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第40話 小さな憧れ

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 唾液を交換するようなキスなんてしたら、一撃で風邪なんて貰うよな。

 可哀想だが俺の作戦勝ちだ。


『とりあえず今日は休ませた方がいいですよ』
 
 オジサンに提案すると「確かに」と言って慌てて出ていった。

「いや……大丈夫……」

「無理無理、俺でもギリギリだったし」

 起きようとするサラを手で制止する。

「あんたが移したの……?」

「うん」

「さいてぇ」

 力のない声で文句を言われてしまった。

 キスしようとしてきた方が悪いのに。

 しかし、本当に辛そうだ。

「して欲しいことってあるか?」

「水が飲みたい」

「魔法の水は?」

「そんな庶民では、ないの」

 飲みたいならそうしてやろう。

 テーブルの水差しをコップに傾け、サラの近くまで持っていく。


「起きれそうか?」

「大丈夫……」

 ダルそうに体を起こしたサラにコップを手渡す。

 両手で持つと一気に飲み干した。

「……嫌がらせしてくると思ってた」

「水をぶっかけるとか?」

「なんでしないの? 私が死んだら二人は元に戻れるのに」

「普通、するか?」

「あなたのメリットは嫌がらせにしか発生しない」

 何を言ってるんだこいつは。


『損得が全てじゃねえよ』


 俺はポケットからアステル先生に貰った小瓶を取り出す。

「これを飲めば苦しみは消える、欲しいか?」

 サラはコクリと頷く。



『あげる、損しかないけどな。よく考えて飲め』
 


 真っ白な手に握らせると小瓶のコルクに手間取っていた。

 俺が代わりに抜くとようやく飲み始める。

「言いたいことはあるか?」

「お世話もして欲しい」

「しょうがねえな」

「ご飯届くから食べさせて」

 それくらいなら男の俺でもできそうだ。

 しばらく待つと食事が届いた。内容はステーキと米、申し訳程度の野菜サラダ。

「……」

 サラは口を固く閉じる。あまり乗り気ではないらしい。

「肉は嫌いか?」

「今は食べたくない……」

「言えばいいだろ?」

「それは、その」

 配慮ができてない。病人がステーキなんてキツすぎるだろ。

 玄関のドアを開けて近くのオジサンに声を掛ける。

「どうしました?」

「今のサラは肉が食える状態じゃない、もっと柔らかいものが必要だと思う」

「ならば、近くの屋台に要請してみます」

 そう言って走っていった。


 サラの所に戻って別の食い物が届く事を伝える。

「……ありがとう」

「サラダは食べよう?」

 皿を持ってフォークに絡めて口に運ぶ。

 何も言わずにパクリと口に含む。シャキシャキと良い音が聞こえる。

「シャキシャキしてる」

「うん、そうだろうな」

 飲み込むのを待って次の野菜を口に届けた。

 パクパク全部食べれた感想を聞いてみる。

「食べさせてもらうのがこんなにおいしいとは」

「届くまでステーキ食ってもいいか?」

「気にしないのなら」

 何を気にするんだ? まあいいか。


 出番を終えたサラダ用フォークを手に取る。


「新しいのありますよ」

「いや、いいよ」

 洗い物増やしたら悪いし。

「私の使用済みですが……」

 サラの使用済みってなんかエロい。

「気にしないよ」

 そのままフォークをステーキに刺してナイフを手に取る。

 ナイフの腹でフォークを擦りながら肉を切って口に含む。

 肉の味の後に遅れてとろけていく感触。

 おいしいお肉だ。

「割と行ける」

「お口にあってなにより」

 それから少し待つと新たな料理が届いた。


「お待たせしました、サラ様」

 一杯のどんぶりには湯気が昇っていて、覗くとダシに沈められたお米が見えてくる。

 うまかった和食だ!

「配慮が足らなかったことをお詫びします」

 オジサンはそう言い残して部屋から消えていった。

「これは最高だぞ~」

「さいこう?」

「屋台で食べたことあるんだよ」

 レンゲに汁が染みた白い米を掬ってサラの口元に近づけていく。

「あ、あの」

「なんだ?」



『ふーふーしてください……』



 視線を逸らしながら『猫舌なんです』と言う。

 して欲しいなら仕方ない。

 一旦レンゲを引き寄せて息を当てて冷ます。

 湯気が空気の流れで揉み消されていく。

「もう一つ注文していい?」

「まだあるのか」

「こっち向いてして欲しい」

 なんでだよ。別にいいけど。

 息を吹き直すとサラの黒い髪がゆかゆさ揺れる。

 冷ましたレンゲをサラの口に近づける。なぜか口を開けてくれない。


「いや、あーんってしろよ」

「……あーん」

 ようやく開いた口にレンゲを差し込んで引き抜く。

 レンゲの形に沿ってサラの上唇が尖る。

 よく噛んでダシの味を楽しんだサラは満足そうに飲み込む。

「今、私は幸せです」

「なんでだよ」

 風邪貰って幸せなんて小学生くらいだぞ?

「憧れだったんです、あーんってしてもらうの」

「良かったな」

「ええ、時間は有限なので早く次を」

 急かしてくるサラに冷ましたレンゲを運んでいく。

「一人より二人の方が美味しいですね」

 ポツリとサラがつぶやいた。

「そんな寂しいこと言うな」

「いつものことなので」


『これから寂しくなくなるんだからさ』


「……分かってます」

 風邪で弱ってるのか、いつもより妙に言葉が硬い気がする。

「もっと馴れ馴れしくしてもいいんだよ」

「癖なので」

「癖って……」

「変でしょう? 知ってますよ」

 最後の一口を食べたサラはベッドにふんわり倒れる。

「いや、別に」

「リュウキくんも本当は私と距離を取りたくてたまらないんだ」

「肉おいしかったから居るよ」

「本当? なら嬉しい」


 それから黙ったサラはスヤスヤと寝息を立て始めた。








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