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本編

11.幕間 愛おしい恋人について(湊side)

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 凍える程寒い、冬の夜だった。

 仕事帰りにマンション近くの公園前を通りかかった時のこと。
 暗い視界の中、公園の奥のベンチに小さな人影が見えて、早く帰ろうと進めていた足を思わず止めてしまい。
 まるで何か特別な力に引き寄せられるかのようだった。気付けばそれに向かい真っ直ぐ進んでいて、その人影の直ぐ目の前まで辿り着き、息を飲んだ。

 ベンチの座面に倒れ込むように横たわっていたのは、中性的な整った顔を持つ少年だった。
 妖精のように儚げな美貌を持ちながら、少年の寝顔には大人とは言いきれない発達途中の幼さがある。体の奥の芯を、ドクンッと熱くする何かを感じた。
 普段なら見目からして訳ありの人間を気にする事は無いのだが、その日だけは違った。真冬の夜、暗い公園に、彼を一人残す気には到底なれなかったのだ。
 青白い頬に手を伸ばすと、突然触れた体温に驚いたのか少年が目を覚ます。ボーッと寝惚けた瞳と目が合って数秒固まった。


「君、大丈夫?」


 はっとして冷静な態度を装い話しかける。
 同時に、触れた頬が異常なほど冷えていることに気付いて慌てて少年を抱き上げた。知らない男に勝手に触れられるのは怖いだろうが、この冷たさを知ったからには余裕ぶった気遣いはしていられない。
 親御さんを呼んでもらおうか…と見下ろしたが、彼は眠いのかボーッと薄目を開けた状態で動かない。これは話が出来る状況ではないなと判断して、とにかく暖かい場所に移ることを最優先にした。
 ここから近い暖かい場所と言えば、自分の住むマンションしか思い当たらない。

 悩んだのは一瞬だった。
 少年をしっかりと抱き上げ、迷いなくマンションへ向かった。





 警察や救急という単語が思い浮かんだのは、彼を自室のベッドに横たわらせてからだった。
 初めに公園でこの子を見つけた時、いくらでも正当なやりようはあったのだと気付いて項垂れる。いくら彼に見蕩れて正常な判断が出来なくなっていたとはいえ、明らかに焦り過ぎだ。


「…ん、」

「…!」


 小さく身動ぎする少年に過剰なほど反応してしまう。まだ寒いのだろうかと、部屋の暖房を高くして彼に毛布を掛けてあげた。
 彼の服装は薄い長袖シャツに黒ジャージのズボンというラフなものだから、寝るにはそれなりに向いているはず。流石に初対面の少年を裸に剥いて着替えさせるのはまずいので、仮に寝苦しかったとしても我慢してもらうしかない。

 できる限りのことは全てやり切り、ベッド脇の椅子に腰を下ろす。
 彼の体温が平均的なものに上がってきたのを確認し、ようやくほっと息をついた。


「―――……だれ」


 ギシッと小さな音を鳴らしたベッド。慌てて顔を上げると、無表情でこちらを向く少年と目が合った。
 その瞳は真っ黒で、まるで何処までも続く深淵のように先が見えない。少しでも気を抜いたら吸い込まれてしまう、何故かそんなことを思ってしまった。

 我に返って彼に近付くと、怖がらせないように若干の距離を取りながら名を名乗った。なるべく不安を刺激しないように、笑顔は決して崩さず。
 こんなに表情筋を使ったのは久々だ。笑っている俺を見たら、普段の俺を知っている人間は揃って放心するだろう。


「動ける?携帯とか持ってるかな。ご両親が心配してるだろうし、連絡した方が――」

「ねぇ」

「……?」


 出来るだけにこやかに話していたはずだが、やはり怖がらせてしまっただろうか…?穏やかな口調も笑顔も慣れないから、相手からすれば違和感があるかもしれない。
 彼が俺の言葉を遮って声を上げた時、そんな不安ばかりが頭に過ぎった。
 直ぐに警察や救急に通報しなかった俺を警戒しているのか。確かに自分の立場で考えたら、通報もせず勝手に家に連れ去る男はかなり怪しい。客観的に見れば、今の自分はただの不審者だ。


「……っ」


 そこまで考えて頭を抱えた。抱えて、その場に蹲った。
 このあどけない少年に対して、自分が下心を持ってしまっていたことを自覚したから。
 焦っていて冷静な判断が出来なかったなんて言い訳だ。ただ、彼をみすみす離したくなかっただけ。出会ったあの一瞬で終わるなんて、認めたくなかっただけなのだ。
 一目見て、たったそれだけで俺は。こんな幼い少年に対して…。


「ねぇ。俺、あんたのこと好きだ」

「……え?」


 耳に届いたその言葉に、一瞬頭がおかしくなったのかと錯覚した。そうでもないと、決して聞こえないはずの言葉だったからだ。
 でも、まさか本当に?と頭の中が騒いで心臓もバクバクと鼓動を強める。立ち上がって彼を見下ろすと、やっぱり深淵のように黒で塗り潰された瞳と視線が合った。

 毛布の裾から手を覗かせて、それをこっちに伸ばしてくる。反射的に両手で包み込むと、彼はさっきの言葉を、まるで語りかけるかのような声音で再び口にした。


「俺、あんたが好き。その目、好きだ」

「っ……!」


 目が好き、なんて。
 誰にも言われたことが無いし、自分ではどういう意味なのか分からないけれど。それでも"彼が発した好き"というだけで、全てが特別になる。

 本来なら、その気持ちは何かの間違いだと諭してあげるべきだったんだろう。大人として、恩と好意を履き違える子供に、正しい答えを導かせてあげるべきだったんだろう。
 表面に関しては、自分はそれなりに品行方正な人間だと思っていた。常識はあって当然で、そして常に正しく。本性がどうであれ、他人に見せる自分の理想像は、いつだって保てていたはずだ。
 なのに、どうしてこの少年には冷静さを見せてやれないのだろう。余裕ぶって彼の言葉を流してあげたいのに、火照った顔と高鳴る鼓動が全てを邪魔するのだ。


「お、俺も…」


 きょとんと首を傾げる少年。
 そんなたったそれだけの仕草にも、胸の奥から愛おしさが込み上げる。


「俺も…俺も君のことが、好きだよ」


 震える声。たったさっき出会ったばかりの少年に、自分の全てを飲み込まれて、支配される感覚があった。
 それは少し恐ろしくて、だが逃れようとは思わない。寧ろ心地良いからこそ、僅かな不安も消せなくなる。
 囚われてしまったのだと自覚する頃には、もう全てが手遅れだった。
 一目惚れ?そんな甘いものじゃない。

 ほんの一瞬で確かなものになったこの感情。彼に伝えるには重すぎるから、明確に言葉にしてはいけない。
 その代わり「一目惚れした、君のことが好きだ」と何度も繰り返す。俺の答えが予想外だったのか固まっていた彼は、やがて目を見開いて、それを微笑みに変えた。


「嬉しい…」


 深淵のようだった無表情が、柔らかな笑顔に変わる。
 身を起こした彼は、ゆったりとした動きで俺に抱き着いてきた。途端湧き上がる不埒な激情を必死に堪え、平静を装って抱き締め返す。
 隙間が無くなるくらいくっついて「すき…」と耳元で呟く彼。頭がどうにかなってしまいそうだ。彼のことは天使だと思っていたが、どうやら小悪魔の間違いだったらしい。

 俺に好意を伝えてくる傍ら、彼は自分のことを雲雀と名乗った。
 話を聞いて驚く。雲雀は高校二年生だった。見た目は華奢で儚げで、高めに見積もっても中学生にしか見えない。
 近くでよく見ると、頬が少し痩けているようにも感じる。体全体も、細身と片付けるには痩せすぎのような気もした。小食…なのだろうか。
 いや…けどそれにしても…


「……」


 少ないながらも蓄積していく違和感。それが形になる前に、雲雀が此方の思考を全て止めてしまう言葉を発した。


「俺ら…恋人、ってことでいいのかな」

「!?」


 雲雀と、恋人。
 一気に脳内が浮足立って、考えていた疑問も消し飛んでしまう。腕の中にすっぽり収まる雲雀が、俺を見上げてにこっと笑った。
 表情が乏しいからこそ、突然の笑顔は本当にクるものがある。


「雲雀がいいなら…恋人、なりたいな」


 火照った顔に小さな声。
 俺の返答に、雲雀は満足気に頷いてにこにこと笑った。

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