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貢さん Ⅱ

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 俺が静馬くんと出会ってからしばらく後のこと。
 小学6年生になっていた。
 身体は既に175センチになって、筋肉もついてきた。
 喧嘩ばかりだったが、音楽への憧れは尽きることがなかった。
 音楽の本多先生の家にしょっちゅうお邪魔していた。

 ファンクラブの女たちから逃げて、いつもは通らない路地に入った。
 ギターの演奏が聞こえる。
 『アルハンブラの思い出』だった。
 非常に上手い。
 俺はその家の生け垣に寄りかかってうっとりと聴いていた。
 演奏が終わったので、拍手した。

 「誰だ!」
 「素晴らしい演奏でしたー!」
 縁側に腰かけていた老人が俺の方を向く。

 「誰なんだ?」
 「あ、石神高虎っていいます! 〇〇小学校6年生!」
 「子どもかぁー」
 「見れば分かるでしょう」
 「俺はなぁ、目が見えねぇんだよ」
 「え」
 老人はサングラスをかけていた。

 「おい、ヒマなんだろう。入って来い!」
 「はーい!」
 俺は生け垣を飛び越えて中に入った。

 「ちゃんと門から入れ!」
 「見えてんでしょ?」
 「見えん!」
 俺はサングラスを奪い取った。
 空洞だった。

 「何すんだ、このガキ!」
 「すいませんでした!」




 俺たちの話声を聞いて、奥さんがやって来た。

 「こんにちは! 石神高虎といいます!」
 「あらあら、礼儀正しいお友達ね」
 奥さんが笑って言った。
 縁側でお茶と菓子をいただいた。

 「凄い演奏でしたけど、惜しかったですよね?」
 「なんだと?」
 老人は西平貢だと名乗ってくれた。

 「ほら、タータタタってところで、貢さん、何かやろうとしてたでしょ?」
 「お前、分かったのか?」
 「俺、セゴビアのレコード持ってますもん!」
 自慢した。

 「お前、ギターは弾けるのか?」
 「いや、全然」
 「やれ! お前は才能があるぞ!」
 「無理ですよ、うち貧乏だもん」
 「それでもやれ!」
 「あのね、こう見えて俺物凄い病弱なんです。だから毎月治療費でギターどこじゃないですって」

 貢さんは奥に行った。
 戻って来ると、一本のギターを手に持っていた。

 「じゃあ、これをお前にやる! いいか、毎日ここに来い!」
 「毎日は無理ですよ」
 「なんでだ?」
 「だって喧嘩が」
 「お前! 病弱なんだろう!」
 「そうなんですけど」
 奥さんが俺たちの遣り取りを聞いて笑っていた。
 俺は出来るだけ来るからと言って、やっと解放してもらった。
 家にギターを持って帰って、お袋に事情を話した。
 お袋は喜んだ。

 「西平さんって、有名なギタリストでしょ! 高虎は才能があるんだって?」 
 単純な人だった。
 滅多に人に褒められない俺だったから、たまに誰かに褒められると無性に喜んでくれた。
 それで一度、宗教詐欺に遭いそうにもなった。

 俺は貢さんの家に通い始めた。






 貢さんのレッスンは非常に厳しかった。
 最初はコードからだったが、俺に自分の指を見ろと言って教えた。
 普通は譜面だが、貢さんは目が見えねぇ。
 自分の姿で教えるしかない。
 俺は殴られながら、毎日必死で覚えた。
 その殴るのも、指を痛めるからと、すりこぎの棒だった。
 痛いなんてものじゃなかった。

 一か月もすると、簡単なコードが刻めるようになった。
 貢さんはそこからさらに俺を殴るようになった。

 何度か俺も怒ったが、貢さんが「こうやるんだ!」と教える音色に惚れ込んでいた。
 家でも練習した。
 親父にうるせぇと殴られた。
 ヘタクソな楽器演奏ほど頭に来ることはない。
 俺はそのうち、山の中で練習するようになった。

 


 そのうち、俺はすっかり「貢さん式」になっていった。

 「いいか、メロディを覚えろ! そうすれば自分の中に譜面が拡がる。そうすれば譜面から音楽が浮き出して来る!」
 目の見えない貢さんは、耳で音を聴いて自分の音で演奏していた。
 そのことが、口の悪い評論家によってこきおろされることにもなった。
 要は、譜面を無視している、ということだ。
 偉大な作曲家に従えない、哀れな三流品とも評された。
 その一方で、「サイヘー」と呼ぶ熱烈なファンもいた。
 もちろん、俺もその一人だった。




 俺は「貢さん式」で、俺の好きになった歌をどんどん覚えて行った。
 一度聴いたら、俺のものになるようになった。
 よく貢さんに「いい歌ですよ!」と披露した。

 「ケッ! またくだらねぇ歌謡曲か!」
 「いいじゃんか!」
 「お前は三流になりてぇのかぁ!」
 「これが俺の音楽だぁ!」

 よく喧嘩した。
 それでも、貢さんは俺が聴いてくれと言って、断ったことは一度もなかった。
 途中で止められたことも無い。
 いつでも、ちゃんと最後まで聴いてくれた。




 ある時、貢さんが「黙って聴け」と一枚のレコードをかけた。
 物凄い演奏だった。
 魂がこもっていた。
 感動した。

 「すげぇー!」
 「ふん」
 「でも、音が何か違いますね」
 「!」

 「貢さんならこうでしょう?」
 俺は貢さんの弾き方で鳴らした。
 耳で聴いて自在に弾けるようになっていた。

 「これはジャンゴ・ラインハルトというギタリストの演奏だ。ジャンゴはなぁ、火傷が原因で左手の薬指と小指が使えねぇんだ」
 「えぇ!」
 「でも、ちゃんとクロマッチ・ラインを奏でてるだろ?」
 「はいはい!」

 「ヘンタイなんだよ」
 「まさしく!」
 「ハッ! 目が見えねぇなんてことは、どうだっていいんだよなぁ!」

 俺は貢さんの目の前でオチンチンを出した。
 奥さんが見てて大笑いした。

 「トラ! お前またなんかやってんだろう!」
 「どうだっていいんだよなぁ!」
 「ふざけんな、このやろう!」

 俺はジャンゴのレコードを貸して欲しいと頼んだ。
 断られた。
 それまで、何度も貢さんからレコードを借りようとしたが、悉く断られていた。

 「俺の魂だ」

 そう言われていた。




 中学二年生の時、貢さんは体調を崩した。
 俺はよく通っていたが、布団の中で俺が縁側で弾くのを聴いて文句を言っていた。
 褒められたことはただの一度もなかった。
 最初の出会いで「才能がある」という言葉だけだった。

 その年の9月のある日の夜に、奥さんから呼ばれた。
 俺はギターを持って出掛けた。
 顔見知りの医者がいた。
 奥さんが貢さんの布団の傍に座っている。
  
 「トラ!」
 「あ、南条先生!」

 「お前だったのか! ああ、まあそこに座れ」
 俺はいつもの縁側に座った。

 「あのね、突然なんだけど、トラに一曲弾いて欲しいんだってさ」
 貢さんは何も言わず、顔見知りの医者がそう言った。
 分からなかったが、俺は『アルハンブラの思い出』を弾いた。

 弾いている途中で、貢さんが「ムオォー! それだぁ!」と叫んだ。
 俺は背中を向けていたので、その声だけを聴いた。

 演奏が終わると、医者が貢さんの脈を取り、次いでライトを目に当てていた。
 時計を見て

 「午後7時10分。ご臨終です」 

 そう言った。

 俺はただ、呆然と立ち尽くしていた。





 葬儀が終わり、翌日に俺は奥さんから呼ばれた。

 「これね、トラちゃんにもらって欲しいんだ」

 俺に貢さんの膨大なレコードを示した。
 その時、初めて涙が流れた。

 「それはもらえませんって」
 「でもね、トラちゃんにもらってもらうのが一番あの人が喜ぶんだよ」
 「ダメですって」
 「どうして?」
 
 「だって、それは貢さんの「魂」じゃないですかぁ!」

 奥さんも泣いた。





 その後、奥さんは引っ越していかれた。
 引っ越しの日、俺にギターを持って来た。

 「あたしの傍に置こうと思ってたんだけどね。うちには「魂のレコード」があるから。だからこのギターはもらってくれないかな」
 俺は引き受けた。

 「じゃあ、トラちゃん、元気でね」
 「奥さんも」




 金がある程度使えるようになって、俺は貢さんのレコードコレクションを買い集めた。
 ずいぶん珍しいものもあったことを、その時に気付いた。
 俺は全部のタイトルを覚えていた。





 「目が見えると、こういうこともできるんですよ、貢さん」

 「でもさ、貢さんの演奏のレコードは、一度も聴かせてくれませんでしたよね?」

 「最高じゃないですかぁー!」

 俺の最も尊敬するギタリストだ。
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