140 / 2,840
小さな魂
しおりを挟む
俺は二階に上がったところで、皇紀を呼び止めた。
「皇紀、ちょっと付き合えよ」
「はい?」
俺は皇紀をリヴィングのテーブルに座らせ、梅酒を作ってやる。
亜紀ちゃんとは別の、バカラのワイングラスにする。
グラスを鳴らした。
「あ、これって」
「おう、亜紀ちゃんに聞いたぞ。お前、俺と亜紀ちゃんに遠慮して入ってこないんだってなぁ」
「すいません。何だか二人が楽しそうで、邪魔しちゃいけないかと」
「お前もいい加減、無法松よなぁ!」
俺は皇紀の肩を叩いてやる。
「お前のその心は非常に美しい。自分のことよりも、他人のことを思うってなぁ。そうだろう」
「そうなんでしょうか」
皇紀は照れていた。
「なあ、皇紀。お前は無法松がどうして奥さんからもらったお金に手を付けなかったと思う?」
「大事なお金で、とても使えなかったんだと思います」
「その通りだ! だからな、あの奥さんというのは、無法松の中で、神様になっていたんだよ。まあ、天使でも仏様でも大精霊でもいいんだけどな」
皇紀がちょっと笑った。
「要は、神に通ずる、というほどに尊いものになっていた。だから受け取ったものは、神様から預かったようなもんだ。とてもじゃねぇけど、使うことは出来ない」
「ああ、だから奥さんのお金はそのままで、別に子どもの貯金があった、ということですね」
「そうだ。やっぱりお前は頭がいいなぁ」
俺は皇紀の頭を撫でた。
「あれがただの「お金」なら、奥さんのお金も全部貯金にしてやれば良かったんだよ。でも別になってたろ? それは、そういう理由だ」
「はぁー。映画って凄いですね」
「そうだよなぁ」
「僕も、松五郎のようになります」
「生意気だな、お前は!」
皇紀の頭をグリグリする。
痛がりながら、皇紀は喜ぶ。
「あの、映画じゃないんですが、いいですか?」
「おう、何でも聞け!」
「タカさんが話してた、四階から投げたって話」
「ああ」
「その後、タカさんはどうなったんですか?」
「ああ、そういうことか」
俺は皇紀に詳しく話してやった。
「プールでさ、木林の水着に手を突っ込んで、オッパイもんでやったぁ!」
夏休み明けの教室。朝礼を待っていた。
俺はその言葉を聞いた瞬間、そいつの席に行き、担ぎ上げて、開いていた窓から放り投げた。
何故って? 頭に来たから。
凍っていた教室が騒然となり、何人かが叫びながら先生を呼びに行く。
担任が駆けつけ、俺を殴り飛ばす。
同時に下から大声で
「無事だぁー!」
という声が聞こえた。
なんだ、そうだったのか。
救急車とパトカーが来た。
俺はいつもの校長室で待たされ、刑事と思しき人に、説明させられた。
短い説明内容だったが、俺は何度も繰り返し聞かれ、長い時間が経った。
そのうちお袋が来て、木林の母親と俺が放り投げた奴の母親も来た。
大人たちが、また長い時間話し合っていた。
また一人増えた。
木林の父親らしい。
大人たちの輪に入り、また話し合う。
木林の父親が俺に言った。
「君は石神くんだったね。娘から時々話を聞いているよ」
俺は嬉しくなった。
木林は俺のことをどんな風に話しているんだろう。
結局、俺は無罪放免となった。
木林の父親は県会議員で、被害者もほとんど怪我もない、ということで警察と他の親たちも説得してくれたようだ。
今なら、そうはいかないだろう。
でも、昔はおおらかというか、そういうこともあった。
「娘のために、ありがとう」
俺は握手を求められ、その手を握った。
その夜、親父が帰ると死ぬかと思うほど殴られた。
「結局なぁ、偉い人の権力で救われたわけだけどな。でも、俺は全然後悔してなかった。木林を傷つける奴は、絶対に許さんと思っていたからな」
「今でも同じなんですか?」
「いや、ちょっとやり過ぎだろう!」
俺たちは肩を組んで笑った。
「でもな、無法松もそうだけど、バカはいいんだぞ? 人間はバカにならないと見えない美しい世界があるんだ」
「僕もバカになります」
「ああ、そうしろ。でも言っておくけど、バカというのは悲しいんだよ。あの無法松のようになぁ」
「はい」
「バカというのは、損する、ということだからな」
「はい」
「お前は鍋とかで、妹たちによく肉を譲ってるよなぁ」
「いえ、そんな」
「お前は本当にバカでいいよなぁ」
皇紀はちょっと照れながら笑う。
「タカさん!」
「なんだよ」
「僕はタカさんからいただいたお小遣いは、今後使いません!」
「バカ過ぎだろう、それは」
俺が笑って言う。
「あれはな、お前たちにお金の使い方を覚えて欲しくて渡しているんだよ」
「はぁ」
「それで、お金というのは、バカな使い道をしなきゃ覚えられねぇんだ」
「そうなんですか?」
「ああ、最初は、思い切り下らねぇことにバンバン使って、その後で本当の価値が分かる」
「はい」
「でも、大人になってからやれば、身の破滅よ。だから今のうちに覚えろ、ということだ」
「分かりました!」
「エロ本とかでもいいんだぞ?」
「え、でも子どもには売ってもらえないですよ」
「だからお前はダメなんだよ。悪になれ、と言ってるじゃないか」
「バカでワル、ということですか。難しいです」
「ああ、バカであり頭がいい、というな。これを「絶対矛盾的自己同一」というな」
「ニーチェですか!」
「ばかやろー、西田幾多郎大先生だ!」
「そのお話を詳しく!」
俺たちは深夜まで話し込んだ。
無法松の美しさが余りにも焼き付き過ぎた皇紀も、笑顔を取り戻した。
「皇紀、ちょっと付き合えよ」
「はい?」
俺は皇紀をリヴィングのテーブルに座らせ、梅酒を作ってやる。
亜紀ちゃんとは別の、バカラのワイングラスにする。
グラスを鳴らした。
「あ、これって」
「おう、亜紀ちゃんに聞いたぞ。お前、俺と亜紀ちゃんに遠慮して入ってこないんだってなぁ」
「すいません。何だか二人が楽しそうで、邪魔しちゃいけないかと」
「お前もいい加減、無法松よなぁ!」
俺は皇紀の肩を叩いてやる。
「お前のその心は非常に美しい。自分のことよりも、他人のことを思うってなぁ。そうだろう」
「そうなんでしょうか」
皇紀は照れていた。
「なあ、皇紀。お前は無法松がどうして奥さんからもらったお金に手を付けなかったと思う?」
「大事なお金で、とても使えなかったんだと思います」
「その通りだ! だからな、あの奥さんというのは、無法松の中で、神様になっていたんだよ。まあ、天使でも仏様でも大精霊でもいいんだけどな」
皇紀がちょっと笑った。
「要は、神に通ずる、というほどに尊いものになっていた。だから受け取ったものは、神様から預かったようなもんだ。とてもじゃねぇけど、使うことは出来ない」
「ああ、だから奥さんのお金はそのままで、別に子どもの貯金があった、ということですね」
「そうだ。やっぱりお前は頭がいいなぁ」
俺は皇紀の頭を撫でた。
「あれがただの「お金」なら、奥さんのお金も全部貯金にしてやれば良かったんだよ。でも別になってたろ? それは、そういう理由だ」
「はぁー。映画って凄いですね」
「そうだよなぁ」
「僕も、松五郎のようになります」
「生意気だな、お前は!」
皇紀の頭をグリグリする。
痛がりながら、皇紀は喜ぶ。
「あの、映画じゃないんですが、いいですか?」
「おう、何でも聞け!」
「タカさんが話してた、四階から投げたって話」
「ああ」
「その後、タカさんはどうなったんですか?」
「ああ、そういうことか」
俺は皇紀に詳しく話してやった。
「プールでさ、木林の水着に手を突っ込んで、オッパイもんでやったぁ!」
夏休み明けの教室。朝礼を待っていた。
俺はその言葉を聞いた瞬間、そいつの席に行き、担ぎ上げて、開いていた窓から放り投げた。
何故って? 頭に来たから。
凍っていた教室が騒然となり、何人かが叫びながら先生を呼びに行く。
担任が駆けつけ、俺を殴り飛ばす。
同時に下から大声で
「無事だぁー!」
という声が聞こえた。
なんだ、そうだったのか。
救急車とパトカーが来た。
俺はいつもの校長室で待たされ、刑事と思しき人に、説明させられた。
短い説明内容だったが、俺は何度も繰り返し聞かれ、長い時間が経った。
そのうちお袋が来て、木林の母親と俺が放り投げた奴の母親も来た。
大人たちが、また長い時間話し合っていた。
また一人増えた。
木林の父親らしい。
大人たちの輪に入り、また話し合う。
木林の父親が俺に言った。
「君は石神くんだったね。娘から時々話を聞いているよ」
俺は嬉しくなった。
木林は俺のことをどんな風に話しているんだろう。
結局、俺は無罪放免となった。
木林の父親は県会議員で、被害者もほとんど怪我もない、ということで警察と他の親たちも説得してくれたようだ。
今なら、そうはいかないだろう。
でも、昔はおおらかというか、そういうこともあった。
「娘のために、ありがとう」
俺は握手を求められ、その手を握った。
その夜、親父が帰ると死ぬかと思うほど殴られた。
「結局なぁ、偉い人の権力で救われたわけだけどな。でも、俺は全然後悔してなかった。木林を傷つける奴は、絶対に許さんと思っていたからな」
「今でも同じなんですか?」
「いや、ちょっとやり過ぎだろう!」
俺たちは肩を組んで笑った。
「でもな、無法松もそうだけど、バカはいいんだぞ? 人間はバカにならないと見えない美しい世界があるんだ」
「僕もバカになります」
「ああ、そうしろ。でも言っておくけど、バカというのは悲しいんだよ。あの無法松のようになぁ」
「はい」
「バカというのは、損する、ということだからな」
「はい」
「お前は鍋とかで、妹たちによく肉を譲ってるよなぁ」
「いえ、そんな」
「お前は本当にバカでいいよなぁ」
皇紀はちょっと照れながら笑う。
「タカさん!」
「なんだよ」
「僕はタカさんからいただいたお小遣いは、今後使いません!」
「バカ過ぎだろう、それは」
俺が笑って言う。
「あれはな、お前たちにお金の使い方を覚えて欲しくて渡しているんだよ」
「はぁ」
「それで、お金というのは、バカな使い道をしなきゃ覚えられねぇんだ」
「そうなんですか?」
「ああ、最初は、思い切り下らねぇことにバンバン使って、その後で本当の価値が分かる」
「はい」
「でも、大人になってからやれば、身の破滅よ。だから今のうちに覚えろ、ということだ」
「分かりました!」
「エロ本とかでもいいんだぞ?」
「え、でも子どもには売ってもらえないですよ」
「だからお前はダメなんだよ。悪になれ、と言ってるじゃないか」
「バカでワル、ということですか。難しいです」
「ああ、バカであり頭がいい、というな。これを「絶対矛盾的自己同一」というな」
「ニーチェですか!」
「ばかやろー、西田幾多郎大先生だ!」
「そのお話を詳しく!」
俺たちは深夜まで話し込んだ。
無法松の美しさが余りにも焼き付き過ぎた皇紀も、笑顔を取り戻した。
1
お気に入りに追加
228
あなたにおすすめの小説
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
こずえと梢
気奇一星
キャラ文芸
時は1900年代後期。まだ、全国をレディースたちが駆けていた頃。
いつもと同じ時間に起き、同じ時間に学校に行き、同じ時間に帰宅して、同じ時間に寝る。そんな日々を退屈に感じていた、高校生のこずえ。
『大阪 龍斬院』に所属して、喧嘩に明け暮れている、レディースで17歳の梢。
ある日、オートバイに乗っていた梢がこずえに衝突して、事故を起こしてしまう。
幸いにも軽傷で済んだ二人は、病院で目を覚ます。だが、妙なことに、お互いの中身が入れ替わっていた。
※レディース・・・女性の暴走族
※この物語はフィクションです。
~後宮のやり直し巫女~私が本当の巫女ですが、無実の罪で処刑されたので後宮で人生をやり直すことにしました
深水えいな
キャラ文芸
無実の罪で巫女の座を奪われ処刑された明琳。死の淵で、このままだと国が乱れると謎の美青年・天翼に言われ人生をやり直すことに。しかし巫女としてのやり直しはまたしてもうまくいかず、次の人生では女官として後宮入りすることに。そこで待っていたのは怪事件の数々で――。
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる