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三章
89.執着の正体(ロキ視点)
しおりを挟むヴァレンティノ家は代々、獣人の血を継ぐファミリーだった。
ファミリーを創り上げた初代当主が狼獣人であったことが始まりだ。その時代はまだ獣人の奴隷化が一般的ではなく、むしろ人と獣とが友好的な関係を築いていた。
しかし、時代は移ろう。やがて代を追うごとに、国は獣人差別を高らかに謳うようになった。
そしていつしか、ヴァレンティノ家はファミリー創設の歴史を隠し始めた。
今や裏社会のトップとまで呼ばれる二大ファミリーのうち一つ。その地位に立つヴァレンティノ家が下賤な獣人の血を引いているなど、あってはならないことだったのだ。
幸いなことに、代々引き継がれる獣人の血は子孫を経るごとに薄れていった。
当代である父リカルドも同様に、獣人の特徴を継ぐことはなかった。強いて言えば、明らかに人の能力では辿り着けない秀でた動体視力を得た程度だろうか。
祖父や曾祖父の代では、まだ桁外れな嗅覚や身体能力といった獣人特有の能力が継がれていた。
けれど、これだけの子々孫々を経れば、もはや獣人の血が完全に薄れ絶えていないことの方が不思議だった。
そして、そんな中産まれたのが次代の当主であるロキ・ヴァレンティノ。
ロキ・ヴァレンティノはあろうことか、獣人の血を色濃く継いでしまった。
生まれ落ちた時既に、その姿は獣化の一歩手前のような状態だった。狼の白い耳と尻尾、赤ん坊ながらに鋭く生えた牙……それはもう、全ての人間が俺の誕生を嘆いた。
初めは母だった。母とはいえ、後継者を産む為だけに父上が用意した孕み袋でしかなかったのだが。
母である女は、獣人の姿で産まれた我が子を見るなり狂乱した。ナイフを持ち出し、すぐに我が子に刃先を振り上げたという。
しかし、その切っ先が俺の喉元に届くことは終ぞ無かった。
狂乱を聞いて駆け付けた父上が、ようやく産まれた後継者を亡き者にしようとする母を、何の躊躇いもなく撃ち殺したからだ。
その時の銃声が、なぜか強く脳裏に残っている。
父上にとっても獣人の子など煩わしかっただろうに、あの変人はあろうことか俺を嫡男として認め、後継として大切に、だが厳しく育て上げた。
俺としてはそこで生を終えても良かったのだが、どうせ生かされたのなら終わりの日まで適当に生きていよう。そう思い、父上の命令の赴くままに日々を過ごした。
父が命じた教育を熟し、父が命じた人間を殺し、父が命じたファミリーを潰した。
そうして俺は、この赤い瞳のデメリットを挽回するかのように強者へと這い上がった。
だが、どう足掻いても永遠に外野の視線はついてまわる。どれだけの成果を挙げたところで、“常識”というものが消え失せることはないのだ。
『アレが例の赤い瞳の忌み子か、悍ましい……』
『当代も一体何を考えているのか……赤い瞳の後継者など自我が育つ前に殺してしまえば良いものを……』
何処に行っても、纏わり付く。
常識が変わることはない。俺が忌み子である事実は変わらない。覆らない。
獣人で、赤い瞳で、狼で。全ての忌まわしい常識を掛け合わせたような俺は、一体どうして産まれてきてしまったのか。
こんな悍ましい人間を受け入れてくれる者など、きっと生涯現れないだろう。
──そう、思っていた。
***
相変わらずマフィアの子とは思えない、情けない泣き顔を晒す小さな子供。
正直、獣人を側近にした変わり者だと聞いた時から気になってはいたけれど……。
「……うん。ごめんね、ちゃんと聞くよ」
獣化が解ける。この子の好きそうな毛並みが消えて、人間の肉体が現れる。
案の定少し寂しそうな顔をしたルカを見て頬が緩んだ。本当に、この子は獣人を前にして一切の偏見を抱かないのか。
可愛い目を真っ赤に腫らしたルカを抱き上げて、怖がらせないよう細心の注意を払いながら膝にのせて抱き締める。小さな身体は、特に抵抗することなくすっぽりと収まった。
俺を慰めてくれているのだろうか。控えめに腕をぽんぽんと撫でてくるちっちゃな手が愛らしい。
「ルカちゃん、ありがとう。ルカちゃんの言葉、実は少し忘れていたんだ」
「ぐすっ……やっぱそうだったか、むぅ……。だめだぞ……ちゃんと聞かなきゃ」
ぴとっと抱き着く小さな身体を抱き締め返す。
思い返すのは、ルカが俺に語ってくれた優しいセリフの数々だ。
赤は忌み子じゃなく、ヒーローの色。
ルカは、俺のことが大好き。
狼は守り神。とてもかっこいい動物。
俺が聞いていたのは、常識の合わない嫌な奴らの言葉だけ。
俺には、耳にする言葉を選ぶ権利があった。それなのに、勝手に塞ぎ込んで捻くれて、嫌な声だけを聞こうとしたのは俺自身だったのだ。
この国は、赤い瞳と狼を忌み嫌う者が多数派だ。けれど多数派ということは、少数派もたしかに存在するということ。それこそ、目の前にいるルカのように。
「ごめんな、ロキ、ごめんな……この前は、やなこと言った……ロキはがんばって、にこにこしてたんだよな……それなのに、薄っぺらいとかいって、ごめっ……!」
ぽろぽろと大粒の涙を溢れさせて、舌足らずに何とか言葉を紡ごうとする姿が愛おしい。
本当に心の清らかな子だ。その件に関しては……というより、全てが俺の自業自得なのに。きっとこの子は全ての責任が相手にあるだなんて、考えたことすらないのだろう。
「ううん、ルカちゃんはなんにも悪くない。寧ろ……薄っぺらだって、はっきり言ってくれて少し目が覚めたよ。ありがとう」
ふにゅ、と柔らかな頬を包み込む。大きな瞳をくりくりと瞬く表情が可愛くて、すっぽりと抱え込める小柄な身体が可愛くて……って。
……あぁどうしよう。沼にハマる時って、こうも突然で、あっという間のことなのか。
「俺は、薄っぺらの笑顔をやめることは出来ないけど……でも、ルカちゃんにはもうバレてるみたいだし、その、これからは……」
柄にもなく頬が火照る。これは演技や仮面の類じゃなく、素の変化だからこそ照れくさい。
「君の前では、本当の言葉と表情で、話せたらいいな」
出来ることなら、君の言葉だけを聞いていたい。
温かくて、優しくて、包み込むような癒しを感じる。そんな君の声だけを。
……なんて。もしかすると、以前から抱いていたこの執着は、案外一時の愉悦で終わらないものなのかもしれない。
この執着の名前は、もしかして──
「うむっ!これからは、なかよしだなっ!」
俺の仄暗い激情の自覚なんて知る由もなく、ルカは屈託ない笑顔を浮かべた。
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