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アルジャーノンに花束を
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栞は上機嫌だった。
ベッドで俺に戯れ、何度もキスをして来る。
そして子どもたちに朝食を作るのだと、朝早くにキッチンへ降りていった。
俺はしばらくして、下に降りる。
鼻歌が聞こえる。
「あ、石神くん、おはよう」
一際大きな声で栞が言った。
まだ部屋にいる子どもたちにも聞こえるように、だろう。
「おはようございます、お早いですね!」
多少棒読み感があったが、俺も栞に合わせて大きな声を出す。
栞はクスクスと笑い、俺もつられて笑った。
間もなく、栞の声が聞こえたか、亜紀ちゃんが降りてくる。
「花岡さん、すいません! 私、お手伝いします」
「いいのよ、亜紀ちゃんはもうちょっと寝てて」
「そんなわけには」
二人はキッチンに入り、また楽しそうにお喋りを始めた。
亜紀ちゃんが窓の外を見た。
今日は快晴だ。
「あ、タカさん。今日はシーツ洗いますね。後でお部屋に入ります」
「!」
「!」
俺と栞はビクッとし、咄嗟に目を合わせる。
「い、いや亜紀ちゃん。ちょっと今日は俺が洗うよ」
「え、どーしてですか?」
「いや、ちょっとシーツを汚してしまって」
「そんなのいいですよ。ちゃんと洗いますから」
「いや、あの、オシッコもらしちゃって」
「えぇー!」
栞が亜紀ちゃんに見えないように笑いを堪えていた。
亜紀ちゃんはそれでも洗うと言ったが、俺が恥ずかしいと言うと退いてくれた。
俺はオチンチンに「コラ!」と言い、引っぱたく。
栞と亜紀ちゃんが笑った。
昼前に、栞は帰っていった。
一緒に昼食をと言う亜紀ちゃんに
「また来るから」
と言い、俺がベンツで送っていく。
車の中でも、栞はご機嫌だった。
別れ際、栞は周りを見回してから俺の頬にキスをした。
マンションに入っていく栞を見ていると、何度も振り返って俺に手を振った。
俺は病院へ向かった。
今日はロックハート夫妻の帰国の日だ。
俺だけに、私用のメールの態で数字が送られてきた。
見送りに来い、ということだろう。
俺は響子を拾い、羽田へ向かう。
響子は薄いベージュの厚手のワンピースを着て、俺が買ってやったダッフルコートを抱えていた。
俺たちは途中で青山の「花茂」に寄った。
センスのいい花屋で、俺が気に入ってよく使っている。
出迎えたSPらしき人物に案内され、俺と響子は大勢の人間に警護された特別ラウンジに入った。
響子は用意されていた車椅子に乗っている。
静江夫人は響子を抱きしめた。
「ドクター・イシガミ」
俺はアルジャーノン氏と握手を交わす。
「今度、是非アメリカにも来てくれ」
「どーしましょうかね」
「警戒するな。ちゃんと歓迎の上で日本へ帰す」
「その「歓迎」というのが心配です」
俺たちは笑った。
母親から離れ、響子は俺の脚に抱きつく。
「本当に君のことが好きなんだな」
アルジャーノン氏は苦笑いをして、俺に必死でくっつこうとしている娘を見ていた。
静江夫人が近づいて来た。
「石神さん」
日本語で彼女は話した。
「響子のことを、どうか宜しくお願いします」
そう言って頭を下げる。
隣に立つアルジャーノン氏も、同じ姿勢をとった。
「静江さん、久しぶりの日本は如何でしたか?」
「そうね、何もかもが懐かしいわ」
遠くを見つめながら、静江夫人は呟くように言った。
その時、やっと検査が終わったものが運ばれてくる。
一つはアルジャーノン氏に大きな花束を。
花茂で頼んでいたものだ。
もう一つは静江夫人に。
京都の有名な織物「龍村」のテーブルセンターだった。
包みは既に開かれていたので、小紋の織物がそのまま見られた。
「あぁ!」
静江夫人はため息をもらし、胸に抱きしめた。
そのまま、背中を向けた。
静江夫人の背が、細かに震えていた。
「素晴らしいものをありがとう」
別れ際、アルジャーノン氏が俺に言った。
「妻は或る願いのために、日本的なものを遠ざけていたんだ。一つだけ重要だったのは、キョウコの名前だ」
「Wishing at Self-Sacrifice」
俺が言うと、アルジャーノン氏が悲しく微笑んだ。
故郷を捨てるというのは、どういうものなのだろうか。
俺は響子を車椅子には乗せず、抱えて帰った。
俺の顔の横に自分の顔をくっつけた。
泣くことは無かったが、寂しがっていることは分かる。
飛行機の離陸まで見送りたかったが、響子の体調が不安で、俺たちはすぐに病院へ向かった。
「タカトラ」
「なんだ?」
「どうしてアルには花束をあげたの?」
響子は父親を愛称で呼んでいた。
「見送りで花束を贈る、なんてよくあるじゃないか」
「そうね」
「ねぇタカトラ」
「なんだ?」
「あのね、アルって、よく花束を贈られるの」
「そうだろうな」
「一杯プレゼントをもらうと、必ず幾つか花束なのよ」
「そうだろうな」
「なんでかなぁ」
今度、洋書を買って見せてやろう。
悲しく、美しい物語だ。
ベッドで俺に戯れ、何度もキスをして来る。
そして子どもたちに朝食を作るのだと、朝早くにキッチンへ降りていった。
俺はしばらくして、下に降りる。
鼻歌が聞こえる。
「あ、石神くん、おはよう」
一際大きな声で栞が言った。
まだ部屋にいる子どもたちにも聞こえるように、だろう。
「おはようございます、お早いですね!」
多少棒読み感があったが、俺も栞に合わせて大きな声を出す。
栞はクスクスと笑い、俺もつられて笑った。
間もなく、栞の声が聞こえたか、亜紀ちゃんが降りてくる。
「花岡さん、すいません! 私、お手伝いします」
「いいのよ、亜紀ちゃんはもうちょっと寝てて」
「そんなわけには」
二人はキッチンに入り、また楽しそうにお喋りを始めた。
亜紀ちゃんが窓の外を見た。
今日は快晴だ。
「あ、タカさん。今日はシーツ洗いますね。後でお部屋に入ります」
「!」
「!」
俺と栞はビクッとし、咄嗟に目を合わせる。
「い、いや亜紀ちゃん。ちょっと今日は俺が洗うよ」
「え、どーしてですか?」
「いや、ちょっとシーツを汚してしまって」
「そんなのいいですよ。ちゃんと洗いますから」
「いや、あの、オシッコもらしちゃって」
「えぇー!」
栞が亜紀ちゃんに見えないように笑いを堪えていた。
亜紀ちゃんはそれでも洗うと言ったが、俺が恥ずかしいと言うと退いてくれた。
俺はオチンチンに「コラ!」と言い、引っぱたく。
栞と亜紀ちゃんが笑った。
昼前に、栞は帰っていった。
一緒に昼食をと言う亜紀ちゃんに
「また来るから」
と言い、俺がベンツで送っていく。
車の中でも、栞はご機嫌だった。
別れ際、栞は周りを見回してから俺の頬にキスをした。
マンションに入っていく栞を見ていると、何度も振り返って俺に手を振った。
俺は病院へ向かった。
今日はロックハート夫妻の帰国の日だ。
俺だけに、私用のメールの態で数字が送られてきた。
見送りに来い、ということだろう。
俺は響子を拾い、羽田へ向かう。
響子は薄いベージュの厚手のワンピースを着て、俺が買ってやったダッフルコートを抱えていた。
俺たちは途中で青山の「花茂」に寄った。
センスのいい花屋で、俺が気に入ってよく使っている。
出迎えたSPらしき人物に案内され、俺と響子は大勢の人間に警護された特別ラウンジに入った。
響子は用意されていた車椅子に乗っている。
静江夫人は響子を抱きしめた。
「ドクター・イシガミ」
俺はアルジャーノン氏と握手を交わす。
「今度、是非アメリカにも来てくれ」
「どーしましょうかね」
「警戒するな。ちゃんと歓迎の上で日本へ帰す」
「その「歓迎」というのが心配です」
俺たちは笑った。
母親から離れ、響子は俺の脚に抱きつく。
「本当に君のことが好きなんだな」
アルジャーノン氏は苦笑いをして、俺に必死でくっつこうとしている娘を見ていた。
静江夫人が近づいて来た。
「石神さん」
日本語で彼女は話した。
「響子のことを、どうか宜しくお願いします」
そう言って頭を下げる。
隣に立つアルジャーノン氏も、同じ姿勢をとった。
「静江さん、久しぶりの日本は如何でしたか?」
「そうね、何もかもが懐かしいわ」
遠くを見つめながら、静江夫人は呟くように言った。
その時、やっと検査が終わったものが運ばれてくる。
一つはアルジャーノン氏に大きな花束を。
花茂で頼んでいたものだ。
もう一つは静江夫人に。
京都の有名な織物「龍村」のテーブルセンターだった。
包みは既に開かれていたので、小紋の織物がそのまま見られた。
「あぁ!」
静江夫人はため息をもらし、胸に抱きしめた。
そのまま、背中を向けた。
静江夫人の背が、細かに震えていた。
「素晴らしいものをありがとう」
別れ際、アルジャーノン氏が俺に言った。
「妻は或る願いのために、日本的なものを遠ざけていたんだ。一つだけ重要だったのは、キョウコの名前だ」
「Wishing at Self-Sacrifice」
俺が言うと、アルジャーノン氏が悲しく微笑んだ。
故郷を捨てるというのは、どういうものなのだろうか。
俺は響子を車椅子には乗せず、抱えて帰った。
俺の顔の横に自分の顔をくっつけた。
泣くことは無かったが、寂しがっていることは分かる。
飛行機の離陸まで見送りたかったが、響子の体調が不安で、俺たちはすぐに病院へ向かった。
「タカトラ」
「なんだ?」
「どうしてアルには花束をあげたの?」
響子は父親を愛称で呼んでいた。
「見送りで花束を贈る、なんてよくあるじゃないか」
「そうね」
「ねぇタカトラ」
「なんだ?」
「あのね、アルって、よく花束を贈られるの」
「そうだろうな」
「一杯プレゼントをもらうと、必ず幾つか花束なのよ」
「そうだろうな」
「なんでかなぁ」
今度、洋書を買って見せてやろう。
悲しく、美しい物語だ。
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