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五章

175.あやしい注射

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 ウワーッと暴れ散らかす俺を容易に押さえつけて、妖しい動きを進めるチェレス。
 割とガチの全力抵抗なのだが、まったく歯が立たなくて泣きそうである。チェレスってば最後の記憶がアレだから、正直ただのポンコツさんだと思っていたのに……力は意外と強いのね……。

 父からもらっためちゃんこ素敵な服を剥ぎ取られそうになり、慌ててハッと声を上げた。
 破るのはだめ!裂くのもだめ!と耳元でギャーギャー喚いたので、流石のチェレスも鼓膜を守るためかしっかり丁寧に脱がせようとしているらしくほっと一安心である。いや全然安心できる状況じゃないけども。


「ふむ、縄が邪魔だな」


 順調に服を剝ごうとしていたチェレスだったが、ふいにムッと顔を顰めてピタリと止まった。
 どうやら後ろ手に縛られた手首のせいで、服を完全に脱がせることが出来ないらしい。俺にとっては予期しない幸運だったのでヨッシャ!時間稼ぎキタコレ!と思った時期もあったが、普通に裾からナイフを取り出したチェレスを見て涙ぐんだ。
 刃先をキラッとこっちに向けないでくれ。こわいぞ泣いちゃうぞ。

 ふえぇっと怯えて泣き出す俺のことは完全スルーで、チェレスは俺の身体をころりんちょと転がしてうつ伏せにした。
 シーツに涙でくしゃくしゃの顔を押し付けて待つこと数秒。ギチッという音と共に、手首を拘束していた圧迫感がふっと緩んだ。


「う、うぅっ……」


 ずっと痺れていた手首を解放されて嬉しいのと、すぐ後ろにナイフを持った変質者がいるという絶望で心がぐちゃぐちゃだ。
 むぐむぐと嗚咽を漏らしながらも、自由になった手をぺちぺちと軽く動かしてみる。すると、ふいに背後からおっきな身体が覆い被さってきて、耳元で低く脅しを吐かれた。


「分かってはいるだろうが、妙な真似はするな。抵抗すれば直ぐにでもこの細い首を斬り落として断面を晒してやるからな」

「ふえぇ、わるものムーヴが過ぎるよぅ」


 そんなテンプレみたいな悪役セリフ吐く人、現実にいるんだ。

 俺ってばちょっぴりびっくり。ぷるぷる震えながらも、自由になった手で大人しくシーツをきゅっと握り締める。抵抗なんてしないですよえへへ、こわいこと言わないでくださいよぅ。

 ほんのちょっとの振動で揺れるお豆腐みたいにぷるぷる震える俺の背後で、チェレスは何やらガサゴソと衣擦れの音を立て始めた。
 下手に動いたら首を斬り落とされてしまう可能性があるため、振り返ることすら出来ない。だから必然的にチェレスの動きを視認することも出来ないわけで……これが中々辛かった。
 怖い人の動きを見れないって、ものすごく精神に負担がかかることなんだなぁ、なんて。ぷるぷるしながらふと思った。

 一体これから何をされてしまうのか。ガクブル震えても、この状況から逃げ出す術がまったく思い浮かばない。
 ハオランが何とか耐えてと言っていたのはこのことだったのか……いや俺の気合だけでどうこう出来るわけなかろうが、とちょっぴりぷんすかしてしまいそうになるのを何とか堪えた。


「うぅ、うぅっ、痛いのやだぞ、痛いのはやだぞぅ……」


 ぐすぐす、めそめそ。
 カエルみたいにシーツにピトッと貼り付きながら、うえぇんと嗚咽混じりの声を漏らす。

 なんか気が付いたらもう全裸にされちゃってるし、いよいよ本格的に貞操の危機って感じだ。
 私の子を孕めとかというド変態な発言から考えるに、たぶん今から強制的におせっせが始まってしまうのだろうが……いや、フツーにお断りである。なんとか逃げ出す方法を考えなきゃである。

 とは言えナイフを持った大人相手に、丸腰ちんちくりんな俺は一体どう抗えば……。
 なんて、半ば諦めを抱きながらシュンとなっていると、ふいにうつ伏せになっていた身体をころりんちょと仰向けに戻された。
 なんだなんだ、何をされるんだとビクビク怯えながら目を開き、視界に映った“ソレ”を見て大きく目を見開いた。


「な、なんだ、それ。なにするつもりなんだっ」


 ようやく視認することができたチェレスは、何やらピンク色の液体が入った注射器を持っていた。

 注射とか、その類の知識は微塵もないけれど……でも、素人の俺から見てもわかる。本能的に危機を察知して、今も脳内で警鐘が鳴っている。
 あのピンクの液体は、すくなくともいいものではない。むしろ、とっても悪いものだ。よく分からないけれど、勘がそうだと言っている。
 あれを打たれたらマズイと、本能的に悟っているのだ。だけど、こうして動きを制すように組み敷かれた状態ではどうすることもできない。

 ぷるぷる震えることしかできない俺を見下ろし、チェレスは微かに口角を上げて語った。


「慣れていないのだろう?ならば痛みなど感じぬようにしてやる。私は優しいからな、その辺りの気遣いくらいは朝飯前だ」


 何もしないという気遣いをしてくれれば百点なのだが……という嘆きの呟きはなんとか堪えた。

 いつでも取り出せる位置にナイフをしまった変態男に組み敷かれている全裸の俺。ふーむなるへそ、こんなのもうどうしようもないんだぞ。大人しく諦めた方が楽になれるに違いないぞ。

 この後の展開を想像して涙ぐみながらぐすんぐすんと嗚咽を零す。
 子供の泣き顔を見たら本能的に同情心とか湧いてくれたりしないかなーなんて一縷の望みも、チェレスが無表情で何の遠慮も無く、俺の身体に注射器をぶっ刺したことで塵となって消え失せた。


「むぅっ!いたいぞ、優しく刺せぇっ!」

「注射に痛いも何もあるか。耐えろ」


 この世に悪魔が存在するなら、たぶんこの男のことを指すんだろう。
 なんて現実逃避みたいなことを考えながらぽけーっと視線を上げて、ふとあることに気が付いた。


「……?」


 注射器をぶっ刺された瞬間から視界がぼやけたせいで、よく見えないけれど……。
 気のせいだろうか。チェレスの瞳の色になんだか違和感を抱く。だってその色は、見慣れているけれど、でも、その色を持った人間を俺は一人しか知らないから。


「目が、あかい……──?」


 ボソッと呟いた直後だった。
 突如心臓がドクンッと大きく鼓動を鳴らすと同時に、全身が熱で火照り始めたのだ。
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