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便利屋

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 俺は子どもたちの部屋に大きな鏡を買った。
 皇紀の部屋にも入れる。
 「なんで僕まで……」
 「必要なのが分かったからな」
 皇紀は床に手をついて首を垂れる。

 化粧台も買った。
 二階の倉庫にしていた部屋を整理し、アンティーク・ショップで緑色の大理石のものを購入し、設えた。
 照明も明るいものに変え、壁にライティングも施す。
 まあ、まだ化粧品は何もないが、そのうちまずは亜紀ちゃんが好きなものを集めるだろう。
 シャネルのルージュだけ、三本ほどこっそり入れておく。
 双子が見つけて、そのうちに遊ぶかもしれない。
 それでもいい
 浴室の脱衣所にも、既にあった洗面台の前に、スツールを二つ置く。
 髪を乾かしたりするのも、楽になるだろう。

 室内は定期的に掃除を一之瀬さんに頼んでいるが、子どもたちにも覚えてもらいたい。
 そろそろ本格的にやるか。
 俺は便利屋を呼んだ。

 「ティーッス!」
 いつものでかい声で門から叫ぶ声が聞こえる。
 インターホンを、こいつは押さない。
 以前に何故かと聞いたことがある。
 「何か、負けたことになりますから!」
 と答えていた。
 こいつのヘン回答は考えてはいけない。
 付き合ってすぐに、俺は学んでいた。

 俺が放っておくと、てぃーっすを無限に繰り返す。
 一度面白いから放置していると、50回を超え、俺が根負けした。
 本名は忘れた。
 俺はいつも便利屋と呼ぶ。

 170センチほどで痩せ型の三十代後半の男だ。
 だが皮膚は一年中浅黒く、筋肉は締まっている。髪は短く坊主に近い。
 顔は、俳優のサミュエル・L・ジャクソンを踏みつぶしてからしばらく放置し、痩せさせた感じか。
 要は、ちょっと気持ち悪い。

 「ああ、悪いな。トイレでちょっと硬いのが出てなぁ」
 「は、まったく気にしてません。お身体をお大事に!」
 純粋ないい奴だ。

 一之瀬さんに掃除はお願いしているが、便利屋はそれでは不足する部分を頼んでいる。
 俺は亜紀ちゃんと皇紀を呼んで、彼の作業を覚えるように言った。



 「さて、旦那。今日はどこをやりましょうか?」
 いつものニッカボッカのズボンに地下足袋の姿で、両手を腰に充てて言う。
 とんでもねぇシャツを着てくるのだが、今日は俺の命令でおとなしいものになっている。
 濃紺のダボシャツだ。無地かと思ったら、背中に般若がありやがった。
 「どこということもないんだけど、しつこい汚れの落とし方を二人に伝授してくれよ」
 「りょーかいです!」
 こいつは俺の指示を聞き返したことはない。
 意外に、予想外に、思ってもみないほどに、もしかしたら、頭の良い奴だ。


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 一之瀬さんが体調不良で、他の人が掃除に来ていた。
 マニュアル通りの掃除をしてくれるのだが、俺には物足りない。
 そこで専門業者を探した。

 ネットで幾つか候補を見つけたが、街を歩いている時に偶然、「便利屋 なんでもおっしゃってくだせぇ」という看板を見た。
 小さな民家の車庫を間借りしているその店は、雑多なもので溢れている。
 主に掃除用具のようだが、鎌や高枝ばさみ、ネコ車にツルハシ、アイゼンにピッケルとわけのわからないものまで置いてある。
 主人らしき若い男は、折りたたみ椅子に座り、腕組みをして居眠りしていた。

 俺はやせ細った男に声をかけた。
 「おい、ちょっといいか?」
 パチリと目を覚ました男は、瞬時に立ち上がり90度に腰を曲げた。
 「は、なんでもおっしゃってくだせぇ!」
 どうも、それを店のキャッチフレーズにしたいようだった。

 「ここは掃除なんかも引き受けてくれるのかな?」
 「はい、うちの大得意のお仕事です!」
 置いてある道具を見ると、ちゃんとやるようだ。
 隅を見ると、たしかに専門業者の使う溶剤などもガロン缶である。
 俺はこの奇妙な男に興味を持った。
 住所と日時を伝え、見積をくれと言って、その日は帰った。
 男は、安物の名詞を俺に渡した。

 《男一匹便利屋 ○○○○ なんでもおっしゃってくだせぇ》

 そう書かれた名刺に電話番号だけがある。
 語呂が悪い。

 当日、時間通りに便利屋は来た。
 軽トラに道具を積んで、門の向こうで叫んでいる。
 俺は門を開き、車を中へ入れるように言った。
 便利屋は地下足袋を脱いで家に入り、俺が指定する場所を熱心に観察していく。
 真面目な男なのは、すぐに分かった。
 一通り説明すると、即日で見積を作ると言っていた。
 俺は帰ろうとする便利屋を引きとめ、一緒に飯を食おうと誘った。
 恐縮して帰ろうとする彼を無理やり応接室へ通し、出前を頼んだ。
 うなぎを三人前。
 飲み物を出し、二人で待つ。

 「お前、商売は上手くいってねぇだろう」
 俺がそう言うと、便利屋は頭を掻いてうなずく。
 「恥ずかしながら、さっぱりでさぁ」
 「なんで仕事がねぇのか分かるか?」
 「え、旦那にはお分かりになるんですか?」
 なんで分からないのか、俺には不思議だった。

 「お前の服装だよ!」
 ニッカボッカはいい。
 地下足袋もまあ、いいだろう。
 問題は上着だ。
 その日は背中から肩にかけて昇り鯉の刺青柄、何故か正面はACDCのド派手な雷とギターの柄。
 どこで売ってんだ。

 「そんなヤクザみてぇな……ハードロッカーみてぇなもんで、素人さんが仕事をくれるわけねぇだろう!」
 俺も一気に言い聞かせがたい、怪奇な上着を指摘した。
 「リバーシブルでさぁ」
 「自慢にならねぇ!」
 便利屋は、意味が分からないという顔をした。
 本当に「深い」奴だ。

 「何か信念でもあるのかよ」
 「いえ、別に。あっしの趣味です」
 「……」


 俺は仕事というものを説明してやる。
 「おい、仕事っていうのはなぁ、相手が立ち、己も立つ、というのが根本なんだぞ」
 男は膝を揃え、まっすぐに俺を見てきた。
 「「石門心学」というな。江戸時代の学問で、武士道的商売道を説いたものだ」
 「へぇー、旦那は学がありやすねぇ」
 俺は石門心学の話をしていく。
 「要は、お客のために精一杯尽くせば、自分自身もその支払いで生きていくことができる、ということだ」
 「なるほど!」
 絶対、分かってねぇ。
 「しかるにお前は、お客のための服装をしてると思ってんのか!」
 「……」
 便利屋は上半身を床まで曲げ、両手で頭を抱える。
 「お前の趣味だって言ったよなぁ。そんなもんはドブに捨てろ! いいか、お前はお客のために存在するんだ! だからお客が喜んでくれ、信頼してくれる恰好をしろよ」
 俺は段々小学生に説教している気分になってきた。
 こいつはどっから話せば分かるのか。

 「旦那のお話、よぉーく分かりやした。そうです、自分にたんなかったのは、まさしくそれです!」
 目を輝かせて言う男に、俺は自分が何で説教を始めたのかすら分からなくなっていた。
 こいつは相当深い。
 「旦那!」
 「あんだよ」
 「このお仕事、どうか無償でやらせてやってください!」
 「どーしてそうなった!」

 こいつの思考はぶっ飛んでいる。
 「そりゃダメだよ。規定の金額はちゃんと払うから、見積を出してくれ」
 「いえいえ!」
 「いやいや!」
 俺たちは押し問答のようなことを繰り返し、どうにか俺が便利屋を説得した。


 ウナギが届いた。
 俺は便利屋に二人前を置き、腹いっぱいに食えと言った。
 「は、ありがたく頂戴いたしやす!」
 割り箸を顔の前に掲げ、深く一礼したのちに「いただきます!」と言った。
 「いただきやす」、じゃなかった。

 食べ始めると便利屋が叫んだ。
 「あ、ああぁー、ええぇ?」
 うるせぇ。
 「どうしたよ」
 「鰻様が、重なってらっしゃる!」
 「ああ、二重天井というんだよ。なんだ、知らないのか」
 「こんな贅沢、旦那、ありがとうございます!」
 いちいち、テンションがウザい。

 うまい、うまい、うまい、うまい、と言い続け、10分ほどで二人前を食べ切った。
 「こんな美味い飯は数年ぶり、いや、生涯ただの一度だけです!」
 「そうか、何よりだな」
 俺が言うと、便利屋は涙を流し始めた。

 「おい、泣くなよ。気持ち悪いだろう!」
 俺は思わず正直に言った。

 便利屋はポツポツと自分のこれまでを語り始めた。
 父親を子どもの頃に亡くし、母親一人に育てられたらしい。
 高校を卒業し、やっと親孝行が出来ると思ったら、母親が病気で亡くなってしまう。
 電気工事の会社に就職したようだが、そのショックで仕事が手につかず退職。
 そのまま、流されるように生きていたと言う。

 去年、このままではいかんと決意し、母親が残してくれた貯金を使って便利屋を始めたそうだ。
 真面目な優しい奴だとは一目見て分かっていたが、ちょっと感覚がズレ過ぎていた。
 なけなしの金で一念発起したわけだが、上手くいかなかった。
 名刺に住所がないのは、これまで何度か店を移転せざるを得なかったためらしい。



 仕事が無いという彼を、俺は常時使うようになった。
 基本的に暇なので、俺が頼むと飛んできてくれる。
 まあ、便利屋はそう言うのだが、恐らく俺が頼むと最優先で取り掛かってくれるのだろう。
 俺たちの付き合いは、便利屋稼業だけではなく、俺は度々家に呼んで
 「一緒に飯を食う仕事を頼みたい」
 と言った。

 「何を差し置いても、親の死に目でも、飛んでまいりやす!」
 とそのたびに引き受けてくれる。
 「お前、親はもういねぇだろう」
 ニコニコと笑っている。
 気持ち悪い。

 出前のときもあれば、店に連れて行くことも多い。
 俺が手作りの食事をご馳走したときは、大変な騒ぎになった。
 「こんな美味い飯は数年ぶり、いや、生涯ただの一度だけです!」
 更新されてよかったな。

 「今度、自分に作らせてください!」
 そう言ったもんだから、俺は後日彼の食事をご馳走になった。
 二度と食わないと誓った。
 ひどい飯だった。
 便利屋の独自のメニューというものだったが、こいつのシャツくらいとんでもないものだった。
 煮物に、コオロギとバッタが入っていた。
 他は、思い出したくない。

 食事だけではなく、買い物に付き合わせたり、ドライブにも時々行く。
 非常にクセの強い男だが、本当にいい奴だった。


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 「いいですか、汚れというのは全部、水で落ちます。その信念でこすってやってくだせぇ」
 便利屋は亜紀ちゃんと皇紀に真剣な表情で指南している。
 「ここの床の汚れ。これは油汚れですね。分かります?」
 「十回なんて、ガキのシコシコ」
 俺がスリッパで頭をはたいた。

 「すいやせん!! ああ、百回やってダメでも、千回やれば必ず落ちやすからね。そーら、見ててくだせぇ」
 便利屋はスプレーでちょっと水を雑巾に噴きつけ、床の汚れをこすりだす。
 なかなか頑固な汚れだったが、二分も奮闘すると綺麗になった。
 「ね、どうです? あ、これはただの水ですからね」
 便利屋はスプレーを自分の口に吹き付けた。
 「はい、ごっくん。ほら、水でしょうが」
 カビキラーだって飲めばそうなるだろうよ。

 でも亜紀ちゃんも皇紀も手を叩いて褒め称えていた。
 「すごいですね!」
 その後も三人は家中を回り、歯ブラシを使うだの、トイレを軍手で洗うという必殺技を披露したりしていた。
 数時間が過ぎ、俺たちは便利屋を交えて遅い昼食をとることにした。
 寿司をとるけどいいか、と尋ねると
 「自分、宝石は消化できやせん」
 と断ってきた。
 そういえば前にも寿司を誘ったら遠慮されたことを思い出す。
 恐らく便利屋にとって、寿司は最高級の食事なのだろう。
 だからまだ自分には食べる資格がないと思っているのだ。
 宝石に喩えるなんて、なかなかロマンティストだ。

 「じゃあ、ウナギにするか」
 俺が言うと
 「あ、自分はライスだけで結構です。タレだけお願いしやす」
  なんて言う。
 亜紀ちゃんが笑った。皇紀も双子も笑った。
 「分かったよ」

 ウナギが届き、俺たちは食堂に集まった。
 便利屋が蓋を取ると、ごはんしかない。
 「お、おおぉーぅ、かぁーっ」
 「やかましい!」
 「鰻様がぁー」
 子どもたちが何事かと便利屋を見る。

 「さ、三枚もはいっていらっしゃいますよー!」

 みんな大笑いした。


 まともな紹介も何もなかったが、便利屋は子どもたちに好かれた。
 便利屋の名前は、ついに誰も知ることはなかった。
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