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17.暴走
しおりを挟むわーい!と笑顔でとたとた駆け寄ろうとしたけれど、マキちゃんによる強めの抱っこから抜け出せず感動の再会は叶わなかった。
離すのよ?と身体に巻き付く腕をぺちぺち叩いてみても、ねぇねぇと話しかけても、なぜかマキちゃんは僕を離そうとしない。
その状態がしばらく続き、やがてようやく緊張感が張り詰めた部屋の空気を察する。
とりあえずむぐっとお口チャックして、大人しく様子を窺うことにした。
「……“傭兵王”が騎士団基地に何の用だ?いくら名のある英雄だろうと、国の盾である騎士団への奇襲は反逆と見做すぞ」
マキちゃんが僕を抱っこしたまま、鞘から器用に剣を引っこ抜く。
その剣先がお兄さんに向けられるのを見てサーッと青褪めた。な、なにごと?どうしてお兄さんが悪者みたいに剣を向けられているのかしら……。
慌ててマキちゃんを止めようとしたけれど、それよりも先に、派手に登場しながらも無言を貫いていたお兄さんが動き出した。
重低音で響く足音や、俯いているせいで影が掛かり、よく見えない表情。どれもこれもが、何とも言えない嫌な予感をじわじわと抱かせる。
赤い毛並みが髪だけじゃなく、顔や腕にまで生えかかっている。僕がそのことに気が付くと同時に、お兄さんの口元がゆるく上がるのが見えた。
「──反逆?先に人様の番を奪っておいてよく言ったモンだ」
僕を抱っこするマキちゃんの腕がピクッと揺れる。
前に立つルンちゃんも、お兄さんのセリフを聞いて突然勢いよく振り返った。顔色は蒼白していて、なぜか驚いたように僕を見つめている。
「番だと……?馬鹿を言うな。ヒナタの身体には一つも印が見られなかった。貴様とヒナタが番なわけが無い」
つがい、しるし。よくわからない言葉ばっかりねぇ。
うぅん……でも、“つがい”というのは何となく聞いたことがあるような気がする。気がするだけで、ぽややんとした記憶の中からその情報を探り当てることは出来ないけれど。
とりあえず、僕が話に割り込むことは不可能みたいだ。というわけなので、大人しく息を潜めて展開を見守ることに。
今はマキちゃんとお兄さんが何やら真剣なお話をしているようだから、むにゃむにゃ眠っていないでしっかり聞いていないと。
「ヒナタを独占しようとする狡猾な騎士共に糾弾される筋合いは無い。初めにヒナタを見つけたのは俺だ。ヒナタは俺のモノだ!」
言葉を連ねる度、お兄さんの様子が何だかおかしくなっていく。
口に牙が生え、瞳孔が鋭く細められ、赤い毛並みが逆立ち……まるでお月さまを見たオオカミさんみたいに、お兄さんの姿が段々と動物の虎に近付いていった。
ギリギリ人間と動物の狭間にいるみたいな、そんなお兄さんの姿を見て息を呑む。
普通の姿よりも一回りほど大きくなったお兄さんが、本当の動物みたいに「グルルルル!」と咆哮を上げた。
「マズい、“暴走”だ……!団長、ヒナタくんを連れて逃げてください!!」
強い風が辺りを吹き荒れる。なにごと、とびっくりして固まると、ふいにルンちゃんが振り返ってそう叫んだ。
叫ぶような指示を受け、マキちゃんが僕を抱っこしたまま部屋に背を向ける。お兄さんがやってきた時の衝撃で砕け散ったらしい窓の方へ、突風を受けながらも何とか進んでいった。
「まきちゃっ……まきちゃ、だいじょぶ……?」
吹き飛ばされないよう、マキちゃんにしっかりと抱き着きながら問う。
けれどマキちゃんの声が返ってくるよりも先に、何やら突然マキちゃんではない誰かの大きな手によって、抱っこからすぽっと引っこ抜かれてしまった。
「なッ、ヒナタ!」
あまりに急で、そして一瞬の出来事。
今なにが起こったのかしら、と困惑してしまい、背後から聞こえたマキちゃんの声と今の状況を理解したのは、数秒経ってからだった。
「む……?むぅっ!?」
あれあれ、どうしてマキちゃんが遠くにいるんだろうねぇ。
ついさっきまでマキちゃんにぎゅっとされていたはずなのに。なぜかマキちゃんもルンちゃんも少し離れたところに立っていて、二人ともサーッと青褪めている。
けれど、誰かに抱っこされているのは確かだ。そろーりと恐る恐る顔を上げ、抱っこする人の正体を知った瞬間、僕はぎょっと目を見開いた。
「お兄さん!」
鮮やかな赤髪、もふもふの丸い耳。野性味のあるちょっぴり強面な美形のお兄さん。
なぁんだ、むぎゅーの正体はお兄さんだったのね。それを知って安心した僕は、ほっと息を吐いてお兄さんをぎゅっと抱き締め返した。
「お兄さん、おひさしぶりねぇ。むん?なんだか、昨日よりもふもふになった気がするねぇ」
ぎゅっと抱き着いて気が付いた。
やっぱり、お兄さんの身体が昨日とは違っている。まず体格の大きさが段違いだし、加えてもふもふの毛並みがいっぱい増えた。
顔にも生えかかった赤い毛並みを見て、ぱちくり瞬きながらそーっと手を伸ばす。もふ、ふぁさーっとした柔らかい毛に触れ、僕はふにゃりと頬を緩めた。
「お兄さん、もふもふねぇ。もふもふ、もふもふ。かわいいねぇ。もふもふねぇ」
抱っこされながらむんっと背伸びをして、お兄さんの顔にすりすりと頬擦りする。
ほっぺに赤毛が生えているから、頬擦りするとふぁさふぁさしてとっても気持ちいい。
「──…………」
「……お兄さん?」
ふと、一向に声を発さないお兄さんの異変に気が付き首を傾げる。
そういえばお兄さんたら、さっきから僕の言葉にぜんぜん反応してくれない。昨日はあんなにやさしくお話してくれたのに。
「おにいさん……?どしたの?どっか、いたいいたいなの……?」
そっと手を伸ばす。頭を撫でてあげようと伸ばしたその手は、寸前でお兄さんに掴み取られてしまった。
「ヒナタ」
低く這うような重い声。
ぼんやりヒナタと罵られる僕でも察するような、真っ黒いオーラがお兄さんを包む。
「俺から逃げたくせに、今更媚売って……許しでも乞っているつもりか?」
へにゃりと眉尻を下げる。どうしよう、僕がポンコツなせいでお兄さんの言葉がまったく理解できない。
媚を売るとか、許しを乞うとか、お兄さんは一体何の話をしているんだろう。
困り顔を浮かべる僕を見下ろし、お兄さんが小さく嘲笑する。
太陽みたいに輝いていたはずの瞳が薄暗く濁っていることに、至近距離で顔を見合わせて初めて気が付いた。
「今度は逃げられないように、しっかり閉じ込めてやらねぇと」
「どういう……──っ!」
どゆこと?と問う直前、突然首の後ろにピリッとした痛みを感じた。
その痛みを感じてすぐに、頭が朦朧として身体がふらふら揺れる。不安定な動きをする僕をしっかり抱き締めたお兄さんが、僕の耳元で低く「眠れ」と囁いた。
それを最後に、まるで電源が切れるみたいに意識がぷつっと途切れた。
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