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六章
197.黒いモヤ
しおりを挟む牢から出る直前、ちらりと振り返った時、ダミアーノと一瞬目が合った気がした。
俺が途中で出て行くなんて想定外のはずなのに、彼はやけに余裕そうな顔をしていた。尋問担当が俺じゃないと何も話さないっていう武器があるからだろうか?
なんにせよ、これからも父の尋問をお手伝いするために、ダミアーノにはまた会うことになるかもしれない。
重々しいほどの執念を感じる、濁った赤い瞳。鉄扉を閉める直前、その瞳が一瞬キラリと輝いて、愉しそうに弧を描いた気がした。
気のせいだろうか、ダミアーノが纏う“嫌な気配”が、突然大きく伸びて……そして、こっち側にものすごい速さで向かってきたような……。
「わぁっ!」
“嫌な気配”が可視化して見えた気がして、思わず尻餅をつく。
ダミアーノの身体から漏れ出た黒いモヤのような何かは、一直線にロキの身体へ纏わりついて、中に吸い込まれるみたいに消えたように見えた。
突然尻餅をついた俺を、ロキがびっくりしたように目を見開いて「ルカちゃん!?」と呼びかけてくるが……俺は、ロキの中に入っていった黒いモヤが、気になって仕方がなかった。
ピタッと硬直したまま動かない俺を、ロキが心配そうに抱き上げる。どうしたの?と何もなかったみたいに聞いてくるロキに違和感を抱いて、思わず問いかけた。
「うぇ、えっ。ろ、ろき、だいじょぶかっ?」
「うん?えぇっと……それは俺のセリフかも?」
へにゃ、と困り眉で苦笑するロキ。ロキからすると、大丈夫か?と聞きたくなるのは何もないのに突然声を上げて尻餅をついた俺に対してらしい。
いやいやおかしいぞ。絶対、絶対いま、ロキの身体に何かがぐるっと纏わりついて、中ににゅるって入っていったんだ。絶対に見間違いじゃない。
いや、でも……あれだけ派手にモヤが動いていたのに、ロキには見えなかったのか?俺なんかよりよっぽど鋭いあのロキが?
そう考えると、なんだか自分が見たものの記憶が信じられなくなって……結局、俺はしょんぼりと肩を落として力無く首を振った。
「な、なんでもないぞ……ちょっぴり、気が張ってたのかも」
むん……と眉尻を下げて答えると、ロキはそっかそっかと優しく微笑んで、いつも通りの笑顔で俺をひょいっと抱っこした。
「こんな恐ろしい地下牢で、大罪人と対面して、尋問なんてしたんだもんね。そりゃあ、優しくて繊細なルカちゃんはとっても疲れるはずだ。お疲れさま、ルカちゃんは偉くていい子だよ」
俺の頭を撫でる優しい手つきにも……変わったところは何もない。
やっぱり、気のせいだったのか?ダミアーノが発した黒いモヤが、ロキの身体にしゅーっと入っていったように見えたのは……。
確かに、初めての尋問なんて経験して、かなり疲労が溜まったのは本当だ。
地下牢自体がとっても薄暗くて、周りは全部真っ黒だし、考えれば考えるほど、俺の見間違いって可能性が高まってきた。
疲労で視界がぼやけて、周りの黒い光景が一部分だけモヤに見えたのだろうか?うん、きっとそうだな。そうじゃないと、ロキが何にも気付いていないことがおかしいし。
「ロキ……」
「うん?なぁに?」
「……おれ、疲れちゃったぞ。はやく帰りたい……きょうは、ロキとぎゅってして、寝たいな」
あぁ、それでもなぜか、嫌な予感が止まらない。今はロキから離れてはいけない気がする。
そう思って、俺はロキの肩に顔を埋めてへにゃりと呟いた。すると突然、抱っこの手に痛いくらいに力が籠って、なんだなんだと慌てて顔を上げる。
そこに見えた、甘く蕩けたロキの微笑みにぎょっとした。
「……ん、ふふっ。そっかぁ、わかった。早く帰って、明日まで、ずぅっと一緒に過ごそうね」
ちゅっと額に口付けが落とされて、そこで初めて間違いに気付く。
もしかして俺、発言ミスったか?なんか、変な意味で捉えられちゃう系の発言とか、まさかだけれどかましちゃったのか?
疲れて、なんだか不安だから、ロキと離れないでお昼寝でもしたいなーって。そういうテンション感の発言だったのだが……もしかしてこれ、曲解して伝わっちゃったやつか?
あわあわ、と慌て始める俺には気付かないまま、ロキはルンルン気分で歩き出した。
***
「ルカ!戻ったか……!」
地下牢を抜け出し地上へ出ると、すぐに難しい顔をしたアンドレア達と合流した。
父とアンドレアは、俺の姿を視認するなり慌てた様子でどどどっと駆け寄ってくる。いつも通りロキから俺をひょいっと奪い取ろうとする二人だが、今回は俺自身がロキにむぎゅっとくっつくことで、二人の抱っこを回避した。
いつもならロキが足掻くか、フツーに奪い取れるかどっちかだから……二人は俺の反応にびっくりしちゃったらしい。
俺がロキにくっついてイヤイヤと首を振ると、父とアンドレアはこの世の終わりみたいな顔をして固まってしまった。
「な、なっ……!」
「ル、ルカ?父だぞ?パパだぞ?」
俺の全力拒否を信じられないのか、信じたくないのか。
二人は必死の形相で俺を宥めようとしてくるが、俺は全然冷静なので、何を言われてもまったくもって響かない。フツーに無視してロキにむぎゅーである。
「いやだぞ!今日は、ずっとロキから離れないんだぞっ!ロキとずっと一緒なんだぞっ!」
「ルカちゃんっ……!」
コアラみたいに、手も足も駆使してむぎゅぎゅーっ!と抱き着く。
そんな俺を感極まったように抱き締め返すロキの傍で、父とアンドレアは脈が止まったみたいにチーンとご臨終してしまった。
あれま、ちょっぴり強く言い過ぎちゃったかね。
まぁ何はともあれ、まずは任務の報告だ。俺はえっへんと胸を張って、上司たる父にしっかりと報告を果たした。
「お父さま。しっかり尋問できたので、あとでお話しますっ。またアイツがだんまりしたら、またおれに任せてくださいっ!おれが全部、聞きだしてやりますっ!うむっ!」
「ルカちゃん、ルカちゃん。今はその可愛い報告、俺しか聞いてないかも」
「んなっ!ががーんッ!」
父ってば、俺の超絶クールな報告を何にも聞いていなかったらしい。
仕方ない……あとできちんと報告するか……。トホホと涙目になりながら、ロキのよしよしなでなでに身を委ねた。
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