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奈津江

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 その夜、俺は花岡さんの言葉を思い浮かべていた。









 大学時代、弓道部に入った俺は、一人の女性と出会った。
 紺野奈津江という同級生の彼女は、生物学を専攻するつもりだと言っていた。

 部活動とは別に、俺は同じ医学部専攻の御堂正嗣という男とよくつるむようになっていた。

 俺を繋がりとして、御堂、奈津江、花岡さんの四人でよく遊ぶようになった。

 男だけの集まりでは、御堂と山中だったが、奈津江と花岡さんとの付き合いの方が多かったかもしれない。







 初年度はみんな教育学部というものになる。
 一般教養を学ぶという前提だが、理系と文系は若干授業が異なる。
 幸いみんな理系だったので、俺たちは同じ授業も多く、また同じ時間が空いた。

 俺は奈津江と付き合うようになった。
 四人で遊ぶことが多かったが、奈津江と二人きりで出掛けることが、徐々に多くなっていった。

 奈津江は身長が150センチちょっとほどで、183センチの俺と歩くと親子ほどの差が出る。

 でも奈津江が俺の腰にしがみつき、その姿勢で歩きたがった。
 少々歩きにくくはあったが、俺は奈津江の体温が感じられ、嫌な気分ではなかった。

 目が大きく、目じりが下に下がった奈津江の顔は、愛らしいことこの上ない。
 日本人形のような顔立ちが、初めて出会った日から、俺の脳裏から離れなくなった。

 子どものように痩せた身体は、胸も非常に薄い。
 そのことを奈津江はいつも気にしていた。


 「オッパイは揉むと大きくなるんだって!」


 奈津江はそう言って、恥ずかしがる俺をよくからかった。
 揉もうとすると、本気で殴られた。









 奈津江は日本の歴史、古いもの、伝統のあるものを好んだ。
 俺も歴史は好きだったが、日本史に関しては、俺以上に夢中だった。

 彼女の誘いで、俺は銀座の歌舞伎座に一緒に行った。
 演目はたしか、赤穂浪士の一幕だ。

 初めての歌舞伎。
 有名な役者の名前くらいは耳にしていたが、歌舞伎そのものはまったく興味もなかった。



 奈津江がいるからだ。
 俺の日々はそれが中心だった。



 始まって5分で寝始めた俺を、歌舞伎座を出てから奈津江は大変な剣幕で責めた。
 豪華な昼食で許すと言ってくれたのは、ずいぶんなじられた後だった。









 二人きりで京都に出掛けた。

 俺は奮発して、柊屋を予約した。

 御堂にも花岡さんにも内緒だった。

 「だって、恥ずかしいじゃない」
 小さな声で言う奈津江は、本当に可愛らしかった。





 京都につくなり、奈津江は一人決めした観光コースを始めた。
 俺はそれについていくだけ。
 二条城に入り、猫寺に行った。
 俺たちはネコ好きという共通点があった。


 宿に行き、荷物を置いてまた出掛ける。


 天竜寺の見事な庭園を回り、庭のしだれ桜を見て

 「ああ、春だったら良かったのに」

 奈津江は呟いた。今は二月だった。



 竹林を通り、俺は

 「自分の家の庭に、竹林が欲しい」

 などと言った。

 そこで小さな卓を置き、茶でも啜りたいと言うと、奈津江はジジクサイと笑った。

 歩いて嵯峨野へ向かい、化野の膨大な仏像に奈津江が怖がり、二人で身を寄せて通り過ぎた。
 
 嬉しかった。









 宿で夕食を待っていると、二人で食べ切れないだろう量の食事が出た。
 テーブルにはみ出んばかりの器の数々。

 和服の女性が小さな練炭に火を入れ、木の御櫃からご飯をよそってくれる。

 「あとは私たちでやりますから」

 奈津江はそう言って女性に下がってもらった。



 豪勢な食事に、知らない女性がいることで緊張していた俺たち。

 奈津江が、普段飲まない酒を俺にせがんだ。

 「これ、おいしい」
 
 そんな言葉を繰り返しながら、俺たちはほとんど話もせずに食事を進めた。





 「一緒に入るか?」

 俺が風呂に入るときに言うと、奈津江は

 「絶対イヤ!」

 にべもなく言った。


 檜の風呂は良い香りがした。
 奈津江にそう伝えると

 「じゃあ、私もいただいてきます」

 部屋で待っていると、奈津江がやったらしい、紐が何本か張ってある。

 風呂から戻った奈津江が、手馴れた様子でタオルなどをその紐に干していく。
 
 「ほら、高虎のもやってあげる」

 奈津江は濡れた俺のタオルを掛けてくれた。









 今日見たことなど、二人でいつまでも話した。

 夜も更け、さすがに寝ようかとどちらともなくそう言った。
 電気を消し、くっついて敷かれた布団に入る。

 「ごめんなさい」

 奈津江の低い声がした。



 「……」

 「まだ勇気が無いの」

 「いいよ、別に」

 俺は言った。
 本当にそれで良かった。
 奈津江がいてくれるだけで、俺は幸せだったから。


 「ねぇ」
 「なんだよ」
 「もう、いつもぶっきらぼうなんだから!」


 奈津江がちょっと笑って言った。

 手が握られた。布団の横から奈津江が伸ばしてきた。

 「大好きだから」

 「俺も」

 「知ってる」






 涙が出そうになった。俺は幸せだった。
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