262 / 400
【聖者の薔薇園-開幕】
257.君だけ
しおりを挟む聖者の気配がする場所は神殿の最上階。そしてその中心部。
神に最も近い場所と呼ばれる場所だ。神に最も近い存在だったり属性だったり、神殿は人を超えた者という立場に至上の価値を生み出すのが好きらしい。
その場所は聖域とも呼ばれ、聖者が持つ聖力が最も効果を発揮しやすいところ。そうマーテルが設定したのだろう。
階段を駆け上がって長い廊下を抜ける。道中の神官や聖騎士は既に降伏した後だったから、堂々と動けて楽に来ることが出来た。
そうして見えた高い天井につくくらいの大きな扉の前。ようやく、僕とライネスはその場所に辿り着いた。
神と聖者しか入ることを許されない聖域。
そっと握っていた手から力を抜くと、それに気が付いたライネスが縋るような視線を向けて手を強く握り締める。繋ぐというよりは掴まれると言った方が正しいその力に、思わずふにゃりと微笑んで眉を下げた。
「ライネス」
「っ……フェリ…」
ライネスが崩れ落ちるように膝をつく。すかさずぎゅーっと抱き締められて、それを抵抗せず受け入れた。
啜り泣く声。静寂が流れる広い空間だからか、その声は鮮明に響いて胸を締め付ける。ぎゅうっと抱き締め返してうりうりすると、ライネスのぽかぽかを感じて心があったかくなった。
ライネスはお兄さんだから、僕みたいな子供を宥めるのは得意だったのかな。初めて会った時から、優しい声とぎゅーが心地良くて大好きだった。
兄様達やレオとは違って、いつも一歩引いたような距離が何処か寂しかった。本当の兄とは言えないし、レオのように大事な友達とも言えない微妙な距離。かと言って、シモンとの主従関係のように距離が保たれているわけでもないし特別何かが深いわけでもない。
それでも、そんな不思議な距離が心地よかった。これだけは確かだ。
いつかの祭りの夜を思い出す。あの日は聖者の覚醒で帝都中が祭りどころではなくなってしまったから、最後まで花火を見ることが出来なかった。
最後の余韻まで、ライネスと一緒に楽しみたかったのに。それだけが少し残念だ。
「ライネス、ここからは僕だけで行く。ライネスはみんなの所に戻って」
少し視線を伏せて言う。ライネスの悲しそうな表情を見ると胸がきゅっと締め付けられて、その一瞬の苦痛にすら耐えられなくなったから。
下ろした視線の先にあるのは自分の体。見える範囲で、既に手の指の先端は完全に見えなくなっていた。
手のひらはまだ薄ら見えていて、感覚もある。手を繋いでいる時にライネスも恐らく察しただろう。もう繋いだ感触は弱くなっているはずだ。さっきだって、ライネスの温もりがあまり感じられなかったから。
「……一緒に帰ろうね。全部終わったら、一緒に」
視界では見えない。頭上から聞こえてきた声に思わず喉奥と目頭が熱くなる。切実な声音に何も返せない、その事実が苦しかった。
「…みんなの所には、戻らない。ずっと待ってる」
背中に回っていた腕が解ける。ずっと待っているという言葉通り、ライネスはその場から動く様子を見せず膝をついたままだった。皆の元に戻る気配は感じられない。
本当に、全て終わるまでここで待つつもりらしい。こんな危険な場所にいて、本当はみんな神殿から逃げてもらいたいところなのに。ライネスが心配だったけれど、でも反論はしなかった。出来る状態ではなかった。
せめてこれだけはと、縋るような姿に何も言うことが出来なかった。
「伝えたいことがあるんだ。だから、絶対に戻ってきて」
「伝えたいこと…?」
もうほとんど感覚の無い両手を包み込まれる。首を傾げて問い返すけれど、ライネスはその伝えたいことというものを教えてはくれなかった。
ただ淡く微笑んで、僕の体温を確かめるみたいに手をぎゅっと包むだけ。透明化が進む指先はもう掴めないみたいで、透けた境界線の辺りが少し不思議な感覚だった。
「うん。前回からずっと、言えなかったこと」
前回。その言葉に含まれる意味を察する。前回ということは、ライネスも一度目のことを思い出したのだろうか。一体いつから…。
レオも夢で徐々に思い出したと言っていたし、他のみんなもそうなのかな。表に出さないだけで、徐々に思い出していたのかな。
シモンや僕みたいに突然全てを告げられ思い出し、理解させられるわけじゃない。確実に受け止められるだけの時間があるから、みんなこんなに冷静なのかも。
「だから、絶対戻ってきて」
「……」
あぁ、でもどうしよう。絶対という願いに答えられる言葉がない。
正直に言ってしまうなら、僕はもう覚悟を決めているのだ。その覚悟はマーテルを倒すという意味だけじゃなくて、自分ごと存在を消し去る覚悟。だから、ライネスの絶対には応えられない可能性が高い。
本当のことを言わないと。聞かれたことにはきちんと答えなければいけないから。
でも、でも…分かっていても、狡い答えが浮かんでしまう。包まれていた両手を引き抜いて逆にライネスの手を包み込み、ふにゃりと頬を緩めた。
「うん。約束ね」
指切りをしようとして気が付いた。
小指の感覚が既に無くなっている。透けた指を絡ませることはもう出来なかった。
* * *
──…あぁ…あの子が行ってしまう。
優美な神の姿が描かれた荘厳な扉。そこへ走り去る小さな後ろ姿を見て息を吐いた。
体は動かない。彼を引き留めることも、呼び止めることも出来ない。ただじっとその姿を見守って、覚悟を背負った後ろ姿を忘れないよう脳裏に焼き付けた。
嘘つき。そう言ったら繊細なあの子はきっと泣いてしまうだろう。
素直で正直者で、純粋なあの子が最後の最後に嘘を吐いた。あの子が嘘を吐くのは、人を想った時だけだ。自分のことなんて無頓着で、他人ばかり守ろうとするあの子の優しい嘘。
指切りは出来なかった。それがあの子の決意を確固たるものにしてしまった。約束をしてしまえば、優しいあの子は罪悪感を抱いて行動を躊躇する。けれど、約束は出来なかった。
だからあの子は…フェリはもう止まってくれないだろう。
「……フェリ」
やっぱり伝えればよかっただろうか。いや、きっと何も伝えないままでよかった。
これ以上フェリに重荷を背負わせるのも何か違う。それは無理やり業を背負わせた前世と同じ行為ではないのか。
胸の内に秘めた本心をフェリが知ることは…もしかしたら、ないかもしれない。寧ろその可能性の方が高いだろう。けれど思考は止められない。
まだ何かあるなら。あるとすれば。そんな足掻きがまだ頭の中にある。実際に引き留めることは出来なくても、本音は諦めを知らないらしい。
「…フェリアル」
あの子の名は心地良い響きを持っている。名を紡ぐだけで温もりが冷え切った心を溶かす。
もし、もしも本当にあの子が戻って来たなら。その時は伝えよう。今まで冗談半分で紡いできた言葉じゃない。確かに想いを籠めた本心を。
何を大人ぶっていたんだか。お兄さんなんて柄じゃない。次に会えた時は、みっともなく喚いて縋って伝えるのだ。情けない涙を晒してでも、それすらあの子の同情を誘う武器として。
愛してる。
今は伝えられないその言葉を、いつか君に。
240
お気に入りに追加
13,385
あなたにおすすめの小説
【完結】悪役令息の従者に転職しました
*
BL
洗脳され無理やり暗殺者にされ、無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。
依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。
皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ!
本編完結しました!
時々おまけのお話を更新しています。
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺
福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。
目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。
でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい…
……あれ…?
…やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ…
前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。
1万2000字前後です。
攻めのキャラがブレるし若干変態です。
無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形)
おまけ完結済み
期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています
ぽんちゃん
BL
病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。
謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。
五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。
剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。
加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。
そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。
次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。
一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。
妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。
我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。
こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。
同性婚が当たり前の世界。
女性も登場しますが、恋愛には発展しません。
性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします
*
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!?
しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です!
めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので!
本編完結しました!
時々おまけを更新しています。
宰相閣下の執愛は、平民の俺だけに向いている
飛鷹
BL
旧題:平民のはずの俺が、規格外の獣人に絡め取られて番になるまでの話
アホな貴族の両親から生まれた『俺』。色々あって、俺の身分は平民だけど、まぁそんな人生も悪くない。
無事に成長して、仕事に就くこともできたのに。
ここ最近、夢に魘されている。もう一ヶ月もの間、毎晩毎晩………。
朝起きたときには忘れてしまっている夢に疲弊している平民『レイ』と、彼を手に入れたくてウズウズしている獣人のお話。
連載の形にしていますが、攻め視点もUPするためなので、多分全2〜3話で完結予定です。
※6/20追記。
少しレイの過去と気持ちを追加したくて、『連載中』に戻しました。
今迄のお話で完結はしています。なので以降はレイの心情深堀の形となりますので、章を分けて表示します。
1話目はちょっと暗めですが………。
宜しかったらお付き合い下さいませ。
多分、10話前後で終わる予定。軽く読めるように、私としては1話ずつを短めにしております。
ストックが切れるまで、毎日更新予定です。
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。