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峰岸鷹 Ⅱ
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水曜日。
朝10時から始めた手術は、深夜1時に終わった。
交通事故で、5か所にわたる頸椎損傷。
一か所ずつ神経の状態を慎重に見ながら対処し、人工骨を埋め込む。
合併症を防ぐため、慎重に厚さを研磨されたチタン金属を挟んでいく。
口で言えば簡単だが、非常にデリケートな処置のために、神経を集中させなければならない。
場合によっては、後日再手術が必要だが、俺は確かな手応えを感じていた。
長時間の手術で、俺以外の全員が交代で立ち会った。
一人だけ、峰岸はずっとオペに付き合ってくれた。
「お前も休め」
「大丈夫です」
何度か、その遣り取りをした。
そればかりか、集中力を欠いた人間をどんどん交代させていく。
俺が指示する前に、次の作業の準備に取り掛かっている。
非常に頼りになる。
深夜に全術式を終えた後、峰岸は笑顔で俺を見ていた。
「いつもながら、石神先生のオペは美しいですね」
「そうかよ。お前もキレイだぞ!」
俺たちは、まだそう言い合う余裕すらあった。
俺は着替えて一服し、響子の病室へ向かった。
部屋の近くに、峰岸が立っていた。
「どうしたんだよ」
「きっと、石神先生は立ち寄られるだろうと思って」
俺は笑って、峰岸に一緒に入るように言った。
響子はよく眠っている。
セグウェイで運動をしているせいか、食欲も増し、調子が崩れることも少なくなっていた。
「カワイイ寝顔ですね」
「そうだよなぁ」
小声で峰岸と話した。
六花がプレゼントした、トラのぬいぐるみを掴んでいる。
「寝てても、石神先生を離さないんですね」
俺は笑って峰岸を見た。
合図して、そっと病室を出る。
「どうしたんだよ、今日は」
「いえ、ちょっと石神先生をもう少し見たくて」
「なんだ、そりゃ」
手術が長時間になるのは分かっていたので、俺はベンツで出勤していた。
「峰岸、家まで送ろう」
「ほんとですか!」
俺たちは駐車場に向かった。
峰岸を助手席に乗せる。
「あの、石神先生」
「なんだ?」
「あの、羽田空港に行ってみたいな、とか……」
遠慮がちに、峰岸がそう言った。
前を向いて、緊張している。
「なんだ、そんなこと。じゃあ行こうか!」
峰岸が笑顔で俺を見た。
「ありがとうございます!」
深夜でもあり、道は空いていた。
「今日はいろいろと世話になったな」
「いえ、そんなこと。仕事ですから」
「オペの時ももちろん助かったけど、昼間もな」
「ああ」
「石神先生は、花岡先生と付き合っていらっしゃるんですか?」
「うーん。「どうだろう」なんて言うと怒られる、という感じかな」
「なんですか、それは!」
峰岸が笑って言った。
「確かに親しい関係なのは間違いない。お互いに大事な人間であることも確かだ。でも、普通に言う男女の交際ともちょっと違うような気がするな」
「難しい付き合いなんですね」
「そうだなぁ。表現がな」
「一色さんとも、親しいですよねぇ」
「ああ、そうだな」
「あ、動揺しないんですね」
俺は声を上げて笑った。
「だって、本当にそうだからな」
「羨ましいなぁ」
峰岸は小さな声で呟いた。
羽田空港にはすぐに着いた。
今の時間に入れるのは、第三ターミナルだけだ。
俺たちは5階の展望台へ向かった。
「あー! 綺麗ですね!」
峰岸はフェンスまで走って行った。
俺を手招きする。
「初めて展望台なんて来ました」
しばらく二人で深夜の空港を眺め、ベンチに座った。
「お前、疲れてないか?」
「はい。集中してたせいか、今はまだ興奮状態です」
「そうか」
俺も風呂にでも入ってリラックスすれば、どっと疲れを感じるだろう。
切り替え方は、みんな自然に覚えるものだ。
明日は俺も峰岸も休みだ。
「石神先生って、女性から異様にモテますよね」
「そうかな」
「知ってないはずないじゃないですか。今年のバレンタインデー解禁だって、スゴイことになってましたよね」
「ああ、あれなー」
俺は院長室での顛末を教えてやった。
峰岸が大笑いする。
「そんなことが、アハハハ、あー、おかしい!」
明るく笑う女だ。
真面目な芯があって、また人生を楽しんでいる。
「花岡先生に一色さん、それと響子ちゃんは、「ヨメ」なんですよね」
「どうも、そうらしいな」
俺たちは声を出して笑った。
「私も、その中に入れませんか?」
峰岸が真剣な顔で言う。
「やめておけよ、俺みたいな奴は」
「ダメですか」
「一人と正式に付き合わない、そういうろくでなしだぞ」
「それでもいいんです」
「峰岸はいいとこのお嬢さんだろう」
大料亭の娘だった。
「家のことはいいんです」
「でも、ちゃんと結婚する道があるじゃないか」
「石神先生以外は、まったく興味ありません」
まっすぐに俺を見ている。
「まだ三十代だろ?」
「はい、33歳です」
「美人だし、結婚話は随分と来ているんじゃないか?」
「その通りです」
「だったら、俺なんかよりも幸せにしてくれる人は、幾らでもいるだろうよ」
「石神先生以外は、まったく興味ありません」
峰岸は繰り返した。
「あのですね。一昨年の年末にお邪魔したじゃないですか」
「ああ、助かったよ」
「毎年、正月に実家に帰ると見合いを勧められるんです」
「なるほどな」
それは分かる。
適齢期になった娘を、嫁に出して幸せにしてやろうという親の願いだ。
「だから実家に帰るのは、本当はいつも嫌だったんです」
「いい話は無かったのか?」
「まあ、一般的に言えば、すごくいい話もありましたよ。でも私は石神先生以外に興味はないので」
「強情だな」
俺は笑った。
「結婚って、いいものなんですか?」
「そういうことを、独身しか知らない俺に聞くなよ」
「じゃあ、石神先生の広い見識で言えばどうなんでしょうか」
「人それぞれじゃねぇのか」
「そうですよねぇ」
俺たちは、なんとなく深夜に離陸していく旅客機を眺めていた。
「じゃあ、結婚しなくても、人それぞれなんじゃないでしょうか」
「そうかもな」
こういう話になるのは、分かっていた。
峰岸が響子の部屋の前で待っていた瞬間に分かっていた。
峰岸を車に乗せた瞬間に、俺の答えも分かっていた。
「お前、確か変わった名前だったよな」
「はい。鷹と書いて「よう」と読みます」
「ホーク・レディか」
「なんですか、それ?」
俺は六花と横須賀へ行き、マリーンの連中に六花が「タイガー・レディ」と呼ばれたことを話す。
「へぇ! だから私は「ホーク・レディ」ですか」
花、雪、鷹、どれも美の代名詞だ。
ああ、龍もいたな。
「面白いな」
「面白がってないで、お返事はどうなんですか?」
「いつでも見捨てて構わないからな、鷹。虎の家族へようこそ」
「ヘンな返事ですね。でも嬉しい」
鷹は俺の肩に頭を寄せた。
俺は鷹の身体を抱き寄せた。
「おい」
「はい」
「周囲にスマホを向けてる奴はいねぇだろうな」
「ウフフ」
鷹は嬉しそうに笑った。
朝10時から始めた手術は、深夜1時に終わった。
交通事故で、5か所にわたる頸椎損傷。
一か所ずつ神経の状態を慎重に見ながら対処し、人工骨を埋め込む。
合併症を防ぐため、慎重に厚さを研磨されたチタン金属を挟んでいく。
口で言えば簡単だが、非常にデリケートな処置のために、神経を集中させなければならない。
場合によっては、後日再手術が必要だが、俺は確かな手応えを感じていた。
長時間の手術で、俺以外の全員が交代で立ち会った。
一人だけ、峰岸はずっとオペに付き合ってくれた。
「お前も休め」
「大丈夫です」
何度か、その遣り取りをした。
そればかりか、集中力を欠いた人間をどんどん交代させていく。
俺が指示する前に、次の作業の準備に取り掛かっている。
非常に頼りになる。
深夜に全術式を終えた後、峰岸は笑顔で俺を見ていた。
「いつもながら、石神先生のオペは美しいですね」
「そうかよ。お前もキレイだぞ!」
俺たちは、まだそう言い合う余裕すらあった。
俺は着替えて一服し、響子の病室へ向かった。
部屋の近くに、峰岸が立っていた。
「どうしたんだよ」
「きっと、石神先生は立ち寄られるだろうと思って」
俺は笑って、峰岸に一緒に入るように言った。
響子はよく眠っている。
セグウェイで運動をしているせいか、食欲も増し、調子が崩れることも少なくなっていた。
「カワイイ寝顔ですね」
「そうだよなぁ」
小声で峰岸と話した。
六花がプレゼントした、トラのぬいぐるみを掴んでいる。
「寝てても、石神先生を離さないんですね」
俺は笑って峰岸を見た。
合図して、そっと病室を出る。
「どうしたんだよ、今日は」
「いえ、ちょっと石神先生をもう少し見たくて」
「なんだ、そりゃ」
手術が長時間になるのは分かっていたので、俺はベンツで出勤していた。
「峰岸、家まで送ろう」
「ほんとですか!」
俺たちは駐車場に向かった。
峰岸を助手席に乗せる。
「あの、石神先生」
「なんだ?」
「あの、羽田空港に行ってみたいな、とか……」
遠慮がちに、峰岸がそう言った。
前を向いて、緊張している。
「なんだ、そんなこと。じゃあ行こうか!」
峰岸が笑顔で俺を見た。
「ありがとうございます!」
深夜でもあり、道は空いていた。
「今日はいろいろと世話になったな」
「いえ、そんなこと。仕事ですから」
「オペの時ももちろん助かったけど、昼間もな」
「ああ」
「石神先生は、花岡先生と付き合っていらっしゃるんですか?」
「うーん。「どうだろう」なんて言うと怒られる、という感じかな」
「なんですか、それは!」
峰岸が笑って言った。
「確かに親しい関係なのは間違いない。お互いに大事な人間であることも確かだ。でも、普通に言う男女の交際ともちょっと違うような気がするな」
「難しい付き合いなんですね」
「そうだなぁ。表現がな」
「一色さんとも、親しいですよねぇ」
「ああ、そうだな」
「あ、動揺しないんですね」
俺は声を上げて笑った。
「だって、本当にそうだからな」
「羨ましいなぁ」
峰岸は小さな声で呟いた。
羽田空港にはすぐに着いた。
今の時間に入れるのは、第三ターミナルだけだ。
俺たちは5階の展望台へ向かった。
「あー! 綺麗ですね!」
峰岸はフェンスまで走って行った。
俺を手招きする。
「初めて展望台なんて来ました」
しばらく二人で深夜の空港を眺め、ベンチに座った。
「お前、疲れてないか?」
「はい。集中してたせいか、今はまだ興奮状態です」
「そうか」
俺も風呂にでも入ってリラックスすれば、どっと疲れを感じるだろう。
切り替え方は、みんな自然に覚えるものだ。
明日は俺も峰岸も休みだ。
「石神先生って、女性から異様にモテますよね」
「そうかな」
「知ってないはずないじゃないですか。今年のバレンタインデー解禁だって、スゴイことになってましたよね」
「ああ、あれなー」
俺は院長室での顛末を教えてやった。
峰岸が大笑いする。
「そんなことが、アハハハ、あー、おかしい!」
明るく笑う女だ。
真面目な芯があって、また人生を楽しんでいる。
「花岡先生に一色さん、それと響子ちゃんは、「ヨメ」なんですよね」
「どうも、そうらしいな」
俺たちは声を出して笑った。
「私も、その中に入れませんか?」
峰岸が真剣な顔で言う。
「やめておけよ、俺みたいな奴は」
「ダメですか」
「一人と正式に付き合わない、そういうろくでなしだぞ」
「それでもいいんです」
「峰岸はいいとこのお嬢さんだろう」
大料亭の娘だった。
「家のことはいいんです」
「でも、ちゃんと結婚する道があるじゃないか」
「石神先生以外は、まったく興味ありません」
まっすぐに俺を見ている。
「まだ三十代だろ?」
「はい、33歳です」
「美人だし、結婚話は随分と来ているんじゃないか?」
「その通りです」
「だったら、俺なんかよりも幸せにしてくれる人は、幾らでもいるだろうよ」
「石神先生以外は、まったく興味ありません」
峰岸は繰り返した。
「あのですね。一昨年の年末にお邪魔したじゃないですか」
「ああ、助かったよ」
「毎年、正月に実家に帰ると見合いを勧められるんです」
「なるほどな」
それは分かる。
適齢期になった娘を、嫁に出して幸せにしてやろうという親の願いだ。
「だから実家に帰るのは、本当はいつも嫌だったんです」
「いい話は無かったのか?」
「まあ、一般的に言えば、すごくいい話もありましたよ。でも私は石神先生以外に興味はないので」
「強情だな」
俺は笑った。
「結婚って、いいものなんですか?」
「そういうことを、独身しか知らない俺に聞くなよ」
「じゃあ、石神先生の広い見識で言えばどうなんでしょうか」
「人それぞれじゃねぇのか」
「そうですよねぇ」
俺たちは、なんとなく深夜に離陸していく旅客機を眺めていた。
「じゃあ、結婚しなくても、人それぞれなんじゃないでしょうか」
「そうかもな」
こういう話になるのは、分かっていた。
峰岸が響子の部屋の前で待っていた瞬間に分かっていた。
峰岸を車に乗せた瞬間に、俺の答えも分かっていた。
「お前、確か変わった名前だったよな」
「はい。鷹と書いて「よう」と読みます」
「ホーク・レディか」
「なんですか、それ?」
俺は六花と横須賀へ行き、マリーンの連中に六花が「タイガー・レディ」と呼ばれたことを話す。
「へぇ! だから私は「ホーク・レディ」ですか」
花、雪、鷹、どれも美の代名詞だ。
ああ、龍もいたな。
「面白いな」
「面白がってないで、お返事はどうなんですか?」
「いつでも見捨てて構わないからな、鷹。虎の家族へようこそ」
「ヘンな返事ですね。でも嬉しい」
鷹は俺の肩に頭を寄せた。
俺は鷹の身体を抱き寄せた。
「おい」
「はい」
「周囲にスマホを向けてる奴はいねぇだろうな」
「ウフフ」
鷹は嬉しそうに笑った。
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