43 / 2,859
蓼科文学 Ⅲ
しおりを挟む
ようやく、石神高虎を引き入れることができた。
蓼科は、この男が何をするのか、これまでの人生で最も楽しみに感じていた。
その予想通りだった。
蓼科が院長に就任後、男は「注射部隊」を作った。
「どいつもこいつもヘタクソです。こないだなんか、針を折ったバカもいますよ」
それまで誰もそんなことは言い出さなかった。
ただ、現実問題として「ある」という認識はあった。
これまで各科の指導に任せていた注射を、石神は一つの場所に集中させた。
実際の施術に先立って、講習会が開かれた。
そこで新人、一定の技術に満たない者が、毎日数百から千を超える数の「注射修行」を強制された。
その結果、この病院内では全ての資格者がベテラン以上の技術を持つことになった。
患者側からも非常に好評だった。
場所が分かりやすい、痛くない、失敗しない、待たない、安全、そうしたメリットが、病院経営に大きく寄与した。
「というシステムを組みたいのです」
石神が蓼科に頼んだとき、蓼科は幾つかの不安を抱いた。
「花岡君を呼べ」
「こいつがこういうことを言っているのだが、君は何か意見はあるか?」
呼び出されて緊張の面持ちだった花岡は、石神の顔を見て、嬉しそうな表情になった。
「まず、薬物混同の危険性です。多くの薬剤が集中するため、取り間違えのリスクが高まると思います」
男はそのリスクに対して、明確な回答をもっていた。
我々は納得するしかなかった。
完璧なものだった。
その後幾つもの不安や確認事項を二人で出すと、石神は即座に応答していった。
先任者が莫大な予算を使って、院内のカルテ輸送システムを築いていた。
天井に這うレールを、カルテを入れたボックスが指示する場所まで運行する、というものだった。
他の病院にはない、異様なシステムが実用された。
「あれ、バカみたいですよね」
石神はレールを移動するボックスを見ながら、吐き捨てるようにそう言った。
「そう言うなよ。あれでも、画期的なものなんだぞ」
蓼科がたしなめるように言うと、石神は言った。
「どうせ近いうちにパソコンでデータ共有するんですから、もう無用の長物以外の何ものでもありませんよ」
石神の言うとおりになった。
病院は前時代のシステムの撤去に、また大きな予算と労力を強いられた。
バカの恥を大急ぎで隠すかのような作業だった。
石神は天井のレール撤去痕に、案内の矢印線を取り付けた。
バカの恥が、多少有効活用された。
そして、石神の進言でいち早くデータ共有システムに取り組んだ結果、他の病院の模範となるシステム構築をどこよりも早く、また見事に達成した。
後に、そのシステムを求めて、多くの病院から協力を求められ、非常に高い評価と讃辞を得た。
各部科のデータが、所属長の承認さえあれば共有して使えるようになった。
石神はそれを利用し、様々なデータを多変量解析し、その結果をまた共有し積極的に活用させていった。
更に病院内に独自で貴重なデータが生まれて行った。
新人研修での新たな試み。
中堅医師の教育改革。
英語論文読解の特別講習。
ナース募集の雇用改革と大幅な待遇改善。
思いも寄らない福利厚生の創出。
各国大使館囲い込み、その他数多くの経営改革。
そして石神が携わる全てのオペの成功……
それと、バレンタインデーの廃止。
「……」
石神は次々と大小の改革を推し進め、病院は大きく飛躍した。
それらのうち、多くの功績は、院長である蓼科文学に押し付けられた。
蓼科は、感謝を述べることなく、石神を使い潰すと公言した。
「あいつがロックハート響子の施術を申し出たとき、俺はやっと借りの一部が返せると思った」
蓼科は回想する。
「あれは絶対に失敗するはずのものだった。俺は全責任を引き受け、石神を守るつもりだった」
「しかしあいつは成功させた。なぜだ? だから俺は思う。石神もまた、俺と同じことができるのではないか?」
「あいつは隠しているのか? 俺のように」
「それとも、気付いていないのか…………」
蓼科文学は、夕暮れに染まる景色を、窓から眺めていた。
「石神。お前はたくさんのチョコレートに困っていただろうがな」
「石神、俺はチョコレートが大好きなんだ」
蓼科文学の呟きは、誰も聞いていなかった。
蓼科は、この男が何をするのか、これまでの人生で最も楽しみに感じていた。
その予想通りだった。
蓼科が院長に就任後、男は「注射部隊」を作った。
「どいつもこいつもヘタクソです。こないだなんか、針を折ったバカもいますよ」
それまで誰もそんなことは言い出さなかった。
ただ、現実問題として「ある」という認識はあった。
これまで各科の指導に任せていた注射を、石神は一つの場所に集中させた。
実際の施術に先立って、講習会が開かれた。
そこで新人、一定の技術に満たない者が、毎日数百から千を超える数の「注射修行」を強制された。
その結果、この病院内では全ての資格者がベテラン以上の技術を持つことになった。
患者側からも非常に好評だった。
場所が分かりやすい、痛くない、失敗しない、待たない、安全、そうしたメリットが、病院経営に大きく寄与した。
「というシステムを組みたいのです」
石神が蓼科に頼んだとき、蓼科は幾つかの不安を抱いた。
「花岡君を呼べ」
「こいつがこういうことを言っているのだが、君は何か意見はあるか?」
呼び出されて緊張の面持ちだった花岡は、石神の顔を見て、嬉しそうな表情になった。
「まず、薬物混同の危険性です。多くの薬剤が集中するため、取り間違えのリスクが高まると思います」
男はそのリスクに対して、明確な回答をもっていた。
我々は納得するしかなかった。
完璧なものだった。
その後幾つもの不安や確認事項を二人で出すと、石神は即座に応答していった。
先任者が莫大な予算を使って、院内のカルテ輸送システムを築いていた。
天井に這うレールを、カルテを入れたボックスが指示する場所まで運行する、というものだった。
他の病院にはない、異様なシステムが実用された。
「あれ、バカみたいですよね」
石神はレールを移動するボックスを見ながら、吐き捨てるようにそう言った。
「そう言うなよ。あれでも、画期的なものなんだぞ」
蓼科がたしなめるように言うと、石神は言った。
「どうせ近いうちにパソコンでデータ共有するんですから、もう無用の長物以外の何ものでもありませんよ」
石神の言うとおりになった。
病院は前時代のシステムの撤去に、また大きな予算と労力を強いられた。
バカの恥を大急ぎで隠すかのような作業だった。
石神は天井のレール撤去痕に、案内の矢印線を取り付けた。
バカの恥が、多少有効活用された。
そして、石神の進言でいち早くデータ共有システムに取り組んだ結果、他の病院の模範となるシステム構築をどこよりも早く、また見事に達成した。
後に、そのシステムを求めて、多くの病院から協力を求められ、非常に高い評価と讃辞を得た。
各部科のデータが、所属長の承認さえあれば共有して使えるようになった。
石神はそれを利用し、様々なデータを多変量解析し、その結果をまた共有し積極的に活用させていった。
更に病院内に独自で貴重なデータが生まれて行った。
新人研修での新たな試み。
中堅医師の教育改革。
英語論文読解の特別講習。
ナース募集の雇用改革と大幅な待遇改善。
思いも寄らない福利厚生の創出。
各国大使館囲い込み、その他数多くの経営改革。
そして石神が携わる全てのオペの成功……
それと、バレンタインデーの廃止。
「……」
石神は次々と大小の改革を推し進め、病院は大きく飛躍した。
それらのうち、多くの功績は、院長である蓼科文学に押し付けられた。
蓼科は、感謝を述べることなく、石神を使い潰すと公言した。
「あいつがロックハート響子の施術を申し出たとき、俺はやっと借りの一部が返せると思った」
蓼科は回想する。
「あれは絶対に失敗するはずのものだった。俺は全責任を引き受け、石神を守るつもりだった」
「しかしあいつは成功させた。なぜだ? だから俺は思う。石神もまた、俺と同じことができるのではないか?」
「あいつは隠しているのか? 俺のように」
「それとも、気付いていないのか…………」
蓼科文学は、夕暮れに染まる景色を、窓から眺めていた。
「石神。お前はたくさんのチョコレートに困っていただろうがな」
「石神、俺はチョコレートが大好きなんだ」
蓼科文学の呟きは、誰も聞いていなかった。
1
お気に入りに追加
229
あなたにおすすめの小説
こども病院の日常
moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。
18歳以下の子供が通う病院、
診療科はたくさんあります。
内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc…
ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。
恋愛要素などは一切ありません。
密着病院24時!的な感じです。
人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。
※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。
歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。
幼い公女様は愛されたいと願うのやめました。~態度を変えた途端、家族が溺愛してくるのはなぜですか?~
朱色の谷
ファンタジー
公爵家の末娘として生まれた6歳のティアナ
お屋敷で働いている使用人に虐げられ『公爵家の汚点』と呼ばれる始末。
お父様やお兄様は私に関心がないみたい。愛されたいと願い、愛想よく振る舞っていたが一向に興味を示してくれない…
そんな中、夢の中の本を読むと、、、
毒小町、宮中にめぐり逢ふ
鈴木しぐれ
キャラ文芸
🌸完結しました🌸生まれつき体に毒を持つ、藤原氏の娘、菫子(すみこ)。毒に詳しいという理由で、宮中に出仕することとなり、帝の命を狙う毒の特定と、その首謀者を突き止めよ、と命じられる。
生まれつき毒が効かない体質の橘(たちばなの)俊元(としもと)と共に解決に挑む。
しかし、その調査の最中にも毒を巡る事件が次々と起こる。それは菫子自身の秘密にも関係していて、ある真実を知ることに……。
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
【書籍化進行中、完結】私だけが知らない
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
【完結】胃袋を掴んだら溺愛されました
成実
恋愛
前世の記憶を思い出し、お菓子が食べたいと自分のために作っていた伯爵令嬢。
天候の関係で国に、収める税を領地民のために肩代わりした伯爵家、そうしたら、弟の学費がなくなりました。
学費を稼ぐためにお菓子の販売始めた私に、私が作ったお菓子が大好き過ぎてお菓子に恋した公爵令息が、作ったのが私とバレては溺愛されました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる