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 なぜか、花岡さんが俺の家に遊びに来ていた。
 一応断ったのだが、先日の醜態のお詫びと、お礼、ということで押し通された。

 前に何度もうちには来ている。
 部下たちが企画するパーティには必ず参加してくれ、前にも子どもたちを引き取る準備に、自ら名乗り出て手伝って下さった。
 学生時代からだから、随分と長い付き合いである。
 お互い40代になっているが、花岡さんはいつまでも美しいままだった。
 あれほどの美人で、気立ても素晴らしい女性が、どうして結婚しないのかと思っていた時期もあった。
 だが、いくら鈍い俺でも、その理由は理解できた。


 俺は事前に花岡さんには、亜紀ちゃん以外の子どもたちは先日のことを知らないから、と伝えていた。
 「はい、よく分かっています。だから私は普通に遊びに来た、と言うことでいいですよね」
 「それでお願いします」

 花岡さんは、キッチンに立って夕飯のシチューを作ってくれている。
 俺が手伝おうとすると、
 「石神くんは座ってて」
 と追いやられた。
 亜紀ちゃんは入れてもらって、二人で楽しそうに作っている。


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 「これはこれは、栞さん!」
 「げぇ!」
 振り向いて一江の顔を見るなり、普段の栞にはありえない下品な声を挙げる。

 「栞、そんな目で私を見ないでぇ」
 一江はそう言うと断りも無く、栞の隣に座った。
 病院の食堂。遅い時間のため、人は少ない。

 「こないだのことは、もう何度も謝ったじゃない」
 「そんなの!」
 「でも、今回に関しては、私は栞に全然無理に飲ませてないよ?」
 「う、くぅ……」
 そうであった。栞は自分で飲んで、自分で潰れたのだ。

 「それでも私は……」
 「まあ、もちろん私がヘンな話題を振っちゃったのがいけないんだよね」
 「……」

 「ええと、私の方こそ、無理矢理にお酒を……」
 一江は栞の口に手を当て制した。

 「いいの、いいの、もうお互い忘れましょう。私たちって、仲良しすぎるだけなんだもんね」
 「陽子……」

 (ちょろいなぁ、栞は)

 「ところでさ、作戦成功じゃないの!」
 「作戦?」
 「そうよぅ。栞の決戦兵器、やっぱり絶大な効果があったよねぇ」
 「何のことよ!」
 栞は、自分の胸の大きさを気にしていた。それを「決戦兵器」などと呼ぶ一江に困っていた。

 「部長は確実に決戦兵器に触れたわ」
 勝ち誇るように言う一江に、栞は呆れる。

 「ねぇ、栞。最近、部長は栞の胸に注目してない?」
 「えぇー、そんなことないわよ!」
 「そうかなぁ」
 「あのね、もう私の胸のことは……」
 「あのねぇ。男でそのオッパイを見て、負けない奴なんていないですよ」
 「もう……」

 実は覚えがある。
 気のせいなんだろうけど、石神と会うと、石神がなんとなく、気のせいなんだろうけど、自分の胸を見てたような気がしないでもない。

 「私は、あと一押しだと思うんだな。栞のあのオッパイを…」
 「やめてよぅ!」
 「見たからには、もう部長は引き下がれない」
 「もう、陽子キライ!」

 「ねぇ、栞、部長の家に行きなさいよ」
 「どうしてよ」
 「あの時のお詫びとか行って、家に行って泊まっちゃいなさい」
 「なんてこと言うのよ!」
 「女になってくるのよ!」


 一江は餌を撒いた。あとは二人がそれに飛びつくだけだ。
 まあ、20%くらいの成功率かな。
 一江はさっさと食器のトレイを片付けに行く栞を見送った。


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 「花岡さんって、本当にお綺麗ですよね」
 「やだ、亜紀ちゃん!」
 花岡さんは否定しながらも、笑みを耐え切れずにいた。
 そして俺の方をチラチラと見る。
 二人とも美人で長身で、モデルが並んでいるかのように見える。
 親子ほど年の離れた二人が、花岡さんが若く見えるせいで、姉妹のように見える。

 食事中も二人はよく話し、片づけを終えると一緒にソファに座り、楽しそうにしていた。

 「花岡さん、そろそろ送っていくよ」
 「え、帰っちゃうんですか?」

 亜紀ちゃんが悲しそうに言う。
 泊まって行くと思ってたのか?

 「だって、緑子さんはいつも泊まっていくじゃないですか」
 花岡さんの額がピクッとしたような気がした。

 「ねぇ、花岡さん、泊まってって下さいよぅ」
 亜紀ちゃんは珍しくだだを捏ねた。
 「しょうがないだろう。花岡さんだって今日は泊まるつもりで来てないんだし」
 「あ、お泊りの準備はありますよ」
 「え?」



 俺は一瞬固まってしまった。

 「じゃあ、是非泊まってってくださいね!」
 亜紀ちゃんはさっさと決定事項のように告げた。
 「お風呂の用意をしてきまーす!」
 明るく駆けていく。
 俺は力を振り絞って「廊下を走るな」と言った。
 なんで花岡さんは泊まりの準備をしているんだ?

 花岡さんは亜紀ちゃんと本当に仲良くなったようで、二人は一緒に風呂にも入った。
 緑子とは違うが、花岡さんはまるで妹にしてやるように、亜紀ちゃんに様々なことを教えていた。
 自分の持参したクリームを亜紀ちゃんに塗ってやっているのを見ていると、
 「石神くん、あっちを向いていなさい!」
 と怒られた。

 はいはい。




 花岡さんを部屋に案内し、子どもたちも寝かせた。
 俺も自分の部屋に行く。

 小さなノックが聞こえる。
 俺がドアを開けると、花岡さんが立っていた。

 「ちょ、ちょっといいかな?」

 俺は黙って彼女を部屋に入れる。
 俺は梅酒をタンブラーに入れて持ってきていた。
 ソファに座って本を読んでいたのだ。

 「あ、梅酒だぁー!」

 花岡さんが言う。
 俺は笑って、キッチンに行き、グラスとアイスペールを持って部屋に戻った。
 花岡さんは、俺が飲んでいたグラスに勝手に注いで飲んでいた。
 本当に酒が好きだ。

 「おいしいね、これ」
 「俺が自分で作りました」
 「ほんとにぃ? やっぱり石神くんって、何をやってもすごいよねぇ」
 「そんなことは」

 「ねぇ、石神くん」

 「はい」

 「ねぇ、前から言おうと思ってたんだけど、その言葉遣いやめてよ」

 「どうしてですか」

 「だってもう付き合いは長いんだよ、ヘンだよ」

 「でも学生時代から、なんとなく……」

 「ダメ。もうダメだからね」

 「花岡さん、もしかしてもう酔ってるとか?」

 「そんなことはないから、お願い、そういう話は許して!」

 相当なトラウマを抱えていらっしゃる。





 「ねぇ石神くん」

 「はい」

 「だからその言葉遣いぃ」

 「すいません」





 「ねぇ石神くん」

 「はい」

 「はぁ」

 「……」











 「ねぇ石神くん」

 「はい」

 「あのね、私のことね」

 「はい」

 「ああ、もうなんなの!」



















 「ねぇ、石神くん」





















 俺は花岡さんを抱きしめた。





















 「石神くん」

 「はい」

 「あのね」

 「はい」

 「うれしい」













 ベッドで一緒に寝ていると、栞が俺の方を向いた。

 「ずっと石神クンのことが好きだった」
 「すいません」
 「なんで謝るの」
 「気付いてましたから」

 「そうなんだ」

 「石神くんは、私のことを好き?」
 「好きじゃなかったら、家にだって入れませんよ」
 「一江さんのことも好き?」

 「いえ、全然」

 栞は笑った。

 「好きだったのに、どうして何もしてくれなかったの?」
 「好きだから誘うってやってたら、俺は色情狂ですよ」

 栞は笑った。

 「うん、そうだよね」


 「ねぇ、石神くん」
 「はい」
 「いつから私のこと、好きだったの?」
 「……」
 「ねぇ」

 「あの日、あなたが俺のことを叱ってくれた後からですかね」
 「……」
 「だから何もできなかったんですよ」


 (奈津江への思い、奈津江への……石神くんは……縛られていても、ちゃんと心は新たに…)


 「ねぇ石神くん」
 「なんですか」
 「坪内緑子さんのことは?」
 「今日は突っ込んできますね」
 「だって……」
 「好きですよ」
 「そう」

 栞は俺に抱きついてくる。

 「私は別にいい。でも離さない」
 「そうですか」

 「私には決戦兵器があるんだって」
 「え?」
 「ほら」
 栞は胸で俺の手を挟んでくる。

 「石神くんのもはさんであげようか?」
 「!!! どこでそんなことを?」
 「えーと、どっかの乙女会議?」
 「なんですか、それ」

 俺たちは笑って抱き合った。
 唇が重なる。








 栞が「奈津江……」と小さく呟いていた。
 奈津江の名前以外は、聞き取れなかった。
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