94 / 2,840
挿話 たてしな・ぶんがくちゃん さん
しおりを挟む
春分の日。
休日であったため、いつもより少し遅く起きた。
蓼科文学は、縁側に出て庭を眺めていた。
妻が見つけて、お茶を置いていってくれた。
「もうすぐ、だよなぁ」
昨年の二月十四日。
石神が院長室に来た。
緊急の用件ということで、文学は秘書に通すように伝える。
「院長、冗談じゃないですよ!」
珍しく、石神が怒りを露わにしている。
この男は喧嘩が大好きだが、その最中は大抵無表情か、笑っている。
「笑顔のまま人を殴れる、というのが喧嘩慣れしてるかどうかですね」
以前にそんな言葉を聞いた。
部屋に入ってきた石神は、両手に大きな紙袋を提げている。
「これを見てください、院長!」
いや、最初から見ているが?
「主にナースたちからですけど、他にも患者さんやら他の病院の人からも、この何倍も貰ったんです!」
「落ち着けよ、石神。何のことか分からん!」
文学は石神をなだめ、ソファに座るように言った。
そして秘書に紅茶を用意するよう伝えた。
「チョコレートですよ。今日はバレンタインじゃないですか」
「ああ」
そうだった。
俺のところにも幾つか届いている。
そういえばみんな
「義理ですからね」
「絶対誤解しないでください」
とか書いてあった。当たり前だろう、そんなことは。
「こんなもの、本当に冗談じゃないですよ。俺は院内の女性と付き合う気はないですし、大体食べ切れませんよ」
「そんなこと気にするなよ。みんな義理チョコって奴じゃないか。お前のことを嫌いじゃない、ってことなんだから、有難く受け取っておけばいいんだよ」
文学は、先達として石神を導いてやった。
「え?」
「ん?」
石神は文学を見て怪訝な顔をした。
「いえ、院長。義理チョコだったらいいですよ。でもほら、みんな付き合って欲しいとかって書いてあるんですから」
石神は文学に幾つかのチョコレートを出して示した。
赴任初日からお慕いしています。
石神先生のことを考えると、夜も眠れません。
心の片隅でもいいですから、私のことを思ってください。
お付き合いしてください。父は○○県で病院を経営してます。
告白します。ずっと好きでした。
わたしのはじめてをあげます。
「………………」
袋を見ると、チョコレートばかりでもなかった。
高級店の包み、ネクタイだろうか。
あ、三越の商品券もある。何を考えているのだろう?
「さっき経理に預けてきましたけど、帯封百万円、なんてものもありましたよ。あれは返却しますけどね」
「なんだ、それ」
「抱いて、って書いてありました」
秘書が紅茶を持ってきた。
俺の前に置き、次いで石神の前にも置く。
おや、紅茶の他に何か置いていったぞ。
リボンのかかった薄い包みだ。綺麗な銀色だなぁ。
石神は大きなため息をついた。
「それで院長」
「なんだ」
「来年からは、バレンタインデーでのチョコレート他、いかなる物品、金品のプレゼントを禁止してください!」
「え、お前それは」
「そうでなければ、俺は病院を辞めます!」
「ちょっと落ち着け!」
文学はその後もしばらく石神と話し合った。
最終的に、石神の要求を呑み、早速、院則に追加し、公示した。
バレンタインデーの三日前から病院全体に禁則事項として張り出されることも約束させられた。
何をやるにも抜かりのない男だ。
その日、家に帰ると妻から綺麗な包みを渡された。
今更、それが何かと問うこともない。
「デパートに行って買ってきました」
妻がそう言う。
嬉しかった。
「そうか、ありがとう。病院でもこんなにもらったよ」
妻に見せると、嬉しそうに笑ってくれた。
「あらあら、おモテになるんですねぇ」
ちょっと恥ずかしかった。
石神、俺はチョコレートが大好物なんだけど。
休日であったため、いつもより少し遅く起きた。
蓼科文学は、縁側に出て庭を眺めていた。
妻が見つけて、お茶を置いていってくれた。
「もうすぐ、だよなぁ」
昨年の二月十四日。
石神が院長室に来た。
緊急の用件ということで、文学は秘書に通すように伝える。
「院長、冗談じゃないですよ!」
珍しく、石神が怒りを露わにしている。
この男は喧嘩が大好きだが、その最中は大抵無表情か、笑っている。
「笑顔のまま人を殴れる、というのが喧嘩慣れしてるかどうかですね」
以前にそんな言葉を聞いた。
部屋に入ってきた石神は、両手に大きな紙袋を提げている。
「これを見てください、院長!」
いや、最初から見ているが?
「主にナースたちからですけど、他にも患者さんやら他の病院の人からも、この何倍も貰ったんです!」
「落ち着けよ、石神。何のことか分からん!」
文学は石神をなだめ、ソファに座るように言った。
そして秘書に紅茶を用意するよう伝えた。
「チョコレートですよ。今日はバレンタインじゃないですか」
「ああ」
そうだった。
俺のところにも幾つか届いている。
そういえばみんな
「義理ですからね」
「絶対誤解しないでください」
とか書いてあった。当たり前だろう、そんなことは。
「こんなもの、本当に冗談じゃないですよ。俺は院内の女性と付き合う気はないですし、大体食べ切れませんよ」
「そんなこと気にするなよ。みんな義理チョコって奴じゃないか。お前のことを嫌いじゃない、ってことなんだから、有難く受け取っておけばいいんだよ」
文学は、先達として石神を導いてやった。
「え?」
「ん?」
石神は文学を見て怪訝な顔をした。
「いえ、院長。義理チョコだったらいいですよ。でもほら、みんな付き合って欲しいとかって書いてあるんですから」
石神は文学に幾つかのチョコレートを出して示した。
赴任初日からお慕いしています。
石神先生のことを考えると、夜も眠れません。
心の片隅でもいいですから、私のことを思ってください。
お付き合いしてください。父は○○県で病院を経営してます。
告白します。ずっと好きでした。
わたしのはじめてをあげます。
「………………」
袋を見ると、チョコレートばかりでもなかった。
高級店の包み、ネクタイだろうか。
あ、三越の商品券もある。何を考えているのだろう?
「さっき経理に預けてきましたけど、帯封百万円、なんてものもありましたよ。あれは返却しますけどね」
「なんだ、それ」
「抱いて、って書いてありました」
秘書が紅茶を持ってきた。
俺の前に置き、次いで石神の前にも置く。
おや、紅茶の他に何か置いていったぞ。
リボンのかかった薄い包みだ。綺麗な銀色だなぁ。
石神は大きなため息をついた。
「それで院長」
「なんだ」
「来年からは、バレンタインデーでのチョコレート他、いかなる物品、金品のプレゼントを禁止してください!」
「え、お前それは」
「そうでなければ、俺は病院を辞めます!」
「ちょっと落ち着け!」
文学はその後もしばらく石神と話し合った。
最終的に、石神の要求を呑み、早速、院則に追加し、公示した。
バレンタインデーの三日前から病院全体に禁則事項として張り出されることも約束させられた。
何をやるにも抜かりのない男だ。
その日、家に帰ると妻から綺麗な包みを渡された。
今更、それが何かと問うこともない。
「デパートに行って買ってきました」
妻がそう言う。
嬉しかった。
「そうか、ありがとう。病院でもこんなにもらったよ」
妻に見せると、嬉しそうに笑ってくれた。
「あらあら、おモテになるんですねぇ」
ちょっと恥ずかしかった。
石神、俺はチョコレートが大好物なんだけど。
1
お気に入りに追加
228
あなたにおすすめの小説
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
こずえと梢
気奇一星
キャラ文芸
時は1900年代後期。まだ、全国をレディースたちが駆けていた頃。
いつもと同じ時間に起き、同じ時間に学校に行き、同じ時間に帰宅して、同じ時間に寝る。そんな日々を退屈に感じていた、高校生のこずえ。
『大阪 龍斬院』に所属して、喧嘩に明け暮れている、レディースで17歳の梢。
ある日、オートバイに乗っていた梢がこずえに衝突して、事故を起こしてしまう。
幸いにも軽傷で済んだ二人は、病院で目を覚ます。だが、妙なことに、お互いの中身が入れ替わっていた。
※レディース・・・女性の暴走族
※この物語はフィクションです。
~後宮のやり直し巫女~私が本当の巫女ですが、無実の罪で処刑されたので後宮で人生をやり直すことにしました
深水えいな
キャラ文芸
無実の罪で巫女の座を奪われ処刑された明琳。死の淵で、このままだと国が乱れると謎の美青年・天翼に言われ人生をやり直すことに。しかし巫女としてのやり直しはまたしてもうまくいかず、次の人生では女官として後宮入りすることに。そこで待っていたのは怪事件の数々で――。
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる