにさせ、俺は家に入った。
「タカさん、今日はもう出掛けちゃダメですよ!」
亜紀ちゃんが腕を組んでそう言った。
「なんだよ」
「出掛け過ぎです。もう今日は亜紀ちゃんと一緒にいて下さい!」
「なんだ、そりゃ?」
「だってぇー! 最近全然一緒にいてくれないじゃないですかー!」
まあ、そんな感じだったか。
別荘から帰って諸見と一緒にいたり。
夕べは自分で遊びに行ったわけだが。
「別に一緒にいる必要があるのか?」
素朴な疑問だ。
「あります!」
「そうなの?」
「タカさん蜜が必要です!」
俺は笑って、三時のお茶を飲んでからだと言った。
諸見を呼びに行かせる。
コーヒーと、双子が買って来たケーキを食べる。
今日は東中野の「ドーカン」のジェラート各種とケーキだ。
「諸見! お前はこういうのが似合わねぇなぁ!」
「すみません!」
みんなが笑う。
俺は亜紀ちゃんにコーヒーをサーバーに入れさせ、二人で地下へ行った。
俺が何曲かギターを弾き、亜紀ちゃんはうっとりと聴いていた。
一休みして、二人でコーヒーを飲む。
「夕べはどこに飲みに行ったんだよ?」
「え、ええ、亜紀ちゃんはいい子ですから、お酒なんて飲みません」
「いいから話せ! いい店なら一緒に行こう」
「え! ああ、でもそんなにいい店じゃ」
俺は亜紀ちゃんの頭に拳骨を入れた。
「やっぱり酒かぁ」
「ニャハハハハ」
俺は行くのはいいが、俺に話してから行けと言った。
「そう言えばタカさんって、外であんまり飲みませんよね」
「ああ。若い頃はほとんど外だったけどな」
「そうなんですか」
「まあ、外で飲むと帰るのが面倒だからなぁ」
「なるほどー」
「それに、好きな酒を好きなように飲む、好きなつまみを作って飲む。これが最高だと思うようになったんだな」
「ああ、分かります。昨日も出てきたおつまみが最低で」
「だろ?」
しばらく、亜紀ちゃんの昨日のつまみの悪口を聞いた。
「まあ、でも外で飲めば仲良くなる奴もいて、そういうのも面白いけどな」
「ああ、そうですね」
俺は、酒場で知り合った人の話をした。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
新橋駅の近くに、よく行くバーがあった。
地下の店で、結構広い。
内装はイギリスのパブのもので、気楽に飲める雰囲気が人気だった。
俺はいつもカウンターに座り、ワイルドターキーを数杯飲んで帰った。
カラオケがあり、気が向くと一曲歌った。
他の知らない客がいつも褒めてくれた。
よく一緒になる人がいて、テーブル席で部下らしい人と楽しく飲んでいた。
お互い顔は覚えているので、トイレなどですれ違うと挨拶をするようになった。
俺よりも一回り上の大柄な男性だ。
ある日、俺がまた飲みに行こうとすると、店が騒がしい。
降りていくと、客の一人が階段で転んで足の骨を折ったらしい。
俺は医者だと言って、傷を見た。
左足の脛の開放骨折だった。
いつも挨拶をする人だった。
俺は病院へ連絡し、救急搬送の手配をした。
その人に断って、骨を戻し、応急処置をする。
俺はまだ酒を飲んでいなかったので、付き添って救急車に乗った。
「すませんです。お医者様だったんですね」
「そうです。石神といいます」
「僕は船田大介と言います。〇〇建設で働いてます」
大手ゼネコンの名前を言った。
俺が処置をして、入院させた。
俺が担当し、よく話すようになった。
船田さんの弟の話をよく聞かされた。
「子どもの頃から病弱で。でもそのせいか、可愛い奴でねぇ」
「そうなんですか」
「うん。何度も何度も死に掛けて。今も身体が弱いんだけど、10年前から自分で会社を起こしてね。元気にやってるんだ」
「良かったですね」
俺に似ている。
俺も病弱だったという話をすると、船田さんは喜んだ。
「じゃあ、弟も石神先生みたいに強くなるかもしれないね!」
「そうですね」
子どものように無邪気に笑い、喜ぶ人だった。
見舞いもしょっちゅういろんな人が来て、船田さんの人柄が偲ばれた。
船田さんが退院してから、よく一緒に飲むようになった。
部下の方と一緒のこともあったが、二人で飲む機会が増える。
船田さんは大変な酒豪だった。
「いつもね。みんなを連れ回すんだけど、最後までいる奴がいないんだ」
「アハハハハ!」
「石神くんだけだよ。僕と一緒に飲んでくれるのは」
そう言って笑っていた。
俺が酩酊するまで飲んだのは、船田さんの他には幾度もない。
でも、楽しい酒だった。
その船田さんが、徐々に暗くなっていった。
「何か悩み事でもあるんですか?」
ある時聞いた俺に、船田さんは弟さんのことを話した。
「こないだ倒れてね。それに商売も上手く行ってないようで。弟は無理を重ねていたらしいんだ」
「そうなんですか」
「僕に頼ってくれればいいのに。「兄貴には迷惑をかけたくない」って」
その日はずっと暗いままで、弟さんのことを心配しているのがよく分かった。
「石神くん、一度弟を見てくれないか」
「分かりました。ご一緒させていただきます」
船田さんは俺の手を握りしめ、「ありがとう」と言って泣いた。
翌週の土曜日。
俺は船田さんと一緒に見舞いに行った。
何が出来るわけでもないが、何かあるかもしれない。
しかし、ベッドで寝ている弟さんを見て諦めた。
聞くまでもない。
ガンの末期であることが分かった。
見知らぬ俺の見舞いに弟さんは驚いていた。
俺が医者であることを船田さんが告げると、困った顔をしていた。
そして船田さんに、俺と二人で話したいと言った。
船田さんは病室を出て行った。
「わざわざ兄貴に付き添って下さってすいません」
「いいえ。船田さんには良くしていただいているんで」
「兄貴はみんなに優しいんです。子どもの頃からそうで。いつも慕われて周りに一杯人間がいた」
「はい」
「俺のことも本当に可愛がってくれて。会社を起こす時にもいろいろ援助してくれたんです」
「そうなんですね」
「石神さんは、俺の病気が分かりますか?」
「ガン。それももう」
「ああ、やっぱりお医者さんには分かりますね。そうです。もう余命は2か月です」
「船田さんは知らないんですね」
「はい」
「ご家族は?」
「いません。兄貴だけです」
「そうですか」
「あの、兄貴には黙っていていただけますか?」
「分かりました」
「兄貴には、なるべくショックを与えたくないんです」
「はい」
「兄貴には世話になりっぱなしで。何もできないまま死ぬのは申し訳ないんですが」
「あなたがそうやって、船田さんを思い遣るのなら、それで十分だと思いますよ」
「石神さん……」
船田さんが戻って来て、一緒に帰った。
俺は専門外なので何も出来ないと言い、養生の話を少ししたと船田さんに言った。
二ヶ月後、船田さんから電話が来た。
弟さんが亡くなったと言った。
「僕もね、もうダメだとは思ってたんだ。石神くんを連れてった時にはね」
「お力になれず、すいませんでした」
「弟がね、あの日からちょっと明るくなってね。石神さんにいいことを聞いたんだって」
「そんな、俺は何も」
「ありがとう。弟の苦しみを和らげてくれて。本当に感謝する」
「いえ、俺も本当に残念です。船田さんのことを一番に考えていた人ですよね」
電話の向こうで船田さんが号泣していた。
そのまま電話が切れた。
それから船田さんに誘われることは無かった。
俺から連絡したことはないので、そのままになった。
ある日、バーで船田さんの部下の方に会った。
船田さんのことを聞いてみた。
俺のことも覚えてくれていたので、話が聞けた。
「船田部長は、ニューヨークの支店に行きました。人事に相当掛け合ったそうですよ」
「そうなんですか」
「それで石神さん、ここだけの話なんですけどね」
「はい?」
「一度自殺未遂をされたんです。部長は優秀な人で、幾つも重要なプロジェクトを抱えていて。だから最初は海外支店なんて無理だったんですよ。そうしたら! だから会社も折れて、船田部長は転勤になったんです」
「そうだったんですね」
日本にいるのが辛かったのだろう。
いつか傷が癒えて欲しい。
俺はそう願った。
「石神くん、僕の弟は本当に可愛いんだよ!」
「船田さん、分かりましたって」
「いやいや、多分僕の説明だけじゃ全然伝わらないよ」
「もう勘弁して下さい」
「本当になー! 僕はずっと、弟を幸せにするために生きてるようなものなんだ!」
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