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二章
55.うまれてこなければ
しおりを挟む「……随分、仲が良いのだな」
ガチャッと扉を開けて入ってきた父とアンドレアは、俺を視認するなり無表情をぱあぁっと輝かせて、かと思うと側近二人を見て失礼なくらい顔を歪めた。
父が低く呟いた言葉にアンドレアがこくこくっと頷く。表情も反応も瓜二つで、まさに親子って感じだ。改めて思うけれど、俺はどっちにも似ていないなぁ……。
そういえば貴族は本来獣人やスラム街の孤児を汚らわしく思うものらしいから、二人ともガウとジャックのことが気に入らないのかも。
……変なの。ガウとジャックはこんなに素敵な家族なのに。
「ガウ、ジャック。外でまっててくれ」
俺をむぎゅーしながら父とアンドレアをジーッと睨んでいた二人に、小声で指示をする。
父たちがというよりは、どうやら互いに相手のことを嫌っているみたいだ。あの温厚なガウでさえ、最近は父やアンドレアを前にすると雰囲気が重くなるし。
俺の指示を聞いて一瞬ムッとした二人だったけれど、数秒間を空けた後に素直に立ち上がって部屋を出て行った。横切る途中、父とアンドレアに殺意の籠った睨みをお見舞いすることをご丁寧に忘れることなく。
父とアンドレアも負けじと鋭く睨み返していたから、僕はあわわっと慌てて二人の気を逸らすことにした。大切な家族達を不敬罪で処刑されでもしたらたまったものじゃない。
「ふたりは、家族なので……とっても大切だから、とっても、仲がいいです」
遠回しに『俺に免じて二人を許してくれぇ』と伝え、へにゃりと情けない笑みを浮かべる。
いや、俺は別に強者でも賢い策士でも何でもないから、二人が俺に免じることは何もないのだけれど。それでも、“あの時”ほんの少しだけ垣間見えた良心と、血の繋がった俺への情のようなものを信じてみたくなったから。
『“私の息子”に何をしようとしたのかと、聞いている』
あの時の父の表情には情が見えた。都合の良い思い違いでなければ、母への怒りと俺への心配のようなものも籠っていたような……。
とにかく、少なくとも父に俺への情があることはほぼ確実。これならザマァエンドは結果的に避けられなくても、本来俺と共に打ち首にされるはずの側近達……ガウとジャックを見逃すことくらいは認めてくれるかもしれない。
「おれのこと、すごく大切にしてくれてる……だから、優しいお父さまとお兄さまのこと、ちょっとだけ勘違いしちゃったみたい、です」
へら、と愛想笑いを浮かべて言うと、父はまんまとその媚売りに引っ掛かって微かに頬を染めた。出会った頃から何となく思っていたけれど、父は厳格に見えて意外とチョロい人だ。
けれど……アンドレアの反応が少し薄い。無表情のままだし、俺の真意を見透かすみたいな真っ直ぐな視線が居心地悪い。
「さ、さぁっ!立ったままだとアレのソレなのでっ……どうぞ!お父さま、お兄さま」
アンドレアの視線から逃れるように立ち上がって、向かいのソファをにこにこっと指さす。
二人は素直にとことこやって来てソファに腰掛け、俺をじーっと見つめ始めた。
状況から考える限り、たぶん話の内容は母や別館に関係することだろうけれど……。
まさか初っ端から『死刑だ!ザマァエンドだ!』とか言われないよな?流石に世間話を挟むくらいの優しさはあるよな?な?
なんて、アホっぽく内心怯えてもみたが、実際は自分でも驚くほど心は凪いでいる。
流石にガウやジャック、別館付きの構成員たちまで連帯で処刑するなんて言われたら動揺するけれど……俺だけで見逃してくれるっていうなら、それほどありがたいことはない。
どうか、この二人に少しでも家族の情があればいい。そう思いながら静かに視線を向けると、ちょうど向かいに座っていたアンドレアとばっちり目が合った。
「……」
「あっ……えぇっと……」
俺の本心とか全部、必死に見透かそうとするみたいな強い眼差しにたじろぐ。
膝の上で指を絡めて擦り合わせて、さり気なく俯いた後にそわそわと身体を揺らすと、やがてコホンッとわざとらしい咳払いが聞こえて慌てて顔を上げた。
今度はアンドレアの方を見ないように。ぱっと上げた視線を父に向けると、そこにはただでさえ怖い仏頂面よりの無表情を、更に緊張か何かでムムッと歪めた顰め顔があった。
「……お前の、母についてだが」
「はっ、はい」
言いにくそうに口をむぐむぐと噤むのを繰り返しながら、父は小さく呟いた。
母、という言葉に背筋が伸びる。母の処遇を決めたのだろうか。確かに一応公爵家の令嬢だった母を、いつまでも牢に閉じ込めておくなんてことは出来ないだろうし……。
追放か何か、更に明確な処分を決めたのかな?きょとんと首を傾げて考えていると、やがて父は俺の顔色を窺うように緊張した様子で言葉を続けた。
「……こうも立て続けに事件を起こされては、私としても心労が絶えない。お前の母とは離縁しようと、思うのだが……」
珍しい、なんて。母のこととかそんなことより、初めに思ったのはそれだった。
あの堅物でちょっとズレている父が、僕の……子供のために頑張って言葉を選んでいる。それを容易に理解して驚いた。
父のことだから、この手の話をする時も『正当な口実が出来たので離縁する』とか真っ直ぐ本音で言うかと思っていたけれど。
呆然とする俺を見て何を思ったのか、父はハッと目を見開いて気まずそうに俯き、しょんぼりと肩を落としてか細く語った。
「すまない……お前のような幼子から母を奪うなど、鬼畜の所業だと育児本で読んだのだが……あの女がお前を傷付ける可能性の方が勝ることから、私は──」
なんか色々言葉を選んで説明してくれているけれど、正直“育児本”で全部持ってかれちゃった気分だぞ。
この人、育児本とか読むんだ。そういえばアンドレアのことはとっても愛しているみたいだし、それが理由かな。ただでさえアンドレアは、幼くして母を失ったのだから。
無関心に見えて実は親バカなこの人のことだし、アンドレアのために必死に育児本を読んでいてもおかしくない。
うむうむ、子供を想う姿勢はすばらしい。なんてふむっと頷いていると、ふいに父の声が聞こえてハッとした。まずい、ぼーっとしてしまっていた。
「──どうだろうか。お前が望むのなら、あの女の処分を暫し保留しようかとも思っているのだが」
ぱちくり。途中なんにも聞いていなかったけれど、この言葉だけでも驚きを抱くには十分だった。まるで俺を想って必死に考えているみたいな、この言葉だけで。
「ぼ、ぼくは……」
父の瞳が思っていたより優しい色をしていたから、珍しく萎縮せずに声を発することが出来た。
もういいや。母の処分が決定したこの際、俺のザマァエンドだって確定したも同然だし……思っていること、ちゃんと言おう。
「ぼくは、お母さまが怖い、です。あんまり、会いたくないって、思ってます」
ぽつりぽつり。俯きがちにそう言うと、父が息を呑んだような気配がして身体を強張らせた。
でも、必死にお腹に力を入れる。怖くない、怖くないって胸の内で呟きながら。もうこの際なのだから、きちんと本音で話すんだ。
「お母さまは、お兄さまを、傷つけた。湖に落とそうとするなんて、ひどい。それに、お父さまのことも、傷つけた……お父さまは、ぼくのせいで」
視界が潤む。自分が何を言っているのか、正直自分でも分かっていない。
別に父とアンドレアを傷付けられたから母を嫌っているとか、そういうわけじゃない。二人のことはあんまり気にしていない。大事なのは……。
潤んでぼやけた視界の中、父とアンドレアが呆然と目を見開いているのが見えた。
どうしよう。これ、俺がまるで二人のために泣いているみたいに見られちゃわないか?まぁ、今更どう思われようが別にいいか。
ぐすっと嗚咽を漏らしながら、俺は必死に続きを語った。
「お母さま、ほんとは元に戻れたかも。お父さまも、お兄さまも、おれと、お母さまがいなかったら、二人でなかよく、暮らせてたかも……っ」
鼻もほっぺも真っ赤になっているに違いない。
目頭にぐっと力を籠めて涙を堪える。けれど結局涙腺は決壊して、ぼろぼろと大粒の涙が絶えず溢れて。
くしゃくしゃの顔を晒したまま、俺は最後の言葉をぶちまけた。
「おれなんか、産まれてこなきゃよかったんだぁ……!」
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