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慶介、エリスは美しかったな。

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 土曜日。


 俺は双子と散歩していた。
 午前の勉強を終え、昼食も食べた。

 俺は子どもたちを連れて散歩をよくするが、断然双子が多い。
 別に亜紀ちゃんともいいし、皇紀とも楽しい。
 しかし、双子との散歩は、なんと言うかまったり度が違う。
 気を遣わないためか、お互いに自由に歩くためか、何とも楽しい。
 大体、JRの中野駅になんとなく向かい、途中の公園に寄る。
 ベンチに座って、のんびりと缶ジュースなどを飲む。
 双子は一緒にまったり座っていることもあれば、元気よくその辺で遊んでいることもある。
 お互いに組み手をしたり、犬連れの人に話しかけて触らせてもらったりしている。

 今日は俺と一緒にベンチに座っていた。
 他愛のない話をする。




 「どうしてもね、範囲が拡がらないんだ」
 ルーが突然言う。

 「何の話だ?」
 「『花岡バスター』」
 他愛のない話ではなかった。

 「やっぱりさ、コペンハーゲン解釈って、無理があるんじゃないかな」
 「ルーもそう思う? なんかさ、カッコ付けちゃってる感じ」
 「なるほどな」
 「でもさ、便利だからしょーがないっていうのも分かるよね」
 「それでもやっぱり気持ち悪い」

 「観測の問題か?」
 「そうそう! タカさんってどう思う?」
 「どうって言われてもなぁ。まあ、お前らの言うことはよく分かるよ」
 「「うーん」」

 「量子の世界では自由なのに、大きな塊になると全然違う、というな。でも、それは俺たちがそう観測しているというだけで、実際の量子は自由なままなわけだ」
 「「うん」」
 「だったら、やっぱり「観測」自体に問題があるんじゃねぇのか?」
 「「!」」

 「神は普く存在するってな。それを信じたのが宗教だ。無理に神の存在を求めよう、なんていうのが近代以降の間違いだよなぁ」
 「タカさんって、やっぱり面白いよね!」
 「うん。じゃあ、その方向で考えてみよう!」

 すずめが二羽、俺の肩に止まった。
 まだ、動物集合が若干出る。

 「タカさんって、面白いわー」

 双子が笑った。
 すずめは飛び立った。





 中野駅に着いて、俺たちはマンダラゲを覗きに行った。
 人形、フィギュアのフロアに入る。
 一面に人形の眼球が飾られている。
 双子はちょっと怖がっていた。

 外のベンチで、ソフトクリームを三人で食べた。

 「前に慶介君という子がいてな」
 人形を見て思い出していた。
 俺は慶介の話をした。



 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■



 出会ったのは、骨折をした慶介が入院していた時だった。
 まだ慶介が小学四年生の時だ。
 俺がまだ今の病院へ移って、蓼科文学の意向で幾つもの科を回されていた時期だった。
 丁度形成外科に配属されていて、俺は慶介の開放骨折のオペを任された。
 別に難しいこともなかったが、しばらくは入院だ。
 経過も順調で、何の心配も無かった。

 慶介は絵が上手かった。
 並みの才能ではない。
 父親は映画監督。
 母親は英語が堪能で、翻訳の仕事をしていた。
 知的な家庭環境が、慶介の才能を生んだのかもしれない。

 両親ともに、慶介を溺愛し、慶介が欲しがるものは何でも与えた。
 マウンテンバイクが欲しいと言うと、数百万円ものものを買った。
 それでも甘いわがままな性格には育たず、優しい少年になっていた。
 両親の愛情が本物だったためだ。
 
 退院後も時々遊びに来て、俺に描いた絵を見せてくれた。
 俺が大いに才能を褒めたためか、何かいいものを描くと、両親が俺に見せるように言っていた。



 その後、慶介は美大に行こうとしたが失敗し、浪人はせずに美術の専門学校へ通うことになった。
 父親が郷里の仕事を継ぎ、慶介は東京に残って独り暮らしを始めた。
 両親から、何か困ったら俺を頼るようにと言い、俺もくれぐれもと頼まれた。

 前にもまして、慶介は俺の所へ遊びに来るようになった。
 学校での課題を俺に相談し、できたものを見せに来る。
 俺はその度に慶介に頂き物の菓子や食い物を持ち帰らせた。
 慶介はいつも嬉しそうに受け取って礼を言った。




 慶介の好みが見えてきた。
 絵画よりも、造形に興味が移った。
 ある時、森鴎外『舞姫』を読み、「エリス」をイメージした人形を作った。
 俺が『舞姫』を貸した。
 非常に美しい、神掛り的に高貴な人形だった。
 球体関節を使い、様々なポーズが取れた。

 「おい、これを譲ってくれよ。言い値で買うぞ」
 「え、これはちょっと」
 「なんだよ」
 「これはおばあちゃんにあげるつもりなんです」

 「えぇー!」
 プロではなかったが、おばあちゃんも人形を作っていたそうだ。

 「ちょっと今病気で。だからこれを送ってあげようかと」
 「そういうことなら仕方ないな。じゃあ、せめて写真だけでもくれよ」
 「分かりました!」
 後日、慶介は様々な場所に「エリス」を座らせ、立たせ、ポーズを取らせた写真を俺にくれた。




 卒業して、慶介はそのまま東京に残った。
 就職はしなかった。
 慶介が気に入る所が無かったのだ。
 慶介はフリーの造形家になった。
 もちろん、仕事などあるはずがない。
 両親の仕送りと、俺がたまにやる菓子や食べ物で悠々と生きていた。

 遊んでいたわけではない。

 慶介は日々何かを作り続けた。
 むしろ、一般の社会人よりも仕事をしていた。

 ある日、知り合いの紹介で有名な映画監督の仕事を回してもらった。
 ほんの小さな仕事だったが、打ち上げのパーティに呼んでもらえた。
 それを嬉しそうに俺に報告しに来た。

 「そうか! だったらなぁ。お前は監督の傍から絶対に離れるな!」
 「分かりました!」
 「そして監督をとにかく褒め称えろ!」
 「分かりました!」
 ほんの、それだけのアドバイスだった。

 慶介は見事にやり遂げた。
 周囲の人間から小突かれ、怒鳴られながらも、監督の前に座り続け、ひたすら話した。
 幸いにもお互いの趣味がミリタリーにあった。
 慶介は劣化ウラン弾の話をし、監督は慶介の知識の深さに感嘆した。
 大いに盛り上がり、その後慶介は監督から仕事を回してもらえるようになった。

 慶介は安アパートに住んでいた。
 両親へ負担をかけたくなかったのと、慶介はそういう環境がむしろ好きだった。
 造形の材料をオーブンで温める。
 他の電化製品を使うとブレーカーが飛ぶ。
 だから真夏は裸になって作業した。



 監督から、大きな仕事を任された。
 劇中で使う主人公の剣の造形だ。
 それをグッズの一つとして販売されることが決まった。
 慶介は喜んで、その仕事に熱中した。

 食事もしない。
 眠らない。

 見事な剣が出来上がった。



 その後も監督から仕事を回してもらい、慶介は徐々に名が知られるようになっていった。
 監督からの信頼も篤く、慶介は来るたびに喜んで近況を話してくれた。



 しかし、突然慶介は死んだ。
 心筋梗塞だった。
 発見したのは慶介の友人だった。
 連絡を取れなくなったので、アパートに行ったら、もうこと切れていた。

 両親、特に父親の嘆きは大きかった。
 遺体は俺の病院で一旦引き取り、両親を迎えた。
 慶介の遺体を見て、父親は気絶した。

 葬儀の時に、父親が俺に言った。

 「石神先生には、大変にお世話になりました」
 「いえ、力及ばず、申し訳ありません」
 「いいえ、慶介がよく先生のことを話してくれました。いつも自分に素晴らしいアドバイスをしてくれるって。また、いつも美味しいお菓子や食べ物をくれると。「メロンをもらったよ」って、興奮して電話してきたりも……」
 「そうですか」

 「あの子が死んだのは悲しいですが、あれは自分の思い通りに生きてくれました。私たちも、あの子の好きなように生かせることができたと思います」
 「そうですね」

 「本当にあの子は、幸せだったと思います」
 「はい」




 その通りだと思った。



 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■



 「慶介くんの作ったものを観たかったな」
 「どんなのだったの?」
 「ああ、幾つか譲ってもらったのがあるよ。帰ってから見せてやろう」
 俺は慶介の作品を買い取ったりしていた。
 金を渡すためだ。
 慶介の作品は奇抜だったが、不思議と温もりのある、いい作品だった。

 「剣ももちろん買ったしな。それとフィギュアが幾つか。ああ、でも「エリス」の写真が一番いいかなぁ」
  「「エリス」の人形はどうなったの?」
 「ああ、結局おばあちゃんが亡くなって、棺の中に入れてあげたそうだよ」
 「そっかー。残念だね」

 「うん。でもな、それでいいんだと思うぞ。おばあちゃんがとても喜んでくれて、一番大事にしてたそうだからな」
 「だったら、よかったんだね!」
 「天国でまた会えるものね!」

 「そうだよな」







 もう十年にもなる。
 慶介はあの世でも作品を作っているのだろうか。

 そういう世界があって欲しい。
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