263 / 400
【聖者の薔薇園-開幕】
258.影
しおりを挟む「……なんだ、自分で来たんだね」
ドーム型の広い空間。その最奥にある祭壇に緩く腰掛ける神秘的な男性。
仄暗い瞳に見据えられてびくっと肩を揺らす。ぎこちない足取りで中央まで進むと、彼は祭壇から下りてステンドグラスから射す光を背に立ち上がった。
聖者アベルは何処にもいない。愛らしい少年の姿はそこにはなく、いるのはただ息を吞むほど美しい、文字通りの神々しさを纏った青年だけだ。
彼が一段上の場所に立っているからか、必然的に見下ろされるような構図になって少し狼狽える。圧倒的な空気に気圧されそうになったけれど、不安を何とか堪えて対峙した。
「ぼ…僕が、君に会いたくて来たの。誰かに言われたわけじゃない」
聖騎士も神官もここにはいない。僕が一人でこの場に現れたのが何よりの証拠だ。
そう言うと、マーテルは微かに目を細めた。反論してこないのを見るに、どうやら僕の言い分自体は信じてくれたみたいだ。
意思を証明することは成功した。少なくとも直ぐに何かを仕掛けることはないだろう。僕には対話の意思がある、それを示すことが出来たから。
「……それで?どんな説得を聞かせてくれるの?」
さっきの縋るような声じゃない。突き放すような冷たい声に瞳を揺らした。
マーテルの元に来るまでに色々な想いを確かめて覚悟を決めた僕と同じ。一人で頭を冷やしたマーテルも自分の中で何かしらに決着をつけたのだろうか。
彼の瞳にはもう迷いがない。あるのは恐らく今の僕と同じ、全てを決断した上での覚悟だけだ。
マーテルは何か、大きな事を企んでいる。その瞳を見て確信した。
きっと最期だからだ。お互いにもう輪廻はない。神様の寿命がどれほどなのか、そもそも神に寿命なんて存在するのか。分からないけれど、マーテルという存在が消えかけているのは確かだ。魂が繋がっているからこそ分かる。
最後だから足掻いている僕と何も変わらない。マーテルも同じ。最後だから、最後なりに何かを残そうとしている。今までとは比べ物にならない本当の力を使って。
「説得はしないよ。君のことが聞きたくて来ただけ。それがだめなことなら、止めるの」
説得はしない。聞いて、受け止めて、だめだと思ったら止める。ただそれだけ。
何を言ったって意味が無いのは自分がそうだから理解している。覚悟を持ってしまえば誰だって止まることは出来ない。他人からの説得なんて何も響かない。
マーテルは僕の言葉を聞いて眉を顰め、嘲笑するように口角を歪めた。
「相変わらず献身的だね。そんなに自己犠牲が好き?それとも…主人公にでもなったつもりかな」
献身的、自己犠牲、主人公…どれも本来の聖者アベルに相応しい言葉だ。
自嘲気味な声音が気になって首を傾げる。答えを待つマーテルに小さく呟いた。
「主人公なんていないよ」
静かな空間に響く声。マーテルが僅かに目を見開いたのが分かった。
主人公なんていない。主人公も悪役も、現実にはそんなもの存在しないのだ。誰か一人、世界にとって特別な存在を作ろうとするのは違う。
ここはゲームの世界じゃない。ただの現実だ。役者なんてどこにもいない。
「それに、自己犠牲でもない。みんなが望んでいないことは、自己犠牲じゃなくてただの我儘だよ」
みんなが望んでいない『みんなの為』は、自己犠牲なんて高尚なものじゃない。
僕がしようとしていることは全て自己満足の我儘。大切な人を守りたいなんて言いながら、そんな大切な人たちを傷付けることを良しとしている。そうしてでも守りたいと思うのは、もう自己犠牲の域を超えている。
それでも覚悟は既に固まってしまっている。僕は今のみんなの幸せを捨てて、未来のみんなの幸せを選んだのだ。
たくさんの大切な人達に、僕も大切にされているのだと。それは痛いほど理解している。全てが終わったらみんなを悲しませてしまうだろうということも。
それでも、僕はみんなの未来を選んだ。物語が終わっても、この世界が続いていくことを願って。
「はっ…本当に変わらないね。馬鹿なところなんてずっと変わらない」
「……」
「結局無欲のくせに…何が我儘だ。それを自己犠牲って言うんだろうが…」
マーテルが苛立ったように壇を下りる。祭壇を背に佇むマーテルの姿は、僕と同じで指先から透明に消えかかっていた。
気配が確かに弱まっている。いくら長い眠りで力を蓄えたといっても、やっぱり寿命には逆らえないらしい。
マーテルは徐に手を翳し、神々しいまでの光を小さく生み出した。それを天井に掲げると、光は細い糸のようになって空へ伸びていく。
硝子の天井越しに見える、天高く伸びる光の糸。聖者が覚醒した時の現象とは真逆の動きが起きたような、そんな光だ。
「何をしたの…?」と小さく問う僕にマーテルが微笑む。迷いの色が一切無い瞳にぞっとした。
「今頃あの光は蜘蛛の巣のように広がり始めている。君が消滅する頃には光が帝国全体を覆って、完全な魅了が完成するんだ」
完全な魅了…?途端に最悪の事実を理解して蒼白する。
今まで聖者が刻んで回っていた魅了の呪いは不完全なものだったのか。だから解呪の方法が都合よく簡単だったのだ。マーテルが…神が本気になれば人間なんてどうとでも出来るということ、痛いほど理解していたはずなのに。
「その様子だと、対処法は何も考えていないみたいだね。今度こそ帝国中の人間が僕の人形になるわけだ」
「っ…どうして…!?君が欲しいのは僕だって…っ」
「だからその為に今動いてるんでしょ?君の関心を全部僕に向けないと気が済まないの。僕以外を想って死ぬなんて、そんな楽な死は認めてあげない」
瞬きをした一瞬でマーテルが真正面に現れ硬直する。
両頬を冷たい手で包み込まれて表情に怯みが滲んだ。白にも金にも青にも見えた瞳の本当の色を知る。至近距離で見て初めて、瞳が淡い虹色に輝いているのだと気が付いた。
虹色の瞳に映る嫌悪と憎悪が滲んだ僕の瞳。その色に自分でも驚いて息を呑むと、マーテルの瞳と口角がゆったりと弧を描いた。
「愛じゃなくていい。僕だけ見て死んで」
その瞬間感じる奇妙な感覚。体全体を引っ張られるようなその感覚が不思議で見下ろし目を見開いた。
消えかけていた指の先から光の粉みたいに散り散りになって、マーテルの心臓辺りに吸い込まれていく。まるであるべき場所に戻っていくみたいに。
慌てて手を引っ込めたけれど、急速に指先から変化する光の勢いは止まらない。
マーテルが愉悦に塗れた笑みを浮かべて、頬を赤く染めた。
「僕達は一つになる。これで君は永遠に僕のものだ」
彼が手を伸ばす。その動きと足元の影が不自然に変形したのは殆ど同時だった。
「なっ…!!」
僕の足元から不意に見慣れた黒い触手が飛び出す。
鋭利な棘に変形したそれが、目を見開くマーテルの胸に突き刺さった瞬間。透明化がピタリと止まり、吸い込まれていた光の粉が戻ってきた。
162
お気に入りに追加
13,385
あなたにおすすめの小説
【完結】悪役令息の従者に転職しました
*
BL
洗脳され無理やり暗殺者にされ、無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。
依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。
皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ!
本編完結しました!
時々おまけのお話を更新しています。
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺
福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。
目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。
でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい…
……あれ…?
…やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ…
前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。
1万2000字前後です。
攻めのキャラがブレるし若干変態です。
無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形)
おまけ完結済み
期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています
ぽんちゃん
BL
病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。
謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。
五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。
剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。
加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。
そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。
次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。
一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。
妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。
我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。
こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。
同性婚が当たり前の世界。
女性も登場しますが、恋愛には発展しません。
性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします
*
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!?
しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です!
めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので!
本編完結しました!
時々おまけを更新しています。
宰相閣下の執愛は、平民の俺だけに向いている
飛鷹
BL
旧題:平民のはずの俺が、規格外の獣人に絡め取られて番になるまでの話
アホな貴族の両親から生まれた『俺』。色々あって、俺の身分は平民だけど、まぁそんな人生も悪くない。
無事に成長して、仕事に就くこともできたのに。
ここ最近、夢に魘されている。もう一ヶ月もの間、毎晩毎晩………。
朝起きたときには忘れてしまっている夢に疲弊している平民『レイ』と、彼を手に入れたくてウズウズしている獣人のお話。
連載の形にしていますが、攻め視点もUPするためなので、多分全2〜3話で完結予定です。
※6/20追記。
少しレイの過去と気持ちを追加したくて、『連載中』に戻しました。
今迄のお話で完結はしています。なので以降はレイの心情深堀の形となりますので、章を分けて表示します。
1話目はちょっと暗めですが………。
宜しかったらお付き合い下さいませ。
多分、10話前後で終わる予定。軽く読めるように、私としては1話ずつを短めにしております。
ストックが切れるまで、毎日更新予定です。
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。