蛇逃の滝

影燈

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眠れぬと思っていたのに、思っていたよりも竹爺の寝小屋の居心地がよく、彩は筵の上に横になるなりたちまち眠りに落ちてしまっていた。
 夢も見ぬほど深く……。唐突に襲われた睡魔のあまりに強かったことに、目覚めてみれば不自然に思う。もしかしたら、竹爺の仕業なのか、慣れぬこの妖気ただよう不思議の国のせいなのか。竹爺の仕業だとしたら、自分の眠っていなければならなかった理由とは何であろう。
 薄暗い小屋の中へ、格子窓から光が注がれている。どれほど眠ったものだろうか。ここの明るさは常に変わらぬものと見えて、時の感覚を失う。
 寝付いたのは夜半であったはずだから、もう朝を迎えているのかもしれない。
 身を起こして小屋の中を見回すが、半助の姿はどこにもない。まだ、帰っておらぬのか、一つ屋根の下を憚って別の小屋で寝ているものか。半助ならやりそうなことだが、外へ出てみても竹爺が丸太に座ってこちらに背を向けているだけで半助の姿を見当たらなかった。
 心配になって胸が疼く。大事ないであろうか。
 竹爺が彩に気づくと、「ようく、眠れたろ」とこちらを向いてニヤリと笑った。どうやら、あの強烈な睡魔は竹爺の仕業らしい。
「半助さまはまだお戻りではないのですか」
 彩がその場で訊ねると、「わしの小屋で寝ておるわ」と言うので彩はまっすぐに竹爺の小屋へ向かった。
 中へ入ると、静かな寝息が聞こえる。格子窓から差し込む陰影の中で、半助が丸くなって横たわっていた。丁度猫が丸まって眠る格好によく似ている。やっぱり猫なのだと、彩はほほ笑ましく思って笑った。ちゃんと夜具がかけられている。竹爺がかけてくれたのであろうか。半助の眠る枕元には、三味線がたてかけられていた。
 見事な三味線だった。
 彩はそれに触れようとして、ビクリと身体を震わせた。突然後ろから肩を叩かれたのだ。
「まだ触れたらいかんろー。ようく寝ってるろに、起こしたらめじょげだこて外へ来んしゃい」
 彩は、半助のあどけなさの残る穏やかな寝顔を見つめて、後ろ髪引かれる思いで小屋の外へ出た。
「半助さまは、どのようにしてあれをこしらえたのでしょう」
 彩が竹爺に訊ねると、竹爺は彩に向かいのイスを勧めながら言った。
「桑の林で木を、蚕の村で生糸を手に入れたんらろ」
「皮も必要だと言ってましたが」
 竹爺は、宙を見てこれには答えなかった。
「胴の内側の面にの、で細かな模様を一面に彫り込むんを『彩杉』言うっけぇ、見事なもんだったこて。きっとええ響きがするろよ。楽しみだこて」
 竹爺はおもむろに言って彩に微笑みかけた。初めは怖い爺さまかと思ったが、こうして穏やかな顔を向けられると彩の構えていた心もほぐれていく。それは、相手も自分に気を許してくれているのかもしれなかった。
 彩もほほ笑んだ。
「精いっぱい唄わせて頂きます」
「続きを知ってるろ」
 竹爺は真剣なまなざしを彩に向けて言った。
 あの唄の続きを知っているかと訊いているのだ。彩は肯いた。
 あの場で唄わなかったのは、その後に続く詩が半助に関わりがあるのではないかと思ったからだ。それが半助にとって良いことなのか悪いことなのか、彩にはわからなかった。だから唄わずにいたのだが竹爺は、
「唄ってやれぃや。半助はしんならづよいこって」
「しんならづよい?」彩が首をかしげると、竹爺は意味は教えてくれずに肯いた。
「ずべかと思ったろも、だいじもっこ守るためにてーすりごんぼったり、腹かっさばいたり、なまらはんじゃくな気持ちじゃできねこってね」
「あの、何とおっしゃっているのですか」
 彩がわからぬ言葉に戸惑って訊ねると、竹爺は笑った。
「言葉も、ものかたちだっけそ。わからんだども、てえしたことでねえっけ」
 彩は首を傾げて困るばかりであった。だけど、気になる言葉があった。
 腹かっさばいた?
 彩はぶるりと身体を震わせた。まさかとは思うが――考えると背筋が寒くなった。不安と、心配と、言葉には表せぬ悲しみの気持ちがぎゅっと胸をしめつけた。
 半助さまは、腹を切ったりなどされておりませぬよね。
 彩は祈るような気持ちで、半助の眠る小屋を見つめた。

 そして、夜が来た。
 半助は刻限ぎりぎりまで眠り続け、彩はその傍らにずっと控えていた。
 半助が目を覚ました時が、その時だった。
「彩どの。ずっとそこにおられたのですか」
 衣擦れの音に振り返ると、半助が驚いたように目を丸くして彩を見つめていた。
「ずっとではありませぬよ」
 彩はほほ笑んで言ったが、本当はずっといた。半助がいつまでたっても目を覚まさないので、心配で側を離れられなかった。半助の眠る傍らで彼の穏やかな寝息を聞いているうち、彩は自分の想いがもう後戻りできぬところまで来ていることに気づかされていった。
 それは、許されることなのだろうか――。
 そんなことをゆらゆらと考えているうちにいつの間にか眠ってしまったようで、半助の声に起こされたのだ。
「そのような土間に座っていたのでは冷えましょう」
 自分の顔色も優れぬのに、半助は慌てて彩を板の間へ上がるように言った。この人はいつも自分の心配より人の心配をする人だ、と彩は半助のその優しさに魅かれつつも、もっと自分のことを考えてほしいといういら立ちもある。
 彩はちらと壁に立てかけてある三味線に目を向けた。
 三味線が出来上がっている以上、革はどこかから手に入れたのに違いないのだ。半助の性格を考えれば、その出所は知れたものだ。
「もう傷のほうは大丈夫なのですか」
彩は当然知っているというような顔で訊ね、すると半助はまんまと白状した。
「なぜ知っているのです。私が腹を切ったことを」
 その狼狽えようは可愛らしかったが、半助のしたことを思えば、深い悲しみで胸が塞がる。
「何故そこまでなさるのですか」彩の声は震えていた。
 緊迫した空気に、半助も怒られた子猫のように首をすぼませ彩を上目使いに見た。
「そんなに怒らないでください」
 彩は一瞬絶句した。
「怒っているわけではありませぬ。私はあなたを心配して」
「大したことではありませぬゆえ、心配はいりませぬ。腹を切ったとはいえ、皮を少々剥ぎ取っただけでございますし」
「剥ぎ取った」彩は卒倒しそうになった。慌てて半助は、「私は怪妖ですゆえ、すぐに治癒致すのです」
 彩はきっと半助をきつく睨んだ。こういうときの自分は、自分でもどのような行動に出るかわからない。
「怪妖とはいえ半妖でしょう」
 彩は半助に詰め寄った。
「治るとはいえ、痛いものは痛いのでしょう」
 胸がいっぱいになって、涙があふれてきた。戸惑い顔の半助に、彩は四つん這いになって更に詰め寄った。
「親にもらった大事な身体でしょうに。治るからと言って、そのように簡単に傷つけてはなりませぬ」
 彩は、思い極まって半助の身体に腕を回していた。体格は彩とさほど変わらないと思っても、彩とは違う、ひきしまった筋肉がそこにはある。温かく、力強く脈打つ鼓動も彩は感じた。半助の匂いがする。獣のようではない。香木ような、快い酔うような良き香りがする。ずっとこうしていたい……。半助の包容力が彩にそう思わせる。
「あ、彩どの……」半助は呻くように言った。
 困らせていることはわかっている。だが、彩にやめる気はなかった。もう取り繕えない、自分の裸の気持ちに目を向ける覚悟を決めていた。
「私は困りませぬ」彩はきっぱりと言って、間近で半助の瞳を覗きこんだ。切れ長の奥二重が戸惑ったように二度三度瞬いて、視線を逃そうとするが彩はそれを逃さまいと真っ直ぐに半助を見つめ続けた。
 自分で今の自分を獲物を仕留めようとする雌猫のようだと思うとおかしかった。だが、そうでもしなければ、半助は彩の想いに気づいてくれそうもない。たとえ気づいたとしても、半助は彩のほうを振り向いてはくれないだろうという気がしていた。
 それは彼の中にある、己は怪妖であるという想いが強いからであろう。その気持ちはよくわかる。彩も、怪妖と人間とは相容れぬものだと思っていた。けれど、半助に出会ってそれが変わった。怪妖にも心がある。それを知ったのだ。
このように不思議の国へ来て他の怪妖と触れ合ってみてもわかる。彼らは人間と何も変わらぬ、ちゃんと心を持っているのだ。それ
に気づくと、怪妖を皆ひっくるめて害獣のように思ってきた自分が忌々しい。自分だけではない。人間は皆、大きな思い違いをしているのだ。
 そのことに、やっと気づいた。そして、皆にはどうしたら気づいてもらえるだろうか。
「半助さま」
 ぬばたまのような深い色の瞳を見ていると、彼ならそれができそうな気がしてきた。
 彼なら、人間と怪妖の間にある隔たりを取り除くことができるかもしれない。
 だが、彩の熱い思いを込めた眼差しを半助はするりとかわした。
「行きましょう。時間でございますゆえ」
 半助は微笑みを残し、小屋を出て行ってしまった。
彩がままならぬもどかしさにため息をついていると、入れ替わるように竹爺が入ってきて土間に仁王立ちした。
「たやすくはいかねえこって。おめえがたには、決着つけねばならんことがあるろ。まずはそれからだこて。想い合えど、うまくいかねえことにならんようにせんばなんねえよ。あんげなめじょげな話はもう二度と見たくないこってね。まあ、でえじょぶだいやぁ。たげえにだいじもっこはまちげえねえっけ、その気持ち忘れんでおればあちこたねえ。さて、時間だて。はよ、来んしゃい」
 竹爺が行ってしまうと、彩は立ち上がって半助が忘れて行った三味線を手に取った。何故だか、涙があふれてくる。今手にしたものが、愛しくて愛しくて仕方のないもののような気がした。そして、どうしてこんなにも哀しいのか。
 彩は、自分がこれから唄う唄が半助にどのような影響をもたらすのかを想わずにはいられなかった。だけど、やはりそれは彩の手に余ることで、判じることはできない。だが、つたえられることがあるのに伝えないのは卑怯だとおもった。知ったうえで、半助がどうするか決めるのだ。
 彩は三味線を抱く様に手にし、涙を呑んで小屋を出た。
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