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あの日、あの時 Ⅳ アラスカ後編

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 ホテルの前で、俺たちは気力が萎え、死に掛けた。
 偶然に従業員が外を見ていて、崩れ落ちる俺たちを助けてくれた。


 俺たちは特別に従業員用のサウナへ入れてもらう。
 若く、鍛え上げた俺たちは、10分もすると回復した。
 「トラ、助かったな」
 聖は俺を「トラ」と呼ぶ。

 身体が温まると、その代わりに、猛烈な空腹が甦った。
 思えばその日、朝から何も喰っていなかった。

 幸いホテルは空いていて、食堂でもすぐに料理が用意できると言う。
 とにかく何でもいいから、と俺たちはお任せで頼む。量だけ必要だ、と。
 出てきたのは大きな鮭のバター焼きとパン。
 俺たちはむしゃぶりついて、三回注文した。

 落ち着いた俺たちは三日間の宿代と今の食事代を払い、ツインの部屋に案内される。
 部屋の中は意外に暖かかった。
 俺たちはお気に入りの毛皮のコートをハンガーに大事に掛けた。



 「おい、空いてて良かったな。これで満室なんてことだったら死んでたぞ」
 「ああ、さっきお前がレストランでトイレに行ってる時に聞いたんだけどな」
 「おお、なんだよ」
 「一週間は吹雪だから、みんなキャンセルされたんだと」
 「……」



 「おい聖!」
 「なんだよ」
 「俺たちはオーロラを見に来たんだよなぁ」
 「おう、そうだったな」
 「吹雪でオーロラが見えんのかよ!」
 「言われてみればそうだな」
 「じゃあ、お前はなんで三日も泊まるなんて言ったんだ?」
 「三日分って言ったのはトラだろう!」
 「なんだと、このやろう!」
 「なんだよ、このやろう!」

 「「表に出ろ!」」



 俺たちは吹雪の中に出て、壮絶な殴り合いを始めた。
 従業員が出てきて「やめろ」と言う。
 俺たちは肩を組んでニッコリ笑った。

 「カラテの練習ですよ!」
 背中で聖が拳を入れる。
 俺は脚を絡め、聖の顔を雪に埋めた。
 また立ち上がり、ニッコリと笑った。

 従業員の顔は引き攣っていたが、寒いので中へ、と言った。




 翌朝、不機嫌そうに睨み合って朝食を取っていると、ホテルのオーナーが挨拶に来た。
 客は俺たちしかいなかった。

 「お二人とも、ハンティングは出来ますか?」
 多分ヒマを持て余している俺たちに、好意で誘ってくれたのだろう。

 「はい! やったことはありませんが、ライフルを撃つのは二人とも大好きです!」
 「じゃあ、もし良かったら、一緒にカリブーを撃ちに行きませんか?」

 「「喜んで!」」



 俺たちはオーナーのジェイムズさんの4WDに乗せてもらい、狩場へ向かった。
 本来は許可証だのが必要だったのかもしれない。
 でもジェイムズさんは気軽に連れて行ってくれた。

 道路の脇の空き地に車を停め、山の中へ入る。
 ブーツや防寒の服などはすべて貸してもらっている。
 日本人にしては大柄の俺たちは、サイズを気にする必要はなかった。

 ライフルも借りた。
 聖よりも体格の良い俺はウェザビー460を。
 聖のライフルは、レミントンM700だった。



 「へ、俺の勝ちだな」
 「お前、取り替えろ!」
 俺たちが掴み合いを始めると、ジェイムズさんが止める。
 「ここから引き返しますか?」

 俺たちは肩を組んでニッコリと笑った。
 「「とんでもありません!」」
 ジェイムズさんは両手を広げてため息をつく。
 一応、弾丸は場所に着いてから渡すと言われてしまった。


 2時間ほども雪の中を進む。
 慣れていない俺たちには結構きつい道程だった。

 「この辺で待ちましょう」
 ジェイムズさんは、カリブーが右の斜面から降りてくると言った。
 俺たちは50メートル置きに配置され、絶対に銃口を人に向けるなと念を押され、弾丸を渡された。
 
 また、カリブーの心臓を狙うように言われる。
 ヘッドショットでも死ぬわけだが、カリブーの角が台無しになる。
 それに、心臓を外しても、胴体に当たれば倒れる。
 心臓の位置は教えてもらった。




 30分もすると、顔や手足が冷たくなり、感覚が無くなってきた。
 俺はジェイムズさんにフードを使うと温かくなると教えてもらったのを思い出した。
 効果は覿面で、たちまち手足の感覚すら戻ってくる。

 借りた服はトナカイの革を使ったもので、上下ともそうだ。
 抜群の保温性で、零下40度のアラスカの吹雪の中でも大丈夫だ。
 フードには口を覆うマスクもついていて、それを使うと目の辺りも暖かくなった。


 二時間後。
 斜面の上から重い音が響いてくる。
 俺は腹で温めていた弾丸を取り出し、ライフルに詰める。
 これだけの寒冷地で、ライフルの誤作動を防ぐためだ。
 別に、ジェイムズさんから教わったわけではない。
 多分、聖も同じことをしているだろう。


 最初の一発はジェイムズさんだと言われている。
 俺は伏射の体勢になり、その時を待った。
 目の前50メートル先を、カリブーの群れが駆け下りる。
 サイトのゼロインはしていない。
 しかし、50メートルなどは、俺たちにとっては至近距離だ。
 俺は心臓ではなく、確実に即死する頭部を狙う。

 パーンという乾いた音が響いた。
 俺はカリブーの群れの、一際大きな角を持つ個体の一頭に狙いをつけ、撃った。

 聖のいた辺りでも、銃声が響く。

 俺たちは二頭ずつ仕留めた。





 「いやぁ、お見事です! 初めてのハンティングで、大物を二頭も仕留めるとは!」
 手放しで褒めるジェイムズさんに、俺たちは照れた。

 「しかもお二人ともヘッドショットで。なんで心臓を狙わなかったんですか?」
 「まあ、こっちが確実かと」

 俺は二頭ともでかい角を残していたが、聖の一頭は角がへし折れていた。
 ヘッドショットがズレると、こうなる。

 ジェイムズさんはその場で一頭の腹を割き、肝臓を取り出した。
 俺たちの前でその肝臓に塩と胡椒を振りまき、ナイフで切って差し出す。
 受け取って口に入れると、美味い!

 「ハンターだけの特権ですね」
 虫やウイルスなどの心配はあるが、この美味さはそれを乗り越えた。

 「獲物は引きずって運ぶんですか?」
 俺は道程を思いうんざりした。
 別にカリブーの角なんか飾りたくもねぇ。

 「ああ、後から従業員が来ますんで大丈夫ですよ」

 俺はその言葉を聞いてふと思った。

 「よくカリブーの群れがここに来ると分かりましたよね」
 「ああ、それも従業員が群れを誘導しましたからね」
 大したことではない、という言い方だった。


 
 車でホテルに戻った。
 俺たちは着替え、借りた服を返す。
 ライフルの手入れを申し出たが、必要ないと断られた。


 「あー、ヒマだな」
 「俺のオオカミが泣いているぜ」
 「トラって、時々ヘンなこと言うよな」
 「お前、喧嘩売ってんのか?」
 「なんだ、やんのかよ」
 「「表に出ろ!」」




 俺たちはホテルからしばらく歩いた。
 また昨日のように誤解されると困る。

 少し歩くと、ジェイムズさんが黒髪の子どもを殴っていた。
 俺たちに気付くと、ハッとなる。

 「ちょっと従業員に言い聞かせてまして」
 笑顔で俺たちにそう言った。
 
 「何をしたんですか?」
 聖が俺に余計なことを言うなと、小声で囁く。
 
 「いや、さっきの狩でちょっとした不始末を」

 こんな小さな子どもが雪の山を歩かされていたのか。
 服装も俺たちが着たようなものではない。
 綿の、もっと安いものだ。


 「そうですか、では」
 聖が俺の腕を引っ張ってホテルへ戻った。
 喧嘩の空気は消え失せていた。






 昼食を抜いていた俺たちは、早目の夕食をとった。
 
 「おい、朝もサーモンだったよな」
 「夕べもな」

 「もしかして、サーモン以外にねぇのか?」
 「聞いてみろよ」

 聖がウェイターに聞きに行く。

 「食材はキャンセルと同時に別なところに売ったんだと」
 「じゃあ、なんでサーモンだけはあるんだよ」
 「これはどこも一杯で引き取ってもらえないんだと」
 「俺のオオカミが泣いているぜ」


 俺たちは部屋へ戻るが、やることがねぇ。
 部屋にはテレビも置いていなかった。

 行く所も無いので、俺たちはまた食堂へ行き、酒を頼む。
 つまみはやはりサーモンのバター焼きだ。



 薄暗くなった庭で、従業員が雪かきをしている。
 三人いるが、どれも黒髪の小さな子どもだった。

 「ありゃ、イヌイットか」
 俺がそう言うと、聖が分からない、という顔で見ている。
 俺はアラスカの原住民で、白人に虐げられているのだと教える。
 「ああ、エスキモーか! 日本人と同じ遺伝子だったよな」
 嫌なことを言う奴だ。




 俺は外に出て、子どもたちに話しかけた。
 一緒に雪かきを手伝う。
 聖も出てきて、道具を子どもから借りた。

 白人の従業員が出てきて、俺たちにやめて欲しいと言った。
 俺たちはヒマでしょうがないからやらせて欲しいと頼む。



 子どもたちに聞くと、これで今日の仕事は終わりだと言う。
 俺たちは雪合戦をし、雪だるまをこさえて遊んだ。
 子どもたちに、遊んでもらった礼だと、大目のチップを与える。
 みんな嬉しそうな顔をして、手を振りながら従業員宿舎へ帰って行った。



 翌朝、俺と聖はホテルを出た。
 もう一泊分はキャンセルできないと言われ、それで構わないと応えた。

 ジェイムズが街まで送ると言ってきたが、俺たちは断った。
 小声で「ジャップ」と罵るのが聞こえた。





 三十分も歩くと、身体が凍えてくる。
 でも、今朝はサーモンをたらふく食べたので、来たときよりも全然ましだ。

 「なあ」
 「あんだよ」
 「俺たちが狩ったカリブーってどうなるんだ?」
 聖がヘンなことを言い出した。


 「どういうことだよ」
 「だってよ、あれって結構な金になるんじゃないのか?」
 「そうかもな」
 「俺ら、なんにも貰ってないぞ」
 「いらねぇよ、あんなもん」
 「だってよ!」

 「あの子どもたちが一生懸命に追い立ててくれたもんだろう。あの子たちが全部もらえばいいんだよ」
 「そんなこと言ったって、どうせあのジェイムズが独り占めすんだろ?」
 「俺たちが何も貰わなきゃ、ちょっとは肉が食えるかもしれねぇだろう」
 「そんなことねぇと思うけどなぁ」

 「お前よ!」
 「なんだよ!」
 「「表に出ろ!」」

 表だったので、すぐに始めた。






 俺たちは疲れて道の真ん中に寝そべった。

 「あの子たちが、もうちょっと幸せになるといいな」
 「お前、またヘンなこと言ってるぞ」






 俺は聖の顔に軽いパンチを当てた。 
 

 「俺のオオカミが泣いているぜ」
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