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四章

96.変転の報せ

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 夜会の日を境に、裏社会の構図は大きく変化した。
 一番大きな変化はというと、やっぱり俺とロキが愛し合っているどうのこうのという噂についてだろう。

 世間は俺とロキが婚約して二大ファミリーの関係が強固になった!と思っているらしいが、実際には婚約についての書面なんて何にも交わしていない。
 表面上は互いの邸に行き来したりと、世間様には思わせぶりなことをしてしまっているが……実際にはロキと俺はただの友達でしかないので、あまりヒューヒューと冷やかさないでほしいぞ……。

 なにせロキは将来、アンドレアをお嫁さんにする攻め主人公なのだから。
 これだけ展開が変わった以上、ここからどう正しい流れに戻るのか不安でしかないが……物語の強制力的な何かや運命的な何かを信じて、俺は大人しく流れに身を任せておくことにした。
 とは言え、このロキルカイチャイチャ作戦にあまり成果は無いようで、こうして今日も今日とて平和な日々を送っているわけなのだが。

 もうすぐ冬も間近という今日この頃、俺は相も変わらず、ロキの誘いを受けてヴァレンティノ邸を訪れていた。


「ルカちゃん、ルカちゃん」

「はっ!」

「あ、戻ってきた。大丈夫?ぼーっとしてたけど……」


 原作のことやら何やらを考えてたら、いつのまにかぽけーっと気が遠のいていたらしい。
 ハッと我に返ると、目の前には今日も超絶美形なロキのご尊顔が。慌ててぐちゃぐちゃな思考を振り払い、今なにしてたんだっけ?と状況把握を急いだ。


「あ……ごめんよロキ。おはなしの、途中だったのに」

「ううん、いいんだよ。でもルカちゃん、もしかして疲れちゃった?何度か読んでも返事がなかったから、少し心配だな」


 ゆっくりと今日の記憶が蘇る。
 そうだ、今日はロキにピクニックをしようと誘われて、ヴァレンティノ邸の庭園で一緒にサンドイッチをもぐもぐしていたんだった。
 楽しくお話していた最中だったのに、急にぼけーっとしてしまったから心配をかけてしまっただろう。思わずしょぼん……と肩を落とし、ごめんよーと謝った。


「だいじょぶ。ちょっぴり考えごとをしてたんだぞ。つかれてないから、だいじょぶだぞ」

「そう?そっか、それなら良いけど……」

「良いわけあるか。ルカ、疲れてしまっただろう。帰ろう、さっさと帰ろう」


 サンドイッチをもぐっと食らった瞬間、隣から伸びた手にひょいっと抱き上げられた。
 食らいかけのサンドイッチを慌てて口に詰め込み、リスみたいに膨らんだ頬でなんとかもぐもぐっと胃に押し込む。
 そんな俺をぎゅうっと抱き締めた人物を呆れ顔で見据えて、ロキが浅く溜め息を吐いた。


「はぁ……ねぇ、最初から思ってたけど、君なんでいるの?お呼びじゃないんだけど。今日は俺とルカちゃんだけのお家デートなんですけど?」

「黙れクソ野郎。文句を言える立場ではないことを忘れるな。今ここで貴様を撃ち殺しても良いんだぞ」

「はっ、やれるものならやってみなよ。俺のことが大好きなルカちゃんに生涯嫌われてもいいならね」


 ロキの煽り文句にアンドレアが表情を歪ませる。
 なんだか一触即発な空気を悟って、俺はあわあわっ……と瞳を揺らした。どうしてこの二人は目を離した瞬間に喧嘩しちゃうんだ……。
 原作だとこれよりもう少し穏やかな関係だったはずなのに。


「ふたりとも、めっ!なかよくしなきゃだめなんだぞ!いっしょにパンもぐもぐして、なかなおりするんだぞっ!」


 バケットからむんずとパンを掴み取って、二人の口にえいっと押し付ける。
 二人は目を丸くしながらも、俺のぷんすか!な様子を察したようで素直にパンをもぐもぐと食べ始めた。うむ、よろしい。


「んふふ、ルカちゃんに“あーん”されちゃった。餌付けされちゃった」

「えづけはしてないぞ……」


 ロキってば何を嬉しそうにむふふと笑っているのか。
 俺は二人にむぐっとパンを押し付けただけだ。なにが餌付けかね、と困惑する俺を抱き上げて、アンドレアが今度こそスッと立ち上がった。


「む?おにいさま?」

「……帰るぞルカ。いつまでもこんな場所に居てはルカが穢れる」

「なにそれひどい!アンドレアひどーい!」

「黙れ死ね」


 もはや流れ作業みたいな悪口を吐き捨ててアンドレアが歩き出す。
 アンドレアの肩越しに捨て犬みたいな涙目をしたロキが見えて、俺は慌てて顔をアンドレアの肩にぽすっと埋めた。
 あんまり見ると庇護欲が刺激されてしまう……無防備にとことこ戻ってしまう……。


「ルカちゃん……ぐすっ、ルカちゃんー……」


 こいつ、鼓膜にまで訴えかけて……!と愕然したのも束の間。
 あまりに切実な声音に耐えられなくなり「お兄さま、ちょっと待って……!」と声を上げようとした瞬間、邸の方から忙しない足音が聞こえてきょとんと首を傾げた。


「若!ルカ坊ちゃま!」


 振り返った先。アンドレアの前ではぁはぁと息切れしながら立ち止まったのはミケだった。


「……何事だ」


 怪訝そうにミケを見下ろすアンドレア。
 わざわざヴァレンティノ邸に駆け込んでまで来たのだから、相当大事な報告があるに違いない。
 その想像に間違いはなかったらしく、ミケは焦燥を滲ませた顔を上げて言った。


「奥様が……ディアナ様がお亡くなりになられました。どうやら毒を飲んだようで……」


 ドクンッと鼓動が嫌な音を立てる。
 知らず、アンドレアに縋る手に力が籠った。アンドレアもそれを察したようで、呆然と息を呑む俺をぎゅうっと強く抱き締める。
 二人が何やら言葉を交わすけれど、上手く聞き取れない。耳が聞こえなくなったみたいな感覚に恐怖を抱いた頃、ふとロキの声が明確に鼓膜に届いた。


「──朗報じゃないか。というか、報告ってそれだけじゃないよね?でないと、そんなんで焦る理由が無いし」


 さっきの捨て犬みたいな様子はどこへやら。いつもの飄々とした笑みを貼り付けて、ロキが軽快に歩み寄ってきた。
 血も涙もない今の言葉をぱちくり瞬いて反芻する。ロキの言葉を聞いて数秒躊躇うような様子を見せたミケが、アンドレアの顔色を窺うように小さく呟いた。


「そ、その……ディアナ様が亡くなった件を名目に、公爵がベルナルディ家に書簡を送ってこられまして……」

「内容は?」


 公爵?と数秒考え込み、母のお家のことかと納得する。
 そういえば母は由緒正しい公爵家のご令嬢なんだった。だとすれば、ミケの報告には特に驚く点はない。娘が亡くなったのだから、嫁入り先の家に書簡を送るのは当然のことだろう。
 ……なんて、母の訃報にいまいち実感が湧かないまま呆然とするが、ミケがとんでもない内容を語ったことでハッと我に返った。


「娘を殺した犯人として、当主を罰するよう訴えると……それから、孫であるルカ坊ちゃんは公爵家で引き取るとのことです……」

「……何だと?」


 アンドレアの地を這うような低い声が耳元で聞こえて体が震える。その横で、流石の俺でもミケの言葉を何となく理解して硬直した。

 噛み砕いて考えるに、たぶん書簡の内容は『父が公爵に殺人犯として訴えられた』ということと『孫である俺をベルナルディ家の戸籍から外し、公爵家の人間として引き取る』という内容の認識で良いだろう。
 ……いやいやいいだろうって、全然よくないぞ!


「お、おれ、おにいさまの弟じゃなくなるのか……?」


 もっと他に追及すべきところがあるだろう!と自分でも思ったけれど、自分でも驚くくらい、今気になることはそれだけだった。
 顔も見たことのない人に引き取られて、大好きな家族から引き離されるのか?俺にとって一番大切なのは家族なのに、みんなに会えなくなっちゃうのか……?

 涙目になりながら震える俺を見下ろし、アンドレアが苦しそうに顔を歪めた。


「っ……そんなこと、俺が許す筈ないだろう。ルカは俺だけの弟だ、横から掻っ攫われるなど冗談じゃない」


 ぎゅうっと抱き締められ、俺もアンドレアに縋りつくみたいに強く抱きつく。
 最初のころはあんなに怖がっていたのに、今ではもう離れることの方が怖くなってしまった。主人公からではなく、大切な兄から引き離されるのがとても怖い。


「うーん、どうやら敵が動き出したみたいだね。まさか初っ端から身内を処理するなんて思わなかったけど……いや、目的は処理自体じゃなくルカちゃんかな」


 ロキの視線がチラリと向けられる。その言葉に困惑顔をする俺を撫でながら、ロキがアンドレアの肩をポンと叩いて微笑んだ。


「さぁアンドレア、愚図愚図してないでさっさと行くよ。君の父上はもう訴えられて手遅れみたいだし、ルカちゃんを奪われることだけは阻止しないと」

「……くそッ……分かっている」


 珍しく焦燥を全面に滲ませるアンドレアと、それを宥めるいつも通り穏やかなロキ。
 二人の対照的な様子に少しだけ冷静さを取り戻しながらも、ドクドクと大きく音を立てる鼓動は一向に落ち着かない。

 嵐は突然にやってくるのだと、事態が動き出してからようやく理解する。これが俺の生きるマフィアの世界なのだと再認識して、初期の頃のような恐怖がまた蘇ってきた。
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