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一章

26.親バカ主とのほほん坊ちゃま(リノ視点)

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『明日本館に伺います』という手紙が返ってきた日の翌日……つまり、ルカ坊ちゃまが本館へいらっしゃる当日の朝。

 普段ならばとうに執務机について作業を始めているはずの我が主は、鏡に向き合い髪を整えたり“礼の品”を確認したりと何やら忙しないご様子。
 ちょこまかと室内を歩き回る姿が視界の端にチラチラと映り、正直少々ウザったいが……コホンッ、まさか主にそのような戯言を吐けるわけもない。


「主様。そう心配せずとも、ルカ坊ちゃまはもう直ぐいらっしゃいますよ」

「……そんなことは分かっている。心配などしていない」


 それはどうだか……と苦笑を隠しながら笑みを湛えて静かに待機すること数分。

 やがて、窓の外を見下ろしていた主がふいにピクッと肩を揺らして姿勢を正した。何事かと視線を追い納得する。どうやらついにルカ坊ちゃまがいらっしゃったようだ。
 てくてくっと愛らしく門を越える姿を見つめていると、ルカ坊ちゃまの後ろを微笑ましそうに頬を緩めて歩いていた側近の一人が、ふいに鋭い視線をこちらに向けた。


「おや、アレはまた……」


 ここから門へはかなりの距離があるはずだが、どうやらその側近はこちらから向けられる視線を目敏く察したらしい。
 流石は王国中を恐怖の渦に陥れた『切り裂きジャック』と言ったところか。しかしルカ坊ちゃまを見つめる愛おしげな瞳と、我々に向ける視線には見たところ随分な差があるようだが……あの男の二面性は未だ底が知れない。


「……切り裂きジャックか。そういえば、アレの監視はどうなっている?あの子に危害を加える様子は無いのか?」


 鋭い睨みを向けられたことで普段の調子を取り戻したのか、ふいに主が冷静な声音で問いを紡いだ。
 アレの監視というのは、ルカ坊ちゃまに害が無いかを確認するため、主が切り裂きジャックの監視を命じた件についてのことだ。

 主はその命令を『ベルナルディを害する者かどうかの確認』と言っていたが……傍から見ればどう考えても息子を心配する親バカの図だ。本人は無自覚のようだが。


「えぇ。今のところルカ坊ちゃまに危害を加える様子はありません。寧ろルカ坊ちゃまにはかなり執着しているようで……恐らく、完全に惚れ込んでいるかと」


 例の誕生日パーティーが行われた日から数日。
 部下に指示を出して切り裂きジャックを見張らせていたが、報告はどれも同じものだった。

 “切り裂きジャックはルカ坊ちゃまに心酔しており、万が一にも裏切る様子は無い”
 その報告については以前にも伝えたはずだが、どうやらこの親バカは側近である私の報告さえ信用ならないらしい。
 それほど心配ならばご自分の目で確認すれば良かろうに……などと側近の分際で考えたりもするが、口にすることはしない。己の心情なのだから、主にはご自身で自覚なさってもらわねば。


「心酔……当然だな。あの子はベルナルディの血を引く人間だ。切り裂きジャックとて、あの子の魅力に逆らうなど出来るはずもなかろう」


 自慢げなそのドヤ顔を鏡で見れば、少しはご自分の気持ちを自覚してくれそうなものだが……いや、この朴念仁がそう上手く本音を自覚出来るわけもないか。

 例の誕生日パーティーの日以来、身を挺して若様を救ったルカ坊ちゃまに完全に堕ちたらしい主は、飽きもせず毎日のようにルカ坊ちゃまの近況を問い質してくる。
 あの無口な若様が夕食の度にルカ坊ちゃまの愛らしい行動を自慢げに話すものだから、主はその姿を想像して勝手にルカ坊ちゃまに入れ込んでいるようだ。

 ……なんて憐れな我が主。散々ルカ坊ちゃまを冷遇してきたのだから、当然あちら側からは嫌われているはず。
 だがしかし、それも主の今までの選択。ご自身の判断なのだから、ご自身でしっかりとケジメをつけて頂かなければ。


「……えぇそうですね。それよりも我が主、どうか忙しなくちょこまかと動いていないで席に着いてください。ルカ坊ちゃまに情けない姿を晒すおつもりですか」


 愛する息子に会える高揚感からか、それとも緊張からか……先程からウザったく動き回る主に半ばうんざりした声音を紡ぐ。

 普段ならば『側近如きが苦言を呈すとは何事か』と重い拳を私に放っているところだが、主は相当緊張しているのか眉を顰めることなくそそくさとソファに腰掛けた。


「……あの女の監視を厳重にしておけ」


 扉をチラチラと確認していた主がふいにぽつりと零した命令。それに思わず目を丸くする。
 突然どうしたのか、と首を傾げたがすぐに理解した。なるほど、ルカ坊ちゃまが本館にいらっしゃるからか。

 ベルナルディ家の宝と言える後継者の若様と、次男のルカ坊ちゃま。お二人を同時に危険に晒したあの女は、例の日以降主によって本館の隅に幽閉された。
 実母があれだけ醜い人間だなどと、そのような不快な現状をルカ坊ちゃまに悟られたくないのだろう。主の御心を理解して微かに頬を緩めた。


「……御意」


 ベルナルディ家に情など無い。親子間であれど、そこにあるのは徹底した上下関係と厳しい教育のみ。
 だがしかし、その通例に則っていると錯覚しているらしい我が主は、傍から見るとただの“父親”としか思えない。
 当人はその事実を自覚していないようだが。

 不器用な主に眉尻を下げて微笑みを浮かべた直後、ふいに複数の気配が部屋に近付いてきたことに気付き背筋を伸ばした。
 ついにお待ちかねの客人が到着したらしい。出迎えをすべく扉に近付くと、何やら小声で騒ぐ数人の声が聞こえてきた。


「──むっ、俺がノックするのか?ま、まて、心の準備が……」

「──大丈夫だよご主人様ぁ。ほら、ひっひっふー!言ってごらん?」

「──いい加減にしろ変態、それは陣痛を和らげる呼吸法だ」


 おやおや、と苦笑を浮かべて振り返る。案の定、幼稚な作戦会議を耳にしたらしい主は呆れた様子で眉間を押さえていた。なんにせよ緊張が解れたようで何よりだ。

 あと数分は続きそうな作戦会議を待つ時間も無いので、容赦なくガチャリと扉を開けて顔を覗かせる。
 突然開いた扉に驚いたのか、部屋の前に立っていたルカ坊ちゃまはピンッと毛を逆立てた猫のように硬直していた。小動物に似ていて愛らしい。


「お待ちしておりました。当主がお待ちです、どうぞ中へ」


 なるべく怖がらせないよう満面の笑みで声を掛ける。
 これがどうやら正解だったようで、ルカ坊ちゃまは安心したようにほっと息を吐いて、微塵も警戒する様子もなくとことこと部屋へお入りになった。

 ……警戒心が全く感じられなくて逆に不安になる。無防備すぎて心配だ……。
 なんて思ったが、その無防備な姿こそが輩を虜にする魅力なのだとすぐに悟る。主のもとまで進んだルカ坊ちゃまが、カクカクとした動きで挨拶をした瞬間に私は全てを理解した。



「──しっ、失礼しましゅっ!りゅかでしゅっ!」



 お遊戯会かな?と錯覚するほどの稚拙な挨拶。深く頭を下げすぎて勢いのままにコロンッと前転した小さな身体。

 ぽすっとダンゴムシのように倒れ込み、自分でも何が起こったか分からない様子できょとんとするルカ坊ちゃまの表情。

 それを見てグハッと呻き、鼻血を吹き出す我が主。



 あぁ……もう何から何まで全てがグダグダだ。
 ここは呆れるところだというのに、私としたことが、思わずふにゃあっと頬を緩めてしまった。

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